2016年7月31日日曜日

香天集7月31日 石井冴、木村朴、澤本祐子ほか

香天集7月31日 岡田耕治 選

石井冴
しりとりの増殖したる梅雨茸
箱庭を崩す小さな手大きな手
日光菩薩月光菩薩夏至夕べ
直線の光を渡り女郎蜘蛛

木村 朴
居ずなりし人を思えば揚羽くる
沙羅落ちてこの世のものとなりにけり
初蝉や男同士の立ち話
手にスパナ肘より汗をしたたらせ

澤本祐子
あじさいの大きな息を流す雨
手のひらに乗せてつめたき雨蛙
くず籠の墨の匂いの薄暑かな
ラベンダー指先に香を移したる

藤川美佐子
どの家も形を成せり柿青葉
青葉闇庭師の通す風の道
時鳥一人欠けたるところより
万緑をぶった切るかにオートバイ

橋本惠美子
入梅や母の使いし鯨尺
父の日や太平洋の石丸し
マヌカンの肌色は黒夏帽子
近づくと赤くなりたる夏の星

浅海紀代子
正座して読み切る句集夜の雷
わたくしに風を通せり梅雨晴間
書きし字の心を想う夜の秋
蝉の声四方に満ちて路地明ける

中濱信子
早苗田を出ると真白き歯の覗く
金魚玉いつも夫の方に寄る
住む人の無くて燃えいるカンナかな
覗き込むように現れ雲の峰

浅野千代
会いたいと言えずに帰り炎天下
夏の蝶ちらちらドビュッシーのピアノ
レース編む左人差指にタコ
コーヒーゼリープラスティックは洗って出す

両角とみ子
食べんとす土用鰻の畏まり
登山杖魔法のかかる青い空
広い空一人歩きの夏の雲
せかせかとトマトもぎ採る児の手先
※泉佐野市内で、蝉の鳴きしきる木を撮りました。

2016年7月30日土曜日

車輪擦り減らす音して掻き氷 竹中 宏

車輪擦り減らす音して掻き氷 竹中 宏
 「翔臨」86号。一瞬にして、子どもの頃店の中にあったかき氷を作る大きな機械が蘇りました。子どもながら五十円を払って、店主が氷塊を機械の上に載せ、ガリガリ、シャリシャリと回していくのを見つめていました。かきあがったときに掛ける蜜の色はもう決めているのです。こんな懐かしい光景が浮かぶのは、「車輪擦り減らす音」という重厚な表現です。私たちは、車輪を擦り減らすようにこれまで働いてきました。その思いが、幼い頃へとスピードを上げて誘ってくれるのでしょう。

2016年7月27日水曜日

白鳥にさはらむとして覚めにけり 松下カロ

白鳥にさはらむとして覚めにけり 松下カロ
『白鳥句集』深夜叢書社。美事な句集が誕生しました。一つの章が18句ずつ11章ありますので、合計198句全てが白鳥を詠んだ、ほぼ書き下ろしの句集です。同じ18句ずつのリズムが、句集を読み進めるペースとなって、内容の多様さを象っていきます。その冒頭に置かれたこの句、カロさんの身辺にはさまざまな姿の白鳥が棲んでいたのでしょう。その一つの温もりに触れることで一日を始めようと目覚めました。たった一つ「白鳥」という言葉で、こんなにも豊かで静かな世界を表現できる、これは試行ではなく、成果です。

2016年7月25日月曜日

「古本の奥」12句 岡田耕治

古本の奥 岡田耕治

音楽を着けず夏野を走りけり
かんばせを綺麗にたもつ西日かな
触れてより姿を見せず油虫
古本の奥へ冷房効いてくる
男より女友達よき冷酒
焼酎は黙って立って飲めと言う
店内を一周したる棒鮨よ
珈琲の熱きを淹れて夏氷
夏帽子今泣いた目をしていたる
四人いて高校生の木下闇
今ここを眠りたくなる百日紅
熱帯夜次次と眼が走り出す
※泉佐野市内のレストランのエントランス。

2016年7月24日日曜日

香天集7月24日 谷川すみれ、橋爪隆子ほか

香天集7月24日 岡田耕治 選

谷川すみれ
鹿の目の奥の奥なる一つ星
白桃の衰えてゆく早さにて
これからは風のままなり破芭蕉
秋夕べ空の青さをとりもどす

橋爪隆子
八月の絶叫マシンおちてくる
ブラインドひとつねじれて熱帯夜
矢印に急かされている薄暑かな
セロファンの音が薔薇を包みゆく

澤本祐子
あじさいの大きな息を洗う雨
手のひらに乗せてつめたき雨蛙
くず籠の墨の匂いの薄暑かな
ラベンダー指先に香を移したる

加地弘子
輪郭をはっきり描き蜻蛉とぶ
蠅叩きなき家に蠅居着きたる
何もかも無駄なき刻や月下美人
蝉生まる一つ息吸い一つ吐き

浅海紀代子
いつもの川魚影次次夏来る
緑蔭に人待つための椅子のあり
青年に注がれて酔うビールにて
昼寝覚め変わらぬこの世ありにけり

2016年7月23日土曜日

明日は帰ると決めたる海に泳ぐなり 市堀玉宗

明日は帰ると決めたる海に泳ぐなり 市堀玉宗
「俳句四季」8月号。故里に海をもつもの、誰もが感じている思いを形にしてくれた玉宗さんに、まず感謝したいと思います。帰省には、一日二日の幅を持たせるます。一日早く帰れば、それだけ仕事モードへの切り換えがはかどります。いや、ぎりぎりまで故里にいて海に浸かる方が、結果的に毎日の暮らしを励ますことになるかも知れません。「明日は帰ると決めた」とあるのは、おそらく一日早く帰る選択をしたのでしょう。海に浸かるこの体だけではなく、万緑を見る目も、鳥の声を聞く耳も、全てを回復させるために、しばらく幼年の感覚のうちに居ることにしましょう。
※写真は、「俳句四季」最新号。私の新作15句と代表句40句も「わが道を行く」に掲載されています。

2016年7月21日木曜日

五月闇聖パウロ教會の 鈴木六林男

五月闇聖パウロ教會の 鈴木六林男
パウロは、熱心なユダヤ教徒であったので、初めはキリスト教徒を迫害する側についていましが、イエスの声を聞き、キリスト教徒となりました。かつてさんざん迫害していた使徒たちに受け入れられるまでに多くの困難がありましたが、それを乗り越えていきます。その名を冠したセイント・パウロ教会が、深い五月闇に包まれているというシンプルな情景です。この教会は、阪急「梅田」駅の近くにあり、「花曜」の句会が開催されていました。現在「六曜」に集う出口善子さんをはじめとする俳人たちの母体となったフィールドであり、その方々へのエールの一句でもありましょう。
※写真は、高知県梼原町のホテルと温泉を結ぶ渡り廊下です。教会の雰囲気が出るかと、この一枚を選びました。

毛布干す愛の匂いを日に還し  石井 冴

毛布干す愛の匂いを日に還し  石井 冴
「香天」43号・特別作品。毛布は直接肌に触れますので、人の匂いをたたえることになります。「愛の匂い」は、これ以上毛布を形容するに相応しい言葉がないと思えるほどです。男女の愛も、親子の愛も、人が生きて在ることそのものが、「愛の匂い」の中にあります。その匂いを「日に還す」とは、ドキッとする捉え方です。全ての命は、三八億年前に海の中で生まれた小さな細胞から始まっています。それは、海という命と太陽という命の交差によって生まれたものでしょう。その太陽へと愛の匂いを還すという、大きくて思想性に富んだ表現が生まれました。
※写真は、NHK大阪放送局の最寄り駅「谷町四丁目」の地下通路の大ポスターです。

2016年7月20日水曜日

左手を忘れていたり五月憂し  森谷一成

左手を忘れていたり五月憂し  森谷一成
「香天」44号。キリスト教では、右手は祝福の手であり、左手は呪いの手とされています。仏教では逆に、左手は聖なる手と言われています。何れにしても、右手を利き手とする人が多く、左手は忘れられがちです。左手を忘れているということは、利き手を働かすことに腐心していたということであり、そのことに気付かせてくれたのが左手の存在でした。ふと気づかされた自分の姿に、「五月憂し」という感慨を抱いたのです。
※写真は、大教大柏原キャンパスの水辺です。

2016年7月19日火曜日

茫申記葭切がまだ鳴いている 星野昌彦

茫申記葭切がまだ鳴いている 星野昌彦
『茫申記』春夏秋冬叢書。「茫」は、心がうつろでぼんやりしているさま。星野さんは申年生まれなので、「茫申」とは自身のことを皮肉るように表現されたもの。いつもながら箱入りのしっかりした句集ですが、箱には「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿の3態が描かれています。ところが、句集を取りだしますと、しっかり見、しっかり聞いて、もの言おうとする猿が浮き立つように描かれています。ぼんやりすること、何もかもうつろになってきたように表面は見えますが、内面ではあらゆるものが鮮明に捉えられ、表現されようとしています。そう、葭切が大きな声を上げて鳴いているのです。

2016年7月18日月曜日

「写真の顔」 12句 岡田耕治

「写真の顔」 岡田耕治

梅雨の傘開かずに行くことにする
挨拶が集まってくる梅雨の傘
蚊遣香あとは姿勢を正すこと
手花火の人のうなじを近くにす
一つずつ酸橘の増えるグラスかな
山盛のキャベツを沈めメンチカツ
灯を点けて大き西瓜の中に居る
水打って写真の顔を明るくす
大勢の人と話せる跣足かな
印鑑をまとめて押すと梅雨明ける
眠くなる力を集め甲虫
油蟲こんな時代に出て来たる
※写真は、池田市立ほそごう学園の図書室、読み聞かせコーナー。

2016年7月17日日曜日

香天集7月17日 宮下揺子、北川柊斗

香天集7月17日 岡田耕治 選

宮下揺子
トンネルの薄暑を抜けてモノレール
内海の鴎引きつけ大西日
静止画に動画が混ざる夏至の夜
敗戦日砂場を洗う人の居て

北川柊斗
身の内に蛇飼いならし女たり
黒といふ軽さありけり川蜻蛉
日盛の手をかざし見る時刻表
蟻の烈古代エジプトよりの道

トンネルの薄暑を抜けてモノレール 宮下揺子
 モノレールが静かにトンネルに入っていきます。開けていた視界が暗くなると同時に「薄暑」を感じたのです。それまで、様々なものに向けていた視線が遮られたことによって、ああもう夏だなという体感がやってきたと言ってもいいでしょう。しかし、モノレールは再び明るさを取り戻し、開かれた光景へと戻ってきました。

朝涼の電動ミシン点りけり  久堀博美
 7月10日掲載分。朝の涼しい内に済ませてしまおうと、電動ミシンを取りだしました。スイッチを入れますと、手許が明るくなるようランプが点ります。この微かな明かりを朝涼の中に感じ、布を走らせていくひとときが、作者にとってとても大切な時間なのにちがいありません。ミシンによって生まれ変わる布の明日が感じられる一句です。
※写真は、泉佐野市内のホテル最上階からの大阪湾です。

2016年7月16日土曜日

語り部は少女のままで慰霊の日 親泊仲眞

語り部は少女のままで慰霊の日 親泊仲眞
「WA」第75号。沖縄から発行されているこの俳句誌の表紙裏には、〈WAは/我の わ/友達の 輪/人の 和/なま身の人間の挙げる叫び声の わあー/なのです〉とあります。年4回、沖縄からの叫びを聞くことができることを心強く思います。親泊さんは、コメントに「ひめゆりの語り部」である与那覇さんの語りを引用されています。「少女のまま」という言葉は、一般的にはやさしく聞こえますが、与那覇さんの語りと同時に読みますと、沖縄戦の戦場の中に少女期を過ごさなければならなかった現実が現れます。私たちはもっと沖縄の「WA」を聞かなければならない、もっと聞いていきたいと思わせる一句です。
※写真は、大教大柏原キャンパスの「手鏡」と題された像です。

2016年7月15日金曜日

戦前を思い出せない蟇 渡辺誠一郎

戦前を思い出せない蟇 渡辺誠一郎
「小熊座」7月号。蟇が私たちの自画像のように置かれています。柄谷行人は『〈戦前〉の思考』で、あの戦前を反復しないためにこそ、自身を〈戦前〉において思索することの必要性を説いています。しかし、私たちは様々な刺激や、支配的なものの見方の中に埋もれてしまって、戦前を思い出せなくなってしまったのではないでしょうか。この蟇(ひきがえる)のイメージから、私の〈戦前〉をはじめなくてはなりますまい。
※写真は、大教大柏原キャンパスの木蔭です。

2016年7月14日木曜日

蛇といふ音楽速し水の上 我妻民雄

蛇といふ音楽速し水の上 我妻民雄
「小熊座」7月号。蛇が路上を渡っていく、それだけでも目を奪われますが、水上を泳いでいると、より心がかき立てられます。それは「音楽」という言葉で言い止めることができるのですね。「蛇という音楽」という発想にドキッとし、「速し」という言い止めにハッとさせられます。そうか、あれはモーツァルトだったのか、と。こんな句に出会える幸せが、俳句を読むことに宿っています。
※写真は、堺の住吉大社のお堀です。

2016年7月13日水曜日

つばめ帰るゆれる電線空へ置き 松下カロ

つばめ帰るゆれる電線空へ置き 松下カロ
巣から出たつばめは、しばらくはこの国のあちらこちらを飛んでまわります。そして、いよいよユーラシア大陸に発つとき、もう一度自分たちの巣の近くまで来て、まるでこの場所を記憶するように巣立った巣を見ます。それは、この句のように電線から見ることになるでしょう。そして、一気にユーラシア大陸へと飛び立っていくのです。しばらくはゆれる電線を空に残して。
※写真は、大阪南港のインテックス大阪。昨日ここで、高校生に講義をしました。

2016年7月12日火曜日

「雲の峰」12句 岡田耕治

「雲の峰」 岡田耕治

蹴りながら学校へゆく白靴よ
よく見えて一時限目の雲の峰
天道虫新車の匂いしていたる
絵日傘の速さを超してゆく速さ
立ちて飲む位置の決まりしビールかな
逢引の初めにキャベツ囓りけり
全身にソースを吸って鯵フライ
限り限りに間に合っている香水よ
夏痩の喉が突然怒り出す
溢れさす大吟醸の冷酒にて
屋上に投げ出している洗い髪

旱星躰が先に醒めいたる

2016年7月10日日曜日

香天集7月10日 久堀博美、中村静子、岡田ヨシ子

香天集7月10日 岡田耕治 選

久堀博美
梅雨明を待つ押入れを片づけて
胡瓜の木空を掴みに行くところ
どこにでも行けると想う蝸牛
朝涼の電動ミシン点りけり
中村静子
落ちてくる羽根の光沢麦の秋
朴の花見えないほどに近づきぬ
青竹の切口伝う冷素麺
放心の姿勢を保ち夏帽子
岡田ヨシ子
鯵を釣る赤いボートの赤い旗
岩場から這い出してくる蛸を待つ
風の色オーシャンブルーを漂いて
楊梅の実は参道に並びけり
※写真は、岬町小島の海です。

2016年7月9日土曜日

なめくじらところを選び膨らみぬ 久保純夫

なめくじらところを選び膨らみぬ 久保純夫
「儒艮」18号。なめくじらが膨らんだとだけしか書いていません。よくある光景ですが、この句を際立たせているのは、「ところを選び」という中七です。なめくじらが膨らむのは、自らが膨らむのではなく、膨らもうとする「ところ」があるからなんだ、と。ならば、私もまた、膨らむことのできるところを選ぼうというチカラがわいてくる一句です。
※写真は、大阪駅ビルをホームから撮影。

2016年7月8日金曜日

土砂降りになってしまった花の旅 森田智子

土砂降りになってしまった花の旅 森田智子
「樫」96号。桜の満開の頃、旅に出ることができるのは幸せです。曇り空の桜をたのしんでいたのですが、とうとう雨が降り出し、やがて土砂降りになってきました。屋根のあるところで雨を避け、雨の中の桜を見ていますと、満開になっている花へのダメージを思わざるを得ません。でも、「土砂降りになってしまった」という響きには、「それもまた仕方のないことね」という森田さんならではのやわらかさが潜んでいるようです。
※写真は、雨あがりの柏原キャンパス。

2016年7月7日木曜日

数へ直さうぶらんこの鎖の輪 島田牙城

月湖『とぅむるま』邑書林。「里」の月湖さんが、連載の絵と詩を一冊にまとめられました。例えばこの牙城さんの句には、ぶらんこの鎖の輪を数えている子の横に「無限の帽子」をかぶった子があらわれます。「数えまちがえてはいないんだよ」「無限だからよ」と声をかけて去っていきます。月湖さんが選んだ空想的で、絵になる俳句とともに、そこから生まれた小さな物語を味わうことができます。もちろん、柔らかく、見ているだけでほっとする絵とともに。

2016年7月6日水曜日

顔面といふ涼風を享くるもの 仲 寒蝉

顔面といふ涼風を享くるもの 仲 寒蝉
「港」7月号。人間の体の中で最も目立つ顔。鷲田清一さんは、自分の顔は決して肉眼では見ることができないと書いておられます。肉眼では見られない、その時々で表情を変え、なかなか思いのままにならないこの顔ですが、これはそもそも「涼風を享くるもの」だという定義に、何よりの涼しさを感じます。権威や力を表したり、不安や混乱を表したり、化粧したり、誘惑したり、そのような目的ではなく、ただ涼風を享受する、そんなひとときが今日の私にも訪れますよう。
※写真は、大阪教育大学天王寺キャンパスの「希望」と名付けられた像です。

2016年7月5日火曜日

雲のみは悠々として敗戦日 大牧 広

雲のみは悠々として敗戦日 大牧 広
「港」7月号。8月に入りますと、新聞には現にある戦争や戦争の記憶が紙面に溢れてきます。戦争について考え、命について考えることの頂点に達するのは8月15日。私たちの心配や思案とは別に雲だけは、悠々と青空を流れていきます。敗戦の日もきっとこのように流れていたのかも知れません。「八十路まだたたかふつもり夏帽子」という句も17句の中にはあります。たたかおうとする大牧さんだからこそ、雲の自在さを感じられるのでしょう。
※写真は、池田市役所前の像です。

2016年7月4日月曜日

「頭上」8句 岡田耕治

「頭上」 岡田耕治

見たことのない心を映し金魚玉
冷蔵庫はじめ瞬きながら点く
入口の日傘をたたむシルエット
早く帰る提案が出て大夕焼
鮎の骨抜きたる指を吸い鳴らす
さっきより時間をかけて浮いてこい
頭上から頭上へ渡り夏蒲団
選挙まで転がしておく真桑瓜
※写真は、大阪教育大柏原キャンパスの緑。

2016年7月3日日曜日

香天集7月3日 中嶋飛鳥、石井冴、玉記久美子ほか

香天集7月3日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
六月の雨を観音開きより
水無月の釘の頭を打ち外す
香水の力を借りる別れかな
緑青の兜人形の汚れよう

石井 冴
柿の花わざと手荒くしていたり
青柿の落ちたるところ顔がある
遊船やスタバの窓を通り過ぐ
折鶴は人から人にサングラス

玉記久美子
万緑や翼あるもの空を持ち
ざりがにのはさみがみえるおしずかに
裏返るたびエンゼルフィッシュ軽くなる
夏の月本に挿んでおくとする

木村 朴
碑に並ぶ同じ苗字や沖縄忌
肩凝りも腰痛もなくなめくぢり
吉報につづく訃報やさみだるる
黴の花淫らに咲いてゐたりけり

前塚嘉一
万緑の中の患い緑内障
短夜の雨音のあとバイク音
青梅に蜂蜜足せと電話来る
九条を運んでいたり夏つばめ

坂原 梢
コンサート青葉の中に始まりぬ
風の湧く湖面のありて燕子花
天道虫男の胸に突きあたり
午前九時までに開きて白睡蓮

澤本祐子
吹き来るもの見えている黄砂かな
薫風の曲がりきれない角のあり
クレーンのみどりを連れて桐の花
梅雨最中日の差しそうな山明り

橋本惠美子
草むしるスケートボードに膝を置き
著莪の花六文銭を掘り起こす
胸元の四十五度のサングラス
決心を確かめている黴の花

釜田きよ子
暗闇に象形文字を描く蛍
無印で生きた男のカンカン帽
黒船が来るぞ来たぞ立葵
恋文は落し文てふ手もありぬ

羽畑貫治
麻酔から覚める息あり夏の蝉
知らぬ間に父の歳越え桐一葉
手術後の人生にして髪洗う
二本杖五体押し上げ盆の月

森谷一成
蒼天のプールを抱いて岸壁へ
巨なる舳の波のスローモーション
香水を鎧う異国の五月闇
客船が往くカプセルの舟を佩び

安部礼子
夏の夜の夢を映して珠歪む
滴りのときに辞世を導きぬ
散松葉原発稼働する国の
水中花捨てられること忘れたる

浅野千代
梅雨晴のテラスにて糸鋸を引く
ハンケチを振るイギリスの踊りかな
不羈ならぬこと許す不羈祭笛
余所人に優しきところ花火舟

越智小泉
さくらんぼ仏間明るくしておりぬ
園児らの声新緑を深うせり
早苗田や長き散歩となりにけり
太陽に下向き咲ける茄子の花

村上青女
奥入瀬の渓流どこも緑映ゆ
手作りの添水の音や蛍草
目に入る大き花びら泰山木
追悼の重なる夏や島一つ
※写真は、天王寺キャンパスでみつけた夏薊

2016年7月2日土曜日

水掛不動苔のしとども薄暑なる ふけ としこ

水掛不動苔のしとども薄暑なる ふけ としこ
「ほたる通信Ⅱ」46号。「法善寺にこいさん通り梅雨の月」という句もありますので、大阪千日前の法善寺水掛不動でしょう。「助けて下さいお不動さん。たのんまっせ、お不動さん」と心を込めて水を掛け、願いを届けると、何でも願い事の手助け・後押しをしていただけるとのこと。大勢の人がそれぞれの願いをもって水を掛けるので、お不動さんは全身に苔をまとってい、絶えず濡れています。自分も水を掛けておいてこんなことを言うのはおこがましいのですが、人々の願いの多さ、重さが迫ってきます。その感覚を、「薄暑」という、これ以上ない季語で表現されました。

2016年7月1日金曜日

手をつなぎたき人遠く桜咲く 今瀬剛一

手をつなぎたき人遠く桜咲く 今瀬剛一
「俳句界」7月号。手をつなぐことから恋ははじまりましたが、手をつなぐことでそれは終わるのかも知れません。いえ、この句のように、手をつなぎたいと思うだけでいいのかも知れません。時は、今日よりも明日、明日よりも明後日と桜が満ちていくのですから。