2017年3月29日水曜日

「直線」12句 岡田耕治

「直線」 岡田耕治

顔中に巻き付いてくる蝌蚪の紐
たんぽぽが先に現れ分譲地
それからは春思の脳に任せおく
つちふるや一対一で話すこと
腰骨が許されている春の芝
陸橋を渡る雲雀に近づきて
啓蟄の遠くから来て帰る人
若布干す蓆の熱を畳みけり
直線を走る男のいかのぼり
春休見えるところを拡げおく
閉じたまま開いていたる初蝶よ
ヒヤシンス体温ほどに温もりぬ
水中を消え残りたる遅日かな
*泉佐野市犬鳴山。

2017年3月28日火曜日

句集『日脚』を出版しました


この度、邑書林から第二句集『日脚』を出版しました。20年の期間を俳句と実業の関係で次の4期に分けて構成しています。(1)「花曜」編集長時代(大阪府教育委員会委事務局)(2)「光芒」同人時代(岬町教育委員会事務局)(3)「香天」代表(岬中学校長)(4)「香天」代表(深日小学校長)。
それぞれの時代の代表句を一つずつ。
 一片も散らぬときくる桜かな
 荒天なお水仙として集まりぬ
 八月の音立てて裂くカレンダー
 蛍籠外にも蛍ついてくる

句集『日脚』

野に咲く一輪の花に和し、
小さな生き物に息を合わせ、
人として伝え続けるべき言葉を紡ぐ。
耕治俳句に円熟期の静かな眼差しが光る!

前句集『学校』以来20年ぶり
1996年1月より2014年3月までの
465句を纏めあげ、満を持して世に問う!
栞文より

 
 第1章「先生」は、一九九六年一月~二〇〇四年一二月まで。「花曜」編集長 として、鈴木六林男師の近くにあって同誌を編集しながら俳句と向き合った時期の作品である。「鈴木六林男に代わって『花躍』を編むこと」というミッションは、否応なく私を育ててくれた。「花曜」の読者は、俳人だけでなく、詩人や作家、思想家など多岐に渡っていたので、その方々との出会いや交信は、今も私の財産となっている。
岡田耕治・・・・・「後記」より

 
○帯より「集中十句」

 一片も散らぬときくる桜かな

 死者として生きはじめたる山茶花よ

 荒天なお水仙として集まりぬ

 春立ちぬ綺麗なふくらはぎのため

 梅雨のガマ伝えるためにここに立つ

 八月の音立てて裂くカレンダー

 一瞬に払い落とさん春の雪

 蛍籠外にも蛍ついてくる

 油虫片方の羽収まらぬ

 広島の銀杏黄葉として黙る



○発行所

 邑書林 (定価 2,200円+税)

◆句集『日脚』: 岡田耕治(おかだ・こうじ)

2017年3月27日月曜日

講演「鈴木六林男 人と作品」 岡田耕治


3月25日(土)午後から大阪俳句史研究会が伊丹市の柿衞文庫で開催され、「鈴木六林男 人と作品」というタイトルで講演いたしました。詳細は、「俳句史研究」に掲載されますが、冒頭の部分だけ。
〈私は1995年から2005年まで、鈴木六林男を代表とする「花曜」の編集長を務めました。俳句誌の編集といいますと、主宰や代表が内容に深く関わりますが、六林男師は「鈴木六林男に代わって本誌を編むこと」とおっしゃり、全面的に任せてくださいました。絶えず緊張感をもって毎月の誌面をつくって行きましたが、この10年間で、一度だけ六林男師に叱られたことがあります。それは、……〉
このあと、六林男師の11冊の句集を辿ることを横軸とし、写真の「鈴木六林男の技術」6点を縦軸として、内容を構成しました。六林男師の二人のご息女をはじめ、「香天」の皆さんが参加してくださいましたので、50人ほどの研究会となりました。大阪俳句史研究会の皆さんに感謝します。

2017年3月26日日曜日

香天集3月26日 谷川すみれ、石井冴、加地弘子ほか

香天集3月26日 岡田耕治 選

谷川すみれ
にんげんはにんげんが好き雲の峰
匂い合うようあめんぼの子どもたち
そろそろ帰ろうと噴水に指
繍線菊のこの世を過ぎる濃くなりて

石井 冴
どこにでも鴉は居たり春休み
楽楽とロープで吊るす春の家
苗木百本人に短き春日かな
オランウータン一対一なら春思

加地弘子
ちゃんちゃんこ今日は私が着ておりぬ
春雪の相合傘の老いてゆく
よくあたるボールのありて沈丁花
山桜昔話はいやですか

橋爪隆子
下萌の駆け出して来るベビー靴
春の辞書電池換えよと命じたけり
意地通す程に降りくる春の雪
アザレアやビンゴゲームで落としたる

中濱信子
十まりの二輪を選び冬薔薇
啓蟄や解けぬパズルの四字熟語
春の雨しっとり重きカステイラ
折鶴に吹き込む息のあたたかし

藤川美佐子
雑木の芽ピエロの形していたる
どの窓も春の光のパトロール
春の宵隣の席にもう一人
傷口にやさしさしみるすみれ草

木村博昭
異国語を聞きつつ育ち牡丹の芽
亀鳴くや喉の詰りを引き受けて
のどけしや闇より覗く三の丸
ジーンズが十二単の野を駈ける

北川柊斗
恋猫や洛中ことに華やぎて
切立の石垣見上げ西東忌
啓蟄のしじまをピーと鳴くケトル
春の闇ぬつと獣の匂ひして

安部礼子
初蝶来デジャビュとなりし陽のかけら
初蝶来心に翅の欲しきとき
高き風渡り卒業子を送る
花びらを集めておんな姥となる

立花カズ子
満開の梅に逸れたる散歩かな
雛納めあと十回は逢いたいね
白木蓮一本残し売家に
早朝や満開の花一人占め

古澤かおる
プリムラの鉢に変わりて眼鏡店
春宵の嵩む冷凍ごはんかな
首塚の後ろから吹く春の風
耕して山の交信始まりぬ

中辻武男
喉にある風邪のかけらの気にかかる
老いてなお美し朝の寒桜
雛納め母が少女に諭すなり
坊ちゃんの出で湯に浮かび春の旅

永田 文
電卓に数字が点り鳥交る
空映す仔馬の眸走りけり
鳥の声ちりばめてあり桃の花
桃の花丈低くして空の青

村上青女
雀卓に老いたる笑い春を呼ぶ
ひな寿司に歓声上がる老人会
春浅し小さき人に会いに行く
先駆けの新緑にして沖縄島
*上六句会会場のホテルに活けられた桜。

2017年3月25日土曜日

酌む酒の辛さを笑ふ山笑ふ 中山奈々

酌む酒の辛さを笑ふ山笑ふ 中山奈々
「セレネッラ」第11号。秋鹿酒造にかつて「烈」という超辛口の酒がありました。(現在は、「秋鹿 超辛口 純米吟醸」として販売)口に入れたとたん、強く当たってからすっと消えていくような古酒でした。一升瓶を提げて、花の下にでも蓆をひいて、数人で飲み始めますと、「なんやこの飲み口は!」と言い合うことになって、山も笑い出します。
*金剛生駒紀泉国定公園から大阪市内を望みました。

2017年3月24日金曜日

紙コップ微かに凹み水温む 金子 敦

紙コップ微かに凹み水温む 金子 敦
「セレネッラ」第11号。紙コップは、大勢が集ったり、戸外に出たりするときに使います。人が集まり、出かけることの弾みが、紙コップにはあります。そのコップが微かに凹んでいるのは、そんな弾む時間が経過していることの象徴でしょう。水温む季節のにぎやかな会話が聞こえてくる一句です。
*昨日行われた「香天」上六句会のホテルの生け花。

2017年3月21日火曜日

皿皿皿皿皿血皿皿皿皿 関 悦史

皿皿皿皿皿血皿皿皿皿 関 悦史
「俳句α」4-5月号。雑誌では縦に並んでいますので、なんだこの句は皿ばっかり並んでいる、と。よく見ると、一つだけ血になっています。皿だけが重なっているのですが、そこに一筋の血が走っています。この一字のチカラが、全体を引き締め、この時代の空気を象徴しているように感じます。岬町の句会で読み上げると、「血がサラサラなのかと思いました」と。「なるほど、音だけだとそうも聞こえるのですね」。「季語がありませんね」、「そうですね。入る余地がなかったのでしょうね」。
*天王寺レストランテ・ベツジンの皿。

2017年3月20日月曜日

「温もりの匂い」15句 岡田耕治

温もりの匂い  岡田耕治

沈黙を恐れないよう春苺
春の眠り記憶をずらし始めたる
  寝屋川市立第一中学校二句
壇上の正面を向き卒業す
ひたむきに声を重ねて卒業歌
四月はや手帳のあちらこちらに来
何時もより遅れ耕し始めけり
一本の水を分け合い朧の夜
若布干す前の洗濯挟鳴る
朝風呂の半身浴の初音かな
石窯を出るビザ蒲公英を添えて
別人に見えるアングル燕来る
春コート預けスパークリングワイン
蛇穴を出る温もりの匂いして
試写会の腹ごしらえの鶯餅
聴くことの上手な人と花を待つ
*泉佐野市内の駐車場にて。

2017年3月19日日曜日

拾はれず踏まれず黒き皮手袋 津川絵理子

拾はれず踏まれず黒き皮手袋 津川絵理子
「俳句α」4-5月号。道に皮の手袋が落ちています。黒く、生々しくくそこにあります。片方だけなので、きっと困っているだろうな。もしかすると、ここへ取りに来るかもしれないと、そんなことを思いながら往きました。ところが、復りにも手袋はそのままそこにあるではありませんか。誰にも拾われないで、もちろん踏みつけもされずに、持ち主の手の形をたたえて。
*岬町の識字学級にて。

2017年3月18日土曜日

澄む水のやうに忘れてしまひけり 山田佳乃

澄む水のやうに忘れてしまひけり 山田佳乃
「俳句α」4-5月号。目の前の水はどこまでも澄んでいます。この水のように、何もかも忘れて、ただ青空を映していたい。そう感じさせるのは、忘れられないことがあまりにも多いからでしょうか。何もかも忘れてしまうことの未来にむかって書く、俳句はこんな書き方もできるのですね。
*大阪教育大学柏原キャンパスから空を。

2017年3月17日金曜日

生きてゐる冬の泉を聴くために 杉山久子

生きてゐる冬の泉を聴くために 杉山久子
「俳句α」4-5月号。人が生きるには目的が必要でしょうか。もしどうしても必要であるなら、例えば冬の泉から静かに聞こえてくる水の音を聴く、そのために生きているとしてはどうでしょう。そんな取るに足らないことをと思われる方もおられるでしょう。でも、そんな生き方もあるんですねとふっと心をゆるめてくれる方も、きっとおられることでしょう。
*天王寺「ベツジン」のデザート。暗緑色は、乾燥させた桜の葉。

2017年3月16日木曜日

運動会静かな廊下歩きをり 岡田由季

運動会静かな廊下歩きをり 岡田由季
「俳句α」4-5月号。グランドで行われている運動会は、声援や音楽や太鼓などなど、それは賑やかです。一方、校舎に入りますと、しずまりかえっています。九月の強い日差しからのがれて、ひととき廊下の静寂をたのしむ。きっとこのひとときが、また日差しの中の運動会に参加するチカラになるにちがいありません。
*関西エアポート・ワシントンホテル。

2017年3月13日月曜日

「一輪車」12句 岡田耕治

一輪車 岡田耕治

恋猫や静かな距離を離れたる
夏蜜柑六つを提げて会いに来る
理容師の話の続くしゃぼん玉
早く帰る人波に居て春の月
石像にまたがっている朧かな
風光る拡大鏡を携えて
春の雪ぬらついてくる現場にて
覚めるほど失っている春の夢
一輪車遺り三月十一日
蕗の薹先師の言葉刺さりたる
重量の加わっている春の海
明日からのことを覚える桜かな
*天王寺リストランテ・ベツジン。

2017年3月12日日曜日

香天集3月12日 中村静子、三好つや子、岡田ヨシ子

香天集3月12日 岡田耕治 選

中村静子
頭から飛び出して来る恋の猫
足跡のじぐざぐ光る春の雪
春一番たちまち川の濁りけり
点る灯の中に振り込む木の芽雨

三好つや子
卵の殻屋台に増やし涅槃西風
きさらぎの木の芽ドレミの匂いする
淹れたての炭焼コーヒー笹鳴けり
遠く来て駅の出窓の立雛

岡田ヨシ子
白梅の香り新たに鳥の声
雲ちぎれ鴉飛び交う春の海
若布刈る一人の潜り見ていたる
何をしても疲れの取れず春の月

【選後随想】
頭から飛び出して来る恋の猫 中村静子
 恋猫が声を出しながら飛び出してきました。もちろん、頭から飛び出したのですが、あえてこう書かれたところが面白いと思います。「頭から」には、初めからといった意味もあり、恋猫の出現を切っ掛けに何かが始まる予感をはらんでいます。

遠く来て駅の出窓の立雛 三好つや子

 雛は家に飾るものですから、在所の空気や人間関係の中に現れます。ところが、旅をして降り立った駅の出窓にその雛は飾られていました。しかも、立ち姿の雛ですから、新鮮な空気が辺りに漂っています。こんな旅をしてみたい、そう思わせてくれる一句です。

白梅の香り新たに鳥の声 岡田ヨシ子
 白梅に近づきますと、まずその香りに包まれます。しだいにその場に慣れていきますが、チッチッチッという鳥の声が、その香りをまた新たにしてくれました。
*大阪府阪南市にて。

2017年3月11日土曜日

揚ひばり血が止まるまでしやぶる指 山田露結

揚ひばり血が止まるまでしやぶる指 山田露結
「俳句」3月号。新しい段ボールを抱えていて、指を切ったことがあります。思ったよりも傷口が深かったようで、血が指を染めています。それをしゃぶって様子を見ましたが、同じように血が滲んできます。出先ですから、この血が止まるまで指を吸い続けなければなりません。見上げますと、ひばりが空高く舞い上がってピーチュルと鳴きはじめました。ひばりも、やがてはこの空から落ちてくるのでしょうが、しばらくはこの血のように止まらない勢いです。
*大阪教育大学柏原キャンパス図書館棟。

2017年3月10日金曜日

可愛いと言はれ可愛くなる子猫 ラスカル

可愛いと言はれ可愛くなる子猫 ラスカル(金子敦)
「丘ふみ游俳倶楽部」150号発刊記念句集。子猫を抱いていますと、人ごとに「可愛い」と声をかけてくれます。気のせいか、その度にこの子は可愛くなっていくようです。いや気のせいなんかじゃなく、「可愛い」という声が、その表情が、この子を安心させてくれるのでしょう。生まれて来てよかったのだと、生きていることはこんなに温かいことなんだと。だから可愛くなってゆけるのです。敦さんの題字、中島葱男さんのデザインで、すてきな記念句集が誕生しました。
*大阪府阪南市内の施設にて。

2017年3月9日木曜日

心臓がふくらんでゆく白子干 岡田史乃

心臓がふくらんでゆく白子干 岡田史乃
「俳句」3月号。どんな小さな生き物にも心臓はあります。いちめんに白子が日光の中に干されている光景は、のどかではありますが、白子にとっては死を意味するのですね。この光景から作者は心臓へと視線をフォーカスすることによって、ためらいを消してくれました。そう、私たちは日を受けてふくらんだ心臓をいただくのだと。
*富山大学図書館。

恋多き頃のマフラー締めてみむ 浅井陽子

恋多き頃のマフラー締めてみむ 浅井陽子
「鳳」19号。クローゼットには、捨てずにあるマフラーが何本もあります。他の衣類は、入れ替えていくのですが、マフラーだけは溜まる一方です。なぜそうなるのかが分かりませんでしただ、この句を読んで、なるほどそうかも知れないと思い当たりました。マフラーは、たぶん過去の記憶ではなく、未来への希望につながっているのではないかということです。「恋多き頃のマフラー」を締めるということは、その頃のことを思い出すということよりも、むしろその恋の中にもう一度生き直そうとする弾みが感じられます。だから、わがクローゼットの片隅に、マフラーが増殖してしまうにちがいないのです。
*回転寿司発祥の地、富山の白エビ。

2017年3月7日火曜日

老木の半人前の芽ぶきかな 加地弘子

老木の半人前の芽ぶきかな 加地弘子
香天集3月5日。老木に緑の芽が生まれました。それはたった一つで、しかも弱々しい感じがします。そう「半人前」なのです。でも、確かに芽吹いてこの春を喜んでいるようです。「半人前でもいいじゃないの」そんな弘子さんの声が聞こえてくる一句です。
*富山大学五幅キャンパス。

2017年3月6日月曜日

これは鎖骨これは肩紐水温む 玉記 玉

これは鎖骨これは肩紐水温む 玉記 玉
「香天集」3月5日。「これは鎖骨これは肩紐」とは、自分の身体や身につけているものを確かめているところでしょう。このなんとも言えないていねいさが、「水温む」という季語とあいまって、静かな希望を感じさせてくれます。玉さん、このように自分を確かめることによって、誰かに自分の思いを届けようという気持ちがわいてくるのですね。
*富山駅前。

2017年3月5日日曜日

香天集3月5日 玉記玉、加地弘子、久堀博美ほか

香天集3月5日 岡田耕治 選

玉記 玉
糞の白とりの瑠璃いろ春立ちぬ
全員がずっと横向いて菫
陽炎の橋を渡りてより地べた
これは鎖骨これは肩紐水温む

加地弘子
風花に一回転の隣の子
息白し軽く一周して来たと
出せば降り入れれば止みぬ春の雨
老木の半人前の芽ぶきかな

久堀博美
花種選るひとりは筆を走らせて
何探しいるのか忘れ春の月
いちご盛る十人分のヨーグルト
いちどきに鳥の羽音やきゃべつ畑

橋本惠美子 (三月)
糸遊や回覧板の小走りに
雛壇の下から覗く機関銃
雛飾る十年余り閉じ込めた
牡丹雪資格はどれも紙になり

宮下揺子
ローマ字のエンドロールに春立ちぬ
「沈黙」の50年後の冬の涛
冬木の芽見えぬ天上蹴りあげて
極寒のなかのラスコーリニコフの背

釜田きよ子
雪女苦労は顔に出さずして
猫柳水を甘しと思いけり
たましいを遊ばせており浮寝鳥
湯気のものすべて馳走の二月かな

三好つや子
春立つや舳のような靴の反り
きさらぎの木の芽ドレミの匂いする
淹れたての炭焼コーヒー笹鳴けり
遠く来て駅の出窓の立雛

浅野千代
ピンで留められ初蝶の美しき
遠足の日を待つ足に指十本
夕永し少し遠くにフラミンゴ
一人子の寂しき宇宙かぎろえる

坂原 梢
如月やフロントガラスのおもてうら
踏切りの前の野地蔵黄水仙
ひろびろと誰も踏まない犬ふぐり
薄氷を割り未知数の現れる

浅海紀代子 (二月)
鬼よりも人恐ろしき追儺かな
鉛筆の芯を尖らし春隣
訪う家の梅の香をくぐりけり
碁盤のみ坐らせており春の闇

森谷一成
半球の南も二月語り部よ
目論んで晒す二月のまぶしさに
紅梅や飛行機はくちづけを遂げ
寿の字面のように梅のそら

中濱信子
女正月予定の狂う電話あり
毛糸編み混ぜる現在過去未来
霜柱踏んではじまる一日かな
柊挿す祖父と二人の昔あり

浅海紀代子 (一月)
シャンソンを口遊みおり着ぶくれて
冬木の芽親の歳月続きおり
猫の来て薬売り来て冬日向
綾取りに母の指入る春隣

越智小泉
学童を目がけて霰降ってくる
春潮の洗う礁や見て飽きず
風呼んで山焼の焔の猛り出す
下萌えて会釈の増える散歩かな

村上青女 (二月)
菜の花も蓮華も遠くなりにけり
祖母と母近き忌日の梅の花
雀卓を囲む老女ら春の雪
石蓴海苔緑の帯の湾に出づ

戸田さとえ (三月)
身ほとりに薬のふえて涅槃西風
薄氷や鯉の動きの見えてくる
風紋の型それぞれに雪の朝
すて猫のだんだんふえて春隣

小崎ひろ子
ふるさとの百合の地下茎斬りすすむ
生きがいは生業になりにくく春
い寝ぎわにふるえるスマホ更の月
山茶花にモールス信号鳴らす風

*泉佐野市内のカフェにて。

2017年3月4日土曜日

「水温む」15句 岡田耕治

「水温む」 岡田耕治

体重を減らしてゆけば水温む
今聞いた名前を忘れ春苺
小松菜の茎のスタンプ届きけり
春の図鑑天から傷み始めたる
回転を保っていたり蝶の昼
くちびるよ鶯餅にほどけたる
まなうらへ春の日傘を開きけり
正面に海の現れ流雛
結髪の膨らんでくる流雛
白魚の数の命の通りけり
色紙をひらひらさせて蝶生まる
じっとしていられなくなり春の闇
春荒の想定をして旅鞄
真っ直ぐに残る寒さを北進す
哀しみを追いこして水温みけり
*上六句会会場:ホテルアウィーナ大阪。

2017年3月3日金曜日

雪の嵩減りつつ山の重さかな 斎藤信義

雪の嵩減りつつ山の重さかな 斎藤信義
「俳句界」3月号。北海道在住の斎藤さんの眼前には、しだいに減ってゆく雪の嵩が見えています。しかし、まだ山山は重く凜とその場に立っています。特に今年の雪は、例年より嵩高かったと聞いています。その雪が減っていく事実を書いておられますが、同時に斎藤さんご自身を表現しておられるように感じます。時間は刻刻と過ぎてゆくけれども、個としての在り方は、重いままであることよ、と。
大阪教育大柏原キャンパスの図書館棟。

2017年3月1日水曜日

心教の後ろを向けばみな土筆 久保純夫

心教の後ろを向けばみな土筆 久保純夫
「俳句界」3月号。心教は、般若心経でしょう。純夫さんと鈴木六林男師のお墓に参ったとき、短い時間に般若心経を唱えておられました。般若心経に書かれている最も大切なことは、私自身は「空」であり、生まれもしなければ死にもしない、ただ変化を続けているだけであるという考え方ではないでしょうか。短い時間に一心に般若心経を唱えて、ふと後ろを向くとまさに変化の途中にある土筆たちが私と同じように並んでいる、そんな光景にふと気持ちが解き放たれる、そんな一句です。
*岬町小島の自然海岸。すっかり春らしく。