2026年3月29日日曜日

俳句物語 永き日の悦ちゃんと居る身の昔 森谷一成

俳句物語 岡田耕治 

永き日の悦ちゃんと居る身の昔  森谷一成

 ぼくが住む町に近づくと、車窓の先に海が見えてくる。それまではスマホを見ているのだが、海の見えるあたりに差し掛かると、顔を上げて水平線を見つめるのが日課になっている。日が長くなるこの季節は、ちょうど退勤の時刻に、海に沈む夕焼が見える。
 今日、ぼくが見た夕日は、海一面を紅く染め上げ、中学時代に悦ちゃんと二人で見た、あの日の夕日と同じグラデーションだと感じた。
 悦ちゃんとは、交換日記をしていた。放課後、放送室兼放送部の部室にぼくが日記を置き、翌日また取りに行く。彼女は幼くして母親を亡くし、どこかのんびりした父親と二人暮らし。最近、その父親に再婚話が持ち上がっていると聞いた。ある時、開いた日記の2ページいっぱいに、ただぼくの名前だけが、びっしりと書き連ねてあって、驚いた。
 文化発表会が終わった日、たまたま一緒に帰ることになり、そのまま海を見に行った。そのときも、今日と同じように、海も空も茜色に染まる夕暮れだった。二人並んでベンチに座り、ただ沈んでいく夕日を見ているだけで、お互いのことは何も話さなかった。
 それぞれ別の高校に進学し、高校生になってから悦ちゃんと二度会った。二度目も海を見に行ったけれど、次に会う約束はしなかった。あれはもう30年以上も前のことになるだろうか。
 ふと、自分が降りる駅の一つ手前で、一人の女性が電車を降り、夕日のホームを歩いていくのが見えた。その一瞬の横顔と目差しに、「悦ちゃんではないか」と直感した。すぐに電車が発車してしまい、確かめる術はなかったが、あれはきっと悦ちゃんにちがいない。なぜなら、ぼくのてのひらに、中学生の頃に握り合った、あの小さな手の温もりが蘇ってきたから。



香天集3月29日 森谷一成、玉記玉、夏礼子、柏原玄、中嶋飛鳥ほか

香天集3月29日 岡田耕治 選

森谷一成
白面をしらべ始める杉の花
口笛吹く出来損いの初音にも
木の叉に隠れていたり原発忌
永き日の悦ちゃんと居る身の昔

玉記 玉
困憊の寄り添うている花筏
眠る昼眠らぬ夜を藤垂るる
放しては抓んでみたる寄居虫かな
柳絮飛ぶ気分で君も沈黙す

夏 礼子
恋猫の永久を見ている闇のあり
雛の目の数多めまいのしてきたる
春の鵙明日の日差しを啄みぬ
一日を生まれ変わらん春の雲

柏原 玄
束の間の美徳をおぼえ紫木蓮
つくづくし一枚を脱ぎ立ち向かう
蛇穴を出てたくらみの舌を出す
再始動ならぬ来し方初桜

中嶋飛鳥
生殖の春呼びよせる海の青
山笑う少し無理して肩を組み
新しき仮面をえらび卒業す
木瓜の花退院メール二度来たり

加地弘子 
印鑑はここ書類はここと追儺の夜
福も鬼も変わらずありて豆を喰う
大根や血抜きされたる鰤の粗
綿虫のぶつかる事のなき軽さ

釜田きよ子
チューリップと同じ顔して一年生
さくらさくら無心に眠る赤ん坊
敵味方どちらも大事山笑う
誰からも好かれ飽きられチューリップ

砂山恵子
もうちよつとが口癖の子よ木の芽摘む
ババ抜きを抜けたる子から石鹸玉
春の星あかり消したる能舞台
春愁牛乳瓶から出たのかも

嶋田 静
髪切ってまぶしき街や風光る
寂しさのなお山茶花の白が好き
親切をさずかっている春日向
海賊の幟はためき島の春

前藤宏子
和菓子買う春いっぱいの色を選り
山里の郵便局の雛かな
珍しく息子が取れり桜餅
鞦韆をひと振り揺らし少年去る

宮崎義雄
春の宵老いの命を酌み交わす
春闘や雑魚寝の列の豆灯り
底砂利をくの字に探り乗込鮒
岸壁を掻く音つづく貽貝取り

森本知美
遮断機の音のリズムや畑を打つ
畑打や笹根と力くらべしつ
戦争のニュース日毎に木瓜咲きぬ
予定表埋まる早さよ弥生尽

安田康子
さんざめく玻璃戸の向こうミモザの黄
ほこほこと追い上ぐ蕾シクラメン
春夕焼あすは良き事きっとある
風光る和太鼓ひびくカフェテラス

木南明子
寒あやめ残れる日々を思いやる
白梅の両手を上に挙げており
花辛夷今日の暮らしを恙なく
白椿装う人が玄関に

河野宗子
春日向手に持つコップ落としたる
雪柳燃え立つ白を知らぬ家
木瓜の花大きなトゲを出しており
松の芯今をきっぱり生きのびる

田中仁美
春立つと遠くなりゆくニューヨーク
毛氈の春日をすすむ裾さばき
風光る着物ふたりの笑い声
チューリップ孫がこちらを向いてる

目 美規子
百円を拾う道端こぼれ梅
啓蟄や寝起きのめまいして来たる
五十年続くスナック春に閉ず
天に矢を放ちていたる白木蓮

金重こねみ
浮かびくる友の笑顔や朧の夜
媼ほど声弾みたる雛祭
啓蟄や鍬をひとまず置くことに
ドローンの爆撃つづく春の闇

松並美根子
ガラス戸の光まぶしむ春炬燵
店頭の色さまざまにチューリップ
春来る曾孫に会えし初参式
思い馳す山中渓の桜かな

北岡昌子
ホーホーと鶯のなく散歩中
春の霜地面にうつる犬の顔
姿見ず目白の声の聞こえたる
病院の庭の明るき桃の花

大里久代
春よ来い土の中より呼んでいる
太陽に照らされ光る春の芝
買物中お雛祭りの曲流れ
桃の花二人並んですましけり

〈俳句物語〉 耕治
永き日の悦ちゃんと居る身の昔  森谷一成
 ぼくが住む町に近づくと、車窓の先に海が見えてくる。それまではスマホを見ているのだが、海の見えるあたりに差し掛かると、顔を上げて水平線を見つめるのが日課になっている。日が長くなるこの季節は、ちょうど退勤の時刻に、海に沈む夕焼が見える。
 今日、ぼくが見た夕日は、海一面を紅く染め上げ、中学時代に悦ちゃんと二人で見た、あの日の夕日と同じグラデーションだと感じた。
 悦ちゃんとは、交換日記をしていた。放課後、放送室兼放送部の部室にぼくが日記を置き、翌日また取りに行く。彼女は幼くして母親を亡くし、どこかのんびりした父親と二人暮らし。最近、その父親に再婚話が持ち上がっていると聞いた。ある時、開いた日記の2ページいっぱいに、ただぼくの名前だけが、びっしりと書き連ねてあって、驚いた。
 文化発表会が終わった日、たまたま一緒に帰ることになり、そのまま海を見に行った。そのときも、今日と同じように、海も空も茜色に染まる夕暮れだった。二人並んでベンチに座り、ただ沈んでいく夕日を見ているだけで、お互いのことは何も話さなかった。
 それぞれ別の高校に進学し、高校生になってから悦ちゃんと二度会った。二度目も海を見に行ったけれど、次に会う約束はしなかった。あれはもう30年以上も前のことになるだろうか。
 ふと、自分が降りる駅の一つ手前で、一人の女性が電車を降り、夕日のホームを歩いていくのが見えた。その一瞬の横顔と目差しに、「悦ちゃんではないか」と直感した。すぐに電車が発車してしまい、確かめる術はなかったが、あれはきっと悦ちゃんにちがいない。なぜなら、ぼくのてのひらに、中学生の頃に握り合った、あの小さな手の温もりが蘇っているから。
*立ち止まるためすかんぽを咥えけり 岡田耕治

2026年3月22日日曜日

給食の伊予柑を分け下足箱 俎 石山

俳句物語(7)  岡田耕治

給食の伊予柑を分け下足箱   俎 石山
ポケットに八朔ひとつ帰りけり

 給食に伊予柑が出た。ボクは酸っぱいのが苦手で、蜜柑もほとんど食べない。伊予柑はみかんよりもはるかに酸っぱい。母は柑橘系が好きなのでよく買ってくるが、伊予柑は小さい頃に一口食べたきりだった。

 担任は、給食を残すことを許さないタイプなので、バレないようにそっとポケットにしまった。伊予柑の小ささがありがたかった。給食を食べながら、「ワタシ、伊予柑大好き」と言う女子がいた。母が柑橘類を好むことがボクには理解できないように、彼女が伊予柑を好きというのも、全く分からない。なぜあの中途半端な酸っぱさが良いのだろう。

 放課後、今日は部活動がないため、すぐに下校するよう放送があった。昨年から土曜日か日曜日のどちらかは必ず休み、平日も一日休むという学校の方針が出たので、水曜日は部活動のない日になった。

 下足場でその伊予柑好きの女子とばったり会った。ポケットにしまってあった伊予柑を取り出して、
「これ、食べる?」
「ありがとう。大好き」
「ボクも好きだけど、母が好きなんで持って帰るとこだった」
「じゃあ、これお返し」

彼女のリュックから出てきたのは、ボクのポケットに入りきらないほどの八朔だった。



風光る三年前の牛乳瓶  谷川すみれ

俳句物語(6)  岡田耕治

風光る三年前の牛乳瓶  谷川すみれ

 散歩の途中で水仙を見かけたので、切り取って牛乳瓶に挿した。この牛乳瓶は、2023年のコロナ禍の末期に、毎朝1本ずつ届けてくれていた牛乳屋さんが廃業することになったという知らせとともに入っていた瓶だ。店主が高齢の上、コロナ禍で大口の納入先からのご注文も減ってきたので、宅配のお客様には大変ご迷惑をおかけしますが、本日付で廃業させていただきますとあった。

 それからは、買い物に出かけたときにスーパーで紙パックの牛乳を買って、それを一週間で飲み切るという形で牛乳と親しんできた。だけど、紙パックより瓶の方が美味しかったように感じるし、直接飲むと口当たりも滑らかだ。今でも、銭湯に行くとコーヒー牛乳を瓶ごと飲んで、あの感触を懐かしんでいる。

 先日、その牛乳屋さんが、また宅配を始めるというチラシが入った。宅配の牛乳だけでなく、道路沿いの店舗を改装して、ソフトクリームも販売するという。電話で宅配を申し込むと、懐かしい店主の声で、「いや、娘が子育てが一段落したので、手伝ってくれることになりまして」と、嬉しそうな声が返って来た。

 翌日、牛乳を配達し、新しい牛乳箱を取り付けに来てくれたのは、四〇代らしい細身の女性だった。

「おはようございます。牛乳屋です」
「ご苦労さま。日曜日も配達してくれるんやね」
「はい毎日配達させていただきます。もし前の日の牛乳が残っていたら、お声をかけさせていただきますので、よろしくお願いします」



部室からカレーの匂い春の雪 三好つや子

俳句物語(5)  岡田耕治
 
部室からカレーの匂い春の雪 三好つや子

 部室棟は校舎から独立しており、運動場側には運動部、その裏手には文化部の部室が並んでいる。春の気配の中に雪が舞い始めたので、早めに練習を終えた陸上部につづいて、ソフトボール部のメンバーも道具を部室に引き上げてきた。

 そのとき、鼻腔をくすぐるカレーの匂いが漂ってきた。裏手、文化部の部室棟だ。どうやら演劇部の部室から匂っているらしい。ストッパーで半開きになったドアから覗くと、携帯用のガスコンロにかけた鍋で、キャプテンがカレーをゆっくり混ぜているところだった。

「どうしたの?」と聞くと、明日の卒業生を送る会で演じる劇がまだ中途半端なので、腹ごしらえをしてからまた練習を続けるつもりだと言う。
「外は雪が降ってきたよ」と声を掛けると、
「お世話になった3年生に、なんとか完成度の高い劇を見てほしいから」と彼女は答えた。
「それなら、私たちソフトボール部の2年生がカレーづくりを手伝うから、練習に戻って」と提案し、調理を担当することになった。

「だけど、カレーは作っても、ごはんはどうするの?」
「うん、ご飯を食べると眠くなるし、遅くなっても家で晩ご飯を用意してくれてるから。カレーは気合いを入れるためにルーだけ食べるわ」



干からびしごんずい海へ泳ぎ出す 宮崎義雄

俳句物語(4)  岡田耕治 

干からびしごんずい海へ泳ぎ出す 宮崎義雄

 友人からラインで、岬町の小島漁港でメバルを三匹釣ったという写真が送られてきた。静かな春の海に浮子を浮かべ、缶ビールを飲みながらゆっくり過ごす友人の姿が浮かび、居ても立ってもいられなくなった。翌日、小島へ出かけた。午前中の用事を済ませたため、釣り糸を垂らしたのは午後の三時頃だった。

 最初にかかったのは、十五センチほどのごんずいだった。以前、別の場所で、ごんずいの胸びれの棘に刺され、激痛に襲われたことがある。その時は、棘を抜いたものの痛みが治まらず、友人に水筒の湯で消毒してもらい、ようやくひと息ついた記憶がある。それ以来、魚を掴むためのフィッシュグリップを携帯しており、それを使ってごんずいを掴み、口から釣り針を外して捨てた。

 昨日とは潮の流れが違ったのか、午後五時を過ぎてもメバルはおろか、何も釣れなかった。帰りの道の駅でメバルはなくてもガシラぐらいは土産にできるだろうと思いながら、片付けを始めた。そのまま車に向かおうとしたが、ふと気になって波止に目をやると、ごんずいが下段で乾き切っていた。

 死んでも毒は残るというので、靴先で海に蹴り出すと、ごんずいは一旦沈んだあと、背中を左右に揺すってから泳ぎ出したではないか。あの揺すりは、自らを励ますのもだったのか、それとも私への挨拶だったのか。


甘味の厚焼き卵春きざす 辻井こうめ

俳句物語(3) 岡田耕治
 
甘味の厚焼き卵春きざす 辻井こうめ

 パートナーと暮らし始めて三年になる。家事は私が料理、パートナーが洗濯と掃除を分担している。最近の私の料理には、母ゆずりの厚焼き卵を「おいしい」と言わせるという一つの目標がある。毎日の弁当に欠かさず入れているが、パートナーは鶏の唐揚げや鮭の塩焼きは褒めても、厚焼き卵については一度も「おいしい」と言ったことがない。

 パートナーは関西、私は関東出身で、関西の方が何かと薄味の傾向がある。母が使っていた濃口醤油ではなく、薄口醤油に変え、砂糖も控えめにして、弁当の主役として真ん中に詰めているのに、なぜ満足してもらえないのだろう。

 先日、パートナーが行き付けの居酒屋で出し巻き玉子を注文した。ふわとろで美味しかったが、私にはどこか物足りない。やはり、玉子焼きは母の味が一番だと内心で思いながら、パートナーがトイレに立った隙に、店長に秘訣を尋ねてみた。「うちは醤油じゃなく、白だしを使ってます。あと、塩を一つまみ」とのこと。もちろん、砂糖は使わないそうだが、私にとって玉子焼きにはやはり砂糖が欠かせない。

 卵三つを割り、白身を切るように混ぜ、砂糖を小さじ二杯、母直伝の牛乳を少し加える。そして、醤油ではなく白だしを使ってみる。これまで、大さじ二杯だった砂糖に釣り合うようにと塩も少々入れていたが、今回は一つまみだけにする。焼き色が付かないよう、そして型崩れしないように丁寧に焼き上げた。

 今日の弁当は、それぞれの職場用ではなく、二人で市立美術館の作品展を見に行くために作ったものだ。美術館に入る前、芝生の広場でとっておきの弁当を開いたとき、くすっと笑う声が聞こえたような気がした。母の声だった。



冷素麺今日は三把の良き日かな 久保純夫

俳句物語(2)  岡田耕治

冷素麺今日は三把の良き日かな  久保純夫
  句集『識閾』より 

 私もパートナーも、どちらも家にいる日は、朝食を食べながら、昼食と夕食をどちらが担当するかをじゃんけんで決めることにしている。どちらが先に亡くなっても自活できる、そんな生活力をつけておくためである。パートナーと一緒になって間もなく十年、朝目が覚めたときに、そこに居てくれるだけでありがたい存在だ。
今日の昼は、自分が担当になったので、素麺を茹でることにした。いつもなら二把だけれども、今日は三把にした。

 三輪素麺の指定の時間は、1分半から2分なので、1分半経ったところで、一本すくって食べてみた。なかなかいい塩梅なので、ザルに上げ、まずは流水で全体の熱を取る。その後、ボウルの中で力を込めてもみ洗いする。それを氷をたっぷり入れたボウルに移し、一気に冷やした。

 水気を切った素麺を、一口サイズに指で丸めてガラス器に盛り、氷と青柚子の輪切りを散らす。夕べの残りの鶏の唐揚げをレンジで温め、冷蔵庫で冷やしておいた麺汁と薬味を添えて、二階のパートナーに声を掛けた。

「今日は素麺がたっぷり。何かいいことがあったの」とパートナー。
「あなたとこうして食事できることが、いいこと。よく一緒になってくれたね」と、喉元まで出かかったけれど、そんなことを言うのは、素麺に合わない。本音は、どこかのホテルでディナーを食べたときに取っておこう。
「いや、先週は60キロに迫った体重が、今朝は56キロまで戻ったから」
「あら、それはいい日ね」


目標と時計ない部屋冬苺 三好広一郎

俳句物語(1)  岡田耕治

目標と時計ない部屋冬苺   三好広一郎

 70の坂を越え、友人がガレージでの独り暮らしを選んだのは、盛夏のことだった。Googleマップの案内で辿り着いたそこには、コンクリートの土間に自作の床が敷かれ、友人が「快適なワンルーム」と呼ぶ空間ができていた。炊事はカセットコンロ、入浴は自転車で銭湯へ、そしてトイレは近くの公園だという。都市生活の煩雑さを削ぎ落とした、その簡素な営みが印象的だった。

 二度目に訪ねた秋、私は手土産に電池式の壁掛け時計を持参した。時計のないワンルームを見て、喜んでもらえると思ったからだ。しかし友人は、心苦しそうな表情を見せながらも、「せっかく時計のない暮らしを手に入れたのに、掛けるわけにはいかない」ときっぱりと言い切った。その時、彼がなぜこの暮らしを始めたのか、その理由の一端を理解した気がした。彼にとって、時計とは「目標」と同じく、外から与えられる規範そのものだったのだろう。

 三度目の冬の訪問。私は昨日山歩きで見つけた冬苺を手土産にした。野生の爽やかな甘酸っぱさが、彼のシンプルな喜びにつながるのではないかと思ったのだ。冬苺を摘まみながら、私は水原秋櫻子の「余生なほなすことあらむ冬苺」という句を持ち出し、この簡素な生活を機に俳句を始めてはどうかと誘った。

 どこかの結社に所属する前に、まず現代俳句協会に入会して、月々送られてくる「現代俳句」をパラパラと眺める。気が向いたら、関西現代俳句協会が行う俳句大会に投句したり、吟行に出掛けたりして、ゆるやかに俳句をたのしむ。そんな書き方が、彼のスタイルにあっているかも知れない。





香天集3月22日 俎石山、中嶋飛鳥、春田真理子、木村博昭ほか

香天集3月22日 岡田耕治 選

俎 石山
寛解の窓に触れんと木の芽かな
給食の伊予柑を分け下足箱
ポケットに八朔ひとつ帰りけり
冥海を海鼠と共に沈みけり

中嶋飛鳥 
絡みつく愛に手間取り毛糸編む
一声の抜け道に待つ寒鴉
古毛布ふるさとのこと捨てがたく
春日影深呼吸する深海魚

春田真理子
かしこまる気持を知らぬ海鼠かな
爺様と妹との夕餉寒の月
風花よたましひ送りとどけたし
啓蟄のクリアファイルに履歴書を

木村博昭
余寒なお静脈捜し針を刺す
おりおりに表情変えるひいなかな
病床の紙のひいなと千羽鶴
生殖を神に委ねて孕鹿

湯屋ゆうや
あたらしき句集へ栞挿す春夜
翌朝は歩けておりぬ蘆の角
蜂の巣を湖へと掲ぐる高き枝
お祝いのことばさざめく本諸子

神谷曜子
桃の花逆算で解く幸に
今日の吾に答をくれる春の土
いまさらの結婚指輪春の山
涅槃図に問う「猿の惑星」の不安

宮下揺子
見飽きたるはずの我が顔黄水仙
ふてぶてし児や一面の犬ふぐり
根拠なき自信は春の海の果て
悼むとは日々想うこと花はこべ

古澤かおる
べた凪のきらきらしたる黄水仙
三月の花屋をはしごしておりぬ
乳飲み子の湿った寝息雛の夜
行く春のハシビロコウの四十分

中島孝子
節料理カメラに収め客を待つ
雪道の足音を吸う月明かり
カピバラの柚子湯に埋もれ並ぶ顔
掃納父の作りし藁ぞうり

橋本喜美子
雑煮餅一つと決めて膳の前
音もなく目の前よぎり初鴉
近松の闇の深さや初芝居
隅を占め光を放つ石蕗の花

半田澄夫
年新た朝の吐く息心意気
今年また最後の五万米かと思う
凍る夜やふとサイレンの止まりけり
危機一髪サイゴンの冬離陸する

北橋世喜子
新年の柱に記し背比べ
日を浴びて障子の埃宙に舞う
仕込味噌椀に香るや冬の朝
手作の初の根深に湯気立ちぬ

石田敦子
初雪や洗濯物はそのままに
穏やかに齢を数へ去年今年
冬菊を無造作に活け香のほのか
聖樹の灯ライブの余韻醒めやらぬ

川合道子
一字一字ていねいな字よ年賀状
初明り人ひと人の鶴の山
冬鳥の小さきほどに群れをなす
寒日和蔓を絡ませ籠作り

上原晃子
奮発の七草煮立つ朝餉かな
吹き荒れる残り戎に人あふれ
水色の色変のあり干大根
かりんとう歳の瀬に欠く老い乳歯

林おうはく
あの人は恙無きかと守り柿
今日一番染みなき空の渡り鳥
歳の市指に食い込むレジ袋
入院す椿の赤の此岸かな

市田勝人
元旦や一瞬にして紛失す
火の灯る原爆ドーム雪が降る
壊れやすいガラクタばかり年の暮
朝時雨都大路の新記録

東淑子
朝早く鯛網取りに鞆の浦
みかん食べ黄色になりしたなごころ
初日の出雪を染めたる富士の山
お雑煮のそれぞれ違う朝迎え

〈俳句物語〉  耕治
給食の伊予柑を分け下足箱   俎 石山
ポケットに八朔ひとつ帰りけり

 給食に伊予柑が出た。ボクは酸っぱいのが苦手で、蜜柑もほとんど食べない。伊予柑はみかんよりもはるかに酸っぱい。母は柑橘系が好きなのでよく買ってくるが、伊予柑は小さい頃に一口食べたきりだった。
 担任は、給食を残すことを許さないタイプなので、バレないようにそっとポケットにしまった。伊予柑の小ささがありがたかった。給食を食べながら、「ワタシ、伊予柑大好き」と言う女子がいた。母が柑橘類を好むことがボクには理解できないように、彼女が伊予柑を好きというのも、全く分からない。なぜあの中途半端な酸っぱさが良いのだろう。
 放課後、今日は部活動がないため、すぐに下校するよう放送があった。昨年から土曜日か日曜日のどちらかは必ず休み、平日も一日休むという学校の方針が出たので、水曜日は部活動のない日になった。
 下足場でその伊予柑好きの女子とばったり会った。ポケットにしまってあった伊予柑を取り出して、
「これ、食べる?」
「ありがとう。大好き」
「ボクも好きだけど、母が好きなんで持って帰るとこだった」
「じゃあ、これお返し」
彼女のリュックから出てきたのは、ボクのポケットに入りきらないほどの八朔だった。

*卒業のゆっくり点る体育館  岡田耕治

2026年3月15日日曜日

香天集3月15日 谷川すみれ、三好広一郎、柴田亨、安部いろん他

香天集3月15日 岡田耕治 選

谷川すみれ
蒼穹や生きものたちの音の春
風光る三年前の牛乳瓶
紅梅や一病を守る湯気の中
菜の花の駅は海の着くところ

三好広一郎
ネコに名を付けよう明日は漱石忌
大蒜のニオイもカラー石鹸玉
黄沙ざらざら家庭裁判所の廊下
ものの芽の囲めるちさき家である

柴田亨
友だちの供養の手立てなく白梅
紅梅の遅れることを恥じており
リビングのすまして集う古雛
ヴァイオリンがつなぐ再会春帽子

安部いろん
戦争を話せる資格地虫出づ
会わないでおこうと伝え終わる余寒
振り返ることに耐えたり春の雲
春愁とは不要になった尻尾

上田真美
ランドセル春夕焼をのせ弾み
うららけしほろほろ鳥が隊を組み
鍋底の穴から覗き春の月
恋の猫爪先立ちをしていたる

平木 桂
ゆさゆさと手弱女振りのミモザかな
枝垂梅鹿鳴館のささめごと
車椅子接して止まり花菜畑
朝礼の小学生やつくしんぼ

佐藤浩章
卒業式前担任を片隅に
一堂の言霊の翔ぶ卒業歌
初期微動卒業証書受くる時
讃岐富士子らの春光はねまわる

楽沙千子
春一番防虫ネット吹き上がり
恒例のじいが納める雛人形
淡島の石を匂わす焼栄螺
年毎に子等とげんげ田減りゆけり

岡田ヨシ子
故郷や桜の消えし通学路
色を足すベランダ越しの山桜
シルバーカー三つで満載雛祭り
桜さく黄泉への誘い未だなく

谷村敏子
春日射すビルの谷間の利休井戸
まりひめと名前もらいし苺買う
薄氷を割りぬ選挙の結果出て
バレンタイン義理チョコですと夫に渡す

山内宏子
春の日ににこやかに振れフラの腰
寒椿友と重ねて無事祈る
水仙や我が佇まい教えられ
水仙に凜と歩けと諭される

〈俳句物語〉 耕治
風光る三年前の牛乳瓶  谷川すみれ
 散歩の途中で水仙を見かけたので、切り取って牛乳瓶に挿した。この牛乳瓶は、2023年のコロナ禍の末期に、毎朝1本ずつ届けてくれていた牛乳屋さんが廃業することになったという知らせとともに入っていた瓶だ。店主が高齢の上、コロナ禍で大口の納入先からのご注文も減ってきたので、宅配のお客様には大変ご迷惑をおかけしますが、本日付で廃業させていただきますとあった。
 それからは、買い物に出かけたときにスーパーで紙パックの牛乳を買って、それを一週間で飲み切るという形で牛乳と親しんできた。だけど、紙パックより瓶の方が美味しかったように感じるし、直接飲むと口当たりも滑らかだ。今でも、銭湯に行くとコーヒー牛乳を瓶ごと飲んで、あの感触を懐かしんでいる。
 先日、その牛乳屋さんが、また宅配を始めるというチラシが入った。宅配の牛乳だけでなく、道路沿いの店舗を改装して、ソフトクリームも販売するという。電話で宅配を申し込むと、懐かしい店主の声で、「いや、娘が子育てが一段落したので、手伝ってくれることになりまして」と、嬉しそうな声が返って来た。
 翌日、牛乳を配達し、新しい牛乳箱を取り付けに来てくれたのは、四〇代らしい細身の女性だった。
「おはようございます。牛乳屋です」
「ご苦労さま。日曜日も配達してくれるんやね」
「はい毎日配達させていただきます。もし前の日の牛乳が残っていたら、お声をかけさせていただきますので、よろしくお願いします」。

*再びの恋猫となる暗さかな 岡田耕治

2026年3月8日日曜日

香天集3月8日 三好つや子、佐藤静香、佐藤諒子、牧内登志雄ほか

香天集3月8日 岡田耕治 選

三好つや子
スクワットの影に伸びしろ二月尽
部室からカレーの匂い春の雪
山笑う百のみどりの表情筋
車椅子連なる廊下涅槃西風

佐藤静香
梅林を青き眼の深海魚
隣席の湿布の匂ひ大試験
玉眼に仏の怒り春愁
生殖の赤きシグナル水温む

佐藤諒子
バンザイのさまに枯木の生きており
ふるさとの黄砂をまぶすむすび山
連翹の光りに交わし韓国語
雨しきり椿一輪ころがりぬ

牧内登志雄
花守は農大卒の三代目
鬣を春日にゆらす御崎馬
長々と馬の尿ふる牧開き
消火器の肩の円みやよなぐもり

垣内孝雄
三月の光あふるる雑木山
若女将小鉢にそふる花菜漬
ありたけの日差にあふれ山木蓮
浴室の鏡を洗ふ朧かな

川村定子
辻地蔵風雪さらすよだれ掛け
小春日の白き波頭が岩を呑む
一塊の花また落ちる寒椿
鳰水輪の芯に潜りけり

秋吉正子
早朝の冬満月を独り占め
寒明けるステップ台を高くして
自転車のバックミラーに春きざす
春祭公民館のクラブ減り

西前照子
友三人お好み焼きの年始め
切り口の角張ってあり鏡餅
屋根の雪見えて散歩の足すぼむ
大根を洗いてすぐに千切りに

大里久代
立っている足が硬直出初式
袋ごと文旦を買う遍路かな
弾け飛ぶところは知らず椿の実
蝋梅や風に流れる香が誘い

〈選後随想〉 耕治
部室からカレーの匂い春の雪 三好つや子
 部室棟は校舎から独立しており、運動場側には運動部、その裏手には文化部の部室が並んでいる。春の気配の中に雪が舞い始めたので、早めに練習を終えた陸上部につづいて、ソフトボール部のメンバーも道具を部室に引き上げてきた。
 そのとき、鼻腔をくすぐるカレーの匂いが漂ってきた。裏手、文化部の部室棟だ。どうやら演劇部の部室から匂っているらしい。ストッパーで半開きになったドアから覗くと、携帯用のガスコンロにかけた鍋で、キャプテンがカレーをゆっくり混ぜているところだった。
「どうしたの?」と聞くと、明日の卒業生を送る会で演じる劇がまだ中途半端なので、腹ごしらえをしてからまた練習を続けるつもりだと言う。
「外は雪が降ってきたよ」と声を掛けると、
「お世話になった3年生に、なんとか完成度の高い劇を見てほしいから」と彼女は答えた。
「それなら、私たちソフトボール部の2年生がカレーづくりを手伝うから、練習に戻って」と提案し、調理を担当することになった。
「だけど、カレーは作っても、ごはんはどうするの?」
「うん、ご飯を食べると眠くなるし、遅くなっても家で晩ご飯を用意してくれてるから。カレーは気合いを入れるためにルーだけ食べるわ」

*三本の軸立ち上がる海市かな 岡田耕治

2026年3月1日日曜日

香天集3月1日 辻井こうめ、渡邉美保、玉記玉、森谷一成ほか

香天集3月1日 岡田耕治 選

辻井こうめ
甘味の厚焼き卵春きざす
ややあつて走る鉛筆受験生
つるり食ふ兜煮の目や山笑ふ
春光の届く極みへ深海魚

渡邉美保
薄氷や踵落としを二十回
流木の乾ききつたる春の雷
生殖の消えゆく島よ石鹸玉
鳥帰る人は地べたに地図拡げ

玉記玉
鶯餅はたき抜け道思いだす
受験子の腸に棲む深海魚
末黒野を踏み言の葉を生殖す
肉筆に飢えお玉杓子を飼うよ

森谷一成
煖房のナイフで頒けし地球かな
埋み火に小屋の鉄瓶ちんと啼く
バレンタイン売場の母の欠伸一つ
水温むおどけ話をして居れば

上田真美
止まらない咳の背中を送りけり
最期待つ父と布団を並べおり
この春を見ずに逝く口ひとしずく
青鬼になってくれたる父の逝く

平木桂
万歳の声が響けりクロッカス
肩落としウエルテルなる雪だるま
琵琶湖へと身投げしていく春スキー
城崎の光を集め猫柳

砂山恵子
オムレツに二黄たまごや春立つ日
けんけんぱ薄氷一つ丸に入れ
蝶を追ふはじめて眼鏡つけたる子
保育所の隣に寺やヒヤシンス

釜田きよ子
落椿多くのことを許されし
字を忘れ人を忘れて春炬燵
来る人に去る人駅の春憂い
落椿五体投地と思いけり

河野宗子
雪だるま赤い実二つ落ちてあり
石灯籠笠をかぶりて雪を見る
パトカーが止まっていたり冬日和
冬うららおひとり様のワンオーダー

田中仁美
這いながら階段上がる春隣
着物着てポージングする松雪草
木瓜の花身を守りたる棘かくし
蝋梅や車の中に香を残し

松田和子
春の川開け放つ堰流れゆく
恋猫と視線を合わす窓辺かな
小鳥群れ干潟表る茅渟海
桃畑摘花する目のやさしさよ

吉丸房江
暑さ寒さどっこい生きて梅の花
記念樹の梅満開の日向かな
子も孫も曾孫も揃い梅薫る
春を待つ靴ランドセルそして吾

〈選後随想〉 耕治
甘味の厚焼き卵春きざす 辻井こうめ
 パートナーと暮らし始めて三年になる。家事は私が料理、パートナーが洗濯と掃除を分担している。最近の私の料理には、母ゆずりの厚焼き卵を「おいしい」と言わせるという一つの目標がある。毎日の弁当に欠かさず入れているが、パートナーは鶏の唐揚げや鮭の塩焼きは褒めても、厚焼き卵については一度も「おいしい」と言ったことがない。
 パートナーは関西、私は関東出身で、関西の方が何かと薄味の傾向がある。母が使っていた濃口醤油ではなく、薄口醤油に変え、砂糖も控えめにして、弁当の主役として真ん中に詰めているのに、なぜ満足してもらえないのだろう。
 先日、パートナーが行き付けの居酒屋で出し巻き玉子を注文した。ふわとろで美味しかったが、私にはどこか物足りない。やはり、玉子焼きは母の味が一番だと内心で思いながら、パートナーがトイレに立った隙に、店長に秘訣を尋ねてみた。「うちは醤油じゃなく、白だしを使ってます。あと、塩を一つまみ」とのこと。もちろん、砂糖は使わないそうだが、私にとって玉子焼きにはやはり砂糖が欠かせない。
 卵三つを割り、白身を切るように混ぜ、砂糖を小さじ二杯、母直伝の牛乳を少し加える。そして、醤油ではなく白だしを使ってみる。これまで、大さじ二杯だった砂糖に釣り合うようにと塩も少々入れていたが、今回は一つまみだけにする。焼き色が付かないよう、そして型崩れしないように丁寧に焼き上げた。
 今日の弁当は、それぞれの職場用ではなく、二人で市立美術館の作品展を見に行くために作ったものだ。美術館に入る前、芝生の広場でとっておきの弁当を開いたとき、くすっと笑う声が聞こえたような気がした。母の声だった。

*いぬふぐり空より視座の戻りけり 岡田耕治