2016年11月28日月曜日

「虎落笛」15句 岡田耕治

虎落笛  岡田耕治

好きなだけ音楽をかけ冬の空
潤目鰯微かに濡れて焼き上がる
生涯の句集が届き枇杷の花
桜鍋今日のことにて今日終わり
熱燗をはさみし爪の染まりけり
坐すことを喜びとして冬の草
混む列車止まったままの冬灯
辞書買いに出て白菜を買いにけり
出汁注いで静かになりしちゃんこ鍋
夜話のよく冷えているハイボール
もう少し飲みたいと言う虎落笛
ほぐしゆく釜揚饂飩生卵
セーターの中に笑顔を作りけり
半分は冷ましていたる太鼓焼
かなしみの形を保つ布団かな
*難波の行きつけの店にて。

2016年11月27日日曜日

香天集11月27日 谷川すみれ、中濱信子、橋本恵美子ほか

香天集11月27日 岡田耕治 選

谷川すみれ   香天集
深山を出てきてよりの冬日向
古井戸に映るものなし寒鴉
水仙は一輪が良し悲しみも
とどまれば走り始めし寒の月

中濱信子
秋高し文字の大きな文庫本
三輪車立て掛け釣瓶落しかな
湯殿にて無防備になるいぼむしり
人見知りする子の笑みや菊日和

橋本惠美子
炎昼の如雨露が流す赤い水
夏果てる新生物を捕獲して
月光やカーブミラーが捉えたる
返信の短く届き秋の風

坂原 梢 (10月)
コンバインさびしくなりて一隅に
さりげなく白粉花を点しけり
女子ばかり集まる幸や盆の月
鈴虫に近く一夜を過ごしたる

坂原 梢 (11月)
自販機のホット現れ秋の朝
秋の空誰も乗らないヘリコプター
行き場所のなくなってゆく吊し柿
青空や紅葉の中を踏みしめて

竹村 都
酔芙蓉昔話の弾みけり
秋草の名を一つ知る散歩かな
突然に鳥居現われ朝の霧
学校の団栗残る布鞄

永田 文
凄まじくなりし羽音の稲雀
入日受け焔となりぬ箒草
運動会空垂直の声届きたる
案山子ぬく穴深くしてそのままに

古澤かおる
ダリ展のチーズせんべい秋の虹
松手入して聡しさの並びけり
十一月汽水に暗き穴並ぶ
小春日の三人が坐す長座布団

越智小泉
身勝手はほどほどにして金木犀
ロボットに歩幅のありて初しぐれ
マイナンバー持ちて出歩く神の留守
声揺らし紅葉の中バス曲る
*昨日上六句会のあったホテル・アウィーナ大阪のエントランス。

2016年11月25日金曜日

汝に踏ますための団栗拾ひけり 中山奈々

汝に踏ますための団栗拾ひけり 中山奈々
「俳句四季」12月号。汝と呼ぶほどに親しい人、その人のために団栗を拾うことはあるでしょう。忙しくしている人なら、木の実降る森に行ってきたよ、と。しかし、目的は話の種ではなく、踏ませるためというところに、軽い驚きがあります。団栗を踏む遊びを懐かしむ心、生きた種を踏みつぶしてしまう残酷、そのようにしてしか遊べなくなってしまった関係などなど、さまざまなことを考えてしまうつくりになっています。奈々さん、好調ですね。
*大阪教育大学天王寺キャンパスの空。

2016年11月24日木曜日

誰からも遠い時間を木の実降る 塩野谷 仁

誰からも遠い時間を木の実降る 塩野谷 仁
「俳句四季」12月号。「誰からも遠い時間」という表現は、それだけでうつくしい詩です。誰からも遠いのは空間ですが、それが時間に置き換えられていますので、深まりと広がりが感じられます。誰からも遠い場所で、誰からも縛られない時間、その静けさを愉しむように、後から後から木の実が降って来るのです。
*大阪教育大学天王寺キャンパスの木々。

2016年11月23日水曜日

布団重たし風の渚をおもうとき 池田澄子

布団重たし風の渚をおもうとき 池田澄子
「俳句あるふぁ」12-1。このごろ、布団が重く感じられるのは、冬の布団に替えたからでしょうか。それとも、加齢のせいでしょうか。でも、布団に入りますと、取りあえず今日が終わってゆく安堵がやってきます。そんなとき、池田澄子さんは「風の渚」を想い浮かべました。「風の渚」というこの一語だけでも、様々なイメージの広がりをもつ詩です。布団は重く、この身も重くなってゆくけれども、私たちは、いつでも、どこからでも、自分の「風の渚」に出かけることができるのですね。
*大阪府岬町小島の渚。

2016年11月22日火曜日

わが机四肢ふんばつて秋深し 正木ゆう子

わが机四肢ふんばつて秋深し 正木ゆう子
「俳句あるふぁ」12-1。気をつけていても机には、どんどん物や本や紙が溜まっていきます。なかでも、もっともやっかいなのが、この私自身かもしれないと、そんな正木さんの声が聞こえてきそうです。しかし、机はものともせず、四肢をふんばつています。いや、机はそれらのものを静かに受け止めているようです。いつもきれいに片づかないけれども、その片付かない中から生まれる言葉が、秋を深めていくようです。

2016年11月21日月曜日

「封筒」15句 岡田耕治

封筒  岡田耕治

冬紅葉見るだけで良きひと日かな
駅に鳩鳩に冬日の集まりぬ
まなうらや冬日の赤を満たしいる
新しい手口が生まれ冬日和
大きめの冬物を着るかんばせよ
暮早しテールランプが詰まり出し
自筆年譜これから冬に入るところ
時雨傘雨粒をよく弾きたる
封筒を濡らさずに行く時雨かな
珈琲が瓦斯ストーブを薫りけり
一本の大根を当てに呑みはじむ
冬灯ことに視力を落としたる
星冴えて最上階のレストラン
冬の月はじめて言葉交わしけり
ゆっくりと揺れはじめたる冬の月
*大阪駅の北、グランフロント大阪。

2016年11月20日日曜日

香天集11月20日 玉記玉、北川柊斗、藤川美佐子、立花カズ子

香天集11月20日 岡田耕治 選

玉記 玉(10月)
水掻きの跡秋水のあとであり
座りたい石が水辺に小鳥来る
秋の日をぺたぺた金の鱗かな
火灯りてメタセコイアよ寒かろう

北川柊斗
地の力空の力や冬木立
白々と枯れゆく紫式部の実
くしゃみして思考リセットしておりぬ
抜きたれば踏ん張る力蕪にも

藤川美佐子
遠くまで平行にして柳散る
竹の竿二つに割れば秋の声
ひつじ田に宅地造成始まりぬ
静かなる香の中に菊枯れてゆく

立花カズ子 (10月)
落日の風あたらしく秋あかね
十六夜若き男子の北枕
夕映えのほのかに香り稲の花
海風のぼりて秋の千枚田

立花カズ子 (11月)
紅葉の渓から細き雨の降る
寺号受け継ぎ四百年の銀杏黄葉
錦秋や水の流れにつきそいぬ
残菊の白の乾きてなお匂う

〈選後随想〉
火灯りてメタセコイアよ寒かろう 玉記 玉
 メタセコイアは、旺盛な緑をつけて春から秋を突っ立っていますが、冬になると急に緑を失います。火灯し頃、木と枝だけになってしまったメタセコイアに、一層の寒さを感じます。「寒かろう」という呼びかけは、私たちに、そして、玉さん自身に返ってゆく温もりを帯びています。

くしゃみして思考リセットしておりぬ 北川柊斗
「咳をしても一人」と書いたのは尾崎放哉ですが、柊斗さんはくしゃみすることによって思考をリセットしました。長い俳句の歴史の中では、「くしゃみ」の代表句になるかも知れないと、選句していて感じました。大きなくしゃみの後は、それ以前とは違った自分になっているような感じがします。それを、美事に一句にしてくれました。
*大阪教育大学天王寺キャンパスの銀杏落葉。

2016年11月19日土曜日

八月が入りきらない母屋かな 岡村知昭

八月が入りきらない母屋かな 岡村知昭
『然るべく』人間★社。母屋には、本や衣類や箪笥や、何から何まで預かってもらっています。でも、八月というさまざまなことの詰まった月は、母屋には入り切りません。敗戦への思い、厚くなる新聞、先祖の霊、帰省する子や孫、夏休み中の子どもたちの声、さまざまなものが母屋に集まり、あふれ出しています。「八月」という抽象によって、色々なことが想い起こされました。御出版、おめでとうございます。
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。

2016年11月18日金曜日

月の出ややさしく死んでいる父と 森澤 程

月の出ややさしく死んでいる父と 森澤 程
『プレイ・オブ・カラー』ふらんす堂。夜空を少しずつ明るくして、月が昇ってきます。そのときに父のことを思い出したという通俗的な書き方ではなく、「やさしく死んでいる父と」それを視ているという、ある種、解放された書き方をされています。だから、父を思い出すのではなく、何時も父がこの身に眠って居るのだと感じられます。しかも、その父がやさしく死んでいるとは、なんと静かな表現でしょうか。
*大阪教育大の柏原キャンパスの紅葉。

2016年11月17日木曜日

たましひの明るくありぬ枯木山 宗田安正

たましひの明るくありぬ枯木山 宗田安正
句集『巨人』沖積舎。紅葉を失ってしまった木木は、まっすぐに冬空に伸びています。冬空は春や夏や、まして秋に比べますと、明るくはありません。しかし、そこに伸びて行く枝枝を背筋を正して見ていますと、自らのたましいが浄化されていくように感じます。新しく編まれた『巨人』に加え、これまでの『個室』『巨眼抄』『百塔』を収める全句集に匹敵する一巻。これによって、作者の静かな息遣いの中にある胎動を、素早く味わえるようになりました。

2016年11月16日水曜日

流されるために生まれし雛の顔 高野ムツオ

流されるために生まれし雛の顔 高野ムツオ
『片翅』邑書林。東北大震災の以前にこの句を読むのと、以後に読むのとでは、全く違う受け止めになるでしょう。以前であれば、そこまで書かなくともと感じたかもしれませんが、今はそれぞれの雛の顔は、やがて流される運命にあるという現実が、せつせつと伝わってきます。私たちは、消費するための溢れる情報に曝されていて、どんどん違う場所へ移っていきます。しかし、『片翅』という句集は、生死を見つめる原点を確かにしてくれています。こんな句集が誕生したことを、喜びたいと思います。
*岬町小島の海。流し雛の加太神社を望むことができます。

2016年11月15日火曜日

「薬箱」15句 岡田耕治

薬箱 岡田耕治

冬に入る富山の赤い薬箱
立冬のスーツケースを鳴らし閉ず
冬の空遠くから来て帰りけり
紅茶から始まる冬の物語
何もかも自転車を漕ぐ息白し
目を合わす梟の首止まりては
猫の声で呼ばれていたる障子かな
初時雨動物園を渡りけり
聴くための目をつむりたる初時雨
新しい名前で呼ばれ竈猫
よく転ぶ人と歩きて冬ぬくし
行き付けの書店失い日短し
湯に入りて米焼酎の対流す
一切れの最後の鰤が光りけり
よきことに意識を向ける寝酒かな
*京都、糺の森。

2016年11月13日日曜日

香天集11月13日 宮下揺子、中村静子、中辻武男

香天集11月13日 岡田耕治 選

宮下揺子
細胞の60兆個に秋茄子
邯鄲を聞けり睡眠導入剤
水引の花地球儀にピンをさす
秋の日やピアノから森匂い立ち

中村静子
擦れ違う法衣の匂う十三夜
黒猫がしきりに舐める露時雨
しばらくは渦を出られぬ桐一葉
相席のすぐに馴染みて走り蕎麦

中辻武男
木犀の香に蘇る余生かな
石榴裂け明るくなりし通学路
曾孫の十指愛らし新松子
師の句碑が静かに語り紅葉寺

【選後随想】
秋の日やピアノから森匂い立ち 宮下揺子
 秋の強い日差しがピアノに当たっています。リビングルームでしょうか、ホテルのレストランでしょうか。ピアノは然様に室内に置かれることが多いのですが、そこから森が匂い立っているのです。「森」は、女性原理であり、理性や知性の外にあるものを表すと言われます。豊かな幻想世界が、ピアノの黒から始まろうとしているのです。揺子さん、好調ですね。

種無しに種の痕有り富有柿   久堀博美
 11月6日分。富有柿を剥いて、確かに種はないけれども、種があった部位にかすかに種の形が残っています。それを博美さんは、「痕」と捉えました。この捉え方は、私たちがどんどん便利に、どんどん食べやすく、暮らしやすくしようとしてきたことの「痕」なのではないかと感じさせてくれます。よくモノを視ることによって、いい俳句が生まれるのですね。

十分に優しく生きて古暦    高橋もこ
 11月6日分。家族に、周囲にさまざま気を遣いながら暮らしてきたこの一年、ふっと出てきた言葉が「十分に優しく生きて」というフレーズでした。もこさんに降るようにやってきたそのフレーズは、今年一年使い込んできた一冊の手帳から生まれました。「この一年、よくやったね」と、自分で自分に声をかける、そんな日もあっていいと感じさせてくれる一句です。
*岬町の海辺に咲いた花々。

2016年11月12日土曜日

初しぐれ睫毛に鼻に胸奥に 高野ムツオ

初しぐれ睫毛に鼻に胸奥に 高野ムツオ
句集『片翅』邑書林。立冬から時雨にあいましたので、いつくか初時雨の句を作りました。睫(まつ)毛にまず受けて、それが呼吸する鼻へと及ぶことに共感を覚える間もなく、「胸奥に」で止めをさされました。それほど「初しぐれ」を受け止めようとされている、ということは、今こうして生きてあることを受け止めようとされている、そのように感じます。東北大震災以後、2012年から1年、1年と深まってゆく生と死の刻印が、一巻に結ばれています。御出版、おめでとうございます。
*大阪教育大柏原キャンパスの紅葉。

2016年11月11日金曜日

敷き詰めしやうに貝殻涼新た ふけとしこ

敷き詰めしやうに貝殻涼新た ふけとしこ
「俳句四季」11月号。貝殻を敷き詰めたのではなく、敷き詰めたように貝殻が海辺に打ち上がっています。波が寄せ、波が引くその水際の音に、貝殻たちの音も混じって聞こえてくるようです。その音が、ああ秋になったなと感じさせてくれたのです。ふけさんには、俳句の仲間だけでなく、ただ草花をめでる仲間がいるとうかがいました。そんな仲間とふけさんの声が聞こえてくるような一句です。
岬町小島の海です。

2016年11月10日木曜日

焚火の輪おのずからなる隔たりに 花谷 清

焚火の輪おのずからなる隔たりに 花谷 清
「俳句四季」11月号。漁師町に育ちましたので、冬の時化た日など、浜でよく焚火を囲む漁師の姿がありました。会話していることもありますが、黙って焚火を囲みながら海を見ています。火を囲んでいるのに隔たっている、その隔たりは、互いを侵すことのない距離や位置を取っているのです。だからでしょう、一人が加わると焚火の輪は少し広がりました。
*岬町小島の海岸線。

2016年11月9日水曜日

ふところに冬林檎あり出し齧る 小澤 實

ふところに冬林檎あり出し齧る 小澤 實
「俳句四季」11月号。ふところに林檎を入れてあるのは、どこか心細いからでしょうか。電気でも、水でも何時止まっても不思議ではない社会に、私たちは生きています。まして、冬に入ってきました。その林檎をふところにしのばせているだけでなく、「出し齧る」というリアルな動作で一句は括られています。この動作によって、それでも毎日を生きて行かざるを得ない、人間の哀しみと温もりが伝わってきます。
*阿倍野ハルカスから空を見上げました。

2016年11月8日火曜日

金木犀ひとめぐりして再会す 津高里永子

金木犀ひとめぐりして再会す 津高里永子
「小熊座」11月号。ああ金木犀が咲き匂っているなと、その存在を認めました。「ひとめぐり」というのは、その周辺を回ったと取れますが、一年が経ったとも取れます。10月に誕生日を迎える友人は、いつも誕生日の頃に金木犀が香ってくるのに、今年はまだだと話していました。それほどに金木犀には、「再会」という言葉が似合います。
*昨日出張で出かけた東京都三鷹市の公園。

2016年11月7日月曜日

「冬支度」12句 岡田耕治

冬支度 岡田耕治

秋の水腹に届かすように呑み
秋惜しむ二時間ほどの旅をして
後ろ手が静かに閉じて月明り
忙しくしている人の葡萄かな
鉄橋を音立てて行く秋灯
新聞を引き裂いている冬支度
水を飲むことにはじまり茸狩
いくたびも漆紅葉を潜りけり
火恋し歩いて帰ることにする
イヤホンを着ける人増え冬隣
八宝の椎茸として戻りけり
かりんの実考えごとをしていたる
*大阪市内のシェラトン都ホテルのエントランス。

2016年11月6日日曜日

香天集11月6日 久堀博美、高橋もこ、中嶋飛鳥ほか

香天集11月6日 岡田耕治 選

久堀博美
ひつじ田の歪んできたる平行線
種無しに種の痕有り富有柿
剥く前の蜜柑の艶を論じけり
柚子風呂に浸りすべては過ぎしこと

高橋もこ
先端がとがり冬芽になる途中
十分に優しく生きて古暦
白昼を大股でくる梟よ
まな板にのりそこねたる海鼠かな

中嶋飛鳥
喝采に似て倒木の菌どち
林檎齧る弟の剥きくれしを
あろうことか野うさぎが二の足を踏む
山盛りの蜜柑は小ぶり話し込む

今川靜香
秋空に混ぜて絵具の月の色
秋日向光るものみな磨きたし
ねんごろに銀器を磨き蚯蚓鳴く
ヘルメット被る案山子の斜めなる

前塚嘉一
腰痛の治まっている柿落葉
鰯焼く敗北力というがあり
銀杏落葉手品師例う唄歌う
それぞれが名札をつけて秋明菊
(森本恵子さんのお庭の前にて)

森谷一成
定年の朝のおらびの駅に居る
懐にジュリヤン・ソレル退職す
細道のそびらに釣瓶落しかな
草の穂の夕暮れ白き手に愛撫

浅野千代 
どの記憶より鮮やかな今や冷ゆ
天高し見つからぬほど小さきもの
忙しき人羨みて秋の虻
置き去りの退屈の底鳥威

大杉 衛
どんぐりを真横に並べ数えけり
純白の琺瑯質や月渡る
夕映えて野菊の場所に戻りけり
澄みにけり竜宮見える水族館

小崎ひろ子
川底に沈みてすがし羅生門
流路から運河へ月の離れゆく
佐保姫の名を付す川に歌碑数多
飼われたる目高の群れに会いしこと

羽畑貫治
堂堂と地虫の鳴いて過疎の里
天の底抜けて水攻め敬老の日
地面まで膝が曲がらず牛蒡引く
筋肉を鍛えていたり帰り花
*岬町小島の海岸、冬が近づいてきました。

大阪教育大学公開講座「子どもと学ぶ俳句づくり」


大阪教育大学の公開講座「子どもと学ぶ俳句づくり」がスタートしました。第1講の昨日は、岬町立深日小学校の子どもたちの俳句を紹介しながら、俳句の仕立て方、俳句の作り方を講義しました。その後、「香天」同人の石井冴さん、谷川すみれさんに手伝っていただいて、参加された皆さんが俳句づくりにトライされました。いい句がたくさん生まれました。写真は、講義に使ったスライドです。

2016年11月3日木曜日

どこにもない電話ボックス秋の暮 仲寒蝉

どこにもない電話ボックス秋の暮 仲寒蝉
「里」11月号。携帯電話を持たないまま出かけてしまったことがあります。駅まで来て取りに帰ろうかと思いましたが、まあいいかとそのまま出向きました。ところが、その日は大切な連絡を入れることも、家に何時に帰るということも、一切できません。そう、電話ボックスをはじめ、公衆電話というものが無いのです。一句は、家から電話できない恋人に、電話ボックスから電話をかけた、そんな若い日の夕暮れを思い返させてくれます。でも、これほどの格差社会、携帯を持つことのできない若い恋人たちは、どのように声を交わし合うのでようか。
*出張で出かけた京都市内の夕景です。

2016年11月2日水曜日

歩みても歩みても稲ふるさとは 砂山恵子

歩みても歩みても稲ふるさとは 砂山恵子
「100年俳句計画」9月号。いちめんに稲が実り、その中をどこまでも歩いていきます。「稲」という切り方が強いので、「ふるさとは」というフレーズが回想のように響いてきます。そう、ここでは幼い作者が、稲と稲の間をその香りを胸に満たしながら歩いているのです。どんな場所へもどんな時間へも出かけてゆける、俳句ならではのシーンです。「100年俳句計画」こんな素敵なマガジンがあったのですね。
*泉佐野市内の稲穂です。

2016年11月1日火曜日

「六林男の字」 15句 岡田耕治

六林男の字  岡田耕治

  鈴木六林男作品展三句
六林男の字金木犀の香を放ち
二つずつまなこを開き秋の水
草の花浮かべていたるガラスかな
後の月運動靴の集まれる
七輪の初めは茸だけを載せ
火を囲む頬を見せ合い星月夜
秋の雲駝鳥の後ろ姿して
秋の水蔵していたる骨身かな
じゃんけんに勝つ子から取りふかし藷
酸っぱいと口の林檎が薫りけり
  鳥取五句
少しずつ動く地盤に木の実降る
大山が守っていたる稲穂かな
行く秋をブルーシートが包みけり
辣韮をしずめていたる水の秋
濁酒重い鞄と向かい合い
*鳥取駅前のモニュメント。10月26日の夜に鳥取に入りました。