2016年12月31日土曜日

しやぼん玉息もろともにかがやくよ 杉山久子

しやぼん玉息もろともにかがやくよ 杉山久子
合同年刊句集『すばる』。大きなしゃぼん玉にしようと、ストローにゆっくり息を入れていきます。もっと大きくしたかったのですが、風が来てしゃぼん玉をさらって行きました。しばらく空中にあって、地面につきますと、遠くまで転がっていきます。このしゃぼん玉は、私の息もろともにかがやいていたのですね。「もろとも」という言葉がこんなに柔らかく使えることに気づかせてもらいました。忙しかったり、うれしかったり、思うようにならなかったり、悲しかったり、いろいろなことがあった一年。その最後の日、久子さんにこうして生きている「息」そのものを肯定されたように感じます。合同句集の刊行、おめでとうございます。
*今年作った句を色紙に、しゃぼん玉に合わせて春の句を。

2016年12月30日金曜日

秋風に昔の恋が吹きやまぬ 岸本マチ子

秋風に昔の恋が吹きやまぬ 岸本マチ子
「WA」77号。十代の頃、好きだった人は今どうしているのでしょう。結婚することもなく、傷つけ合うこともなく別れてしまった人は、いつまでも恋の中にあります。まして、こんな秋風が吹き始めた海を見ていますと、ますます会って昔の笑顔を見たくなります。この風に負けないほど声を浴びたくなります。
*今年作った俳句を色紙にしました。

2016年12月29日木曜日

香りなし色もあやなし風花は 藤川游子

香りなし色もあやなし風花は 藤川游子
『藤川游子句文集 句集「游庵」 文集「敬天」』朔出版。句集と文集が一つの箱に入った、素敵な装丁の句文集です。『古今和歌集』の凡河内躬恒に「春の夜の闇は文無し梅の花色こそ見えね香やは隠るる」という歌があります。あやなしは文無しで、筋道が立たない、はっきりしないというほどの意味と取ります。古今集の梅は、色は見えないけれども、香は隠せないと。『游庵』の風花は、香りもなければ、色もはっきりしない、と。この素っ気なさを愉しむように、そんな風花を愛おしむように、一巻は編まれているように感じます。
*大阪教育大柏原キャンパスのメタセコイア。まだ枯れていません。

2016年12月28日水曜日

木枯のただ中首も首塚も 仲寒蝉

木枯のただ中首も首塚も 仲寒蝉
「セレネッラ」第10号・俳友客演。「虹の会」大船吟行より、と題された6句。北鎌倉の大船には、「玉縄首塚」があります。激戦の末、互いに討ち取った首を交換し、この地に葬ったとのこと。首は首塚の前の六地蔵のものかも知れませんが、ここは寒蝉さんご自身の首と捉えたいものです。生きてあるこの首も、討ち取られ葬られた首も、同じこの木枯のただ中に在る。その事実が、読むものを励ましてくれます。
*京都・嵐山。

2016年12月27日火曜日

いちまいの枯葉をかざす無言劇 金子敦

いちまいの枯葉をかざす無言劇 金子敦
「セレネッラ」第10号。無言劇はパントマイム、身振りと表情だけで演じます。初めにでしょうか、終わりにでしょうか、一枚の枯葉を手に持って高くかかげました。人生はつまるところ、この一枚の枯葉のようなものさと語りかけるように。こんな眩しい冬の陽は、こうして一枚の枯葉が遮ってくれるのさと話しかけるように。敦さん、俳句はこの一枚の枯葉なのですね。
*大阪教育大柏原キャンパスの冬空。一枚の枯葉が見つかるでしょうか?

2016年12月26日月曜日

「恋愛」15句 岡田耕治

恋愛 岡田耕治

自動車に自転車を載せ年の暮
年忘全員の顔見えている
俳句だけ考えている足温め
ていねいに別れていたる襖かな
十年の同じ日記を買いにけり
初氷何時まで待っていてくれる
日短し正解のない問いの前
書いている限りは生きて褞袍かな
マフラーを大きく巻いて黙りけり
目に入るところにおりて冬日和
一匹の猫と暮らして毛糸編む
魂が近づいてくる柚子湯かな
胃を撫でるスープが香りクリスマス
恋愛の途中マスクをしていたる
開演の時刻を待てるコートかな
*大阪教育大柏原キャンパスの満天星(ドウダンツツジ)。

2016年12月25日日曜日

香天集12月25日 橋爪隆子、加地弘子、坂原梢ほか

香天集12月25日 岡田耕治 選

橋爪隆子
カレンダーあと一枚の寒さかな
日向ぼこ乗り換え駅のベンチにて
吾が猫背輪郭にして冬籠
自らの影に温もり冬帽子
加地弘子
年渡るちりぢりのものかき集め
冬の月黙っていても見ているよ
口も手も出さずに正す冬の月
水仙花確りと咲く兆しにて
坂原 梢
合掌の姿を写し白障子
日脚伸ぶバスの一駅歩きけり
湯豆腐やあれこれそれが先に出て
着脹れてどこかに切符ひそみたる
北川柊斗
数式のほどけてきたり冬銀河
海底の岩戸を塞ぐ海鼠かな
熱燗やイタリア人が暖簾割り
極月や深々とゆく京の路地
古澤かおる
井戸水に鎌で根を切り葱の白
一口の白湯に始まり大晦日
農夫来て草の輝く冬田かな
安心の父の逝く道藪柑子
木村 朴
ストーブの満ちゆく赤を見つめおり
おだやかに神域をゆく冬の川
短日や外宮内宮つなぎたる
リアス式海岸の謎年つまる
永田 文
石仏を黄金に染め冬落暉
冬日差す木の根あまねく仏像に
猫さがすビラひらひらと十二月
猫うごくかすかな風よ昼炬燵
中辻武男
握る指開けば消えて雪蛍
年賀書く逝きたる人を惜しみつつ
冬蝶と植木をいじる日和かな
登校の友を誘いて息白し
西嶋豊子
笹百合や呉れたる人の今は亡く
秋日和歩ける事のしあわせよ
木枯や老猫を抱く一人の日

幼子の手にあり余る柿落葉
*昨日上六句会が行われたホテルアウィーナ大阪のエントランス。

2016年12月24日土曜日

深夜稿また紅梅にはげまされ 鈴木六林男

深夜稿また紅梅にはげまされ 鈴木六林男
 六林男師は、夕食後九時から十時頃に書斎に入り、明け方の四時から五時頃までそこで過ごされていました。「深夜稿」とは、俳句についての評論でしょうか、預かっている句集の序文でしょうか。六林男選の「花曜集」では、投句の中に判らない字や言葉があると徹底的に調べておられました。自分が執筆する時間に図書館が開いていないからと、大漢和辞典、大国語辞典など、何巻もの大きな辞書や全集を揃えておられました。
 「また紅梅にはげまされ」とは、そんな営みを続ける内に、時々外気に触れ、緑豊かな庭の紅梅に眼を休められたのだと思います。掲出句は、全句集の中でも晩年の作ですが、句集『櫻島』(一九七五年刊)には、
  夕月やわが紅梅のありどころ 六林男
という句があります。「わが紅梅」と呼ぶほどに、六林男師は紅梅を愛していたのです。
上本町シェラトン都ホテルのクリスマスツリー。

2016年12月23日金曜日

蟷螂の読んでゐるかのやうに居る ふけ としこ

蟷螂の読んでゐるかのやうに居る ふけ としこ
「船団」111号。特集は、「本が好き、言葉好き」。蟷螂(カマキリ)の横顔は、まさに読書しているように傾いています。まして、そのカマキリと目を合わす位置を取りますと、こちらの表情を読まれているようにさえ感じます。草花をよく見て、草花を愛する作者のまなざしは、蟷螂を捉えるときもこのように冴え冴えとしているのですね。
*大阪「千房」のお好み焼きと焼きそば。

2016年12月21日水曜日

小春日の終いに腹を割りにけり 花谷 清

小春日の終いに腹を割りにけり 花谷 清
「藍」12月号。「腹を割る」と大辞林を開きますと、「隠しだてをしないで本心を打ち明ける」と出ます。「小春日の」で軽く切れる感じで、その中でとうとう本心を打ち明けてしまった、と。打ち明けるつもりはなかったのですが、春のように明るいこの日差しの中で、ただ聴いてくれる人がいて、自ずと腹が割れてしまったようです。
*京都・嵐山「花のいえ」にて。

2016年12月20日火曜日

恩師みな骨格で立つ花野かな 宇多喜代子

恩師みな骨格で立つ花野かな 宇多喜代子
「俳句四季」1月号。日本芸術院賞受賞記念・特別作品40句から。『「筋肉」よりも「骨」を使え』(甲野善紀・松村卓)という本と出会って、昔のこの国の人々は骨格で立っていたのだと納得しました。以来、学生には骨格で立って授業をするよう呼びかけています。宇多さんの「恩師」は、きっとどなたも姿勢が良かった。それは、その先生の生き方、他者への対応の仕方に現れます。目の前の花野にそれらの方々が現れて、微笑んでおられるようです。


*姿勢について学生たちに説明する際の模造紙。

2016年12月19日月曜日

「六林男忌」12句 岡田耕治

六林男忌  岡田耕治

近づくや遥かになりし冬の海
黒板に子の字があふれ十二月
六林男忌や開くため眼を閉じている
ストーブを弁当箱が囲みけり
  金子敦さんへ
数え日の丁寧な文字届きたる
雑炊待つ袋の海苔をしわくちゃに
松葉蟹膝を交えて語りおり
目の中にもう一人いて冬温し
思い切り悲しんでいる懐手
本能が布団の上に目を覚ます
冬の蝶私の中にぶらさがり
冬薔薇選び直していたりけり
*金剛生駒紀泉国定公園。

2016年12月18日日曜日

香天集12月18日 石井冴、谷川すみれ、中村静子ほか

香天集12月18日 岡田耕治 選

石井 冴
愛の羽根つけてかんばせ重くする
空腹を満たす木の実が沈んでいる
冬菊の花粉を落とす父の上
ざっと数えて逆光の鴨の陣

谷川すみれ
葱坊主子どもはみんな出かけおり
国境を広げていたる黄砂かな
蕗の薹立ち上がりては海を見る
無精髭の兄の手の中蕗の薹

中村静子
いつまでも匂いを辿る秋の蝶
靴先に応えるように木の実落つ
洗顔を許されている菊の花
黒潮のひかりを集め石蕗の花

立花カズ子
晩照や桜紅葉の裏に居て
澄みきって紅葉一枚流れゆく
よく動く傘寿の姉の毛糸針
猫じゃらし風の吹くまま日のままに

竹村 都
柿なます白磁の皿の一点に
真っ直ぐに銀杏黄葉の道続く
蜜柑山と人に優しく迎えらる
蟷螂の玄関に来る力かな
*大阪・天満橋にて

2016年12月17日土曜日

冬鴉程よく人の後歩む 中嶋飛鳥

冬鴉程よく人の後歩む 中嶋飛鳥
 香天集12月4日。春から夏にかけての鴉は、近づくと怖いですが、秋になって落ち着き、冬になると静かに暮らしているように感じます。人の後をついて歩いているように見えるという捉え方に加え、「程よく」という極上の形容が効いています。冬は、鴉と人を仲良くさせてくれるようです。
*大阪府立八尾高校。

ハモニカ好きシュトーレン好きしぐれ好き 玉記 玉

ハモニカ好きシュトーレン好きしぐれ好き 玉記玉
 香天集12月4日。ハモニカの温もりのある音色を頭の中で再生します。そこには、パン生地を熟成させて作られたシンプルなシュトーレンが似合います。クリスマスが近づくと食べたくなるお菓子でもあります。そこに、しぐれが細かい音をたてて窓を濡らし始めました。「好き」の3連発の、この組み合わせに癒やされます。
写真
*シュトーレン。

メリーゴーランド父が見え母が見え 石井 冴

メリーゴーランド父が見え母が見え 石井冴
 香天集12月4日。幼い頃、メリーゴーランドに乗る私を父が見ていてくれた、母が見ていてくれた、その眼差しがよみがえってきます。こんなふうに見ていてくれるから、この自分はここまで成長できたのです。「父が見え母が見え」と、父と母が少し離れて感じられるところも、この句の味わいを深くしています。いい無季俳句が誕生しました。
*大教大柏原キャンパスの冬空。

林檎剥き話の筋の通り出す 加地弘子

林檎剥き話の筋の通り出す 加地弘子
 香天集12月4日。友だちとの対話でしょうか。本人は当然のこととして語らないところがあって、そのために何を言おうとしているのかが分からないことがあります。ちょっと気分転換に林檎を剥き始めました。たったそれだけなのに、話す角度が変わり、何を言いたいのか、筋が通ってきたのです。ていねいに剥いて食べる林檎の威力を感じる一句です。
京都嵐山の渡月橋。

2016年12月13日火曜日

「車椅子」15句 岡田耕治

車椅子 岡田耕治

マラソンを終えし無言のバスタオル
マフラーや中学生を沈めたる
履きにくく脱げにくい靴十二月
年を越す大牧広の五十句と
ひっそりとしている人の蜜柑かな
ワイパーが泣き続けたる冬の雨
読み継ぎぬ喪中葉書を差し込みて
湯で割りし麦焼酎の無限かな
子狐と判りはじめし会話かな
ガレージの暮らしが見えて冬の星
車椅子先頭にして開戦日
極月の路上が咥え車椅子
数え日やパラリンピックのメダル鳴る
何処まで行く外套の腕組み合いて
年鑑を読みはじめたる布団かな
大阪府立八尾高等学校の中庭。

2016年12月12日月曜日

ヒーターのしんどい音を聞いて寝る 土屋郷志

ヒーターのしんどい音を聞いて寝る 土屋郷志
『法螺』邑書林。ファンヒーターからシューシュー、コーコーという風を切るような音が聞こえてきます。その音が「しんどい」と感じるのは、教職にあった郷志さんならではの感性だと思います。ヒーターさん、あんたもしんどそうやね。いいよ、その音を出し続けることが楽なんだったら、一晩中出しておいで。私も、横になって今日のしんどさをたどることにするから。郷志さん、御出版おめでとうございます。
*京都・嵐山。

2016年12月11日日曜日

香天集12月11日 宮下揺子、羽畑貫治

香天集12月11日 岡田耕治 選

宮下揺子
焦点の合わぬ目の中石蕗の花
青空の競って獲りしみかんかな
無駄なものそぎ落としたる大花野
冬の夜形そのまま父の椅子

羽畑貫治
大津波避難勧告竈猫
芒穂の風にあおられ喚きおり
手招きに首を傾け寒雀

車椅子の眼の位置定め初詣


*京都・嵐山。

2016年12月9日金曜日

紅椿瞳となって見つめおり 津沢マサ子

紅椿瞳となって見つめおり 津沢マサ子
「俳句年鑑」2017。紅椿に相対して見つめていますと、紅椿から見つめられているように感じることがあります。よく私を見つけてくれましたね。しばらく愉しんでいってください。瞳になった紅椿からそんな声が聞こえてきます。そうなら、こちらも瞳だけになって見つめることにしましょう。
*シェラトン都ホテルのロビーにて。

2016年12月8日木曜日

背後よりマフラーの端掴まるる 金子 敦

背後よりマフラーの端掴まるる 金子 敦
「季刊芙蓉」110号・招待作品。後ろから呼び止められるかわりに、軽くマフラーを掴まれました。立ち止まって振り返ると、友人のいたずらっぽい笑顔がありました。「やあ、気がつかなかったよ」「そんなに急いで行くようないいところがあるんだ」と、目と目で言葉を交わしたあと、「じゃあ」「元気で」とそれぞれの目的地に向かっていく、そんな気安さと温もりのある作品です。
*松原市立布忍小学校。

2016年12月7日水曜日

山川草木悉皆帰還困難区 渡辺誠一郎

山川草木悉皆帰還困難区 渡辺誠一郎
「俳句」12月号。「山川草木悉皆成仏」とは、仏性が満ちているこの世界では、草木も成仏するはずだという仏教の言葉です。福島の帰還困難区域には、今も「山川草木」に放射能が満ちています。渡辺さんは、あえてこの仏教の言葉を援用して、その現実を言い止めました。

2016年12月6日火曜日

平成の喜劇が生まれ、消え、忘れ 筑紫磐井

平成の喜劇が生まれ、消え、忘れ 筑紫磐井
「俳句」12月号。平成の世に繰り広げられているのは、喜劇でしょうか、悲劇でしょうか。筑紫さんは「喜劇」とした上で、生まれては消え、しかも生まれたことも、消えてしまったことも忘れてしまうほどの愚かが繰り返されている、と。この過程そのものが「喜劇」なのだと捉えておられるのです。

*グランフロント大阪7階のナレッジスペース。

2016年12月5日月曜日

「抜け道」15句 岡田耕治

抜け道   岡田耕治

抜け道のはじめ明るき時雨かな
天上を走りはじめし冬の海
質問のあと人参を齧りけり
大理石ひと筋の血が走りたる
蹴散らして落ち葉の中を露わにす
輪郭の冬木に迎えられており
過ぎる人一気に増やす障子かな
縦軸にポール横軸に冬の草
視つめらる魚となりて十二月
鰭酒や胸の鼓動をはやくして
一つずつ湯豆腐を入れ飲まんとす
半分は覚えていたり薬喰
会話からはなれて甲羅酒を飲む
顔に当て石田波郷の夜泣蕎麦
潮の香を宿していたる寝酒かな
*天王寺阿倍野Hoopビル。

2016年12月4日日曜日

香天集12月4日 加地弘子、石井冴、玉記玉ほか

香天集12月4日 岡田耕治 選

加地弘子
新しき家族となりし樹氷かな
山茶花の白にある自負見守りぬ
冬日向いろいろありて隣り合う
林檎剥き話の筋の通り出す

石井冴
六林男の日熟柿と生らばしゃんとせよ
ひとの子がふいに現われ花ユッカ
回転木馬しだいにゆるやかに冬
メリーゴーランド父が見え母が見え

玉記玉
赤い実は夢の原型あかさたな
凍て滝に臍 にんげんしていますか
ハモニカ好き朱シュトーレン好きしぐれ好き
イワンの喧嘩裸木など愛し

中嶋  飛鳥
若冲の猫背を向ける今朝の冬
冬の水光る洛中洛外図
セーターの赤の力や手を拒む
冬鴉程よく人の後歩む

高橋もこ
確かさはどこを突いても海鼠なる
梟を正面に入れ家族写真
出だしから鶴と一緒に声を出す
大綿を繋ぎ止めたる男かな

橋爪隆子
ほこほことほくほくほくと栗の飯
イルカたち飛び交いそうな秋の空
あんパンの中の空洞冬ぬくし
揚りけり今日の売出しのカキフライ

釜田きよ子
ハーレーの隊列皇帝ダリアの前
平成を昭和で数え文化の日
山頭火になって木枯聞いており
有能な色に乾きし唐辛子

久堀博美
戦記読む皸薬生臭し
冬灯一つ明かるき在所かな
枯れながら蔓草のつる太りゆく
山茶花の闇ほんのりとふわふわと

澤本祐子
香天の句碑を訪う石蕗の花
時かけて花の形に蜜柑むく
ころがりし落葉に風の道生れ
冬に入る正倉院展終えてより

浅海紀代子
来し方を地図に辿りて秋の夜
聞き役に酸っぱい蜜柑積み上がる
幸せの端に連なり蜜柑食ぶ
一言を闇に宿して時雨来る

木村 朴
一着のドレスの歴史冬薔薇
神無月宝物館の仏たち
大樹には大樹の落葉嵩をなす
吾に即き峠を越える冬の月

大杉 衛
激流を抱え紅葉の静かなる
月光に重さありけり舟傾ぐ
木枯の過ぎゆく長き廊下かな
鯛焼の裏返るときの全力

浅野千代 
人間が生まれ世界は雪の宿
人間に倦む贅沢や竃猫
枯蔓を見て憂き人を思いけり
良い人を数える単位木の葉雨

安部礼子
冬の蝶淘汰の果ての眼を持ちぬ
冬の日暮れは天心を遠くする
焚火消すとき夢終はる匂ひして
隠されし目線の先の冬の鵙

羽畑貫治
紅葉山程よく火照り始めたる
枯芒ひれ伏して泣くことのあり
野鳩らが仲間に入り日向ぼこ
雪眼鏡ジーンズの脚長くして

村上青女
遠くなる鉄路の響き枯すすき
青鷺の思案している秋の水
うろこ雲空に大河をつくりたる
船に乗りあさぎまだらに会いに行く
*大阪教育大学天王寺キャンパス。昨日は俳句づくりの講座を開きました。

2016年12月3日土曜日

ワイパーの上に積もりぬ金木犀 今井 聖

ワイパーの上に積もりぬ金木犀 今井 聖
「俳句界」12月号。金木犀は庭木として育ちますので、自宅か友人宅に車を停めていたのでしょう。車に乗ろうとすると、ワイパーに金木犀が積もっています。この場所に車を停めてから今までの間の時間が、とても愛おしく感じられます。自分のための時間を過ごされたのでしょうか、自分にとって大切な人のために時間を使われたのでしょうか。
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。

2016年12月1日木曜日

枯野から来た顔をしてヤツとオレ 坪内稔典

枯野から来た顔をしてヤツとオレ 坪内稔典
「俳句四季」12月号。ヤツとオレが枯野から来たのではなく、ヤツもオレも枯野から来たような顔をしている、と。ああ、寒そうだな。ということは、このオレも寒そうに見えているのかな。お互いに歳を取ったもんだ。でも、アンタには枯野のどんなものが見えたんだい。オレは、枯れつくした草にあったかい日が射している、その曼荼羅模様なんかが気に入ったぜ。
*京都・糺の森。