流されるために生まれし雛の顔 高野ムツオ
『片翅』邑書林。東北大震災の以前にこの句を読むのと、以後に読むのとでは、全く違う受け止めになるでしょう。以前であれば、そこまで書かなくともと感じたかもしれませんが、今はそれぞれの雛の顔は、やがて流される運命にあるという現実が、せつせつと伝わってきます。私たちは、消費するための溢れる情報に曝されていて、どんどん違う場所へ移っていきます。しかし、『片翅』という句集は、生死を見つめる原点を確かにしてくれています。こんな句集が誕生したことを、喜びたいと思います。
*岬町小島の海。流し雛の加太神社を望むことができます。
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