2021年10月31日日曜日

香天集10月31日 安田中彦、森谷一成、夏礼子、辻井こうめ他

香天集10月31日 岡田耕治 選

安田中彦
秋の野の果ての断崖見て帰る
夜長し脱稿のあとマドレーヌ
実石榴を裂いて悪態ついてゐる
秋思来る白樺の木々騒ぐとき

森谷一成
媾曳やされば歩ごとに虫の爆ぜ
蜿蜒と割れて引かれて秋の蝶
たまきはる肚に鬆の入る秋の風
秋天やヘリコプターを一尾とし

夏 礼子
咲きそろうまでのざわめき曼珠沙華
そのうちに捨てる団栗ポケットに
秋団扇のっぴきならぬ話聞く
ひとつ抜く回覧板の赤い羽根

辻井こうめ
ゼッケンの揺るる体育着モズ高音
蟷螂のしばらく見詰む虚空かな
富有柿走り来るたびテープ張り
背伸びせし本をふたたび青みかん

加地弘子
草の花羽在るものの満ちゆけり
天高しやっぱり母に頼みおり
鰯雲木の音をさせ訃報来る
折り紙の梟と鶴夜長し

中濱信子
秋深む紫の花地になじみ
吾亦紅最後に暮れるあたりにて
二人には二人の会話栗の飯
秋茄子や衆院選に母子候補

安部礼子
一喝をされている窓レモンの香
美しく脆き木のあり薄紅葉
沢胡桃もののふの脳再生す
行く場所のなくて落葉と汚れた土

藪内静枝
居る筈の夫を語り月今宵
朝寒や紅茶の深きルビー色
さびさびと梨をむくなり人想い
境内に箒目著し秋深し
*岬町小島にて。
 

滝澄みて二人の旅をつなぎけり  耕治

 
十河 智
 たまたま、「俳句界」の滝の句の記事を読んだ後です。記事では、滝そのものを表現しようとする句ばかりでしたので、この句に、ハッとしました。先生の句には人がある、心が繋がる。先生らしさが、すごくわかる句だと。
 この二人、滝の前で、この滝によって、繋がったのだろうなと思います。

大関博美
 秋の紅葉を観つつ滝への道の散策と二人ででかけた。
滝への道は思った以上に険しい所もある。いつも二人並んで歩ける訳ではない。足場を確かめ手を引いて、ようやくたどり着いた滝の水は澄んで白い飛沫が神々しい。二人で手を繋いで気持ちをあわせた時から、二人の長い旅は始まった。

桑本 栄太郎
 滝壺のある場所は大概森深い中であり、滝を見上げていればただ水が怒涛のごとく落ちるばかりです。しかし、普段では見る事が出来ず、非日常の眺めですね?暫く見惚れていれば、二人の心の中に印象深く残り二人にとって旅の良い想い出となりますね!

大津留 直
 「滝澄む」という季語は、無いようです。「滝」は夏の季語ですが、「水澄む」とか「秋澄む」とかの季語に引っ張られて、秋を連想します。もしかしたら、この句を機縁として、「滝澄む」という季語が確立されるのかもしれない。あるいは、「秋の滝」の傍題として。私としては、季語にあまり拘ってはいけないという教訓として受け取りたい。そして、これ以上ないほど、ロマンティックなこの句を味わい、祝いたいと思う。

仲 寒蝉
 どういう人2人がつながったのだろうと想像が膨らみます。湊かなえの小説みたいな長~い背景がありそう。

2021年10月24日日曜日

香天集10月24日 玉記玉、石井冴、谷川すみれ、中嶋飛鳥、渡邉美保ほか

香天集10月24日 岡田耕治 選

玉記玉
教室に翅や蹼九月来る
牛膝付け全身の若返る
蜻蛉の影柔らかく家にいる
銀杏散ることに尽きたる小窓かな

石井冴
泡立草そして黄色い風向計
秋水は一番長い棒が好き
秋日濃し斜めに家を侵しくる
蕎麦啜る揺らぐパネルの内と外

谷川すみれ
シクラメン湯が沸く音の他はなし
やわらかき紙で包みし冬の蝶
ようやくに話の終わり蜜柑剥く
松の色澄み渡りたり初詣

中嶋飛鳥
重ねおり膝に秋思の手の形
私のもの菊の枕も見る夢も
顏ぶれの前に後ろに花芒
また一人消えて花野の仕掛かな

渡邉美保
新涼の街を魚群のやうに人
立ち漕ぎで上る坂道うろこ雲
触るなとうしろから声毒きのこ
無頼の木と呼ばれ黄落始まりぬ

小島 守
無花果の尻の形をしていたり
鳴る腹の音を聞き合うディスタンス
吊し柿ガラスの歪むままとする
乗換の流れに止まり後の月
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

露の身のジャケットひとつ新しく  耕治

 
桑本栄太郎
 日中は未だに残暑厳しい暑さながら、朝晩は肌寒い程の時季となりました。新調のジャケットを着れば、身も心も秋めいた心情になりますね!

大津留 直
 なんだか、うきうきさせる句である。そこには、「新しく」が効いているからだ。「露の身」という言い古された季語に、これだけ新しい息吹を吹き込んでいることに驚く。しかも、ジャケットという身近なものを詠いながら。

目黒 航
 数と形容詞の組み合わせって難しいですよね。付きすぎず、俗っぽくならず、ストンと切れ味よく。なかなかコロナ禍でジャケットを買う機会がないですが、買いたくなりました。

十河 智
 すごく嬉しい気分が、伝わってくるのは、やはり上五「露の身」の反作用的にあるからかと。季語であり、気分の揺れの片方であり、俳句の構造を教わったように思いました。

大関博美
 儚い存在の私ではありますが、今朝は新調したジャケットを羽織り、なんだか嬉しくて足取りも軽く、職場への道のりも心楽しくなっておりますよ。

2021年10月17日日曜日

香天集10月17日 木村博昭、神谷曜子、三好広一郎、砂山恵子ほか

香天集10月17日 岡田耕治 選

木村博昭
寝そびれて私が二人居る良夜
赤とんぼ大人になって悔いている
芒原そのまま帰らざる者よ
歩くほど思いに耽り柿の秋

神谷曜子
低く来て行き場を探す秋あかね
薄羽かげろう過去を問わないことにする
カフェバーに並ぶ骨董らの秋思
今からでも良い赤トンボになろう

三好広一郎
来し方を染めゆく秋や九十九折り
適当に切り適当に余る秋
笑うほど止まらぬ泪枯れすすき
色なき風残りの明日を逆算す

砂山恵子
後の月取っ手失せたるマグカップ
十月や赤銅色の町の色
秋風や栞の取れし文庫本
左手は物言はぬ腕秋の暮

宮下揺子
パスケース紐長くする震災忌
足跡を辿る晩夏の資料館
晩夏光草の匂いの湿布貼る
眠るにも力が要りぬちちろ虫

河野宗子
糸瓜水一滴を待つ無心にて
マスカット一粒ずつの至福かな
月光の勝手口より亡き母来
人が来て時早くなる秋の暮

田中仁美
こおろぎを触ってみてと差し出され
富良野から届くボトルのラベンダー
カーテンを揺らす眠りよ秋の声
渋柿を焼酎につけよく笑う

堀川比呂志
銀杏の落下未来は青い日々
微積分してもこの夏ややこしき
秋天の溜りアスファルトの凹み
発想やレモンの青に転換す

永田 文
水音の鎮もってあり初紅葉
初紅葉孫の婚約との報せ
何処でも水引草は野の花よ
葡萄棚出てより空の青さかな
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。


潮の香の満ちゆく釣瓶落しかな  耕治

 
桑本 栄太郎
 「釣瓶落し」は、多くは陸の景色が詠まれるところ、この御句では海辺の釣瓶落しですね。秋潮の穏やかな海辺で遊べば時の経つ事も忘れてしまいそうです。知らぬ間の海辺も夕景となってしまいましたね!

大津留 直
 この句を拝読すると、なぜか、たおやかな風を感じます。作者はその風になりきって、豊かな潮の香を運び、こんなに早い秋の落暉を惜しんでいる。まさに、これが、芭蕉の言う「風狂」だと思います。

仲 寒蝉
 以前、特急くろしおに乗って和歌山から潮岬まで行ったことがありますが、ずっと西日、ずっと海に向かって落ちて行く太陽を見ていました。これはあの海岸から見た風景にぴったりだと思いました。

十河 智
 私は瀬戸の海の子なので、立ち位置により西も東も見られます。昔は、連絡船から、島の宿の浜辺で、今は、本四連絡橋からの眺めでしょうか。朝日はその時間に走ることもなく、やはり印象的なのは夕陽。
 鳴門の海際の国道11号を走るときなどこの句の情景の中に溶け込む私がいる。

2021年10月10日日曜日

香天集10月10日 柴田亨、釜田きよ子、三好つや子、古澤かおる他

香天集10月10日 岡田耕治 選

柴田亨
うろこ雲空いっぱいの微炭酸
定めあるものらといたり風の色
我がことを語り始める露の宿
そこここに白布に抱かれ十三夜

釜田きよ子
月明り家出の犬を連れ帰る
今朝の秋急に畳を拭きたくなる
曼珠沙華咲いてる限り胸騒ぎ
ばった飛び世界は実に広かった

三好つや子
鬼やんま弱気な風を裏返す
鼻筋のきれいな秋の風であり
ノンレムの私を濾過し虫の声
秋蝶やふいに尿意を連れてくる

古澤かおる
今年米岡山米と大書きに
天高し半日あれば思い出す
秋の蚊を仕留め損ねし両手かな
一献の作州弁と後の月

北村和美
しあわせという字を見つけ秋の空
秋夕焼腹這いでゆくすべり台
立待ちや盃の音かさなりて
呼び声の混み合ってくる秋刀魚かな

牧内登志雄
マネキンの男と女そぞろ寒
捨て台詞拾つてゐたり秋灯
銀杏を拾う媼の赤き爪
棄ててある故郷はるか零余子飯

岡田ヨシ子
朝寒し電子レンジの有り難し
大根蒔く九十歳の誕生日
彼岸花見て見てと言う送迎車
花畑脳体操のメモを出す
大阪教育大学天王寺キャンパスにて。

秋の空鳶たちの距離深くする  耕治

 

桑本 栄太郎
 真っ青な秋晴れの高い天空より、鳶が羽ばたくことなく上空に舞う光景が想われます! 見上げれば何処までも深い秋の空です。

大津留 直
 今日は少し曇っているが、昨日は、どこまでも深い青空であった。そんな空に鳶が二三羽、舞っている。ふと、この空が鳶と鳶の間の距離を深めているのかもしれないと思う。そう思うのは、おそらく、歳と共に深まってゆく友人たちとの距離を感じているからなのだろう。芭蕉も「この道やゆく人なしに秋の暮」と詠っているような深い孤独感が感じられる。それは誰の所為というのではなく、秋の空、つまり、自然がそうさせていると感じられるほどに、深い。しかし、そのような深い孤独の中にこそ、共感や連帯も生まれる。鳶が舞うように、修練を続けていれば。

十河 智
 山間を通る高速道路を抜けて海へ向かうとき、例えば高松から鳴門、滋賀から鈴鹿を抜けて伊勢湾岸道へ、秋の空の広さと深さを感じます。晴れ渡る雲ひとつない青空は、秋そのものです。山はオレンジ色に染まり、青空が一層際立ちます。鳶のはるか向こう海上にも真上の空にも広い範囲で飛んでいるのが見えたり、想像もできたりするのです。事実はどの季節も変わらず飛ぶのでしょうが、見た感じは、鳶の飛翔の高低差に驚くのです。広広と、高く深く、何羽もの鳶が舞うのです。

仲 寒蝉
 晴れた日は裏の田んぼや原っぱで鳶がよく鳴いています。この句、空の深さが実感される表現ですね。

2021年10月3日日曜日

香天集10月3日 中濱信子、夏礼子、森谷一成、久堀博美ほか

香天集10月3日 岡田耕治 選

中濱信子
あるなしの風の集まり秋桜
百日紅開け放たれて誰も居ず
どちらかが不機嫌になる吾亦紅
残りたる薬より飲む秋暑かな

夏 礼子
赤のままそのまま風に遊びおり
爽やかや顔じゅう口にして話し
腑に落ちぬ話のつづき鰯雲
秋夕焼噂ばなしの濃くなりぬ

森谷一成
夕凪に尖る風力発電帯
月涼し水木しげるの眼の底に
濁流の終てを争い秋の海
竹の根の円かに秋の出水かな

久堀博美
葛の花いま泣いた子が笑い出す
掛けている眼鏡を探す良夜かな
赤とんぼ葉先のうぶ毛濡らしけり
のっけから胡坐となりし新酒かな

前塚かいち
帰省するあと百年は住める家
絵手紙や無花果の色定まらぬ
秋の声合唱曲に重なりぬ
つゆ草の藍を挿したるグラスかな

楽沙千子
護摩壇山秋天を欲しいまま
客のあと良夜の風を通しけり
少年の暑さもろとも秘密基地
お手玉を体が覚え秋桜

小﨑ひろ子
リンドウの何処の空をふふみたる
爪先を空に伸ばして彼岸花
宣言終えなお静かなる秋祭
神無月神という字を大きくし

松田和子
虫の音や湯船の中のひとときよ
草蜉蝣異国から来し灯かな
オカリナと琴聴きながら月を待つ
突き上げる鞘の声する木賊かな

河野宗子
百日紅輪廻転生くり返す
語らいは銘菓店まで秋日傘
洗濯物たたみて今日の秋たたむ
名を知らぬ草花ひかる白露かな

田中仁美
飛び跳ねて行けりバッタの後ろ足
自転車を立ちてこぎたる夕立雲
昇進す大きな箱の蘭届き
雑草に埋もれてしまい秋薔薇

吉丸房江
日が差せば水はきらめく秋の風
白萩に黄色の蝶のもつれ合い
いつもより柿の実多き空のあり
コロナ禍の梅酒一瓶つつがなし

垣内孝雄
母と子のつながる手と手花野径
秋風のなづり水面の水の皺
秋の風赤き絵皿を揃へけり
籠り居の外には何時も秋の風
*岬町小島にて。


コスモスや見つかるように隠れたる  耕治

 
大津留 直
 子供の頃、かくれんぼした記憶では、ここに隠れたら、誰も見つけてくれず、そのうち皆帰ってしまって、一人取り残されるのではないかという不安があった。だから、わざと、みつかるように隠れるのである。例えば、コスモスの草むらのなかに。障害があるにもかかわらず、このような思い出を持ち得ていることに、両親や先生がたに感謝している。

牧内 登志雄
>こんな小春日和の穏やかな日は/もう少しあなたの/子供でいさせて下さい(山口百恵/コスモス)。
 母に叱られてコスモス畑に隠れた日。夕暮れに母が名前を呼びながら「も~いいかい」。私は泣きながら「ま~ぁだだよ」と手をふった。母は優しく頭を撫でて、そして手をつないでくれた。そんな秋の一日があったかも知れないコスモス畑。

大関博美
隠れんぼ、見つけられちゃうドキドキ感ワクワク感が醍醐味。
完璧に隠れるのはつまらない。でも、鬼にもなりたくない。
一番に見つからないように、上手く隠れて、あとは鬼の反応を確かめながら、
見つけてくれるように隠れるのである。
庭や校庭のコスモスの茂みが、隠れて居る子どもの可愛さや明るさを伝えてくれます。

仲 寒蝉
 これはいいですね!相手は幼い子供か、或いは恋人同士という設定もありかな。