2019年10月30日水曜日

「和解」15句 岡田耕治


和解  岡田耕治

勝利的和解にとどき秋の蝶
笑うため銀杏黄葉に集いけり
はじめての人に混じれる蓮の実
来月に会う日を決めて落花生
菊枕明日のことが好きになり
苦瓜の必ずやせるスープにて
なめらかに菊人形を照らしけり
黄落の遠くよりまた近くより
どんぐりを集めて象を象りぬ
日常を狂わせている葉鶏頭
新蕎麦や微かに海の匂いして
帰るのか帰らないのか居待月
朝匂う林檎をむいてくれる音
鈴虫や疲れたときに読む句集
木犀や本人にまだ知らされず


2019年10月27日日曜日

香天集10月27日 玉記玉、橋本惠美子、辻井こうめ他

香天集10月27日 岡田耕治 選

玉記 玉
邯鄲に始まる臨時ニュースです
十月の耳が怠けて困るなり
ハロウイン星壊しては万華鏡
考える人に耳あり天の川

橋本惠美子
青空を締め出している厄日かな
竹の春筋肉痛は遅れ来て
シャンプーを一つ増やして秋暑し
面倒を後に回してとろろ汁

辻井こうめ
ひょんの笛おとぎばなしのうろ覚え
躾糸取らず旅へと秋袷
秋天へ洗濯ばさみ弾け飛ぶ
新米の漬物ランチ御櫃来る

正木かおる
草の実を弾くアンダースローにて
スタジアム揺れはじめたる青蜜柑
こほろぎに避難勧告及びけり
青空や泥の林檎の残りたる

木村博昭
秋水にくちづけをして風になる
星流る故国を逃れ来し少女
肥後守鉛筆削り柿を剥く
青春の自転車でゆく霧の中

櫻淵陽子
縮まらぬ距離に秋光射しいたり
長き夜や上中下巻読み終えて
定まらぬ心の闇よ曼珠沙華
秋蝶やいつかの空が甦る
*上六句会のホテルアウィーナ大阪にて。


2019年10月26日土曜日

香天集鑑賞 前塚かいちさん、橋爪隆子さんの作品

父の日の捨ててはならぬ蔵書かな 前塚かいち
 父の蔵書ではなく、父の日の蔵書というところが様々に読みを広げてくれます。蔵書は父のものかも、自分のものかも知れません。決して捨ててはならない蔵書が身近にある、そんな暮らしぶりがうかがえる一句です。捨ててはならぬ本とともに、この人生を閉じていくのだと。

水馬流れに乗りて流れざる 橋爪隆子

 あめんぼうは水に流されるかと思うと、また元の位置に静かに戻っています。 気持ち良さそうに水に浮かぶあめんぼうは、どうもこの位置が好きなようです。私たちもまた時代の流れの中にあって、その流れに乗っているのですが、どこかにこのあめんぼうのような、流されまいとする心の働きがあります。流されてしまいそうになっても、このあめんぼうの軽やかさで元に戻ればいいのだと、そんなことを教えてくれる一句です。
*岬町多奈川駅にて。

2019年10月25日金曜日

鷺の巣や東西南北さびしきか 寺田京子

鷺の巣や東西南北さびしきか 寺田京子

 鈴木六林男師に「ヒロシマや西に六日の陽を送り」という句があります。この句の場合、ヒロシマが目の前にあるのではなく、八月六日、西に夕日を送ることによって、かつて訪れた広島を想起するという仕立てです。同じように寺田京子さんは、断崖にあって東西南北からの風雨にさらされている鷺の巣を想起することによって、この身の寂しさを鎮めようとしているにちがいありません。病みつつも俳句に真摯に向き合った寺田京子さんの句業の全貌が、この手のひらに届いたことを心強く思います。御出版の労をとられた皆さまに感謝します。
*岐阜県にて。

2019年10月23日水曜日

香天集鑑賞 澤本祐子さん、正木かおるさんの作品

唇や水蜜桃に奪わるる 澤本祐子
 きれいな唇だなぁと思うことがあります。その唇を見つめている、あるいはその唇と自分の唇を重ねるなどいろいろな可能性を想像します。ところがなんと、唇は水蜜桃に奪われてしまいました。どうしようもありませんが、なんとみずみずしい唇でしょう。

今日からの私になって夏の蝶 正木かおる
 細胞は日々生まれ変わっています。私たちの精神もそれと同じように、新たな「今日」を迎えたくなることがあります。そんな時、目の前に大きくて、美事な揚羽蝶が現れました。この夏蝶のように今日一日を自由に飛び、自由に翅を休めよう、そんな自在さが訪れました。
特急サザンにて。

2019年10月22日火曜日

「黒板」10句 岡田耕治

黒板  岡田耕治

書き出しが決まりてよりの秋高し
水飛沫台風として泣いている
姿勢よく仲直りして草の花
ふかし藷今帰る子と着いた子と
黒板に集まって来る十三夜
かりんの実今日の時間を減らしゆく
長き夜の温めタオルを目に当てて
顔に当てスマートフォンの秋灯
渋柿の歯茎に渋を残しけり
草の花名を識りてより揺れはじむ

2019年10月20日日曜日

香天集10月20日 中嶋飛鳥、三好広一郎、加地弘子、柴田亨ほか

香天集10月20日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
一手間は私の流儀小鳥来る
薄紅葉けぶたきおとこ近付き来
珍粉漢なれど身に入み言葉の手
ピン十本翅休めたる秋の蝶

三好広一郎
ちいさい秋小さい文字に同意する
包丁の抜けないかぼちゃ顔認証
トンボ来る住民調査するところ
秋魚正面のない写真展

加地弘子
切手貼る紅葉散らさぬように貼る
草に寝て海へ流れる秋の雲
秋天や最後まで息吐ききって
野分くる大きな鍋を出してくる

柴田亨
赤とんぼあの世この世と吹かれおり
夏の花世を終わらせて咲きにけり
天土(あまつち)に悲嘆のありて野分後
何もないふるさとの秋文具店

羽畑貫治
布団干す一本の髪好きになり
衰えぬ食欲のあり冬安吾
冬植えの苗木三本土深く
永く生きわが家自慢の千枚漬

永田 文
残照や柿は宝珠のごとく熟れ
蚯蚓鳴くこんな所で蹴躓き
複眼にまごついており蜂退治
モンブランケーキのほどけゆく時よ

中辻武男
痛ましく道を散らかす早生蜜柑
萩花へ身をゆだねたる紅の蝶
列島の文明荒らす夕野分
冬隣今朝忠告を新たにし
*大阪府柏原市にて。

2019年10月19日土曜日

香天集鑑賞 釜田きよ子さん、柴田亨さんの作品

サングラスの中の目玉を想像す 釜田きよ子
 サングラスをかけている人と話すことになりました。サングラスの中には、どのような目が隠されているのでしょうか。話しながらその目の形や眼球の動きを想像します。強そうに見えるサングラスですが、目玉は何かに怯えているのかもしれません。

ねずみにはねずみの世界原爆忌 柴田亨

 八月六日がやってきました。我々人間の世界には、 原爆忌の空や平和祈念式などが見えますが、表には見えないねずみの世界でも、同じように八月六日を迎えているのです。このことは、原爆が投下された日も同じであったと、そんなことを想わせる一句です。
*名古屋城にて。

2019年10月18日金曜日

十分にあなたらしくて唐辛子 藤井なお子

十分にあなたらしくて唐辛子 藤井なお子

『ブロンズ兎』ふらんす堂。友人の園田雅春さんに、自尊感情についての研究があります。園田さんによると、自尊感情には相対的自尊感情と絶対的自尊感情があるとのこと。この句の「十分にあなたらしくて」という表現は、絶対的自尊感情の領域に入るようです。何か他のものと比べてとか、出来なかったことが出来るようになってといった相対的なものではなく、唐辛子は唐辛子という絶対的な肯定。唐辛子はあんな極彩色をして、形もいびつでですが、消化の促進、疲労の回復など、さまざまな効果が期待できます。「ええやん、そのままで」と、読む者を肯定してくれる一句です。藤井なお子さん、第一句集の御出版、おめでとうございます。
*大阪府池田市にて。

2019年10月17日木曜日

香天集鑑賞 三好つや子さん、砂山恵子さんの作品

はつなつの生きてる青と死んだ青 三好つや子
 夏に入ると、さまざまなものが色鮮やかに感じられます。作者は、夏色の青の中に死んでいる青と生きている青があると感じました。生きている青はどんなものだろうか、死んでいる青はどのような色合いをしているのだろうか。何も書かれていないので想像が膨らみます。


滝の音や今日一日をどう過ごす 砂山恵子

 朝起きた時、昨日間近で見た滝の音が聞こえてきました。実際に遠くから聞こえてきたのか、耳の中に残っている音であったのか。その音は日常ではなく、非日常を想起させます。ではこの一日を、どのように過ごそうか。人生に与えられた休日なのかもしれません。
*岬町小島にて。

2019年10月16日水曜日

「寺門」15句 岡田耕治

寺門  岡田耕治

  橘寺三句
ことごとく書き出すことにして紫苑
紫式部影と光を吹き寄せて
酔芙蓉二つの顔を持つことに
  四天王寺四句
空襲を免れた門鳥渡る
澄む水の二河白道を渡りけり
敗荷の三つの石にたどり着く
正座して浴びる光の冬隣
曼珠沙華低きは開き残りたる
一日に十回笑う尾花かな
朝霧や時計の時刻合わせ合い
口紅の残るグラスの酢橘かな
鶏頭やまたネクタイを締めはじめ
再びを撮りに戻りて銀杏の黄
秋の暮吊り荷の下に入るなと
カレーパン食べる力と後の月
*四天王寺にて。

2019年10月14日月曜日

香天集選後随想 夏礼子さん、木村博昭さんの作品

まなうらのなみだそのまま髪洗う  夏礼子
 悲しいことがあったのか嬉しいことがあったのか、目に涙を残したまま髪を洗うことになりました。髪を洗ったからといって、この思いが消えるわけではありません。でも、こうせずにはおれない自分を静かに見つめるもう一人の自分がここに。

八月の誰も流れていない川  木村博昭
 香天集57号。 川に何も流れていないのは、よくある光景です。しかし、「八月」という季語によって、例えば原爆の投下された直後の川を想起します。誰も流れていないという状況が、貴重なものであると思えると同時に、誰かが流れてくるような予感をはらんでいます。
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2019年10月13日日曜日

香天集10月13日 三好つや子、砂山恵子、橋爪隆子ほか

香天集10月13日 岡田耕治 選

三好つや子
着ぐるみの煙草の匂い鱗雲
定まらぬ青のそこここ九月過ぐ
秋深む大団円のない童話
草紅葉五年二組の詩文集

砂山恵子
しんにようのはねの長さの秋思かな
帰らぬ時帰らぬでよし林檎の香
飲む量を決めたる夜の新酒かな
風さやかさよならと言ふボランティア

橋爪隆子
秋日傘木洩れ日の熱折りたたむ
電車発つ音を拾いて秋桜
新涼のひとりに長きベンチかな
ていねいな口づけのごと葡萄吸う

澤本祐子
緑蔭の木洩れ日映る蛇口かな
塩薄し一夜干しなる開き鯵
新涼や葉書三枚投函す
レシートに一句書き留め赤とんぼ

神谷曜子
みつからぬ眼鏡の行方大花野
わがままな国に爆ぜたる鳳仙花
釣船草生まれ変わりは望まない
紫苑咲く水族館の淡水魚

岡田ヨシ子
白髪の米寿を祝う今年米
モロヘイヤ終りを知らす花のあり
寝転がるほどに秋雲変わりゆく
秋刀魚焼く香を噴き出して換気扇
*四天王寺にて。

2019年10月11日金曜日

秋の木のたふれ立派な木と言はる 鈴木牛後

秋の木のたふれ立派な木と言はる 鈴木牛後

『にれかめる』角川書店。昨年の台風21号は各地に大きな被害をもたらしました。大きな木といいますと、大阪城公園の銀杏の木が何本も倒れてしまいました。「木を見て森を見ない」という言葉がありますが、私たちは森を見ているけれども一つ一つの木を見ていないことが多いのではないでしょうか。風雪に持ち堪えられずに倒れたとき、はじめてその木を見るようになった瞬間が書かれています。大きな木は、その時、一回限りの姿を現しているのです。このような張りつめた視線が、本句集に貫かれています。鈴木牛後さん、御出版おめでとうございます。
*大阪府松原市にて。

2019年10月9日水曜日

ちるとなく散りとめどなく散る桜 片山由美子

ちるとなく散りとめどなく散る桜 片山由美子

『飛英』角川書店。「ちるとなく散る」という時間と、「とめどなく散る」という二つの時間が重ねられています。 この重なりは、なんとか目の前を散ってゆく桜、その手応えを象徴したいという思いから生まれたのでしょう。 目の前には「ちるとなく散る」桜があるばかりですが、それは「とめどなく散る」時間の中で浮き立ってきます。 このように静かに浮き立ってくるのは、命を愛しむ作者の構えから生まれてくるにちがいありません。第六句集『飛英』 の御出版、おめでとうございます。
*四天王寺にて。

2019年10月8日火曜日

「冬瓜」10句 岡田耕治

冬瓜  岡田耕治

新しい下着に替えて秋の園
捨案山子いろんな人に見つめられ
長くなる電話の一つ木の実落つ
髪切りしことに気づける尾花かな
長き夜の湯浅の水を飲みに立つ
切っ掛けを新たにしたる黒葡萄
冬瓜や今から持って来ると言う
生きていてよかったと言う檸檬汁
老蝶の思うがままに舞い止まり
秋の海見え続けたる鉄路かな

2019年10月6日日曜日

香天集10月6日 渡邉美保、宮下揺子、中濱信子ほか

香天集10月6日 岡田耕治 選

渡邉美保
団子虫の雌雄を見分けもう九月
首筋へ当てて狐の剃刀と
草の絮つぎつぎ飛ばし誕生日
切り株も石のベンチも過ぎ花野

宮下揺子
角打ちに並ぶ女やちちろ鳴く
人肌の温みの埴輪秋桜
天高し病後の母の第一歩
青空はどこにでもあり蕎麦の花

中濱信子
噴水や園児は母の手をはなし
二人居に涼風のありそれを言う
秋風の見ゆるまで拭く眼鏡かな
里芋や痛み出したる膝小僧

朝岡洋子
大阪城俯瞰するビル秋晴るる
翅ピンとやんまの曲線三次元
ゲリラ雷雨予約時刻の近づいて
風の道空蝉として爪を立て

吉丸房江
白萩に黄色い蝶の来てダンス
種を蒔く生命の音のカシャカシャと
新涼の自ずからなる深呼吸
栗御飯おかわりしましょ仏様
*四天王寺にて。

2019年10月2日水曜日

真円はあなたにあげるプチトマト 久保純夫

真円はあなたにあげるプチトマト 久保純夫

「現代俳句」10月号。「あなた」が登場することによって、一句の中に主体と客体が浮かび上がります。まん丸に育ったプチトマトは、まさに「真円」で、永遠や完全などを象徴します。プチトマトが主体の側にあるうちは、それを破って自分の血や肉になってしまう不安定さがあります。しかし、それが「あなた」に渡されたとき、破壊や変形から守られるように感じられるのです。だって、「あなた」こそが永遠であり、完全なのですから。
*名古屋市トヨタ産業技術記念館にて。

俳句名人になろう

鈴木六林男の技術(2)
俳句名人になろう
https://youtu.be/A4uLksc1g88