香天集4月27日 岡田耕治選
夏礼子
団員を集めていたりつくしんぼ
家路なお桜月夜の酔いであり
散り際を確かめている椿かな
木蓮の濃くなる白の懸念かな
前藤宏子
花明り昼銭湯の湯気少し
胃カメラの検査の後を蕨餅
春の川一水流れつつ光る
亀の子よ親に続いて頭を擡げ
安部いろん
春眠の睡魔が連れてくる何か
果てしなき空へ漕ぎ出し半仙戲
飛花たちが幾多の我とすれ違う
春列車席倒してもいいですか
中嶋飛鳥
啓蟄の事ある度に電子辞書
西行忌鏡の顔を手で拭う
山笑う声高くする後日談
蝶々へ火宅の窓を開け放つ
柏原玄
万感を言葉に託しつくづくし
別嬪と言うて欲しいと紫木蓮
包丁を布巾になだめ黒めばる
片言を楽しみいたる葱坊主
宮崎義雄
灰汁少し残る菜花の辛子味噌
黒文字の揺れる旗棹桜餅
カラオケへ逸る心を花の下
送信の写真祝いのフリージア
森本知美
五羽の鳶水平に舞う花岬
こでまりの花や明るき部屋となる
百千鳥大塔の裏人気なく
花まつり甘茶の墨に願い込め
松並美根子
地蔵尊無二無三なり山桜
大切な一刻一日花水木
産土やライトアップに映える藤
春の海水平線を遠くして
丸岡裕子
午後からの韓国ドラマ春炬燵
山桜ゆっくり迫る雨催い
花桐や古典の浪漫香りくる
薔薇の中愛犬撮すスマートフォン
目美規子
山笑う景色展ける保護メガネ
マイクロムーン足速に過ぐ春コート
吊り革の揺れにまかせる春帽子
いぬふぐり手作りパンはチーズ味
木南明子
仏の座思いもよらぬ事ありぬ
ムスカリの野草となりて棲みつきぬ
天候の定まり蕨飯を炊く
留守番の夫に優しい大手鞠
安田康子
あっけなき別れとなりて鳥雲に
二度と来ぬ今日という日や四月馬鹿
春陰やただならぬ世の脈々と
桜散る晴れのち曇りのちの雨
金重こねみ
幼子の春の万博目はクルクル
しなやかに重なりてあるフリージア
今はまだ忘れ得ぬ人春の星
大惨事祈ることだけ菜種梅雨
〈選後随想〉 耕治
散り際を確かめている椿かな 礼子
まず、「散り際」という言葉に惹きつけられる。椿は、自分の散りゆくその最後の瞬間を、じっと見つめ、確かめているようだ。その様子には、ある種の覚悟が感じられる。「確かめている」という措辞は、単なる花の散り際ではなく、何かを受け入れていくような、内面的な働きを感じさせる。六林男師は、俳句は直前で書くか、最中を書くか、直後を書くかの3つのうちの1つを選ぶよう指導された。礼子さんのこの句は、直前で書くことの好例だ。鮮烈な印象を残す花だからこそ、これから散ろうとしている椿に宿る力強さが、私たちの心に深く刻まれる。
花明り昼銭湯の湯気少し 宏子
「花明り」という春の柔らかな光と、「昼銭湯」という日常の温かさが、湯気の立ち上る様子とともに、どこか懐かしい情景を描き出している。桜が咲き、周囲をほんのりと明るく照らす、そんな優しい光景に、「昼銭湯」という取り合わせが面白い。一般的に銭湯は夕方から夜にかけて賑わうが、昼間の銭湯には、また違った静けさや、日常の生活感が漂っている。宏子さんは、それを「湯気少し」というたったひと言で表現することができた。このひと言は、その場の温度や湿度、そして何よりも、そこに流れる穏やかな時間を伝えてくれる。
飛花たちが幾多の我とすれ違う いろん
「飛花(ひか)」という言葉は、単に「散る花」と言うよりも動きがあり、風に舞い散る桜の花びらの様子に輝きを与えている。複数の飛花が、「幾多の我とすれ違う」ということは、実際は一人の自分を花びらが次次と過ぎていく光景だろう。しかし、いろんさんは、花びらが、まるで無数の自分自身と出会い、通り過ぎていくようだと捉え直した。こう表現することによって、花びらを時間や記憶の断片、あるいは過ぎ去っていった様々な感情や経験のメタファーと捉えることができるだろう。散っていく花びらは、過ぎ去った時間や失われたものを象徴し、「幾多の我」は、その時々の自分の心の状態や経験を表しているのだと。
岬町みさき公園にて。
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