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2025年10月19日日曜日

香天集10月19日 平木桂子、三好広一郎、湯屋ゆうや、柴田亨ほか

香天集10月19日 岡田耕治 選

平木桂子
味噌付けて足るを知るなり秋茄子
人のこと素知らぬ顔で梨を剝く
終点のバスから一人葛の花
秋薔薇残り時間を塗り直し

三好広一郎
ブランコの捻じれ戻さず秋時雨
手品師の十一本目の指に秋
秋の海馬を洗いに来たおんな
火と水と穴の暮らしや星と月

湯屋ゆうや
重く開く防音ガラス虫の声
掃除機は往路に吸うと雁渡
千屈菜や手をつなぐこときらいたる
やわらかくかわくてのひら秋の昼

柴田亨
並びたる小骨愛しき秋刀魚かな
亀の子よ水底に秋来ているか
諍いはそのままになり秋夕焼
円空の鉈のほほえみ毘沙門天

高野義大(10月)
抱かれて白い羽根なり夜の白鳥
日焼して冬の日向の昭和あり
日輪が何かを足せり十二月
年越える晩年の牛目に浮かぶ

高野義大(9月)
故郷に桜吾に他郷の厠かな
祖母の忌に朝霧がきて眠られぬ
土色の雲浮かぶ風枯葉たち
明るくて傷つきやすし朝の窓

加地弘子
コスモスに気配の残りかくれんぼ
先生の教えの重し万年青の実
可愛がって貰いと言われ赤のまま
枝豆や私の知らぬ夫のこと

木村博昭
御座船を護る船団水の秋
なにもかも忘れ色なき風のなか
声が来て人現れる霧襖
何もせずただ見ていたる案山子かな

嶋田静
キュッと鳴き水を弾ける秋茄子
秋の原両手ま横に風通す
梼原の本棚に満ち晩夏光
名月のうさぎ大きくなっており

上田真美
杜鵑草亡き兄七つ歳下に
菊花展団地育ちが賞を取る
菊最中君の手にまず載せてみる
時を待つ亀虫じっとしていたり

秋吉正子
練習が楽しくなりぬ夏休
たくさんの絵本を抱え夏休
芋茎剥くこれは何かと問われおり
夕焼の朱色だけで書く日記

川村定子
朝顔の白よ去年のこぼれ種
白萩のなだれこの門の通られず
月光の冴えカーテンを引くを止む
秋冷やページそのまま転寝る

大里久代
雷が光るやいなや大雨に
列島に地震のつづく旱かな
奥の院へ大師の御膳涼新た
赤白に加わるピンク曼珠沙華

〈選後随想〉 耕治
人のこと素知らぬ顔で梨を剝く 桂子
 周囲で何かしらの問題やそれは嘘だったといった、深刻な話が展開されているにもかかわらず、手元の作業に集中し、あえて関わらないという態度が描かれている。状況を理解しているが、今は口を挟むべきではないと判断し、静かに心を鎮めているかのようだ。 梨を剝くという行為は、手を使い、目線を集中させる、内省的で静的な動作。みずみずしい梨が、周囲のざわめきや乾いた人間関係を洗い流すかのように締め括られている。桂子さんが切り取ったこの場面は、状況の緊張の最中での落ち着いた行動がクローズアップされ、人間の生の姿が彫り出されている。

ブランコの捻じれ戻さず秋時雨 広一郎
 ブランコの捻れには、単にブランコが捻れているだけではなく、人間の心の中とか、悩みとか、ひいてはこの世の中とか、いろんなものが込められているような感じがする。それを戻さず、つまりブランコを元に戻すことをせずに、あえてそのままにして、秋時雨が降ってくるのにまかせている、そんな光景が浮かんでくる。秋時雨が降るブランコには誰もいない、遊びの時間は終わり、静かな時間が流れている。捻じれたブランコは、過ぎ去った時間や、もう戻ることのない日々など、様々なことが想像できて、広一郎さんらしい広がりを感じさせる句だ。

重く開く防音ガラス虫の声 ゆうや
 句会で久保さんが、この「重く開く」というのが、日常のことなんだけれども、そこから日常ではないことが感じられると評した。私も、「重く開く」という六音の始まりがいいと思う。防音ガラスの窓は、他の窓よりも重い感じがして、なぜ防音ガラスにしたのか、寒さ対策とかそういうこともあるだろうけれども、防音の効いた部屋にいるのはなぜだろうかとか、そんなことにも思いをめぐらすことができる。それを開いた時、人工的な空間から自然界へとゆうやさんが包まれる。外部の音を遮断していたからこそ、繊細な虫の声が、より深く心に響き、軽い安堵感のような、それでいて寂しいひとときが現れる。
*横顔の位置を取り合い蓮の実 岡田耕治

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