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2026年9月7日月曜日

夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉

〈俳句物語〉 岡田耕治

夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉

 彼は大学の非常勤講師を務めている。大学院の博士課程を修了して5年が経つが、18歳人口の減少の波は容赦なく大学業界を浸食している。あちこちの大学で募集停止や統廃合が囁かれ、かつては学問の象徴であったはずのキャンパスが次々と姿を消していく。それに伴い、助教や専任講師といった正規のポストへの道は、年を追うごとに狭き門となっている。

 非常勤講師の生活は、常に綱渡りだ。1コマ単位の契約であり、例えば半期(4月から8月)に1コマ(15回)を担当したとしても、月々の手取りはわずか3万円程度にすぎない。しかも授業が行われない3月と9月は無収入になるため、生活を維持するためには前期・後期ともに最低でも週7コマ以上を死守しなければならない。複数の大学を掛け持ちし、満員電車に揺られながら講義をこなして、ようやく得られる年収は210万円ほど。彼の専門である社会科教育の講義と、得意な英語の講義を合わせて、現在は3つの大学で年間15コマを何とか担当している。

 夏の盛り、前期の講義がすべて終わり、山積みの期末レポートを前にすると、決まって胸の奥に冷たい虚しさが広がる。

「自分は、いったい何のためにここで教えているのだろう」

 そう自問せずにはいられないほど、提出される学生のレポートには、生成AIによって書かれたと確信できるものが溢れていた。誤字脱字は皆無で、文法も段落構成も完璧。一見するときわめて洗練されていて、読みやすい。しかし、そこに書かれているのは抽象的で総論的な表現ばかりであり、結論は決まって誰からも非難されない「安全策」に落ち着いている。整然と並ぶ、魂の通っていないレポートを一枚一枚めくり、淡々と点数をつけていると、まるで自分の人生そのものをすり減らしていくかのような虚しさに襲われる。

 このままでは、教える側も学ぶ側も干からびてしまう。そう感じた彼は、この夏の課題を大きく変更することにした。

「将来自分が授業を作る上で、探求し続けたい『問い』を100字以内で表現し、15回のどの学びに着想を得てその問いに至ったのかという背景を400字以内で記述しなさい」

 この試みは、想像以上の変化をもたらした。提出された課題の字数は従来の半分になり、何より一枚一枚のレポートから、学生たちの生の体温が伝わってくるようになった。最初の100字に書かれているのは、インターネットの海に漂う「過去の既製の答え」ではない。回答する学生自身がこれから向き合っていこうとする、切実な「未来の問い」だった。

「過疎地のバスを廃止すれば、そこに住むお年寄りの『移動の自由』をどう保障していけばいいか」

「アルバイト先で不当な労働を強いられた時、私たちは法を武器にどう自分を守るべきか」

 拙くとも、必死に頭を悩ませて紡ぎ出された言葉たち。それらを読んでいると、彼自身の胸の奥にも、眠っていた熱い火が灯るのを感じた。レポートを採点する時間は、いつしか彼にとって、自らの授業をより良くするためのヒントに満ちた対話の時間へと変わっていった。

 彼の専門である「公共」という科目は、暗記中心の古い社会科から脱却し、「正解のない社会課題に対して、自分ならどう判断するか」を主体的、対話的に考えるためにある。答えがないからこそ、彼の質素なアパートの本棚には、哲学的思索の本、社会の対立や倫理的葛藤を扱う本、先端科学や社会課題の境界線を扱う本が、ぎっしりと、少し誇らしげに並んでいる。本棚を眺める彼の目には、かつて研究を志した頃の純粋な輝きが戻っていた。学生たちの問いに励まされるようにして、彼は久しぶりに、自分のために買っておいた本を開く時間を作り出すことができそうだ。

夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉



2026年8月9日日曜日

一歳へ裸の乳に文字を描く 宮崎義雄

〈俳句物語〉 岡田耕治

一歳へ裸の乳に文字を描く 宮崎義雄


妻)ねえ、この胸に絵を描いてくれない?

夫)え、どうして? サプライズ?

妻)ううん、今日で最後にしたくて……。もう、おっぱいを卒業させてあげたくて。

夫)なるほどね。何を描けばいい?

妻)顔かな。「へのへのもへじ」なら、この子も笑ってくれるかも。

夫)わかった。じゃあ、とびきり愉快な顔を描くよ。

妻)ひゃあ、筆が冷たい。

妻)じゃあ、ちょっと抱っこしてみるね。

夫)どう? びっくりしてるかな。

妻)だめみたい。この子にとっては一番安心できる場所なんだね。ほら、口の周りが真っ黒になっちゃった。

夫)ほんとだ。あーあ、鼻まで真っ黒。

妻)ねえ、明日はお酢を塗ってみようかな。

夫)そこまでしなくても……。

妻)でも、育休も終わるしね。一歳になるってことは、そういうことなんだよね。少し、寂しいけど。

夫)そうだね。今夜は、この真っ黒な顔のまま、たっぷり甘えるか。


一歳へ裸の乳に文字を描く 宮崎義雄



2026年7月26日日曜日

耳朶を嬉しがらせる夏帽子 柏原 玄

〈俳句物語〉 岡田耕治

耳朶を嬉しがらせる夏帽子 柏原 玄

 妻を亡くして八年が過ぎた。何処へ行くにもいつも一緒だったから、別れた直後は「なぜ自分だけが残されたのか」という深い脱力感に苛まれたものだ。一周忌を過ぎ、「いつまでも沈んでいては妻が心配する」と自分に言い聞かせ、これからの人生を模索してきた。とはいえ、ふとした瞬間に、共有相手のいない孤独が胸を突くことは今も変わらない。

 二人で出掛けた先の思い出が蘇ったり、耳許で囁く妻の声が聞こえたりするたび、今も静かな切なさが胸をかすめる。けれど、七回忌を過ぎた頃からだろうか、妻は「失われた人」から、私の中でいつまでも生き続ける「かけがえのない存在」へと、静かに姿を変えたように思う。

 今日の猛暑の中、友人からカラオケに誘われた。若い頃は妻の装いに合わせてシャツやジャケットを選び直し、お洒落を楽しんだものだが、今ではお気に入りを丁寧に着回すようになった。髪が薄くなり、日除けのために被り始めた帽子も、今や隠すためではなく、自分を整えるための相棒だ。この帽子を被る時、かつての喪失感とは違う、新しい誇りのようなものが宿るのも、七回忌を過ぎた頃からだ。

 今日選んだのは、つばが控えめなストローハット。被った瞬間、庇(ひさし)が作る日陰が耳元までスッと広がる。帽子の編み目から抜ける微かな風が、ふと私の耳朶(みみたぶ)をかすめていく。

「お父さん、今日の帽子、似合ってるわよ」

 まるで妻が隣で微笑んでいるかのようなその声を聞きながら、私は少し背筋を伸ばし、駅へと続く道を歩き出した。



2026年7月19日日曜日

塩舐める牛と目が合う炎天下 三好広一郎

〈俳句物語〉 岡田耕治

塩舐める牛と目が合う炎天下 三好広一郎

 毎年夏、大阪から高速バスに揺られ、淡路島の祖父の家へと向かう。バスを降り、島特有の風に混じる微かな牛の匂いを嗅ぐと、ぼくの夏が始まる。祖父が育てているのは、ブランド和牛の素牛となる但馬牛だ。

 大学受験を控えたこの夏、午前中は牧場を手伝い、午後からは涼しい部屋で机に向かう。それが親と交わした約束だった。朝七時、祖父は牛たちの健やかな成長を願い、黙々と糞尿をかき出し、新しい藁を敷き詰める。私もそれにならい、水飲み場を磨き上げ、祖父が配合したエサを運ぶ。その傍らには"鉱塩"と呼ばれる大きな塩の塊を添える。牛たちは自身の体調や暑さに合わせ、必要な分だけを自らの意思で舐めとるのだという。

 "足りないやつが、足りない時に、好きなだけ舐める"。祖父の言葉通り、エサを食べ終えた牛たちがザラザラとした大きな舌で鉱塩を舐めている。その時、ふと一頭の牛と目が合った。哲学的で、潤んでいて、それでいてはげしいまでの生命力を宿した瞳。その眼差しは、猛暑の中で祖父と働くぼくに、"お前がいてくれるから、じいさんの寿命も少し延びるよ"と語りかけているように感じられた。

 外は午前中だというのに気温はぐんぐんと上昇し、三十度を軽々と超えていく。温暖化による猛暑と高騰するエサ代。祖父と祖母は、どこへ出かけることもなく、ただここで牛たちと向き合い続けている。あの一途な瞳で見つめ返されたのは、そんな二人の苦労と営みを、牛たちは一番近くで見守ってきたからにちがいない。


2026年7月12日日曜日

月明の母より長く踊るなり 曾根 毅

〈俳句物語〉岡田耕治

月明の母より長く踊るなり 曾根毅   句集『十翼』より

 盆踊りの喧騒の中、母が踊りの輪へと僕の手を引いた。母の浴衣は涼しげな藍色に白の小紋柄。帯は赤く、白の髪飾りがアクセントになっている。台所で使い古したベージュのエプロンをつけ、髪を適当に束ねては洗剤やだしの匂いを漂わせている、そんな日常の母とは違う姿だ。

 気乗りはしなかったが、母の浴衣姿とふわりと鼻をかすめた化粧品の匂いに促され、ぎこちなく踊りの輪へ加わる。母の背中を追い、「右足、左足、下がる、進む」という声に合わせ、僕の体も次第にリズムを刻み始めた。

 「母さんは先に帰るよ」

 肩を叩かれて振り返ると、母の後ろに大きな月がかかっていた。一際明るいのは、この月のせいかもしれない。母の柔らかな表情を見ながら、「ああ、もう少し踊ってから帰る」と僕は答えた。

 しばらくして、母が抜けたスペースに、一人の若い女性が滑り込んできた。落ち着いた深い紺地の浴衣には、大輪の花があしらわれている。提灯の明かりを吸い込んで金色に光る帯が、彼女の佇まいを引き締めていた。まとめられた髪から下がる紫の髪飾りが夜風に揺れるたび、周囲の空気が清められるようだ。

 彼女の軽やかな足さばきと、指先まで意志の宿るような所作。僕は無意識のうちに、彼女の背中をなぞるように踊り続けていた。楽しげに、けれどどこか哀しみを湛えたその横顔は、踊りの輪にありながら、彼女の周りだけが別のカプセルのように静まり返っていた。

 夜の十時を過ぎ、輪は小さくなった。それでも熱気は冷めやらない。僕の体はいつしか意識を超え、太鼓のリズムそのものになっていた。彼女もまた、休むことなく踊り続けている。初めに見たときよりも、少しだけ浴衣の襟元がゆるんでいるように見えた。

 翌朝、青年団の手伝いで提灯を畳んだが、そこにはもう彼女の姿はなかった。小さな町のこと、いつかまたどこかで会えると思ったが、まだ一度も顔を合わせたことはない。九月になっても、僕は時折あの月夜の踊りを思い出している。



2026年7月5日日曜日

バーナードリーチの皿よ葛桜 長谷川洋子

〈俳句物語〉 岡田耕治

バーナードリーチの皿よ葛桜  長谷川洋子

主)今日はわざわざ来てくれてありがとう。雨、大丈夫だった?

客)はい、電車に乗ってるときは降ってましたけど、駅からここまで傘は入りませんでした。

主)それはよかった。ポットのお湯で略式だけれど、お茶を点てるわね。まずは、お菓子をどうぞ。

客)わあ、これは何と言うお菓子ですか。透き通っていて、桜色…!

主)葛桜(くずざくら)というの。葛の根を砕いて絞ったデンプンから作られた、半透明の葛生地。その中にこし餡を包み、塩漬けの桜の葉を巻いた和菓子よ。

客)初めていただきます。それに、このお皿。ぽってりとした厚みがあって、なんだか土の温もりを感じます。

主)それはバーナード・リーチというイギリスの陶芸家のお皿なの。私、先月まで入院してたでしょ。退院してから、食器棚を整理していて、今日のために出しておいたの。

客)このお皿と和菓子の組み合わせ、歓迎されているみたいです。切れ目を入れるのがもったいないほど。わあ、上品な甘さですね。

主)では、お茶もどうぞ。

客)お点前(てまえ)頂戴いたします。

主)よかったら、このお皿、ペアで貰ってくれるかしら。

客)え、いいんですか。

主)このお皿は、よく使い込んだ方がより美しくなると思うの。私は、残り時間のカウントダウンに入っているけど、あなたはこれからでしょう。

客)ペアで! 今付き合ってる彼とこのお皿を使いながら、新しい日々を重ねなさい、そんなメッセージですね。では、心していただきます。






2026年6月28日日曜日

美しい気配の一つ枇杷熟れる 古澤かおる

〈俳句物語〉 岡田耕治

美しい気配の一つ枇杷熟れる 古澤かおる

 大学3回生の就職活動。二十社ほど受けた面接の帰り道、彼女はいつも、自分という存在が社会に必要とされていないような心細さに包まれていた。「あなたの強みは?」という問いに答えるたび、等身大の自分が見失われていくような気がした。最終面接まで進んでは、あと一歩で届かない。その繰り返しの中で、彼女の心に自己否定の闇が広がっていった。

 4回生になり、幼い頃からの夢だった教員への道を選び直した時、キャリア支援の窓口でふと目に留まったのが、ある離島の講師募集チラシだった。「教員免許があれば、まずはオンライン面接から」。その言葉が、強張っていた彼女の心を解いてくれた。今の自分をそのまま受け入れてくれる場所が、海の向こうにあるのかもしれない。そんな予感に背中を押され、彼女は新しい世界へ一歩を踏み出した。

 春、大きなキャリーバッグと共に降り立った島は、光に満ちていた。下宿先は、七十代の温和な老夫婦が営む離れ。本島で暮らす子どもたちを思うご夫婦は、彼女を本当の娘のように、「よおきんさったね」と温かいお茶と「かんころ餅」で迎えてくれた。潮騒の音を聞きながら眠りにつくと、かつての焦燥感は、その音に溶けていくようだった。

 全校児童二十人の小学校は、家族のような温もりに溢れていた。彼女が受け持ったのは5年生。初めての授業、緊張で震える彼女の手を包み込んだのは、子どもたちの真っ直ぐな瞳と、先輩教員たちの「大丈夫、みんなで見守っているから」という優しい言葉だった。失敗を恐れていたかつての自分はいつの間にか消え、子どもたちの成長を共にする日々に、彼女は自分自身の「強み」を、肩書きではなく心の中に見出し始めていた。

 放課後、校舎から見える海はエメラルドグリーンからコバルトブルーへと表情を変え、彼女の心を癒していく。夕暮れ時、空がピンクやオレンジの優しいグラデーションに染まる頃、彼女は自分がこの島の一部になれたような安らぎを感じるようになっていた。

 ある日の夕食後、大家さんが玄関に置いてくれた新鮮な野菜を手に外へ出ると、清流のほとりで蛍が舞っていた。静かに、けれど力強く明滅する光に見惚れていると、「先生、これ食べんね!」と明るい声が響いた。

 担任しているケンくんが差し出してくれたのは、夕暮の光に温まった、もぎたての枇杷だった。庭先に目をやると、橙色の実は、初夏の光を蓄えてふっくらと輝いていた。



2026年6月21日日曜日

あめんぼの光をひらく閑けさよ 谷川すみれ

〈俳句物語〉 岡田耕治

あめんぼの光をひらく閑けさよ 谷川すみれ

 駅から自宅へ向かう途中に小さな公園がある。雨でないかぎり、彼女はそこに立ち寄る。公園の一角にあるビオトープが、お気に入りの場所だ。電車の中や通りの喧騒とは別世界の静けさの中に身を置く。それが心地よい。

 大学で教員免許を取得したものの、公立の教員採用試験は受けなかった。いまは私立の通信制高校でメンターとして働いている。授業はすべてオンラインであり、彼女が教壇に立つことはない。メンターの役目は、レポートの締め切り管理や学習状況の共有、そしてネットや対面での相談対応だ。生徒の中には、不登校経験者も多い。

 この道を選んだのは、自身の経験ゆえだ。中学二年生の時、彼女自身も不登校になった。当時の担任は、家庭訪問や電話、メールといった形で、さまざまな方法で寄り添ってくれた。「学校へおいで」という言葉は、一度も言われなかった。その柔らかい関わりのおかげで、三年生になると少しずつ登校できるようになり、高校、大学と進学を果たした。あの担任のように、不登校を経験したり、学校に違和感を抱いたりしている生徒の力になりたい。そんな憧れが、この学校へ彼女を導いた。

 彼女が大切にしているのは、生徒同士の繋がりだ。登校のペースはそれぞれ違う。けれど、顔を合わせた際に「この子とあの子なら話が合いそう」と感じれば、一緒に昼食を取ったり、談話室で話したりする。自身の経験を振り返れば、人との関わりや対話が、どれほど自分をはげましてくれたかを知っているからだ。

 ビオトープの池。あめんぼが水面を滑ると、足元に同心円状の波紋が広がる。今日の食堂での対話と同じように、三匹のあめんぼの動きが、眠っていた水面の光を呼び覚まし、外側へと押し広げていく。まるで、彼女の大切にしている営みを肯定してくれるように。


2026年6月14日日曜日

青梅のころがつてをり兄とゐて 渡邉美保

〈俳句物語〉 岡田耕治

青梅のころがつてをり兄とゐて 渡邉美保

 友だちと京都の神社を訪れたときのこと。境内には梅の実がたわわに実り、足元には落ちた青梅がいくつも転がっていた。友だちがその一つを拾い上げたので、「落ちた梅は、食べたり漬けたりしないほうが良いそうよ。そのままにしておくしかないのよ」と声をかけた。

「それじゃあ、この青梅たちは切ないわね」。

「でも、少しずつ土へ還っていくのよ。中には種から芽を出して、何年もかけて新しい梅の木へと育っていくこともあるわ」。

 ふと、この話を兄から教わったことを思い出した。口数の少なかった兄との、昔の会話だ。私が中学生、兄が高校生だった頃のこと。姉とは服の貸し借りをしたり歌手の話で盛り上がったりしていたが、兄とはいつの間にか会話が減っていた。そんな時期、近くの梅農家の前で、学校帰りの兄と偶然一緒になったことがある。

 中学三年生の最後の大会前、私はずっと目標にしていたレギュラーの座をかけて猛練習していたが、突然のスランプに見舞われ、思うようにトスが上げられなくなっていた。自分に代わって後輩がセッターとして生き生きと活躍する姿を、ベンチから眺める日々。人一倍努力を重ねてきたのに、今の状況をどうすることもできず、焦りばかりが募っていた。

 私は、部活での苦しい胸の内を兄に漏らした。兄は少し考えてから、「お前は努力家だからな」と言った。

「私ね、先生や友だちから努力家と言われるのが嫌なんだ」

「……」

「だって、才能がないから努力するしかないと思われているようで……」

 黙って聞いていた兄は、静かに答えた。

「そうか。でも、『努力する才能』があるということなんじゃないのか」

 この一言があったからこそ、私は引退までバレーボールを続けることができた。



2026年6月7日日曜日

父の書の余白美し夏の蝶 佐藤静香

〈俳句物語〉 岡田耕治

父の書の余白美し夏の蝶 佐藤静香

 石段を降りる私の足音に驚いたのか、突然大きな蝶が飛び立った。少し離れた場所に舞い降り、静かに羽を畳んだその瞬間、ふと父のことが蘇った。父は私が生まれた頃から書道塾に通い、晩年には書道展に出展するほど打ち込んでいた。公務員として人事を担当していた父は、家で仕事の話をすることは少なかったが、疲労の色を滲ませて帰宅することが多かった。

 小中学生の頃、父に書道を習ったこともあったが、私は絵に惹かれ、高校では美術を選択した。専門学校を経て、現在は病院で看護師として働いている。投薬や観察のミスが患者さんの命に直結する医療現場では、常に「間違えてはいけない」という緊張が続く。針を刺し、点滴を確認し、モニターを見守る日々の中で、心が休まる暇はない。

 父が大阪市立美術館へ誘ってくれたのは、私が月一、二回の水彩画教室に通い始めた頃だった。年代も職業も異なるメンバーが思い思いに絵筆を走らせる、その静かな時間を私は大切に思うようになった。

 父のことを思い出したので、部屋に飾る書を替えようと桐の箱を開けたとき、一枚の絵はがきが出てきた。父が美術館で熱心に見入っていた作品と同じものだ。はがきには「上村松園《晩秋》」とある。若い女性が縁側の障子を閉めている絵だと思っていたが、よく見ると障子の破れを花形の紙で繕っているところだった。

 これまで女性の髪型や青い着物、緑の帯ばかりに目が行っていたが、父が見つめていたのは、女性の背後に広がる真っ白な障子だったのかもしれない。日々の激務をこなす中で、私もまた、その静謐な白い空間に強く惹かれるようになっている。

 私が水彩画に惹かれ、父が書道を極めようとしたのも、この「余白」を求めていたからではないか。そう思って改めて父の書を見ると、これまで黒い墨で書かれた文字ばかりを追っていたことに気づかされる。墨を走らせることは、同時に白い余白の形をデザインすることでもある。

 この余白にこそ、父の思いが深く刻まれているにちがいない。

2026年5月31日日曜日

縄電車しろつめくさを終点に 夏礼子

〈俳句物語〉岡田耕治

縄電車しろつめくさを終点に  夏礼子

 この春、八〇を過ぎた母と同居を始めた。そのため、勤めていた都市部の幼稚園を辞め、実家から自転車で通える認定子ども園に移った。前任は市立だったが、ここは市立幼稚園の校舎を利用した学校法人の運営である。

 母との同居で一番助かっているのは食事だ。子どもは予測不可能な動きをするため、勤務中はケガや誤飲、アレルギー対応など、一瞬も気が抜けない。以前は一人暮らしで、ついコンビニ弁当や外食に頼りがちだった。それが今、風を切って自転車を漕ぐこと十五分、家に帰れば母の手料理が待っている。これが、新しい職場で毎日をてきぱき過ごせる活力になっている。

 前任と同じく、ここでも3歳児から5歳児の担任を受け持った。ただ、この園では3学年を一つのクラスにして教育・保育を行う混合クラスが三つある。最初は戸惑いがあったものの、すぐに3歳から5歳の子どもたちが共に学び、生活することの良さを実感するようになった。

 子どもたちは園の隅っこの原っぱが大好きで、何も持たずに一時間でも二時間でも遊びに熱中する。今日、4人ずつのグループを作って、校舎から「縄電車」に乗って、しろつめくさが咲く原っぱへと出発した。

 子どもたちは輪になった縄の中に入り、両手でお腹のあたりに縄を持つ。先頭の運転手は5歳児、間に3歳児のお客さん、一番後ろの車掌は4歳児だ。「ガタンゴトン」と口ずさみながら、みんなで息を合わせて歩き、時には走る。運転手役の5歳児が「右に曲がりまーす」と声を上げれば、後ろの子たちも一緒に傾きながら進んでいく。

 以前の園は4歳児は4歳児だけのクラスだったので、子どもたちだけで息を合わせるのは難しく、私たちの誘導や声かけが欠かせなかった。ところが、この混合クラスでは、5歳児が自然に下の子たちを気遣い、リードしてくれる。4歳児はその姿をしっかりと見ていて、「来年は自分もあんな運転手になろう」と学んでいるのだ。

 5歳児の「終点ですよ、みんな降りてください」という合図で、子どもたちは縄を離れ、しろつめくさで王冠を作ったり、四つ葉のクローバーを探したりと、次の遊びに夢中になっている。

 子どもたちの様子を見に来てくれた園長先生に、私は問いかけた。

「3学年一緒の教育って、本当に素敵ですね。なぜ、公立ではこの制度を採り入れないのでしょう?」

園長は微笑んで答える。

「公立には、様々な『しばり』がある。それに、『成功体験』があるからね。人は、成功体験によって失敗する、と言われているわ。」

「それはそうかもしれません。私も以前は『次は、私が5歳児を持つんだ』とばかり思っていましたから。」

「その点、うちは失敗体験を大事にしてるから、子どものためにいいと思ったら何でもできるの。」


2026年5月24日日曜日

風薫る昭和ガラスの我が家かな 嶋田 静

〈俳句物語〉 岡田耕治

風薫る昭和ガラスの我が家かな 嶋田 静

 じいちゃんが抗癌剤治療を止めて、自宅に帰ると言い出したのは、三月末のことだった。ケアマネージャーと相談の上、訪問診療に切り換えることになった。父と母、それに僕と弟は、一年間そのままにしていた実家を片付け、なんとかじいちゃんを受け入れるスペースを確保した。

 実家は、昭和三十年代の後半に建てられた木造の平屋だ。レンタルした電動ベッドを設置するため和室を片付け、補助金を使ってトイレまでの動線に手摺りを取り付けた。四月になってもまだ肌寒い日があり、外窓だけでなく、廊下と座敷を仕切る木製の引き戸にも隙間があったため、風が吹くたびにガラスがカタカタと鳴る音がした。

 病院の空調が効いた分厚い窓から、この隙間だらけの窓に移って、じいちゃんは大丈夫だろうか。しかし、僕たち家族の結論は、とにかく本人の望むとおりにすることだったので、僕も弟も何も口を出さなかった。ガラス戸にはカーテンはなく、光を乱反射させる凹凸模様が刻まれており、外からの視線を遮りつつ、室内に柔らかな光を取り込んでいた。

 じいちゃんが実家に帰ったのは、ゴールデンウィーク前だ。昼間は看護師やヘルパーが来てくれるので、僕たち家族四人は、交代で実家に泊まり込むことにした。病院ではあまり食欲がなかったじいちゃんだったが、実家に戻ってからは、食べたいときに食べたいものを食べるという生活になり、少しずつ食欲が出てきたようだ。

 僕がはじめて泊まった日、家から持ってきた夕食ではなく、インスタントラーメンが食べたいというので、じいちゃんが好きだというチキンラーメンを作った。三分の一ほどの量だったが、じいちゃんは美味しそうに食べてくれた。

 次に泊まった日は、まだ昼の明るさが残る時間帯だった。磨りガラスを通して和室に差し込む光の中を、気持ちの良い風が吹き抜けている。しばらく、ベッドで横になったじいちゃんと話していると、「ワインが飲みたい」という。一瞬迷ったが、家族で決めたとおり、僕はコンビニにワインを買いに走った。そこで見つけたのが、ストローで飲む二百CCの赤ワインだった。

 ストローを伸ばしてパックの差込口に固定し、チーズを一口食べるのを見て、じいちゃんにワインを差し出した。

「うまいなあ、一年ぶりや」じいちゃんは、うれしそうに二口飲んだ。

「あとはまた明日、残りは冷蔵庫にいれといて」とじいちゃん。

冷蔵庫を開けると、その光に照らされたのは、「楽園」というワインのラベルだった。



2026年5月17日日曜日

遠足の傷の手当を正しけり 湯屋ゆうや

〈俳句物語〉 岡田耕治

遠足の傷の手当を正しけり 湯屋ゆうや

 空の弁当箱がシンクのボウルに浸けてあるのを見て、今日の遠足は楽しかったんだと思った。塾のある日は別々に食べるが、今夜は幸平と夕食を共にし、話を聞こうと帰りを待った。

 午後八時、ドアが開いた。帰宅した幸平の額には、一枚の絆創膏。

「どうしたの」と訊くと、ジェットコースターの一番乗り競争をして、坂道で転んだのだという。

「痛かったでしょう。あ、少し血が滲んでるわね。貼り替えようか」

 引率の教員が貼ってくれた絆創膏をゆっくり剥がし、消毒液で優しく拭う。少し小さめの新しい絆創膏を貼り直しながら尋ねた。

「みさき公園は、久しぶりだったわね」

「うん、小三の時にお父さんと行って以来かな」

「閉園になるって聞いたけど、どうだった?」

「アトラクションはそのまま遊べたけど、動物園の方はちょっと寂しかったかな。面白かったのはジェットコースターと、パイレーツ。あと、お弁当も美味しかったよ」

「ありがとう。職場の同僚やPTAでも、みんな高学年になると、すぐシャッターを下ろしてしまうって聞くわ。幸平が何でも話してくれてうれしい」

幸平は照れたように言った。

「いや、お母さんがいっつも楽しそうだから」




2026年5月10日日曜日

そして今ひねもす箱庭を弄る 玉記 玉

〈俳句物語〉 岡田耕治

そして今ひねもす箱庭を弄る 玉記 玉

 父の四十九日の法要で持ち帰ったのは、二十枚の色紙が入った桐箱だった。実家を継いだ兄は土地や建物を相続し、私は預金と共にこの桐箱を形見分けとして受け取った。手狭な1LDKのマンションには、この桐箱一つで充分だった。

 二十枚の色紙のうち、父の句は三枚だけで、残りは他の俳人からのものだった。季節ごとに父の句を入れ替えているが、夏の句がなかったため、代わりに「馬なればわれ透明の馬ならむ 安正」という句を夏用にした。

 秋、冬、春は色紙の額の下に一輪の花を飾ってきた。しかし、夏用の句に合うものを探すうち、「枯山水セット」を見つけた。ミニチュアの枯山水は、この「透明な馬」である「われ」の存在感をより引き立ててくれるように感じられた。

 当初は説明書通りに砂に紋様を描き、石を配置するだけで済ませるつもりだったが、砂を弄(いじ)るうちに、中学生の頃の箱庭作りの感触が蘇ってきた。学校を休みがちだった当時、医師の勧めで何度か箱庭を作った経験がある。最初は戸惑ったが、次第にミニチュアの木やベンチ、フィギュアを思い通りに配置できることに集中し、没頭していった。

 現在従事しているオペレーターという仕事は、パソコン初心者を相手にすると、「マウス」や「ブラウザ」といった基本的な言葉さえ通じないことがある。目に見えない画面を言葉だけでナビゲートするには「忍耐力」が求められ、さらに電話対応の短縮も要求される。「今すぐ解決しろ」という強いプレッシャーを受け、時には大声で怒鳴られることさえある。

 このような厳しい仕事の日の後、自宅に帰って白い砂を弄ると、自然と心が落ち着く。今はセットの波石ではなく、買い集めたカプセルトイ(ガチャガチャ)のフィギュアを配置し、ゆるい表情の動物たちが日常を楽しむ様子を眺めている。そうすることで、この小さな庭の中に、プレッシャーから解放された「透明な私」が遊んでいるような、穏やかなひとときが訪れるのである。



2026年5月3日日曜日

饒舌の海峡に転け潮招  森谷一成

 〈俳句物語〉 岡田耕治

饒舌の海峡に転(こ)け潮招 森谷一成

 私は潮招(シオマネキ)のメスです。私たちの暮らしをご存じでない方もいらっしゃるでしょうから、少しお話します。私たちはカニの一種で、オスの片方のハサミがとても大きく成長します。それが潮を招いているかのように見えるので、シオマネキと呼ばれています。

 河口近くの、引き潮で泥が露出する干潟が、私たちにとって一番居心地のいい場所です。泥に深い縦穴を掘って暮らしており、この穴は外敵から身を守るだけでなく、満潮時に水没する間、静かに過ごすための私だけの個室でもあります。

 オスは巨大なハサミを上下に振り、私たちメスに向かって猛烈にアピールしてきます。私はオスたちのダンスを比べ、ハサミの大きさと、その振りの速さから彼を選びました。彼の巣穴へと入り、お腹とお腹を合わせたのです。その後、彼は気前が良く、自分の巣穴を私に譲ってくれたので、卵を抱いて大切に育てることにしました。

 彼は外に出て、新しい穴を掘るのかなと見ていたら、なんと彼はまたあの大きなハサミを振り始めたではありませんか。私たちは、基本的に夫婦で一緒に暮らすことはありません。それでも、せめてこの卵たちを海に放つまで、この巣穴を外敵からガードするものとばかり思っていました。

 私の個室から見える海峡は、いつも激しい潮の流れが押し寄せていますが、このところ、波がぶつかり合い、渦を巻き、轟々と音を立てています。どうも潮の流れだけではない、不穏な音が混じっているようです。この「饒舌な海峡」の騒めきは、命の危険を知らせているのかもしれません。それなのに、彼はその警告に耳を傾けることなく、ひたすら自己顕示のためにハサミを振り続けています。

 そう考えているうち、巣穴も掘らず、私や卵を守ることもせず、激しくハサミを振りまくっていた彼は、ついに勢いよく寄せてきた潮に押され、あっけなく転(こ)けてしまいました。あれほど自信たっぷりだった大きなハサミは、彼を守ってはくれませんでした。大きくて速いハサミこそが良い、この干潟の価値観は、いま、見直す時が来ているのかもしれません。



2026年4月26日日曜日

すかんぽや学年皆んな一クラス 加地弘子

〈俳句物語〉 岡田耕治

すかんぽや学年皆んな一クラス 加地弘子

 地域の高齢者を招くイベントを前に、班長は頭を悩ませていた。当初、自分たちが育てた野菜を販売する計画だったが、実家のばあばから「野菜を家まで持って帰るパワーがない」という声を聞いたからだ。班長は、野菜の販売を取りやめ、高齢者が喜ぶ「桜湯」を提供する喫茶コーナーへの変更を意を決して提案した。全学年が一クラスという小規模校では、進行中の取り組みに異を唱えるには勇気がいる。しかし、この対案はあっさり受け入れられた。

 担任によると、クラス替えがなく、入学から卒業までずっと同じ顔ぶれなので、できるだけ地域の人や学校外の人との交流が大事だという。班長は、まだその意味を実感できないが、この学校を卒業したときに、こんなイベントが思い出になるだろうと感じている。

 桜湯を提案した恵子によると、咲きかけた八重桜を摘み取って塩漬けにしておき、当日はそれに湯を注げばいいという。校舎の運動場沿いに植わっている八重桜を取ってもいいという校長の許可が出たので、人数分を摘み取り、準備をしていった。

 イベント当日、桜湯をきっかけに、班のテーブルでは、同級生の優希のおばあさんと親しく話すことができた。山菜採りの思い出話で盛り上がる中、おばあさんが学校への道にすかんぽがあったと教えてくれた。おばあさんに案内してもらい、教わった通りにすかんぽの茎をポキンと折り、表面の皮をスルスルと剥くと、緑色の芯が現れた。それを口に含んで噛むと、じゅわっと酸っぱい汁が広がった。「レモンよりもワイルドや」という声が上がった。

 この酸っぱさに後押しされたのか、日頃あまり発言しない秀才の博が、「食糧難の時代が来るから、今のうちに山菜の採り方と食べ方を調べて行こう」と言い出した。

 班長は、いよいよわらび採り名人だった実家のばあばの出番が来ると思った。

2026年4月19日日曜日

燃え尽きし星もあるべし春の空 茨木和生

【俳句物語】岡田耕治

燃え尽きし星もあるべし春の空 茨木和生  句集『さやか』より

七十五歳のおじいちゃんは、元高校の物理の教員だった。六年前におばあちゃんを亡くしてから一人暮らしをしている。さやかは小学五年生で、春休みや夏休みなどに、兄と一緒におじいちゃんの家で二、三泊して過ごすのが何よりの楽しみだ。

おじいちゃんの書斎は、さやかのお気に入りの場所だ。端の玉をぶつけると反対側の玉がカチーンと飛び出す振り子。光を当てるだけでガラス瓶の中の風車がクルクルと回り出す不思議な道具。そんな「なぜ?」を掻き立てるものがあふれている。

今晩、おじいちゃんは、窓際にあるどっしりとした望遠鏡にさやかを招いた。
「これは遠くを見る道具であると同時に、『過去を見るタイムマシン』でもあるんだよ」。

おじいちゃんは、春の夜空の「北斗七星」から「しし座」にかけてのエリアが「宇宙ののぞき窓」と呼ばれていることを教えてくれた。

「今日この窓からは、いま自分たちがいる銀河ではなく、ずっと遠くの『別の銀河』が見えるんだ。
「今日はなぜ、遠くの星が見えるの?」。

「天の川の方向、つまり夏や冬の夜空を見ると、銀河の星やガスが多すぎて、遠くが見通せない。でも、春の夜に北斗七星やしし座がある方向は、天の川銀河の真上にあたる『薄い部分』なんだ。だから、邪魔されずに、はるか遠い別の銀河がよく見えるんだよ」。

さやかは、おじいちゃんがセットしてくれた望遠鏡を覗き込んだ。
「おじいちゃん、写真で見るような渦巻きなんて見えないよ。なんだか、小さくて淡い、光のシミみたい」。

「そのぼんやりした光のシミの中に、太陽のような星が何千億個も詰まっているんだ。その光は、数千万年という長い旅をして、今、さやかの目に届いたんだよ。さやか見ている光の中には、実はその星自体がすでに消滅してしまっている光もあるんだ」。

さやかは不思議そうな顔で尋ねた。「星は消えてしまうとどうなるの?」

「星が一生を終えて燃え尽きると、そのかけらが宇宙に散らばる。その星のくずが集まって、新しい太陽ができ、地球ができ、そして長い時間をかけて私たちの体が作られるんだ」。

「じゃあ、燃え尽きても死ぬことはないのね」。



2026年4月12日日曜日

春夕べひっかき傷を猫にもらう 浅海紀代子

〈俳句物語〉岡田耕治

春夕べひっかき傷を猫にもらう 浅海紀代子

 わらわは猫、名前はココ。あるじの肉付きのいい手のひらは、わらわの腰から背中へ、さらに耳の後ろへとゆっくりとした愛撫をくれる。そうこうしているうちに、いつしかあるじのお腹を枕に眠りについてしまうのが常である。
 だが、今日は違った。窓の外を向かいのレオがのそりと歩いている。わらわはハッと目覚め、起き上がった拍子に、あるじの手首をひっかいてしまったのである。「痛っ」と声を上げ、あるじが洗面所に立った隙に、わらわはレオを追って外へ飛び出した。レオはわらわの姿が見えているはずなのに、そのまま家の中に入ってしまった。
 レオは去年の夏に去勢手術を受け、二つのタマタマを失ってしまった。それ以来、わらわを見ても近寄ってくることが少なくなった。以前の引き締まったスタイルも崩れ、急に太ってしまったせいか、家にいる時間が増えている。わらわとは、もはや恋のリズムが合わなくなったのだろうか。
 夕刻、あるじのパートナーが帰宅し、二人の会話が始まった。
「今日はココにひっかかれてしまったの」
「え、珍しいね。大丈夫?」
「うん。猫の恋なのかしら、このところピリピリしてる感じなの」
「そろそろ避妊手術した方がいいかも」
「手術となると、三万円以上かかるでしょ」
「いや、補助金が出るから半額くらいでできるんじゃない。でも、先着順だから早く申し込まないと」
この会話を眠ったふりをして聞きながら、わらわはふと思った。
これで、レオとものんびり仲良くできるかも。


2026年4月5日日曜日

沈黙をふくらんでくる牡丹の芽 渡邉美保

沈黙をふくらんでくる牡丹の芽 渡邉美保
岡田耕治

 さよちゃんは、学校では全くしゃべらない。表情も、笑顔とか怒った顔とか、そういうのも見たことがない。ただ静かにそこにいるだけだ。中学校2年生のとき転校してきたけれど、別々のクラスだった。3年生で同じクラスになって、初めてその沈黙に気づいた。なぜ何も言わないのだろうと思うこともあるが、私もどちらかというと人間関係が苦手な方なので、さよちゃんのようになりたいと思うこともある。
 推しのアーティストのことで盛り上がったり、インスタでスイーツを自慢したり、休みにグッズを買いに出かけたりすることは苦手だ。さよちゃんの気持ちはわからないけれど、なんとなく、さよちゃんのことが気になっていた。
 2学期の初め、さよちゃんに、私の携帯番号をメモして「よかったらメッセージちょうだい」と渡した。するとその日の夜、さよちゃんから「教えてくれてありがとう」とメッセージが入った。そこからさよちゃんとは苦手なLINEではなく、iPhoneのメッセージでやりとりするようになった。
 学校にはケータイを持っていけず、昼間はやりとりができないけれど、学校から帰ってからさよちゃんとやりとりをするようになった。しばらくして、家では普通にしゃべっているけれど、学校に行くとどうしても話せなくなると書いてくれた。志望高校が一緒だったので、何とか合格するように、お互いに情報交換もした。
 公立高校の合格発表の日、朝10時からネット上で発表されるので、10時きっかりにアクセスしたけれど、なかなかつながらない。10時20分を廻ったところで、やっとつながって、合格という画面が表示された。母にメッセージを送ってから、さよちゃんはどうだろうとメッセージを送ると、さよちゃんも合格していた。
 入学式の日は、前日の雨に打って変わってきれいに晴れ、校庭の桜も満開だった。私とさよちゃんは、また同じクラスになった。なんだか、ほっとしたような気持ちになる。母にさよちゃんとツーショットの撮影をしてもらった。家に帰って写真を見直すと、さよちゃんがほんの少し笑っているように見えた。
 もしかしてと思って、ボイスメッセージで語りかけた。
「さよちゃん、今日の入学式は良かったね。これからはいつも携帯を持って、連絡を取り合うことができるね」
すると、すぐボイスメッセージが返ってきた。
「そうだね。ありがとう」
初めて聞いたさよちゃんの声は、ふくらみのある声だった。



2026年3月29日日曜日

俳句物語 永き日の悦ちゃんと居る身の昔 森谷一成

俳句物語 岡田耕治 

永き日の悦ちゃんと居る身の昔  森谷一成

 ぼくが住む町に近づくと、車窓の先に海が見えてくる。それまではスマホを見ているのだが、海の見えるあたりに差し掛かると、顔を上げて水平線を見つめるのが日課になっている。日が長くなるこの季節は、ちょうど退勤の時刻に、海に沈む夕焼が見える。
 今日、ぼくが見た夕日は、海一面を紅く染め上げ、中学時代に悦ちゃんと二人で見た、あの日の夕日と同じグラデーションだと感じた。
 悦ちゃんとは、交換日記をしていた。放課後、放送室兼放送部の部室にぼくが日記を置き、翌日また取りに行く。彼女は幼くして母親を亡くし、どこかのんびりした父親と二人暮らし。最近、その父親に再婚話が持ち上がっていると聞いた。ある時、開いた日記の2ページいっぱいに、ただぼくの名前だけが、びっしりと書き連ねてあって、驚いた。
 文化発表会が終わった日、たまたま一緒に帰ることになり、そのまま海を見に行った。そのときも、今日と同じように、海も空も茜色に染まる夕暮れだった。二人並んでベンチに座り、ただ沈んでいく夕日を見ているだけで、お互いのことは何も話さなかった。
 それぞれ別の高校に進学し、高校生になってから悦ちゃんと二度会った。二度目も海を見に行ったけれど、次に会う約束はしなかった。あれはもう30年以上も前のことになるだろうか。
 ふと、自分が降りる駅の一つ手前で、一人の女性が電車を降り、夕日のホームを歩いていくのが見えた。その一瞬の横顔と目差しに、「悦ちゃんではないか」と直感した。すぐに電車が発車してしまい、確かめる術はなかったが、あれはきっと悦ちゃんにちがいない。なぜなら、ぼくのてのひらに、中学生の頃に握り合った、あの小さな手の温もりが蘇ってきたから。