2025年10月19日日曜日

香天集10月19日 平木桂子、三好広一郎、湯屋ゆうや、柴田亨ほか

香天集10月19日 岡田耕治 選

平木桂子
味噌付けて足るを知るなり秋茄子
人のこと素知らぬ顔で梨を剝く
終点のバスから一人葛の花
秋薔薇残り時間を塗り直し

三好広一郎
ブランコの捻じれ戻さず秋時雨
手品師の十一本目の指に秋
秋の海馬を洗いに来たおんな
火と水と穴の暮らしや星と月

湯屋ゆうや
重く開く防音ガラス虫の声
掃除機は往路に吸うと雁渡
千屈菜や手をつなぐこときらいたる
やわらかくかわくてのひら秋の昼

柴田亨
並びたる小骨愛しき秋刀魚かな
亀の子よ水底に秋来ているか
諍いはそのままになり秋夕焼
円空の鉈のほほえみ毘沙門天

高野義大(10月)
抱かれて白い羽根なり夜の白鳥
日焼して冬の日向の昭和あり
日輪が何かを足せり十二月
年越える晩年の牛目に浮かぶ

高野義大(9月)
故郷に桜吾に他郷の厠かな
祖母の忌に朝霧がきて眠られぬ
土色の雲浮かぶ風枯葉たち
明るくて傷つきやすし朝の窓

加地弘子
コスモスに気配の残りかくれんぼ
先生の教えの重し万年青の実
可愛がって貰いと言われ赤のまま
枝豆や私の知らぬ夫のこと

木村博昭
御座船を護る船団水の秋
なにもかも忘れ色なき風のなか
声が来て人現れる霧襖
何もせずただ見ていたる案山子かな

嶋田静
キュッと鳴き水を弾ける秋茄子
秋の原両手ま横に風通す
梼原の本棚に満ち晩夏光
名月のうさぎ大きくなっており

上田真美
杜鵑草亡き兄七つ歳下に
菊花展団地育ちが賞を取る
菊最中君の手にまず載せてみる
時を待つ亀虫じっとしていたり

秋吉正子
練習が楽しくなりぬ夏休
たくさんの絵本を抱え夏休
芋茎剥くこれは何かと問われおり
夕焼の朱色だけで書く日記

川村定子
朝顔の白よ去年のこぼれ種
白萩のなだれこの門の通られず
月光の冴えカーテンを引くを止む
秋冷やページそのまま転寝る

大里久代
雷が光るやいなや大雨に
列島に地震のつづく旱かな
奥の院へ大師の御膳涼新た
赤白に加わるピンク曼珠沙華

〈選後随想〉 耕治
人のこと素知らぬ顔で梨を剝く 桂子
 周囲で何かしらの問題やそれは嘘だったといった、深刻な話が展開されているにもかかわらず、手元の作業に集中し、あえて関わらないという態度が描かれている。状況を理解しているが、今は口を挟むべきではないと判断し、静かに心を鎮めているかのようだ。 梨を剝くという行為は、手を使い、目線を集中させる、内省的で静的な動作。みずみずしい梨が、周囲のざわめきや乾いた人間関係を洗い流すかのように締め括られている。桂子さんが切り取ったこの場面は、状況の緊張の最中での落ち着いた行動がクローズアップされ、人間の生の姿が彫り出されている。

ブランコの捻じれ戻さず秋時雨 広一郎
 ブランコの捻れには、単にブランコが捻れているだけではなく、人間の心の中とか、悩みとか、ひいてはこの世の中とか、いろんなものが込められているような感じがする。それを戻さず、つまりブランコを元に戻すことをせずに、あえてそのままにして、秋時雨が降ってくるのにまかせている、そんな光景が浮かんでくる。秋時雨が降るブランコには誰もいない、遊びの時間は終わり、静かな時間が流れている。捻じれたブランコは、過ぎ去った時間や、もう戻ることのない日々など、様々なことが想像できて、広一郎さんらしい広がりを感じさせる句だ。

重く開く防音ガラス虫の声 ゆうや
 句会で久保さんが、この「重く開く」というのが、日常のことなんだけれども、そこから日常ではないことが感じられると評した。私も、「重く開く」という六音の始まりがいいと思う。防音ガラスの窓は、他の窓よりも重い感じがして、なぜ防音ガラスにしたのか、寒さ対策とかそういうこともあるだろうけれども、防音の効いた部屋にいるのはなぜだろうかとか、そんなことにも思いをめぐらすことができる。それを開いた時、人工的な空間から自然界へとゆうやさんが包まれる。外部の音を遮断していたからこそ、繊細な虫の声が、より深く心に響き、軽い安堵感のような、それでいて寂しいひとときが現れる。
*横顔の位置を取り合い蓮の実 岡田耕治

2025年10月12日日曜日

香天集10月12日 三好つや子、春田真理子、宮下揺子ほか

香天集10月12日 岡田耕治 選

三好つや子
鰯雲率いる少女一輪車
体内のどこからとなく秋の声
  伊丹吟行
酒の香にふと木患子の零れけり
虫しぐれ記憶ときどき嘘をつく

春田真理子
言の葉のたゆたふ水面もみじかな
口紅は薄紅色に日日草
ため息をこぼしていたり白茄子
撫で洗ふシンク脳は白露せり

宮下揺子
手繰り得ぬ過去のありけり烏瓜
みな違う風鈴の音や青い空
頑なな心をほどき秋桜
反り返り世間見ている曼殊沙華

佐藤諒子
白雲に近き段畑曼珠沙華
花笠も女子も男子も秋祭
休暇明短パンの足ぎゅっと伸び
野仏に出会う山道露けしや

松田和子
女郎花星を見ている里帰り
白く青く浜木綿の実の波に浮き
秋の海空港眺め小鷺立つ
涼新たパンパスグラス真白なり

橋本喜美子
新涼や輪島の箸を客人に
夕暮の往来忙し白木槿
せせらぎと囁き合へる蜻蛉かな
虫の声階下より風運びくる

山彦
隠れんぼの息止めて見る女郎蜘蛛
赤松の林も秋に入りけらし
雑踏に捨てることあり天高し
監視カメラ映り月夜の道路鏡

楽沙千子
気兼ねなく五体をのばし虫の夜
何も手に付かず更けゆく初嵐
輪投げする体力のあり敬老日
ぐずる子に与えてしまい氷菓子

北橋世喜子
送風に逆らっている目高たち
秋暑し水道水は湯となりぬ
ペン先にしみ込んでいる虫の声
長月や簡単服に袖通し

中島孝子
郡上踊り下駄の音響く昼夜かな
鬼灯の朱を抱えて急ぎけり
満月を網で捕るから待っていて
いつしか秋草むらの声にぎやかに

半田澄夫
炎昼や忠魂塔の無言なり
新涼やパレットに溶く空の色
秋雨や近道塞ぐ潦
御堂ゆく歩幅にゆとり秋涼し

上原晃子
大花火泉南の夜を轟けり
花火見し人のあふれる岡田浦
夜の道心おぼえの稲匂い
白木槿三つが朝の光受く

石田敦子
落し物見つからぬまま秋来たる
束の間の一心不乱盆踊
無花果を剝く指先の不器用さ
編笠を目深にしたり風の盆

東 淑子
夏草や日照り続きを枯れもして
灯籠の後ろを見れば黒い海
台風の来る度温度上がりけり
天の川今日を大事の強さにて

川合道子
大空に向かい踏んばる大向日葵
煮るよりも焼く方が好き秋なすび
露草や野道きらりと開きたる
新しき里山ができ猫じゃらし

はやし おうはく
蜩は過ぎゆく夏をつかまえる
応援歌わき立つ雲に姿変え
愛でる人少なき夜を冴える月
老い枯れて雀の遊ぶ案山子かな

市太勝人
終戦日球児たちへのメッセージ
優勝に間に合うように鉦たたき
限定の月見バーガー食べまくり
行けなくなる予約していた葡萄狩り

〈選後随想〉 耕治
鰯雲率いる少女一輪車 つや子
 小学校の校長をしていたとき、長い休み時間や昼休みに子どもたちがよく一輪車に乗っていた。初めは鉄棒を持ってバランスを取っていた子も、またたく間に「見て見て上手になったでしょ」と言うように駆けていく。広がる秋空の下、子どもたちが軽やかに一輪車を操っていく姿は、清々しく、生命力に満ちた風景として心に残っている。特に一輪車は女子が好んで乗っていたが、彼女たちは鰯雲を率いているというこのつや子さんの表現に、雲の広がりと一輪車の動きがつながっていくような感覚になった。
*もう少し空腹でいる朝の露 岡田耕治

2025年10月5日日曜日

香天集10月5日 渡邊美保、嶋田静、森谷一成、浅海紀代子ほか

香天集10月5日 岡田耕治 選

渡邉美保
足元の草の匂へる魂迎へ
花野行きのバスに乗り込むフライパン
星飛んでムーミン谷に風の音
色抜けしゑのころ草の鳴きにけり

嶋田静
約束のように風来る敗戦日
仰向けの蟬近寄るや飛び立てり
泰山木陽ざしはすべて葉の裏に
夏の山天涯に花揺らしけり

森谷一成
ふところを秋刀魚にみられ茜雲
吾父はポツダム少尉いぼむしり
爆音の過ぎて泣きやむ猫じゃらし
  伊丹吟行
無患子の揺れて猪名野の昔めく

浅海紀代子
深奥にわが影伸びる九月かな
リハビリの靴の片減り草の花
次男坊ふらりと帰るつくつくし
思い出をたどる桔梗を端緒とし

佐藤静香
ひとつ屋に人の温もり夜の秋
金秋の卵ひとつに足るを知る
故郷は疲れの見えて曼珠沙華
無患子の実や堅き意志内包す

牧内登志雄
望の月賢者の海の賑わえり
雲水の笠に纏わる初紅葉
愚痴もまた肴と酌めり新走
県境わたる鉄路や水の秋

河野宗子
天井の屋久杉回る広重忌
くすぐって色なき風の走る朝
垂直に連なっている蜻蛉かな
期日前投票に来て敬老日

田中仁美
漢江に飛び交いつづけ夏かもめ
朝粥に小さき鮑隠れおり
万博に小さき一歩芝青し
マッコリの白く香れる長き夜

吉丸房江
草の露風の遊びに転げたり
百日紅ほろりと散りて転がりぬ
この暑さ走るタイヤの熱かろう
斜めがけ水筒よ子の足までも

〈選後随想〉 耕治
花野行きのバスに乗り込むフライパン 美保
 フライパンは台所の道具、日常の「食」と「家」を象徴するもの。それが「花野行きのバス」という非日常の場面に登場することで、強烈な違和感というか、面白さを生んでいる。花野で何か調理をするために持っていくのだろうか。しかし、なぜフライパンなのか。引っ越しや遠出の際に、必需品として他の荷物と一緒に乱雑に持っているのだろうか。私がよく見る番組の、登山で山頂に到達し、その場所で「頂きメシ」を楽しむという場面なども想起できる。フライパンという思いも寄らない美保さんの選択が、どんどん想像を広げてくれる。

約束のように風来る敗戦日 静
 敗戦日に、まるで約束されていたかのように一陣の風が訪れた。静かに鎮まっていた空間に、突如として風が吹き抜け、それが過去と現在を結ぶ通路の役割を果たしているようだ。この風は、ただの涼しい風、心地よい風ではない。それは、静かに、しかし有無を言わさぬ力を持って、静さんの胸奥にある記憶の扉を開こうとしている。8月15日の放送の雑音、熱に揺れる陽炎、遠い日の別れなど様々なことが風に乗って、そうした過去の断片が、意識の表面に約束のように浮かび上がってくる感覚が表現されている。
*待っていることが薬にかりんの実 岡田耕治

2025年9月28日日曜日

香天集9月28日 谷川すみれ、玉記玉、辻井こうめ、夏礼子ほか

香天集9月28日 岡田耕治 選

谷川すみれ
後ろから不在を見つめ金木犀
秋の蝶一分前の石の上
兄はもう乗っているなり鰯雲
長き夜のふきんをかけてひと日澄む

玉 記玉
因縁のレモンが一個未送信
銀杏散るように纏えるバスローブ
とめどなく紐がでてくる敬老日
洋室の涼しさとなる間柄

辻井こうめ
雑学のどこか繋がる鰯雲
虫時雨同じ時空を見てゐたり
鰯雲縁になじみの椅子ひとつ
歩こうかバスを待とうか捨案山子

夏 礼子
敗戦の間際の投手地に汗す
わたくしを置き去り水蜜桃すする
一盌の深き海あり敗戦日
髪型を変えそれからの初秋かな

柏原 玄
たまゆらの紅の重なり酔芙蓉
燈火親し今日の学びを書きとめる
デリート・キー叩いて虫の秋に居る
常住の自在でありぬ菊の朝

神谷曜子
雑魚寝の中赤子のにおう盂蘭盆会
葛藤をくり返しおりの盆の波
蜩と耳鳴り混じりはじめけり
秋めくや家庭に作る風通し

中嶋飛鳥
秋暑し映りて白き骨の影
髪解けば痛み和らぐ夜の秋
彼岸へとわが影移す秋の川
真っ先に新酒に化けてしまいたる

加地弘子
一筆箋懐かしいやろ真桑瓜
意識して姿勢を正す油蝉
秋の蚊の慎重に来る背後なり
マッシュルームカットに刈られ真葛原

砂山恵子
爽やかや横隔膜で息をして
村落は塊となり夕月夜
迎へに来いどこと言はずに鰯雲
父親はときどき味方ちちろ鳴く

安部いろん
集うほど我のなくなる原爆忌
秋簾濃い鉛筆の削り滓
誰となく手が触れている秋祭
天の川乳房に感電の怖れ

前藤宏子
竹の春そうだ楽天家になろう
独り身の門限のなき良夜かな
お三時のもう決めている蒸し小豆
昨日より一つ歳とり彼岸花

宮崎義雄
ビア樽を空け麻雀の朝ぼらけ
鰯雲トンネル抜ける海岸線
落鮎や男三人昼の酒
留守電に迎えに来てと十三夜

楽沙千子
両隣気兼ねをせずに水を撒く
沖に飛機飛魚はねし波しぶき
砂灼くる足裏高く水際へ
葉鶏頭採り残されていたりけり

長谷川洋子
高齢のツーブロックよ草の花
この星に息絶えぬもの葛の花
リハビリを励ます手紙出さず秋
想い出を語りつくせぬ夜長かな

安田康子
蚰蜒こそは世界平和の使いかも
父母に会う術の無き星月夜
秋の蝉きっと自由を知っており
片付かず残暑のせいにしていたり

森本知美
フィットネスクラブの仮装ハロウィン
十三夜本を返しに友を訪う
蓼の花入口に活け写真展
藤袴毒ある蜜へ近づきぬ

松並美根子
一瞬のとんぼ返りの赤蜻蛉
若衆の鳴物響く秋祭
幸せを身近に感じ秋の風
彼岸花や西の彼方に手を合わす

目 美規子
新米を横目に古米カート押す
立ち退きの空家解体ちちろ鳴く
故里の訛に気づき赤とんぼ
リハビリの猫背矯正猫じゃらし

金重こねみ
久しぶり太く大きな秋刀魚焼く
蜩に急かされている庭仕事
秋夕焼少しせばまる歩幅にて
釣土産小ぶりの鯖は天麩羅に

木南明子
花芙蓉大きく開く喫茶かな
花木槿隣の家はこちら向き
千日紅寄り添いながら遊びおり
満月の縁側指定席とする

〈選後随想〉 耕治
後ろから不在を見つめ金木犀 すみれ
 不在とは、誰かがその場所から立ち去った後の空間、あるいは失われた気配や、遠い記憶を指しているようだ。その不在を後ろから見つめているのは、去りゆく人を黙って見送る、あるいは去った人の後からその場に残る虚しさを見つめるという情景が浮かび上がる。金木犀という強い香りを放つもの、その対極にある不在を見つめているという対照が、言いようのない切なさを生み出している。俳句を書きながら、俳句から浄化されようとするすみれさんならではの一句だ。

雑魚寝の中赤子のにおう盂蘭盆会 曜子
 盂蘭盆会は、死者の霊が家に戻ってくる時であり、供養を通じて死を意識することになる。一方、集まった人々の中に生まれたばかりの、新しい生命が匂っている。「におう」は、ここでは単に「匂う」だけでなく、古語の「美しく見える」「光り輝く」という意味も込めて解釈できそうだ。仏間での雑魚寝だろうか、にぎやかな人の営みの中で、ふと漂ってくる赤子の清らかな匂いや輝き。曜子さんのまなざしは、盆という厳粛な時節に、生きていることの尊さを感じさせてくれる。

*芋嵐数学の問い裏返り 岡田耕治

2025年9月21日日曜日

香天集9月21日 湯屋ゆうや、古澤かおる、木村博昭ほか

香天集9月21日 岡田耕治 選

湯屋ゆうや
病棟の洗濯干し場秋高し
点滴は右にされたし花カンナ
訪問の看護師が来る野分中
睡眠がデフォルトらしき月見草

古澤かおる
搦手の閑けさに飛ぶ夕あきつ
木の影に秋の気配の佇みぬ
無花果よ余熱のままを掌に
蝙蝠やしぼんだボール軒下に

木村博昭
少年の朝顔の蔓よるべなし
蓑虫よさみしいときは泣けばよい
加担してこんな地球となる残暑
新米や常より長く手を合せ

中島孝子
日輪を崇めて今日の梅を干す
片かげり入ればまっすぐステップす
蕗の傘かざし子どもら走りけり
青虫の遊び場となり透かし柄

橋本喜美子
藁焼きの土佐の鰹の香りけり
天の川引き上げの児は八十路なり
夏雲をめがけて走りハイウェイ
夕蛍草帚もて追いにけり

岡田ヨシ子
秋を待つ自分が選んだケアハウス
散歩には行かず残暑のコルセット
花芒今日の曜日を問われけり
潮を吹く牡蠣を残せり笊の中

北橋世喜子
鳴きもせず急に飛び立つ油蝉
土覆い動かぬ蝉に群がりぬ
八月や戦後の語り八十年
ふるさとの水族館の夏休み

上原晃子
忘れ杖増えゆく夏の高野かな
梅雨晴間野菜のお化け五六本
雨上がる奥の院まで蝉しぐれ
大分の空気を箱に梨届く

半田澄夫
生き甲斐の人に掴まれ踊りけり
看板のビール直帰を曲げており
水馬流れの上にまた戻り
全車窓日除降ろして走行す

石田敦子
停電の静けさにあり初蝉よ
向日葵の大きく育ち保育園
大暑かな手土産を持ち弟来る
小雨降る中の式典長崎忌

はやし おうはく
遠雷や浮き絵のごとく海に落ち
風鈴に息をかけたる猛暑かな
手をつなぐ園児の散歩夏帽子
夕立や逃げる旅人追いかけて

東 淑子
生き物が畳を走る夏の夜
帰り道にとどまっており赤とんぼ
鬼やんま羽ふるわせて低く飛ぶ
稲光一人の部屋に縮こまる

市太勝人
大雨のカッパばかりの祭かな
期日前投票場の蒸し暑し
喜雨上がる一生残る手拍子よ
観戦のチケットあたり秋暑し

〈選後随想〉 耕治
病棟の洗濯干し場秋高し ゆうや
 病棟の洗濯干場なので、そんなに広いところではない。しかも病棟なので、自分が閉じ込められている感じと、それから秋の空の広々とした感じと、ゆうやさんのこの取り合わせがいい。狭い選択干し場から眺める空への、どことなく寂しい感じと、そこから快復しようとする燥ぎを感じさせてくれる。
*平衡のままにしており女郎花 岡田耕治

2025年9月14日日曜日

香天集9月14日 三好広一郎、渡邉美保、三好つや子、柴田亨、前塚かいち他

香天集9月14日 岡田耕治 選

三好広一郎
両端を見たことのない秋の海
蜻蛉追うかの少年は木に風に
紫陽花の目に角があり紙吹雪
この夜も何もないから秋の道

渡邉美保
球形にこだわっている穴惑
秋日差し退屈さうな空気入
手の届くあたりに伸びて烏瓜
天球の外へ出たがる飛蝗かな

三好つや子
水鉄砲平和な空を知らぬ子ら
八月のどこを撮っても蝉の声
捩花そこは長所でここ短所
水彩の指の涼しさ梨を剥く

柴田亨
三人で四人目のこと月見草
早早とつばくろの消え雲は銀
天を抱く蝉に静かな時のあり
虫集くもう少しだけ永らえん

前塚かいち
難聴の吾には聞こえ秋の声
ふるさとのない放哉に小鳥来る
無花果の一途に祈る命かな
周縁に身を置いておりどくだみ草

春田真理子
丸刈りの頭を曝し行く炎暑
夜店の灯水ヨーヨーにある自由
ゆっくりと噛みしめて啼く八月尽
のみ込みの下手になりけり夕かなかな

平木桂子
ガーベラを好みし人の大往生
絶妙の相槌打たれ日日草
傾いた母の背中や猫じゃらし
秋入日憤死間近な地球にて

宮下揺子
デラシネの五木寛之パリー祭
大西日疑心暗鬼のまま歩く
晩夏光飲み口欠けしマグカップ
冷房やエンドロールに名を捜す

上田真美
夏休み兄の喧嘩を諌める子
地蔵盆褪せし前掛正しけり
門火焚く母の指先ふるえ出し
語り継ぐシベリア抑留夜の秋

松田和子
唐辛子三年前の毒を消し
えのころ草米になればと瞬きぬ
古民家の簾の名残り巻いており
思草タバコの匂い巻き付きぬ

牧内登志雄
寒蝉の小節を回す鳴き納め
初嵐キリンは首を持て余し
回廊や色なき風のひと巡り
首筋に残る冷やかケセラセラ

〈選後随想〉 耕治
両端を見たことのない秋の海 広一郎
 先日の大阪句会の高点句だが、海の端を見たことがないというのは当たり前なのに、なぜ皆さんの選に入ったのか。一成さんが両端というのは、宇宙のことではないかという空間的な捉え方で鑑賞した。私は例えば人生の両端、自分が生まれた瞬間を自分が見るということができなかったし、自分が死ぬという瞬間も見ることができない。そういう意味では、生死の両端も自分では見ることができないと鑑賞した。私は、長く中学校に勤めていたので、「あの子がいない」となったら、だいたい男子は海の方へ探しに行く。女子は、海とは限らなかったが、夏の賑やかさがなくなり、静けさを増した秋の海を見ながら、ちょっといろんなことを考えている、そんな雰囲気が広一郎さんのこの句にはある。空間的把握にせよ、時間的把握にせよ、すべてを把握することはできない、という事実を受け入れいこうとする息づかいが感じられる秀句だ。

ふるさとのない放哉に小鳥来る かいち
 尾崎放哉の、文字通りの意味でのふるさとは「鳥取」だ。しかし、彼は東京、朝鮮、京都、須磨、小豆島など各地を転々と渡り歩き、定住することがなかった。特に晩年は、酒や病気で職も家庭も失い、各地の寺を転々としながら放浪生活を送った。その意味でかいちさんは、「ふるさとのない」と表現したのだろう。放浪の身である放哉にも、鳥は渡ってくる。しかもそれは、小鳥であるというところが、かいちさんの感性が光るところ。小鳥の訪問は、放哉の孤独を根本的に解決するわけではないが、彼の存在を認め、自然との一時のつながりを与えてくれているようだ。
*薄原初めに逃げる位置を決め 岡田耕治

2025年9月7日日曜日

香天集9月7日 辻井こうめ、佐藤静香、浅海紀代子ほか

香天集9月7日 岡田耕治 選

辻井こうめ
掌に掬ふ八月六日かな
紅蜀葵二階の人の視線から
石蹴りの石の退屈猫じゃらし
手のひらの蜘蛛慎重に外に出でよ

佐藤静香
球場の歓声の消え法師蝉
茶髪の子黒染にして休暇果つ
ハレの日や輪島の椀へ新豆腐
秋の野や国境線はなぜあるの

浅海紀代子
黄泉よりも東京遠し凌霄花
子の肩のとんがった黙秋の蝉
よろず屋の大きそろばん秋の暮
それぞれに遠き日のあり鳳仙花

佐藤諒子
遺せしはたった一葉敗戦日
朝顔の屋根まで登る平和かな
里山の近づいてくるつくつくし
草の露しゃがめば肩のぬれており

吉丸房江
にぎわいに感謝しており百日紅
フーちゃんと呼ばれる舞台秋日和
蜻蛉のあの世この世をすいすいと
嫁姑共に秋暑の汗をかき

〈選後随想〉 耕治
石蹴りの石の退屈猫じゃらし  こうめ
 子どもたちが遊び終え、誰もいなくなった静かさの中で退屈そうにしている石。その横で、軽やかに揺れる猫じゃらし。子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる場所が、今はひっそりと静まり返っている。その静けさが、かえって「石の退屈」を強調し、切ないような、それでいてどこか微笑ましいような情感を生み出している。自由さとあたたかさを同時に感じることのできる、こうめさんならではの一句だ。
*猫じゃらしすぐに信じてしまいけり 耕治