2016年6月30日木曜日

散るために開ききつたる牡丹かな 青柳志解樹

散るために開ききつたる牡丹かな 青柳志解樹
「俳句界」7月号。牡丹がいくつもの大輪の花をつけています。開ききってしまうと、花そのものに力がなくなったようで、あまり格好の良い姿だと感じてきませんでした。しかし、それは「散るため」の準備なのだという捉え方に出会って、最後の力を放ちながら大きくなっていく牡丹をもう一度視たいと思いました。優れた句には、気付きがあって、その気付きはものの見方を変えてくれるようです。

2016年6月29日水曜日

樹の中の誰も知らない夕日の輪 平松彌榮子

樹の中の誰も知らない夕日の輪 平松彌榮子
『雲の小舟』角川書店。「里木」という言葉に出会ったことがあります。自分のお気に入りの一本の樹を決めて、それを時に見に行くことで自分を確かなものにしてゆこうという意志が、その言葉に込められています。平松さんにとって、きっとそのような木があるにちがいないと感じられる一句です。いつもの樹に出かけて、その中に入ってながめる夕日、このアングルは「誰も知らない」私だけのものだと。今年91歳を迎える作者の「雲の小舟」に同乗させていただいたように感じられる句集です。


2016年6月28日火曜日

みんな生きているか立てるか昭和の日 山崎 聰

みんな生きているか立てるか昭和の日 山崎 聰
「響焰」7月号。昭和一桁生まれの山崎さん。同世代の友人、知人に呼びかけることばがいいですね。「みんな生きているか」そして、それだけでなく「立てるか」と。山崎さんと私の親の世代は同じですので、誰々が腰を痛めて歩きにくいとか、誰々が転んで骨折したとか、「立つこと」が厳しくなってきました。だからこそ、こんなふうに声をかけることが大切なんだと、そう思わせてくれる「昭和の日」です。

2016年6月27日月曜日

「水馬」12句 岡田耕治

「水馬」 岡田耕治

はじまりに不思議のありて水馬
校則を飛びこえている夏衣
真っ先にアイスクリーム破りけり
親玉を捕まえているハンモック
青梅雨のみんなで季語を探しゆく
警戒を整えている梅雨茸
額の花授業の外に視ていたる
一眠りしてから後のビールにて
梅雨晴間星の力を引き入れん
短夜を苦しまず書き続けたる
スコールの地面が水を噴き出しぬ
スコールやそれぞれの傘歪め来る

2016年6月26日日曜日

香天集6月26日 谷川すみれ、加地弘子、橋爪隆子ほか

香天集6月26日 岡田耕治 選

谷川すみれ
明け方の夢の体温曼珠沙華
ねこじゃらし影が生まれて影と会う
蒼空を寝っ転がって秋の海
馬の目のまっすぐに見る秋風裡

加地弘子
海色の絵の具を足して夏に入る
点点と家の数あり夏灯
蛍火の薄き明滅生まれけり
蛍籠コミカルに鳴る靴の底

橋爪隆子
夏服をつぎつぎ通す改札機
休ませてくれぬ1万株の薔薇
旧姓の名札をつけて風薫る
干し物に若葉の匂いたたみけり

藤川美佐子
目くらみて炎帝に非のなかりけり
途中から自由になりし時鳥
回転をゆるめていたり梅雨の蝶
梅雨の宿トレモロわれを淋しめる

中濱信子
美容室出て真っ先のつばくらめ
広島の夏折鶴の飛ぶ構え
立葵エーデルワイスの曲とどく
紫陽花や木綿の服で出て来たる

古澤かおる
藍浴衣仕事は男に任せたる
生地見本何度もめくり薄暑光
本を読み時にラムネを売りにけり
青芝へ赤子一人を転がしぬ

大杉 衛
上り来て花屋の奥の水芭蕉
夕焼は笛吹童子の真うしろ
ニュートンの左脳に開く水中花
空蝉は柱時計となりにけり

竹村 都
走り梅雨新築工事始まりぬ
梯子より声降りてくる袋掛け
柿若葉売家の札なくなりぬ
名を問えば答え駆け出す夏帽子

立花カズ子
つつじ咲く丘登り来る風のあり
遺言を成してあしたへ風薫る
風薫るガラス小鉢の昼の膳
枇杷熟るる列車の窓をすれすれに

西嶋豊子
打水の頭を下げて通りけり
波乗りの男は若きまま老いる
メガネかけメガネを探す夏座敷
妣の扇子いつもの場所に戻りけり

2016年6月25日土曜日

青葉ざわざわねむくなれねむくなる 髙田正子

青葉ざわざわねむくなれねむくなる 髙田正子
「俳句四季」7月号。青葉騒(あおばざい)という季語がありますが、あえて「青葉ざわざわ」とされたのは、「ねむくなれ」「ねむくなる」というリフレインを生かすためでしょう。「ざわわ ざわわ」と森山良子さんの「さとうきび畑」の歌が聞こえてくるような、心地よい青葉のざわめきです。「ねむくなれ」というのは、自分に言い聞かせているように聞こえます。自分を許すというか、少しの間だったら眠ってもいいよ、と。そんなふうに許された心は、すぐにねむくなるのでした。

2016年6月24日金曜日

カウンターの隅の折鶴冷し酒 金子 敦

カウンターの隅の折鶴冷し酒 金子 敦
「セレネッラ」2016/夏号。バーの止まり木に腰を載せますと、片隅の折り鶴が目に入りました。何かを祈って折られたものでしょうか? 誰かを祝うために折ることもあります。一つの紙の鶴から、そこに掛けたであろう人の心を想像してみます。まして、冷たく冷やした日本酒があれば、それは様々にふくらみそうです。敦さんは「俳句を始めたころ」という短文の中で、コンプレックスの塊だった自分を、どこまでも信じて肯定してくれた中学1年生の担任の先生のことを書いています。敦さんの俳句を読む上で、欠かせないエピソードです。

2016年6月23日木曜日

父の手の草の匂いと昼寝かな 平きみえ

父の手の草の匂いと昼寝かな 平きみえ
『父の手』象の森書房。草むしりをしたあとの父の手は、家にあがる前に洗ったはずなのに、まだ草の匂いがします。それだけ、作者は父の手に近いところで昼寝をしようとしているのです。その手を見ていますと、端正な父の生き方が伝わってくるようで、安心して眠ることができるのです。
最後には母の話や夏料理 平きみえ
兄妹がそろって食事に出かけると、最後は必ず「かあさんはいつもこうしていたね」と母の話になります。繰り返し読む絵本のように、いつも母の話が出てくることに、安堵を覚えます。平さん、よくぞ一冊の句集にまとめてくれました。

2016年6月22日水曜日

薫風は毛細血管ふき抜けて 花谷 清

薫風は毛細血管ふき抜けて 花谷 清
「藍」6月号・500号記念特集。まずは、500号の御祝いを申し上げます。たいへんおめでとうございます。この積み上げ、この記憶の総量は、現代俳句にとって貴重な財産だと思います。「毛細血管」は、全身に網目状に分布しています。全身と言わずに「毛細血管」と表現することによって、一句に独特の視線とパワーを与えているようです。500号のパワーでしょうか。

2016年6月20日月曜日

「顔の黒子」15句 岡田耕治

「顔の黒子」 岡田耕治

電線は地中を走り立葵
花道を鳴らして来たる五月闇
マッチ箱こすりて梅雨の始まりぬ
床に寝て漱石を読む青時雨
そろそろと下る他なき夏の山
ビールよりも先にグラスを冷やしけり
苺ジャムまだ温かき朝餉かな
楊梅を食べたる舌を見せ合いぬ
燕の子口を突き出し眠りけり
温泉を出ては浴衣を濡らしけり
握り鮓二人で二合飲みはじむ
レース編むもう幼稚園バスが来る
すててこや昼まで家に居ることに
私事だけを話してアロハシャツ
半ズボン顔の黒子を大きくす

2016年6月19日日曜日

香天集6月19日 久堀博美、北川柊斗、永田文ほか

香天集6月19日 岡田耕治 選

久堀博美
整えて空広くなる代田かな
考えの立ち止まりたるかたつむり
緑陰や木琴の音ころがりぬ
毛虫焼くにおいをさせてドラム缶

北川柊斗
苔の色際立たせたる沙羅落花
直感のすでに走れる蛍の火
入梅や時に乱れし風来る
黄道をたどりてをりし黒揚羽

永田 文
二三本蕨を折りて野辺に居る
石山に歩を運ぶ若楓
落ちてより渓しずもれる朴の花
草餅や里の野の色たたえたる

中辻武男
空中の餌受けており燕の子
風の中蜜柑の花の匂いけり
槌音や田蛙の声遠くして
紫陽花の大きが光る雨上り

岡田ヨシ子
初夏の雲北海道の形して
初蝶の香り漂いはじめけり
海の上走ってゆけり夏鴉
仏壇の線香香る百合の花

2016年6月17日金曜日

せりなずなごぎょうはこべら放射能 高野ムツオ

せりなずなごぎょうはこべら放射能 高野ムツオ
「小熊座」6月号。「せり・なずな・ごぎょう・はこべら」と始まる春の七草は、「ほとけのざ・すずな・すずしろ」と続きます。そんな、新しい年を迎えるよろこびのリズムを、「放射能」が遮っています。その境目に、東北の現実が立ち上がってきます。「放射能」という言葉で遮られた七種のリズム、そこには私たちの思考を促す沈黙が用意されています。

2016年6月16日木曜日

水ぬるむカバにはカバが寄り添って 坪内稔典

水ぬるむカバにはカバが寄り添って 坪内稔典
「船団」109号。「カバにはカバ」ときますと、「人には人」「鳥には鳥」「シマウマにはシマウマ」などと、連想していきます。私というのは、他者があるからこそ私なのだとすると、カバもこのカバがあるからこそカバなのかも知れない、と。「水ぬるむ」頃、カバも人も自分の存在を求めて、もう一つのカバや人に寄り添うのであります。

2016年6月15日水曜日

高々と蝶こゆる谷の深さかな 原石鼎

宇多喜代子『俳句と歩く』角川書店。宇多さんが俳句と俳人を見つめるまなざしは、確かでしかも温かい、そう感じさせるエッセイ集が刊行されました。掲出の句を挙げるまでに、原石鼎の人柄を短くも深く理解できるエピソードを引いておられるので、単に俳句を味わうだけでなく、原石鼎という人と作品を味わえるのです。原石鼎が波瀾万丈の生活の果てに、深吉野の自然と出会ったのかを知りますと、一匹の蝶が谷を渡っていくその「深さ」に通じていくような感覚をもつことができます。故人だけでなく、宇多さんと親交のある現代俳人が多く登場することも、一巻の厚みを感じさせる要素になっています。

2016年6月14日火曜日

梅雨入と聞けば落ち着く心地して 片山由美子

梅雨入と聞けば落ち着く心地して 片山由美子
『昨日の花 今日の花』ふらんす堂。俳句日記として、2015年の1月1日~12月31日までの一句と、俳句の邪魔をせず、しかも読みがひろがるコメントが配されています。梅雨に入るとじめじめと蒸し暑く嫌だなあという声をよく聞きますが、この句は「落ち着く」と。先人は梅雨になると代田をつくり、田植えをして、そこに雨が降ってくると、ひと息ついたことでしょう。田んぼをつくらないまでも、降り続く雨を見ながら心を落ち着ける感性を、いつの頃からか失っているのではないか、そんなことを感じながら一日一句を味わっています。座右の書棚にこの一冊を戻すとき、毎回こんな帯文が目に入ります。「心がけたのは、季語の実感を大切にすること――」。

2016年6月13日月曜日

「夏燕」 岡田耕治

「夏燕」 岡田耕治

どこまでも四万十川の風薫る
決壊の記憶の混じり蛍狩
木の椅子を一段伸ばし梅雨に入る
全員の顔見えている額の花
夏燕旅の終わりを低く飛ぶ

2016年6月12日日曜日

香天集6月12日 中村静子、宮下揺子

香天集6月12日 岡田耕治 選

中村静子
吊橋がくすぐっている春の水
コルク栓上手に抜いて夏立ちぬ
羽抜鶏首を傾げたままにして
青大将静かに水を切りゆけり

宮下揺子
闇写す月光写真朴の花
青空の端から崩れ半夏生
半夏生不義理のうちに友の逝く
薫風のオープンテラス老い二人

【選後随想】
羽抜鶏首を傾げたままにして 中村静子
 羽毛が抜け変わる頃の鶏はあわれですが、それをじっと見つめている作者の眼差しを感じる句です。目を背けるのではなく、見つめていると、首を傾けたまま鶏も動こうとしません。何かを考えているようなその姿に、中村さんは自分自身を見ておられるのかも知れません。

太腿てふ二本の川やシャワー浴ぶ 安田中彦
 6月5日掲載。太ももが二本の川に見えるほど、強くシャワーを出しています。ああこのひと時のために、汗をかいてきたのだと思える瞬間です。ただシャワーが躰にぶつかる音だけが聞こえる、そのことによって、私自身の存在が肯定されていくようです。

冷蔵庫のぬか床目掛け泣いて帰る 浅野千代
 6月5日掲載。悲しいことが多い時代。人前で声を上げるわけにはいきませんので、家まで辛抱して帰路につきます。目掛けるのは、我が家の、冷蔵庫の、しかもビニールに入ったぬか床です。なぜそんなものを目掛けるのか、理由などないのですが、ぬか床をかき混ぜて、美味しい茄子を一つ取り出す、その瞬間のためなら堪えることができそうです。

2016年6月10日金曜日

ホースの水のたうちまはる西日中 杉山久子

ホースの水のたうちまはる西日中 杉山久子
「石榴」第17号。夕方、庭木に水をたっぷり与えようと、ホースの蛇口を強く回しました。すると、ホースが地面で暴れだしました。ホースの水の勢いを感じながら、ままならない今の私を投影しているようで、滑稽でもあります。きっと、このホースを見つめるまなざしで、ご自身を見ていらっしゃるのでしょう。のたうちまわることもまたいいかと。

2016年6月9日木曜日

夕食の卓に手花火置かれあり 金子 敦

夕食の卓に手花火置かれあり 金子 敦
「季刊芙蓉」第108号・招待作品。夏はなかなか日暮れません。まして子どもたちが楽しみにしている花火を前にしますと、まだかまだかと暗くなるのを待つことになります。先に夕食を済ませようと、子どもたちと卓につきます。そこにこれから火を点けることになる手花火も置いて、「どんな火花かなあ」、「さあ早くごちそうさまをしよう」、そんな声が聞こえてきそうな一句です。敦さん、ありがとうございます。

2016年6月8日水曜日

藁抜きし目刺に自由戻らざる 仲 寒蝉

藁抜きし目刺に自由戻らざる 仲 寒蝉
「港」6月号。藁に通された数匹の目刺を見ますと、早く藁を抜いてやりたくなります。それは、私たちの姿を投影しているように感じるからかも知れません。寒蝉さんは、そのように藁を抜いたのに、結局自由は戻らなかった、と。藁を抜いたあとの空洞が、もう元の姿には戻れないことを確かなこととしているだけなのです。イメージを喚起する力が感じられる秀句ですね。

2016年6月7日火曜日

「全てイエス」 岡田耕治

全てイエス 岡田耕治

音立てて校長室の蘭鋳よ
この本を読むと出てゆく青嵐
冷蔵庫大吟醸を戻したる
途中から苦しんでいる夏蒲団
瑠璃蜥蜴目を合わさずに消えにけり
青鷺と隣り合わせに居ることに
手を繋ぐ泉に映らないように
一枚で過ごすホテルの夏衣
羽抜鶏姿勢を正し目を閉じて
噴水や横風を受け膨らみぬ
襖はずす全てイエスと言うことに
冷酒飲む鳥の名のつく特急と


香天集6月5日 安田中彦、浅野千代、森谷一成ほか

香天集6月5日 岡田耕治 選

安田中彦
才あらば新樹のひかり描くべう
太腿てふ二本の川やシャワー浴ぶ
箱庭や川を隔てて家と人
天花粉雲のかたちの蒙古斑
浅野千代
坂の風烈しく子らに矢車に
夜行バス待つ涼しさを持て余し
冷蔵庫のぬか床目掛け泣いて帰る
手風琴虹立つまでを側にいて
森谷一成
葬りなき墓標チェルノブイリの忌
左手を忘れていたり五月憂し
精肉店に緋牡丹でんと坐りけり
梅雨に入るのっぺらぼうの家続き
両角とみ子
万緑やはっきりわかる場所に居る
水芭蕉山の言葉を交信す
足元に一息いれて谷若葉
真っ直ぐの声ぶつかって花あやめ
北川柊斗
アオザイとサリー売る店夏初め
群青の螺髪に小蠅とまりたり
入梅や目薬すこし溢れたる
あの星で会ひましたよね虹立ちぬ
大げさに薔薇のゲートをくぐりけり
越智小泉
卓袱台の丸きに置かれ柏餅
街薄暑信号のない地下歩む
更衣白一色が登校す
乱反射するもの溢れ夏に入る
羽畑貫治
髄膜腫首にメス入れ溝浚う
いつまでも麻酔の中や花衣
MRIが癌を見付けて春暑し
七転び八起きのありて青簾
村上青女
手作りの添水の音や梅雨近し
人参の花活けてあり雨の昼
屋上のスケボーの音風薫る
若布切る人等の声の響き合い

2016年6月4日土曜日

口笛を忘れてをりし麦の秋  大牧 広

口笛を忘れてをりし麦の秋 大牧 広
「港」6月号。この号で大牧さんは、「私の反骨精神」と題して、重要な自己開示をされています。「世渡り下手の父は、安月給で大家族を養うために『踏切番』を死ぬ何年か前までしていた」と。そのために「お前の父さん踏切番、友達からそう言われて、唇を噛んで返事もできなかった」と。そのことから大牧さんの反骨精神が芽生えたと。このように自己を見つめ、開示していくまなざしが、大牧広俳句の魅力なのだと思いました。そんな目で一句を見ると、単に「口笛」を忘れていたのではなく、口笛につながる自由な精神をいつも取り戻そうとする、大牧少年の志が感じられます。

2016年6月2日木曜日

花冷えのイカリソースに恋慕せよ 坪内捻典

花冷えのイカリソースに恋慕せよ 坪内捻典
『坪内捻典百句』創風社出版。「船団の会」の若手が、坪内さんの俳句を新鮮な眼差しで味わっている一巻。大阪発祥のイカリソースは、お好み焼きや焼きそばによく合います。花冷えの頃、お好み焼きの鉄板の熱に温まりながら、焼きあがるのを待っている、そんなひと時を想いました。「恋慕せよ」とはまた大胆なと感じましたが、この句を鑑賞している藤井なお子さんが、「常識を壊して行かないと、放っておいたら俳句はどんどん古い方向へ行ってしまう」という坪内さんの言葉を紹介しています。俳句の歎異抄のような趣です。

2016年6月1日水曜日

青葉騒パン買つてパン食べながら 佐藤文香

青葉騒パン買つてパン食べながら 佐藤文香
「里」3月号。青葉騒(あおばざい)は、青葉を風が渡っていく音さえも聞こえてくる季語です。爽やかな初夏の昼、パンを買ってすぐに食べ始めます。パンを味わいながら、目に見える風景も同時に味わっていく、今をいつくしむような息遣いが感じられます。旅先で作者を探せないのですが、「夕焼やパンとは立ちて喰うものか」という句が記憶にあります。ながらくパンを立って食べるのは惨めなんだと思ってきましたが、買ってすぐに歩きながら食べることの気安さを文香さんに教えてもらいました。早速、今日のお昼に。