2024年3月31日日曜日

香天集3月31日 渡邉美保、中嶋飛鳥、谷川すみれ、浅海紀代子ほか

香天集3月31日 岡田耕治 選

渡邉美保
ポケットから出せばしおれて蕗の薹
紅椿浮かべ暗渠を流れけり
サイネリアリリリリリリと育ちをり
同心円のまんなかにゐる春の鴨

中嶋飛鳥
かなしみを上書きしたり夜の梅
料峭の乗換駅のピンヒール
ふらここのビヨーンとのびる影法師
椿見て眉描きなおす太く濃く

谷川すみれ
棘の血の溢れてきたり木の芽時
春の川苦手な方に踏み出しぬ
見るほどに遠くなりゆく桜かな
枝垂梅まだ見ぬ姉のように立ち

浅海紀代子
冬灯真ん中に老い坐りけり
手を握るだけの見舞や室の花
寒昴子は子の闇を背負いおり
身の内に仏の住す花柊

森谷一成
受験子にありて字引の遠くなり
日本紀に地震の幾たび原発忌
ロケットと飢餓をならべる春炬燵
切株のなまなましきへ椿落ち

夏 礼子
雛段のどこかであくびしておりぬ
二度会えば親しくなりぬ柳の芽
句会へと寒の戻りを愉しみぬ
四月馬鹿本当のこと言うたろか

柏原 玄
蕗の薹闌けて木になるこころざし
犬ふぐり狙い通りに着地せり
つちふるや柱時計の進みぐせ
木蓮の雨後のひかりに整列す

湯屋ゆうや
右手より薄き左手朧の夜
春の海をおもふと判る歩き方
新しき枕カバーを買ひに春
雪の果誰かが押した降車ベル

宮崎義雄
道の駅今年のふきのとう求め
顔を上げ少年工の春帽子
春の昼ボランティアらの顔ゆるみ
春満月祈りのごとく地震の地

前藤宏子
病む友の子供めく眼や春愁
パンジーの鉢植え残し閉校す
復興の合図のごとく桜咲く
株高や桜と地震の国に住み

松並美根子
黄昏て好き嫌いなき白牡丹
山ざくら無縁仏に煙立つ
菜の花に白黄むらさきありにけり
恩師来る小顔いきいき春帽子

松田和子
春来たる近くて遠い友の家
猫の恋少し走りて振り向きぬ
雛流す小舟をかつぎ加太の海
ハーブの香あり寂静の涅槃像

木南明子
この村も隣の村もミモザ咲く
紅梅の盛り目白に知らせねば
ムスカリの青であること愛しめり
辛夷咲く命のバトン繋ぎけり

金重こねみ
探査機より兎が好きと朧月
集団の中の孤独や落椿
あっちこっちそっちを向いて落椿
白梅よ亡き母の顔ご存じか

森本知美
山里を揺らしていたる蝶の群
ビニールハウス行きつ戻りつ苺狩り
藪椿風通りゆく母の墓
クリーン作戦色とりどりの毛糸帽

目美規子
白もくれん一夜の風に散り始む
雛飾り路地吹き抜ける醤油の香
何ごとも簡素にしたりひな祭
久方に会う友二人ミモザ咲く

〈選後随想〉耕治
料峭の乗換駅のピンヒール  中嶋飛鳥
 「料峭」は「春寒」の傍題だが、春の寒さは去ったはずの冬が蘇り、冬の寒さよりもかえって身にこたえる。「料峭」という漢字は、料=おもんばかる、峭=きびしさ、の組み合わせで、冬を再び思い返す寒さというほどの意味。「乗換駅」」は、多くの人が行き交う場所であり、そこでピンヒールを履いている女性には、都会的な印象が漂う。句会でこの句が出されたとき、ピンヒールを履くのだから、網タイツなどを合わせたような、おしゃれな足元との評があった。真っ先に春を感じて、気のきいた薄手の洋服を選んだのに、冬の寒さよりも残酷な春の寒さの中を歩いていくことになった。しかも、ヒールだから背筋を伸ばして…。飛鳥さんの的確な言葉選びが光る一句だ。
*延伸した御堂筋線の「箕面萱野」駅にて。

2024年3月24日日曜日

香天集3月24日 神谷曜子、木村博昭、安部いろん他


香天集3月24日 岡田耕治 選

神谷曜子
蝋梅や誘うばかりで答えない
物価高へと節分の豆を打つ
初蝶の残像として眠りけり
梅一輪また子と暮らすことになる

木村博昭
笑えるはヒトの特権あたたかし
下段ほど表情豊かなる雛
春荒れる円空仏の苦悩貌
かなしみは後れ来るもの鳥雲に

安部いろん
荷を開けるカッターの刃にある余寒
シャボン玉名前ひとつもなく生まれ
自我という境を繋ぐ蝌蚪の紐
春憂い車窓は我の目を映す

楽 沙千子
朧月ナビゲーションの大廻り
梅古木庭師が軽く枝はらい
春雷の雨足強し朝まだき
榾火へと頬ふくらます火吹竹

嶋田 静
鬼たちのダンス始まり節分会
山笑うさぬき七富士小さくも
巣立ち鳥えさをくわえて隠れけり
春の田やうどん屋の旗上がりたる

河野宗子
菜の花を立ち去りがたき散歩かな
木瓜咲くやあたりの花を明るくす
梅の花一輪描いて送りけり
友と手を重ねていたる余寒かな

古澤かおる
春の昼家人微かに立てる音
釣り人が位置を変えたり春の風
永き日の猫の眼に諭される
龍天に登る朝五時二十五分

田中仁美
茶碗蒸し百合根が一つ残りけり
ちらし寿司箱に入ったおひな様
風邪の夫おかゆはドアの前に置く
春日影ひつぎの中にあんぱんを

岡田ヨシ子
春時雨脳体操の目を離し
職員の検温を待つ桜かな
桜餅友が訪ねてくるノック
道の駅シルバーカーの風光る

川端大誠
白球に追いついている春休み

川端勇健
春休み本屋に行くと在庫なし

川端伸路
春休み満車に雨が強くなる

〈選後随想〉耕治
梅一輪また子と暮らすことになる  神谷曜子
 梅の花は、春の訪れを告げる花。それが一輪咲いたことによって、長い冬の終わりが見えてくる。曜子さんは、一輪の梅から、これまでの人生を振り返り、これからまた子と暮らすことになることへの思いを静かに見つめている。うれしいとも、心配だとも、そのようになった紆余曲折などについても、何も書かれていない。ただ子と暮らすようになった事実だけが置かれているので、読む方はさまざまなアプローチで意味を受け取ろうとする。自分のことに置き換える人もいるだろう。手掛かりは、一輪の梅。この一輪が、事態のすべてを受け容れることを肯定してくれているようだ。
*岬町小島にて。

2024年3月17日日曜日

香天集3月17日 玉記玉、三好広一郎、柴田亨、加地弘子ほか

香天集3月17日 岡田耕治 選

玉記玉
蛇穴を出でまん中のうごきけり
上手く描け寂しくなりぬチューリップ
痛点のひとつ増えたるかいやぐら
雄弁な臀のありぬ落椿

三好広一郎
しゃぼん玉ひとつひとつの涅槃かな
どこから来た陽炎に五度の職質
あらすじをすっかり知っている余寒
駅員はみな梟になっている

柴田亨
本名を告げる余寒の罪と罰
春の闇希みはおのがつかむもの
蕗の薹土人形と共にあり
木漏れ日のささやき集め春の人

加地弘子
節分の気配の残る戸口かな
瓶の蓋簡単に空き春動く
出来るだけ小さく濃くなる菫かな
すきなだけ剪って下さい花ミモザ

上田真美
くちばしを何回も突く鳥の恋
競漕や亡き兄の影瀬田川に
春日向孫の好みの文具買う
着流しの力士の香り風光る

春田真理子
雪被る稜線の前投函す
寒月や身罷るために棲家出で
冬囲いほどき一気に広がりぬ
雪吊りを外せる脈の整ひぬ

松田敦子
醜聞の見出しを重ね春一番
鷹鳩と化してお髪の傾ぎをり
薄氷や鼻腔を進む検査棒
蝌蚪の紐今年で終わる子供会

砂山恵子
うららかや大歳時記を枕にし
草餅や昔と同じ話下手
早春や子犬の中の日のにほひ
啓蟄や俺が俺がの多すぎて

川村定子
なすことも無くて折りゆく紙雛
千鳥足背の恵比須の笹ゆらす
幼子の初の役目よ「鬼はとと」
二胡を弾く時刻定まり菜種梅雨

西前照子
白合えに三つ葉を加え祖母の味
蕾になる前に水仙伐られけり
二番まで歌うブーツの舞台かな

大里久代
若木より先に花付け老木よ
三姉妹三人官女飾りけり
春よ来いもうしばらくは土の中

〈選後随想〉耕治
上手く描け寂しくなりぬチューリップ 玉記玉
 チューリップは、比較的描きやすい花だ。幼い子どもでも、何本かのチューリップを書き、それぞれに色づけすると、それなりの作品になる。この句は、そのように上手く描けることが、寂しさにつながっているという。速く、上手く描けることが称賛されるという標準に対峙して、独自の文体を得ようと苦闘する玉さんならではの作品だ。
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2024年3月10日日曜日

香天集3月10日 谷川すみれ、三好つや子、加地弘子ほか

香天集3月10日 岡田耕治 選

谷川すみれ
やわらかな母音に満ちて薄紅梅
ひとりだけ天上を向く石鹼玉
しみじみと躑躅を満たす親子かな
ぶつからぬ燕の飛翔友来たる

三好つや子
一筆箋のようなる出会い梅日和
投資家はティーンエイジャー麦青む
うららけし鳥居をぬける鳥の声
春キャベツ皿をはみ出る笑い皺

加地弘子
一点に集中の色龍の玉
春の雪風と遊んで膨らみぬ
吹かれつつ叫んでおりぬ冬の蜂
二日灸九人の子は長命で

釜田きよ子
初蝶を目で追いながら齢を取る
ぺんぺん草生えたき場所の見つからぬ
落花しきり人の匂いのしない午後
どっと桜子供の声が聞こえない

松田敦子
わらわらと寒雀来る令和かな
皸や世に出なかった人の歌
雪催家族がよこす母の今
本人の代わりにキレる寒鴉

小﨑ひろ子
恋猫ののみどをなぜて黙らせる
春の風新しきもの新たにす
書かれたる事件のありて春時雨
佐保川のほとり鬼火の渡りたる

牧内登志雄
鴨帰る筑波嶺越えはるばると
蝶あそぶ風船ガムはピンク色
初虹を越さん少女の逆上り
麗らけし河原の湯屋の手足にて

川端大誠
太陽がゆっくり沈む冬休み

川端勇健
冬の海小さい石がはね続け

川端伸路
初しょうりボードゲームのお正月

〈選後随想〉耕治
ひとりだけ天上を向く石鹼玉  谷川すみれ
 「ひとりだけ」という言葉によって、幾人かの子どもやその親がシャボン玉を楽しんでいる場面が想起できる。みんなは正面にシャボン玉を吹いているのに、ひとりだけ空を向いて吹いている。俳句を作るというのは、まさにこのような姿なのではないかと、思えてくる。何故かというと、私たちの言葉は放っておけば類型的になろうとするので、多くの人とは違う角度を求めていくのが作句だからだ。石鹸玉は、すぐに消えてしまうもの。しかし、その儚い石鹸玉を、一人だけ天に向かって吹き上げているという、すみれさんならではの潔さを感じさせる表現がいい。
*岬町小島にて。

2024年3月3日日曜日

香天集3月3日 玉記玉、森谷一成、夏礼子、中嶋飛鳥ほか

香天集3月3日 岡田耕治 選

玉記 玉
掌をひらくと消える龍の玉
鏑矢の果の枯野となっている
水湧くは鞠つく響涅槃西風
戦争の語彙の増えゆく蝌蚪の国

森谷一成
紅梅のそこも断層血走るや
来し方の尖に薺の花のこる
真ん中をずらしていたる蕗の薹
かなしみは地を蹴る重さ鳥帰る

夏 礼子
断捨離の思考を保ち冬木立
のっぺりと闇の静まり野水仙
約束を急かせていたり雪の精
わが影に鬼の重なる追儺の灯

中嶋飛鳥
寒の星多奈川小島抜きんでる
北窓を開けてまた閉じ揺籃期
春陰の憑代の石あたま大
春の雪検査予約を入れ帰る

辻井こうめ
そっと繰る仕掛絵本よ春来る
春風や伝言板の色チヨーク
哀しみの果ての虚しさ石鹼玉
雛菊や祝ぎあれこれと膨らみぬ

佐藤 俊
二月の湯呑の酒の醒めていく
梅ふふむふるさと少し遠のいて
少しずつ人居なくなる蕗の薹
亀鳴いてまた秒針の止まりたる

柏原 玄
ぽっぺんを吹いて覚えるひとときよ
左義長のしがらみ一つ爆ぜにけり
生と死の間を吹かれ薄氷
梅の花思いを致すことのあり

前藤宏子
ふらここに夢が遊んでゆきにけり
木漏れ日の光の遊ぶ犬ふぐり
椎茸の甘煮作ってきし梅見
竜の玉摘んで行きたくなる碧さ

宮崎義雄
春泥の斑に溶けてしまいけり
妹が両手で受ける年の豆
縮まらぬことを楽しむ牡蠣フライ
スキー場けぶる琵琶湖を眺めおり

松田敦子
木枯やレードルが打つ中華鍋
アパートの揃わぬ扉日短
冬銀河香り華やぐ米焼酎
山茶花やピンの奏でるオルゴール

松並美根子
寒の水含めば甘し噛んで飲む
風光る前掛け新た六地蔵
独り酒春満月に見取られる
春寒の茶室に掛かり夢一字

森本知美
春障子世間を捨てる姉妹
挑戦の生ある限り梅真白
梅の中パンダを描きし列車行く
フィットネスクラブを出でて春の月 

宮下揺子
ガラス器の中冬を越す蟻の巣よ
土佐水木断る理由見つからぬ
遺された者の日常梅は白
春寒の白湯の甘さにある知性

嶋田 静
初御空形なきもの畏れおり
初電話ゆっくり話す姉の声
時雨傘小さな方に入りけり
野水仙揺れ男木島の白灯台

木南明子
梅の花目の手術には良き日なり
中国語飛び交っている春の空
行きずりの人に頂き春キャベツ
われわれの溜り場に活く黄水仙

丸岡裕子
蠟梅や眼科に行くも治療なし
車庫入れの目安としたり黄水仙
探梅の紅色黄色ふらり行く
信号待ち遊び上手の寒雀

目美規子
目刺焼く父母の恩甦る
スイトピー疎遠となりし家族葬
春灯右目も治療告げられる
頬白を連れて来ており飛騨の旅

金重こねみ
しだれ梅つぼみの声かまたおいで
春雨に打たれし輪島塗の椀
降る雪も覆い隠せぬ能登の地震
探梅をリハビリとして七〇〇〇歩

安田康子
豆撒くや終の棲家に鬼はいず
沈丁花余生の一歩はじまりぬ
月冴える生駒の山の墨絵かな
シクラメンつぼみ追いかけ追いかけて

垣内孝雄
夢見月あらまし事のふたつみつ
たをやかにかほる蝋梅通ひ道
梅が香や赤き鼻緒の小町下駄
せんせんと堰にみなぐる春の水

吉丸房江
能登地震なぜに一月一日に
くれないの全きブーゲンビリアかな
幾度も庭の牡丹の芽をのぞく
生も死も一文字にして友の逝く

〈選後随想〉耕治
鏑矢の果の枯野となっている  玉記玉
 鏑矢(かぶらや)は、矢の先端に金属製の鏑をつけ、射るときに音を立てる矢で、戦場において合戦開始等の合図に用いられた。「鏑矢」から聞こえてくるのは、現在の私たちにとっては、ウクライナやガザに打ち込まれる砲弾の音である。その果てには、「枯野」となった荒涼が広がっている。勢い良く鏑矢を放ったけれども、残っているのはこんな「枯野」なのか、そんな現実を見つめる玉さんの眼差しに共感する。「枯野となっている」という納め方に、高屋窓秋の「頭の中で白い夏野となつてゐる」が、想起される。しかし、われわれが目にしているのは、「頭の中」ではなく現実なのである。
*大阪府吹田市にて。