2016年4月30日土曜日

六人に一人まづしくこどもの日 櫂未知子

六人に一人まづしくこどもの日 櫂未知子
「俳句界」5月号。厚生労働省が公表している平成24年の「子どもの貧困率」(17歳以下)は 16.3%です。ほぼ6人に1人が貧困状態ということですが、一人ひとりの子どもを見ていきますと、大変厳しい暮らしの中から学校に通っています。櫂さんの一句には、6人に1人という数値だけでなく、その子どもたちの現状を想像しようとするまなざしが感じられます。子どもの日は、どの子も生まれてきたことを祝福される日なのですから。

2016年4月29日金曜日

チューリップひらきぬひらきすぎにけり 池田澄子

チューリップひらきぬひらきすぎにけり 池田澄子
「俳句界」5月号。小学校低学年では、秋に植えた球根を観察していく学習をします。冬を越して暖かくなると、芽を出して見る見る成長して、大きな花を咲かせます。やっと咲いた、かっこいいと思うまもなく、花びらがずれてきて、開きすぎてくるのです。ちょうどいい姿はあっという間で、開きすぎている姿を長く見ることになる、そんな誰もが感じているけれども今まで口にしなかったことを、こんなにも素敵な俳句にしてくれました。

2016年4月28日木曜日

裸子を捕らへそこねしバスタオル 黛まどか

裸子を捕らへそこねしバスタオル 黛まどか
「俳句界」5月号。3歳ほどの子を風呂に入れるとき、一緒に風呂に入る人と、外でその子を迎える人の役割を分担します。バスタオルを持って待ち受けているポケットをすり抜けて、濡れたまま居間へ走り込んでしまいました。慌ててバスタオルのポケットが追いかけます。子どもとその成長を囲む家族の声が聞こえてくる秀句です。

2016年4月27日水曜日

幔幕で左右をふさぐ卒業式 竹中宏

幔幕で左右をふさぐ卒業式 竹中宏
「翔臨」第85号。幔幕(まんまく)は、式場などに張り巡らす幕で、卒業式ですから紅白の幕でしょう。卒業を祝うための幕なのですが、「ふさぐ」という動詞にドキッとさせられます。というのは、卒業することに、かつてのような晴れやかさが失われつつあるからです。進学するにせよ、社会人となるにせよ、その先にはより厳しい環境が待っていると思わずにはいられません。左も右もふさがれた中を、ただ正面に向かって卒業していく生徒たち、学生たちに、竹中さんは、せめてこの現実を示そうとされています。

2016年4月26日火曜日

掌やぺしやんこの蚊の欠くるなく 加田由美

掌やぺしやんこの蚊の欠くるなく 加田由美
『桃太郎』ふらんす堂。両手で蚊を打って、手のひらを確かめますと、まるで押し花のように完全な形を象っています。命を奪ってしまったことの悔いは、欠けることなく残っているという象徴によって、そのいとおしさを感じることさえ止めています。晩年の山口誓子さんに仕えた作者の、書き方の神髄が伺える一句です。

2016年4月25日月曜日

「一級」 岡田耕治

「一級」  岡田耕治

一級をめざしていたる朝寝かな
今飲んだ水を響かす春の川
春苺シフォンケーキが包みたる
誰よりも先に着きたる春の土
リクルートスーツに皺の走りけり
黒色の華やいでいる春日傘
蝌蚪の国ことに時間が欲しくなる
朧月胸に抱きたるものの熱
春灯の瞬き一つめがけゆく
鳥たちの声止んでいる干潟かな

2016年4月24日日曜日

香天集4月24日 谷川すみれ、澤本祐子ほか

香天集4月24日 岡田耕治 選

谷川すみれ
おとなしく掬われている金魚かな
紫陽花を握りしめたるあと残る
原色のあふれていたり夏休
夏休夕日机を大きくす

澤本祐子
さくら草庭を包みし風の音
三月のバイクきらりと手紙くる
待つことを一つ増やして種を蒔く
白木蓮目印として愛されて

加地弘子
春炬燵祖母の見解通りけり
今生の桜の中の桜かな
会うために私からゆく朧の夜
大根の花たっぷりと水をさし

宮下揺子
口火切る時を伺う花こぶし
しもつかれ父の背中を想い出し
きれぎれの夢を見ており明易し
恩師より届く自叙伝春隣

北川柊斗
暁光の透かして清き桜かな
花吹雪ぬけ来し風にある色香
しきりなる落花のそとを俗の風
一陣の風に波打つ花筵

永田 文
せせらぎに息をこぼして花筏
山の端をしずるひかりや山桜
柔らかな入日を入れて遠ざくら
余韻まだくすぐってくる朧月

村上青女
犬ふぐり今年の色を聞いてみる
花吹雪女人二人が真っ直ぐに
巡り来て腰降ろす石花の下
花筏寄せては散らす風のあり

西嶋豊子
人の無き家満開の桜かな
春炬燵片付けもせぬ足のあり
妣の湯呑思わぬほどに熱くして
葉桜や人影のなき時の来て

安部礼子
選択という奢りのありて飛花落花
規則を破る理を知る春の月
細胞がささやく少女月日貝
陽炎や世を知らぬ日のかくれんぼ

2016年4月23日土曜日

かき氷ほぼ全文を白紙とす 嵯峨根鈴子

かき氷ほぼ全文を白紙とす 嵯峨根鈴子
『ラストシーン』邑書林。俳句でも文章でも、一旦書いておいてから、そこから離れるか、眠ることにします。書いてすぐ見直すよりも、一旦そうしてから見直す方が冷静になることができるからです。嵯峨根さんも、書き継いでいる文章から離れ、かき氷を食べに出かけたのでしょう。その時、今までのものを白紙にしようというアイデアが浮かびました。なんと怖いアイデアでしょうか。

2016年4月22日金曜日

雪のふるゆめよりさめし朝寝かな 久保田万太郎

雪のふるゆめよりさめし朝寝かな 久保田万太郎
『久保田万太郎全句集』中央公論社。古書店でこの一巻を見つけたときは、思わず声を上げそうになりました。「わぉ!」。天地書房の今木敏次さんから伺った言葉に、「本は最もふさわしいところに落ち着いていく」というのがあります。わが書棚に落ち着いてもらって、早速読み始めています。「雪のふるゆめ」の美しさと、その中でどんなドラマがあったのだろうかと想像してみます。万太郎さんの俳句は、言葉をおしんでいる分、読む者の想像をふくらませます。

2016年4月21日木曜日

億劫は只今にこそ藪椿 花谷 清

億劫は只今にこそ藪椿 花谷 清
「藍」4月号。「劫」というのは非常に永い時間を意味しますが、それが億もあるという気の遠くなる時間も、いうならば「只今」「只今」の連続ではないかと、花谷さんはそう感受されたのでしょう。その切っ掛けが、なんともひっそりと、でもよく見ると瑞瑞しく咲く藪椿の一輪だったのです。昨年、花谷さんとは大津市の膳所をいっしょに吟行させてもらいましたが、大勢の方が目にするものではない方に一人向いていらっしゃる姿が印象的でした。億劫をご覧になっていたのかもしれません。

2016年4月20日水曜日

髪白くなりし遊子と春惜しむ 七田谷まりうす

髪白くなりし遊子と春惜しむ 七田谷まりうす
「俳句四季」5月号。「雲白く遊子悲しむ」と書いた藤村は、遊子を旅人のイメージで使ったのではないでしょうか。七田谷(なだや)さんのこの遊子は、「家を離れて他郷にある人」といった意味かと思います。例えば、故郷から出てきて、故郷には戻らない人と、行く春を惜しんでいる。今度はここ、次はあそこと楽しんだ桜も、もうすっかり葉桜になっています。短い春を故郷にもつ「遊子」とともに、この季節が減ってゆくことに堪えてまいりましょう。

2016年4月19日火曜日

眠たうてなほ遊びたき子猫かな 岩田由美

眠たうてなほ遊びたき子猫かな 岩田由美
「俳句四季」5月号。とろんとした目をしてよろよろになりながらも、目の前のものとたわむれようとする子猫。そんな可愛い様子が目に浮かぶのは、岩田さんの写生の力に他なりません。そして、なお遊びたいのは、私たちではないのかと思えてきます。子猫のような純な意欲が、私たちの中に眠っていて、日常に追われているからそれが立ち上がってこないのでは、と。朝一番、岩田さんの写生に励まされました。

2016年4月18日月曜日

「春思」 岡田耕治

「春思」 岡田耕治

布の靴じんわりと濡れ潮干潟
こんなにも急に苗代寒くなる
春寒の夜を漂いハイヒール
後ろから近づいてくる朧かな
学校に通いはじめし子猫にて
人の声残し白鳥帰りけり
ネクタイのシルクを解く春思かな

2016年4月17日日曜日

香天集4月17日 久堀博美、中辻武男ほか

香天集4月17日 岡田耕治 選

久堀博美
夜桜の雲に載りたる朱き橋
散り際の風を愉しむ老桜
花吹雪掬い防災工事の手
ものの芽の売りに出されて芽を伸ばす

中辻武男
春の鴨扇に水尾をひろげたる
相傘の互いに濡れて春の雨
声かかり今年も集う花筵
つばくろの声聞いてより仰ぐ空

竹村 都
蕨狩り独りになってしまいけり
パトカーのゆっくり通る桃の花
旅立ちの友を送りて初音かな
禁煙に落ち着かぬ婿四月馬鹿

畑中イツ子
耳鳴りやいつかの錦蛇の顔
春の月誰も無口に空気吸う
花筏渦巻いてくる声のして
ココアの香菜種梅雨へと流れゆく



2016年4月16日土曜日

大寒のなすすべもなき佐渡が島 渡辺誠一郎

大寒のなすすべもなき佐渡が島 渡辺誠一郎
「小熊座」4月号。「佐渡によこたふ天河」と書いたのは、芭蕉でした。佐渡を前にして、渡辺さんの「なすすべもなき」という感慨は、この時代の気分をよく表しています。なすすべもなくどんどん悪い方に向かっている、そんな感慨を多くの人が持っていることでしょう。渡辺さんは、社会から言葉を借りてきて、社会に鮮やかに返しました。まして、時は「大寒」です。その冷えた空気は、今から私たちに何ができるのかと、問いかけてくるようです。

2016年4月15日金曜日

上げるため顔はあるなり夜の雪 高野ムツオ

上げるため顔はあるなり夜の雪 高野ムツオ
「小熊座」4月号。つい、うつむいてしまう顔があります。それほどわたしたちは苛酷な「いま・ここ」を生きざるをえません。そんなところへ、上げるために顔はあるのだと、思ってもいない言葉がもたらされました。東北大震災をつぶさに見届けてきた高野さんの言葉は、俳句を、ということは生き方を、浄化する力をもっているように感じます。

2016年4月14日木曜日

初詣健次の知らぬ路地抜けて 谷口智行

初詣健次の知らぬ路地抜けて 谷口智行
「運河」4月号。中上健次は、生のエネルギーが渦巻く「路地」をテーマに幾つもの優れた小説を残しています。晩年は、その「路地」消滅後の世界を描いていました。消滅したはずの路地は、どっこい脈々と残っているのですね。きっとこの「路地」を健次は知らないだろうと、そんなことを想いながら初詣に向かう谷口さん。健次の書いたもののパワーを使いながら、新しい境地を開いていく書き方です。

2016年4月13日水曜日

正月もおまへん鹿の悪さには 茨木和生

正月もおまへん鹿の悪さには 茨木和生
「運河」4月号。「おまへん」という関西弁を使いますと、相手が茨木さんに柔らかく語っているように感じます。「もう堪忍してほし。正月ぐらいゆっくりしたいわ」と。それに「悪さ」が、「いたずら」といった響きを強める効果もあります。鹿による被害は、畑の野菜だけでなく、広く森林にも及んでいて深刻です。しかし、このように受け止めながら対策を考えていこうとする、森に生きる人の肉声を聴かせてもらうことができました。

2016年4月12日火曜日

風花の風の疲れてきたりけり 谷下一玄

風花の風の疲れてきたりけり 谷下一玄
「半夜」4月号。晴れているのに雪片が舞い始めました。「風花」という言葉どおりのそれをたのしもうと外に出たところ、次第に風が弱くなってきました。青空とのコントラストも鮮やかにもっと雪が舞って欲しいのですが、絵に描いたようにゆかないのが現実です。風花の風が疲れてきたという表現に、ままならない現実を見届けようとする意志を感じます。

2016年4月11日月曜日

「空腹」 岡田耕治

「空腹」 岡田耕治

春潮の雫を散らし鳶の笛
花の下何時までも声交わし合い
花明り美事な夢につづきたる
何曜か分からなくなる桜かな
花の雨骨を正して歩きけり
突然に空腹になり花の昼
今散った桜最も近づきぬ
思い者濡れた落花を着けてくる
揚雲雀今日の相手は手強いぞ
締切も三日を過ぎて紫木蓮
広げおくタオルに寝かせ土筆かな
墨で書く手紙の届く蝌蚪の国

2016年4月10日日曜日

香天集4月10日 中村静子ほか

香天集4月10日 岡田耕治 選

中村静子
涅槃西風吸うては吐いて遠くまで
雲のほか何も映さず水温む
まなざしの変わってしまう落し角
胴上げの歓声あがり春の雨

【香天集鑑賞】岡田耕治
履き癖を残して乾き春の泥  中嶋飛鳥
 春泥をつけた靴が乾いています。本当なら、帰ってすぐに泥を落とすべきなのですが、昨日は疲れていたのでしょう。そう言えば、この靴もくたびれて履き癖がついています。そのくたびれた形に春泥が乾いているのです。現実をありのまま捉えようとする作者の、このまなざしを心強く思います。

出発は靴をはくことリラの花  大杉 衛
 休みの日など、一日中家に居ることがありますが、出かけてみると気分が変わり、新しい発見をすることがあります。その始点にあったのが、「靴をはくこと」。靴をはいたからこの風景と出会えた、この人の話が聞けた、この映画を観ることができたのです。

つちふれり天眼鏡の悟朗にも  石井 冴
 和田悟朗さんの「風来」の編集者でもあった冴さんは、形見に和田さんが使っていた天眼鏡を持っておられます。もちろん、そんな事情を知らなくとも、天眼鏡で辞書を読む悟朗さんにも黄砂が舞い落ちてくるのは、懐かしいイメージです。でも、冴さんの話を聴いて、具体的な天眼鏡という、しかも、「天眼鏡の悟朗」に黄砂が降るという表現にしびれました。

白買って赤ほしくなるシクラメン 橋爪隆子
 シクラメンを買うとき、赤にしようか白にしようかと迷ったのでしょう。白の方を求めて、窓辺に置いてみると、こんどは赤が欲しくなってきました。シクラメンに揺さぶられる自分自身を、こんなにあっけらかんと見つめることのできる隆子さんの感性がうらやましいです。

2016年4月9日土曜日

稲刈の空を拡げてをりにけり 仲寒蝉

稲刈の空を拡げてをりにけり 仲寒蝉
「里」11月号。高槻市の棚田で米を作っている知人から、5キロの米をいただいたことがあります。棚田ですから大きな機械を入れることもできず、昔ながらの農法で、手で刈り取り、天日に干した米粒です。コシがあって粘りも強く、ハリのある美味しさでした。多くを語らないこの句を読んで、もう10年も前になるでしょうか、その時の米の味を想い起こしました。稲を刈ることは、空を拡げることなのだと、きっとその知人も感じているにちがいない、と。米を育てる多くの人が感じていることを、このように鮮やかに言葉にできるのが俳句なんですね。


2016年4月8日金曜日

無学てふ胸中に秘め花仰ぐ 大牧 広

無学てふ胸中に秘め花仰ぐ 大牧 広
「港」4月号。前書きに「第十五回山本健吉賞を受く」とあります。山本健吉は文芸評論家であり、俳句の理論を打ち立てた人でもあります。その方の名を冠した賞を受けたことを喜びとしながらも、「無学」ということを胸に留めていく、と。この決意の深さを味わいたいと思います。無学だからこそ、とらわれません。無学だからこそ、学びつづけます。無学だからこそ、目の前の現実に学ぶことができます。無学だからこそ、今仰いでいる桜が、教えてくれるのです。

2016年4月7日木曜日

猫の子は何色の夢見てをらむ 金子 敦

猫の子は何色の夢見てをらむ 金子 敦
「香天」43号・招待作品。ひたすら眠り続ける猫の子は、親猫の傍に何匹いるのでしょう。それぞれの子猫がどんな夢を見ているのか、まして何色の夢を見ているのかは、分かりません。でも、それを想像することは愉しいことなのだと、作者の真心が語りかけてきます。金子敦さんと杉山久子さんが、文通による俳句の交信を続けて20年とお聞きし、それならお二人に誌上で交信してもらおうと、ご招待しました。素敵な作品をありがとうございます。

2016年4月6日水曜日

しやぼん玉息もろともにかゞやくやくよ 杉山久子

しやぼん玉息もろともにかゞやくやくよ 杉山久子
「香天」43号。しゃぼん玉の中には、そうだ人の息が入っているのだと、改めて気づかされる一句です。どんな息の入れ方をすれば大きく膨らむだろうかと、いろいろと試してみます。ゆっくり吹いて「あっ!大きい」と声があがるような玉ができることもあります。
強く早く吹いて小さくても沢山の玉を飛ばすこともあります。その一つひとつに吹く者の息がこもっていて、もろともに輝いている、それだけで今生きていることを肯定されているようです。

2016年4月5日火曜日

「花」 岡田耕治

「花」 岡田耕治

減ってゆく一人ひとりの春休
革靴にリズムの生まれ春夕焼
春椎茸一番先に焼き上がり
竹の秋石窯のピザ伸びてくる
電子機器何も持たずに春岬
ふらここにどうしたいのと問われけり
花の駅ここから車輌切り離す
花のなきところに集い花衣
花の雨何度も出向くことにする
花時の傘の雫を解きけり
手のひらで温めている花眼かな
学級を開くペンキの匂いにて

2016年4月3日日曜日

香天集4月3日 中嶋飛鳥、大杉衛ほか

香天集4月3日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
傍らに悪友を置き水温む
エンターキー叩きて春の闇招く
履き癖を残して乾き春の泥
茎立ちて右へ右へと飛鳥川

大杉 衛
発電をする春風となりにけり
囀りはときどき反射することも
出発は靴をはくことリラの花
掲揚の国旗に沿いて揚げひばり

釜田きよ子
ミサイル来るたんぽぽの絮飛び越えて
初蝶を追いかけながら老いる人
ゆっくりと水をたのしむ花筏
野焼きして男の匂い放ちけり

浅海紀代子
算盤で通す商い日脚伸ぶ
靴磨くことに始まる花の朝
たんぽぽの広ごる自在許しおり
猫の名をさかのぼりゆく朧の夜

森谷一成
地下鉄に赤子が哭いて春来る
三月の女車掌のくさめかな
減衰の三百年を福島忌
帳尻を算えておれば春寒し

越智小泉
水鳥の視線は遥か水温む
船べりを擽りつづけ春の潮
春泥を桂馬に跳んではしゃぎけり
坐りたる程よき温さ春の土

羽畑貫治
入学式傘寿のこころ祝辞とす
ピン球に新茶を捧ぐ闘志かな
長く生きまだ使えると春日傘
鳥帰る膝から崩れいる大地

両角とみ子
ここに来て今年の梅と語り合う
鐘霞む町は眠っているような
子の姿消えて久しく桃の花
腰骨と相談しつつ畑返す

西嶋豊子
日永し遊びほうける猫のいて
長風呂となりて猫来る冬夕焼
鉢植の花に水やり水残す
大事にと犬に挨拶春の道



2016年4月2日土曜日

陽炎を抜けて不思議の国にゐる 藤勢津子

陽炎を抜けて不思議の国にゐる 藤勢津子
「俳句」4月号。先月、ドラマケーションのワークショップに参加しました。ドラマ(劇)の要素を含んだコミュニケーションを体験する講座だと思っていただければいいと思います。その中で、他己紹介という、ペアになってもう一人の人を紹介するワークをしたのですが、一つ以上「嘘」を入れることになりました。この体験はとても面白く、どれが嘘なんだろうと集中が高まりますし、話しているうちに嘘と本当の境が曖昧になってきます。「不思議の国」というのは、ごく身近にあるのだなと感じました。陽炎のゆらめきはよく目にするようになりましたが、一歩進んでみると、結構不思議の国にたどり着くかも知れません。

2016年4月1日金曜日

わが磨きわが履く靴に花の雨 小川軽舟

わが磨きわが履く靴に花の雨 小川軽舟
「俳句」4月号。今日の大阪の桜は満開に近づきましたが、あいにくの雨となりました。いつも自分で磨くお気に入りの靴が、雨粒を湛え始めています。しかし、この花の雨には、濡れることもよしとする明るさが感じられます。人を見る目がある人は、まず靴を見るといいます。目立たないからこそ、その人のことが一番よく分かる、と。俳人・小川軽舟さんの俳句の高い技量は、このような靴へのいたわりと通底しているのかも知れません。