2016年9月30日金曜日

風鈴に風躍りくる夕べかな 澤本祐子

風鈴に風躍りくる夕べかな 澤本祐子

 香天集9月25日。風鈴を軒に吊しますと、いつも風を待つことになります。心地よい風が来て、この風鈴を鳴らして欲しい、と。ところが今は、「風躍りくる」というほどに、激しく風鈴を鳴らしています。そのことを良いとも悪いとも言っていない、祐子さん一流の受け止め方です。「どんな情況であっても、夕べを迎え一日を送ることになります。だからこそ、今日のこの強い風を愉しみます」そんな作者の声が聞こえてくる秀句です。
鳥取県「わらべ館」で見つけた懐かしい風景の模型。

2016年9月29日木曜日

直進と見せ折返す鬼やんま 鷹羽狩行

直進と見せ折返す鬼やんま 鷹羽狩行
「俳句」10月号。速くとんだり、空中で止まったり、かと思うと急に方向をかえたり、蜻蛉を見ていると飽きません。まして、大きな鬼やんまが、真っ直ぐに進んでいて、急にこちらに折り返してくると、迫力があります。「鬼やんまくん、君もなかなかやるね」そんな狩行さんの声が聞こえてきそうです。まるで老いることを愉しんでおられるような、そんな巻頭の50句です。
*東大阪市内で見つけた道沿いの花壇。

2016年9月28日水曜日

日本の好きなところに鴨眠る 谷川すみれ

日本の好きなところに鴨眠る 谷川すみれ
「香天集」9月25日。冬になって飛来してくる鴨は、陸に上がって眠ることが多いようですが、朝早くには羽に顔を埋めて水上で寝ているカモを見かけます。子育て中なのか、それが終わっているのか、天敵はいるのか、それぞれの状況によって眠り方が変わるようです。目の前に眠っている鴨は、だからこそ安心して眠ることのできる場所を見つけたのでしょう。それをすみれさんは、「日本の好きなところに」と感じたのでしょう。読むうちに気持ちが楽になる一句です。
*公園から見える大阪城。

2016年9月27日火曜日

不登校児岬は燕帰るところ たむらちせい

不登校児岬は燕帰るところ たむらちせい
「俳句界」10月号。一読して、すごい俳句と感じました。不登校を良いとも悪いとも価値付けていない、その真っ直ぐさの故でしょうか。不登校児をその子として尊重する、そんな姿勢の故でしょうか。学校に行けなくなった子と海を見にきました。「この岬から子育てを終えた燕が帰っていくんだよ」と、ただそのことを伝えたのです。励ましもしない、促しもしないけれども、今こうして君が生きていることはかけがえのないことなんだと、一句は静かに語っています。50句には、「秋潮のまぶしきかぎり土佐の国」など力作が揃っています。
*岬町小島の海です。

2016年9月26日月曜日

「秋高し」15句 岡田耕治

秋高し  岡田耕治

啄木鳥の俳句ばかりを書いている
造られた森を何時まで鉦叩
秋嶺や降りる荷物の整いて
何事も何とかなると葛根掘る
待っている顔を映して秋の水
ともに居ることに衰え草紅葉
秋の空団長の声上がりたる
肉を焼く前の鉄板秋高し
柔らかき服を求めて秋の暮
月明の猫の眼になりすます
  京都五句
ただ坐るために来ており曼珠沙華
曼珠沙華いつもとちがう声の出て
秋の川思いがけない雨となる
秋雨へ近づいてゆくエスカレーター
木犀や鼻筋のよく通りたる
*京都駅前にそびえる東本願寺の門。

2016年9月25日日曜日

香天集9月25日 谷川すみれ、加地弘子、澤本祐子ほか

香天集9月25日 岡田耕治 選

谷川すみれ
何もかも出しつくしたり蓮の骨
寒風の国旗全員揃いたる
円心に寄り添ってくる冬の鯉
日本の好きなところに鴨眠る

加地弘子
虫貰い眠れぬ夜となりにけり
はっとするものと一緒に小鳥来る
終のことひとつとなりし烏瓜
空に群れ海に群れゆく鰯雲

澤本祐子
風鈴に風躍りくる夕べかな
一粒にしずまる露に空のあり
葉鶏頭とぼしくなりし色のあり
ちちろ虫靴から靴へ跳びゆけり

橋爪隆子
秋の蚊を捕えしはずの掌よ
逆転のヒント吸い込む鰯雲
ロッカーを空ける別れや秋日影
一日を素顔で通し酔芙蓉

藤川美佐子
雨蛙喉から化身していたる
ペディキュアを開いて閉じて夏休
甚平や剃り跡青く帰りくる
一本のカンナの色の不思議かな

坂原 梢
台風の休校となる声跳ねる
一回り大きくなりし菊人形
虫の音に般若心経重ねけり
秋の日を包んでいたり観覧車

立花カズ子
ザリガニを川へ帰して夏終る
我が杖の歩み行く音秋はじめ
露草の藍につながる故郷かな
灯り消す部屋を満たして望の月

村上青女
青空の色深くして台風過
涼新たコーヒー香る卓にいて
供花の束船より放ち秋彼岸
秋の雨遺影頬笑む別れかな

中辻武男
蜻蛉がよぎり続けて老の影
新涼や宵の横笛近づきて
親しみし水面に触れて秋燕
十五夜の月浴びている余生かな

戸田さとえ
青空の見えて明るき敗戦日
夕厨前をさまよう鬼やんま
平和の灯消える事なく蝉時雨
先の事思えば集い赤蜻蛉
*昨日行った「香天」上六句会の会場のホテルを飾った花。

2016年9月24日土曜日

もの流す川のあはれや草の花 堀下 翔

もの流す川のあはれや草の花 堀下 翔
「俳句四季」10月号。鴨長明は、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と書きました。堀下翔さんは、「もの流す川のあはれや」と書きます。川にはそれほど、様々なものが流れるようになっているのです。川辺に小さな草の花を認めました。この花は長明の時代にもこうして咲いたにちがいありません。命絶えて流れてゆくもの、命を点しはじめたもの、それらが晩秋の景の中にかたどられています。本作品は、俳句と短歌の競詠で、短歌の方も若手で有望視されている大森静佳さん。彼女の短歌は「顔を洗えば水はわたしを彫りおこすそのことだけがするどかった秋の」。読み応えのある競詠でした。
*京都の新・都ホテルのロビー。

2016年9月23日金曜日

父母よりも老いてふくみし茸汁 大牧 広

父母よりも老いてふくみし茸汁 大牧 広
「俳句四季」10月号。大牧さんは今年85歳、父母の年齢を超えられたのでしょう。時々父母の年齢を超すという句を見かけますが、しみじみとした句が多いと感じます。中でもこの句は出色だと思います。「父母よりも老いて」で止めていないからです。「老いてふくむ」と、動詞を連続させて、なお生きて描いて行きたいことがある、どこまでこの命が続くかもしれないけれど、、。そのような、表現者としての心の高まりを「茸汁」という絶妙の汁で鎮めようとしているかのようです。あれも言いたい、これも書きたいという高まりを抑えながら、どうしても書かねばならないことを書く、そのための心の余裕を茸汁がくれるような気がします。
*京都・東本願寺で見つけた「今、いのちがあなたを生きている」という言葉。

2016年9月22日木曜日

独り占めか一人ぼつちか大花野 金子 敦

独り占めか一人ぼつちか大花野 金子 敦
「セレネッラ」第9号。一人で花野にやってきました。だれもいない花野は、独り占めの状態です。一人でたっぷり遊んでいますと、早くなった日が暮れてきました。一人ぼっちの状態になろうとしているのです。「ひきこもれ」と言ったのは、思想家の吉本隆明です。せっかくですから、もうしばらくこの大きな花野にひきこもることにしましょう。
*京都の新・都ホテルのエントランスを飾る花です。

2016年9月20日火曜日

葉子好き葉子の好きな著莪が好き 米岡隆文

葉子好き葉子の好きな著莪が好き 米岡隆文
『虚(空)無』邑書林。句集の後記には、〈数えきれない程の様々な病気を抱えながら、愚痴もこぼさず、日々の辛さ、しんどさを自らの精神力、意志力で耐えながら克服し、何事にも直向きに努力し、潔く、凜々しく、けなげに生きた葉子さんの魂が好きでした。〉〈葉子さんの居る彼の世へ私の声が届きますように。〉とあります。「葉子好き」にはこのような思いが込められているのですね。私がこれまでに見た著莪の花で最も美しかったのは、岬町孝子の森に向かう川底の暗さの中に群生している繊細な花々の白でした。普通俳人はそんな目の前の著莪の花を詠うのですが、隆文さんは「葉子の好きな著莪が好き」と詠っています。私たちとは言葉への体重のかけ方が違うように感じられます。この一巻には、隆文さんをとおして、葉子さんという一人の生が著莪のように次々と新しい花を咲かせています。
*鳥取市のわらべ館にある人形の樹。

2016年9月19日月曜日

「ちちろ虫」10句 岡田耕治

 ちちろ虫 岡田耕治

太刀魚やコンクリートを滑りくる
金木犀多く読みよく眠りたる
助け舟出すことにする秋の空
音楽を聴くとひとりになる花野
教室に残っていたるきりぎりす
菊の花浮かべていたる食前酒
茸汁遅れて喉を通りゆく
締切を過ぎて来たれる鬼やんま
鈴虫は半身浴の胸に受く
何もせぬことを喜びちちろ虫
*広島県の府中市立府中学園の図書館。読書がはかどりそうなコーナー。

2016年9月17日土曜日

トラックの後おうていく落ち葉かな 善野 烺

トラックの後おうていく落ち葉かな 善野 烺
「獏のあしあと」第11号。土方鐵さんのつながりで送っていただいた文芸同人誌。お便りには、「革」という文芸誌の再建されるとあって、心強く思いました。トラックという無機質な物体は、しかし、人間がこれまで進んできた猛進を象徴しているようです。その後を追いかけるように落ち葉が巻き上がりました。もちろんどこまでもトラックに着いていくわけにはいきませんので、すぐに鎮まっていきます。この一瞬は、現代の日本に住むだれもが目にしている光景のように感じられます。善野さんとのいい出会いが、鐵さんを縁としてはじまろうとしています。
*鳥取市内にある「わらべ館」でみつけた蓄音機。

2016年9月16日金曜日

銀漢のひとつぶとなる船宿り 山田佳乃

銀漢のひとつぶとなる船宿り 山田佳乃
「俳句α」10−11月号。大型のフェリーや客船に乗りますと、夜空を一層近く感じることができます。この船に泊まるのですから、特にしなければならないことはありません。ゆっくりと星を眺めていると、自身もその一粒になって輝きはじめました。私たちは何にでもなれる、なってその瞬きをたのしむことができる、一句はそう教えてくれているようです。
*広島県府中市立府中学園の体育館。とても高い天井に星空を想いました。

2016年9月15日木曜日

雨の地に映り汝と同時間 鈴木六林男

雨の地に映り汝と同時間 鈴木六林男 

 鈴木六林男師とは何度も古本屋を訪ねましたが、たった一度だけこれは買っておいた方がいいとすすめられた本がありました。それは、アウグスティヌスの『告白』でした。『告白』を無謀にもひと言で言うしますと、「真に存在するものは過去でも未来でもなく、ただ現在だけである」ということになるでしょう。雨の時代、雨の地球に映っているこの「同時間」こそが全てなんだと、六林男師は、無季のチカラを借りてこの一巻を一句にされたにちがいありません。
*出張で訪問した広島県府中学園の屋上プールから。

2016年9月14日水曜日

観自在雨蛙いま雨の中 星野昌彦

観自在雨蛙いま雨の中 星野昌彦
「景象」108号。「般若心経」と題された26句の1句。「観自在」とは、すべての事物を自由自在に見ることができること。雨が降り出して、その中にいる雨蛙の、生き生きとして様子が目に浮かんできます。「ああ、おれはこの雨をまったいたんだぜ」と、工藤直子さん流にセリフを作ってみたくなります。「何もかも見えなくなるほど降るがいい。降れば降るほど、おれは雨蛙になるんだぜ」。
*大阪府教育委員会主催の地域コーディネーター研修会で、話をしました。

2016年9月13日火曜日

水底は水の重さの梅雨入かな 渡辺誠一郎

水底は水の重さの梅雨入かな 渡辺誠一郎
「小熊座」9月号。水面に雨の粒が広がって、いよいよ梅雨入りかと思う日、水底に目を凝らしてみました。水面を躍る雨の波紋に比べますと、水底は静かにこれから始まる梅雨に堪えようとしています。それを「水の重さ」というこの上ない表現で言い止めた作者。この重さは、東北の重さに通じているように感じられてなりません。
*大阪教育大柏原キャンパスの秋が深まってきました。

2016年9月12日月曜日

「新米」15句 岡田耕治

「新米」  岡田耕治

   京都七句
それぞれの速さ集まり赤蜻蛉
大門を容れて暑さの残りけり
脚を投げ出して紅葉の三千院
ひともとの萩にしてまた揺れ始む
一万の歩数を超えて鰯雲
秋灯弥陀にくるりと髭のあり
弥陀観音勢至を開き星月夜

取れ立ての卵をかけて今年米
虫時雨仕上げまで居ることにする
温め酒しばらく離れ置くことに
新米や運ぶことのみ残りたる
黒板の前が整う野菊かな
校門の閉じられてより涼新た
質問を考えている轡虫
すれ違うときに触れたる秋桜
*大阪にも林檎の木が育っています。

2016年9月11日日曜日

香天集9月11日(追加) 中濱信子、選後随想

香天集9月11日(追加) 岡田耕治 選

中濱信子
向日葵の中指切りを唱え合う
男には幼き仕草かき氷
空蝉に一世の力残りけり
夜の秋机に匂う正露丸

〈選後随想〉
男より肝すわりたる昼の虫 中嶋飛鳥

 虫たちは、自分のテリトリーを示したり、メスを求めたりするために一心に鳴きます。その声は、世の男たちよりも肝が据わっているように聞こえる、と。夜になると顕在化する虫の声ですが、昼間に鳴いている声を、それほど大きくないけれども、しっかりと認めようとする作者の、創作への意気込みが感じられます。

香天集9月11日 中嶋飛鳥、久堀博美、木村朴ほか

香天集9月11日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
すめらぎの声平らかに秋に入る
男より肝すわりたる昼の虫
秋の風補助線を入れ整える
小鳥来る計画にない水溜り

久堀博美
家守来て玻璃の灯りを点しけり
棚の本並べ直して夏終る
集まりて個個に自在や秋茜
迷わずにここまで来たり草の絮

木村 朴
汗しとど見上ぐる雲の無心かな
炎昼のここに居りけり靴磨き
退くことの出来ぬ天皇夜の蝉
軍港のカレーライスと秋に入る

中村静子
梅雨茸乾びて空の深くなる
満ちて来る闇を揺らして牛蛙
家中の声つつ抜ける網戸かな
秋暑しだみ声放つ孔雀にて

宮下揺子
五人居て薬の話百日紅
熱帯夜点眼薬を差して寝る
終戦記念日押麦を入れて炊く
緩やかに羅を着て八十歳
*時々寄る泉佐野市内のカフェにて。

2016年9月10日土曜日

世界とは何処も果や夏蓬 高野ムツオ

世界とは何処も果や夏蓬 高野ムツオ
「小熊座」9月号。自分中心に世界があると捉えがちだからでしょう。「何処も果」という表現にドキッとします。生命力をあふれる夏蓬がはびこるように、希望の持てない、残酷な現実は、今や世界のどこにでも繁殖しています。「でも、そんなことは嘆くまでもない、「何処も果」なんだから」という構えに、かえって救われるように感じられます。
*神戸ハーバーランドにある兵庫教育大のサテライト前の道路。

2016年9月8日木曜日

自転車を押せば濃くなる天の川 早瀬淳一

自転車を押せば濃くなる天の川 早瀬淳一
「船団」110号、第8回船団賞受賞作から。乗ってきた自転車を止めて、星を見ながら考え事をしていたのでしょうか。自転車に乗るのではなく、「押す」というさりげない行為が、この場合とても効いています。もう少し、星空を見ながら行こうという心を感じますし、誰かと一緒にいて話ながら押していくという姿を想像することもできます。気持ちがいいから行動が生まれるのではなく、自転車を押すという行動が気持ちの流れを生む、そんな細やかな情景の書き手と出会うことができました。
*泉佐野市から見える列車と秋の花火です。

2016年9月7日水曜日

昼寝覚早や夕食の匂いくる 竹村 都

昼寝覚早や夕食の匂いくる 竹村 都

 香天集9月4日。少し遅めの昼寝から覚めると、もう隣り近所から夕食の用意の匂いがしてきました。私の在所では、だんだん夕食を取るのが早くなってきました。高齢化の影響もありますが、早めに夕食を取ると、その分夜の時間をたっぷり使えるような気がするからです。東京大学の池谷裕二さんによると、アイデアを生み出す王道は、①課題に直面する、②課題を放置することを決断する、③休止期間を置く、④解決策をふと思い出す、です。これにならいますと、①俳句を取りあえず作る、②しばらくその俳句から離れる、③もう一度見直すことによって、ふといい俳句に修正できる、となるでしょうか。今夜も、まず①の俳句を取りあえず作るため、早めの夕食を取るとしますか。
*駅から大阪教育大柏原キャンパスを見上げました。

2016年9月6日火曜日

昼寝覚机の裏がよく見えて 石井 冴

昼寝覚机の裏がよく見えて 石井 冴

 昼寝から覚めますと、机の裏が見えています。ベッドや畳ではなく、フロアに眠っていたようです。眠りから覚めていくときの、けだるいけれども気持ちが澄んでいく、その瞬間を著すのに、「机の裏」は絶妙ですね。今からあれとこれをしないといけないと思い巡らしているのは、机=意識よりもむしろ机の裏=無意識の方にちがいありません。
*時々行く珈琲店の棚のカップです。

2016年9月5日月曜日

「二学期」15句 岡田耕治

「二学期」 岡田耕治

腕時計嵌めずに秋を歩きけり
花野より身を起こしたる眩暈かな
盃や月を容れたるままめぐり
月明り見えなくなるを視ていたる
自由都市堺の水を月渡る
声を出し涙を流す休暇明
二学期のええやんあんたそのままで
滑らかなものに囲まれ飛蝗飛ぶ
靴跡の乱れてきたる秋の浜
いぼむしり時々死んだふりをする
テーブルを整えており秋の空
秋の空ロッカーに荷を預けたる
台風を通り越したる湯舟かな
長き夜のオモニハルモニ歌い出す
よく眠ることの続きて秋の蝶
*大阪教育大柏原キャンパスへ昇るエレベーターのドームと青空。

2016年9月4日日曜日

香天集9月4日 石井冴、竹村都、越智小泉ほか

香天集9月4日 岡田耕治 選

石井 冴
蝸牛つまめば時を抗いぬ
昼寝覚机の裏がよく見えて
体から頭が外れ夏休
数珠玉の漢字覚える速さかな

竹村 都
補聴器の蝉の声だけよく拾う
昼寝覚早や夕食の匂いくる
大き蛇見たと両の手広げ来る
谷水を堰止めている夏野菜

越智小泉
打水に老舗の風の生れけり
寝返るも寝返るも夜の長きかな
息かけて目鏡拭きおり広島忌
鉄棒に残るぬくもり盆踊

橋本惠美子
捩花の風と遊びて乱れけり
靴墨をたっぷりと塗り雲の峰
遠花火昇る二階の高さまで
風鈴や小さきものを招き入れ

坂原 梢
失敗のあと成功の野紺菊
盆おどり仮装行列登場す
炎天下見渡す限り要支援
一筆の黒絵としたり雲の峰

冨永道子
父の日の父嬲りたる墨絵帳
そこだけは光弾けるスベリヒユ
万歩計鼓動に重ね夏の朝
目薬の一滴暑気を吹き飛ばす

浅海紀代子
水打って今日の商い仕舞いけり
駅舎出て青田の風の故郷かな
盆明けや元に戻りし皿の数
月今宵古墳の丘の目覚めたる

森谷一成
児の脛に疵なし津島佑子逝く
熔けながら遺品となりき原爆忌
広島の午前過ぎゆく何を食わん
あやまちはくりかえすもの雲の峰

浅野千代
八月の蒼に浸してしまいけり
野分過ぎ野分の如き心かな
秋暑し絵葉書にある海と犬
みんみんと入っておりし同じ蔭

羽畑貫治
手術前三途の川の水澄めり
廃校の庭ありて蛇穴に入る
遠くから子らの声して秋時雨
後遺症の足浮かして通草食う

坂原 梢
現役を続行すると七夕竹
ひまわりの迷路にはしゃぐ声のあり
金魚鉢子どもの声に躍りけり
後とも前とも見える夏帽子

岡田ヨシ子
葉桜や海に向けたる椅子二つ
青蔦を切りて景色の変わりけり
アスファルトの熱に近づくバス降りて
バラン株生い茂りたる風涼し
*大阪教育大天王寺キャンパスの芝も秋に。

2016年9月3日土曜日

「九」といふ数字は無限夜の秋 大牧 広

「九」といふ数字は無限夜の秋 大牧 広
「港」9月号。前書きに〈第九句集『地平』上〉とあります。9は、4と並んであまり好まれる数字ではありませんが、9は極みの陽数で、9月9日は5節句の中でも、殊更「重陽」と呼ばれる目出度い日です。9が多数を表すということは知っていましたが、それを「無限」と表現されていることに注目しました。大牧さんがこれまで著された一冊一冊の句集は、先人につらなるものです。この句業を基盤として、更に多くの人がいい俳句を書いていってもらいたい、そのような願いが「無限」という一語の中に込められているように感じます。日中の暑さも夜になると引いてくる、そんな静かな秋へのプロムナードに相応しい一句です。
*無花果の木を通して、秋の空を撮りました。

2016年9月2日金曜日

夏空を沈めて水位さがりけり 藤川美佐子

夏空を沈めて水位さがりけり 藤川美佐子
 香天集8月28日。夏、よく湖や池の水位が下がります。旱続きで飲み水や田んぼの水も不足しがちなこの状態は、あまり歓迎されません。ところが、水嵩の減ったその水に夏空がくっきりと映っています。私たち人間は水位の上下に汲汲としていますが、美佐子さんが捉えた自然は大きく、静かでさえあります。この句は、「香天」大阪句会で全員が取って話題になりました。
*北琵琶湖から琵琶湖を向いたショット。水位はたっぷりでした。

2016年9月1日木曜日

蓮池のいのち混み合う濁りかな 大城戸ハルミ

蓮池のいのち混み合う濁りかな 大城戸ハルミ
「俳句界」9月号。そう言われると、澄んでいる蓮池を思い浮かべることができません。蓮が一面に広がって、水面が見えなくなっているからでしょうか。開いた蓮の花に注目するので、水の透明感まで見ていることが少ないからでしょうか。大城戸さんは、あえてその水に注目し、「いのち混み合う濁り」というこの上ない表現にたどり着きました。水の濁りをこれほどまでに鮮明に捉えることのできる作者の、内面の静かさを想います。
*6月に出かけた高知市高知城の蓮池です。