香天集3月10日 岡田耕治 選
谷川すみれ
やわらかな母音に満ちて薄紅梅
ひとりだけ天上を向く石鹼玉
しみじみと躑躅を満たす親子かな
ぶつからぬ燕の飛翔友来たる
三好つや子
一筆箋のようなる出会い梅日和
投資家はティーンエイジャー麦青む
うららけし鳥居をぬける鳥の声
春キャベツ皿をはみ出る笑い皺
加地弘子
一点に集中の色龍の玉
春の雪風と遊んで膨らみぬ
吹かれつつ叫んでおりぬ冬の蜂
二日灸九人の子は長命で
釜田きよ子
初蝶を目で追いながら齢を取る
ぺんぺん草生えたき場所の見つからぬ
落花しきり人の匂いのしない午後
どっと桜子供の声が聞こえない
松田敦子
わらわらと寒雀来る令和かな
皸や世に出なかった人の歌
雪催家族がよこす母の今
本人の代わりにキレる寒鴉
小﨑ひろ子
恋猫ののみどをなぜて黙らせる
春の風新しきもの新たにす
書かれたる事件のありて春時雨
佐保川のほとり鬼火の渡りたる
牧内登志雄
鴨帰る筑波嶺越えはるばると
蝶あそぶ風船ガムはピンク色
初虹を越さん少女の逆上り
麗らけし河原の湯屋の手足にて
川端大誠
太陽がゆっくり沈む冬休み
川端勇健
冬の海小さい石がはね続け
川端伸路
初しょうりボードゲームのお正月
〈選後随想〉耕治
ひとりだけ天上を向く石鹼玉 谷川すみれ
「ひとりだけ」という言葉によって、幾人かの子どもやその親がシャボン玉を楽しんでいる場面が想起できる。みんなは正面にシャボン玉を吹いているのに、ひとりだけ空を向いて吹いている。俳句を作るというのは、まさにこのような姿なのではないかと、思えてくる。何故かというと、私たちの言葉は放っておけば類型的になろうとするので、多くの人とは違う角度を求めていくのが作句だからだ。石鹸玉は、すぐに消えてしまうもの。しかし、その儚い石鹸玉を、一人だけ天に向かって吹き上げているという、すみれさんならではの潔さを感じさせる表現がいい。
*岬町小島にて。
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