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2022年3月27日日曜日

燕来る単語カードをふくらまし 耕治

 
西尾 征樹
 燕と単語カードの対比を考えました。燕が来る季節に、新たな学習が増え、覚えなければならないことも多く、単語カードを記すことでほっとしている様子が窺えます。

岡田 登貴
 燕の雛が膨らんでるのと、使い込んだ単語カードがふくらんでいくのと、どちらも成長していく春らしい御句。

桑本 栄太郎
 単語カードと云えば、小生の母校の生徒も列車通学の時など、座席に座れなければ誰もが必死にめくっていましたね。口で発音の真似を行い、指で何かをなぞっていました。

仲 寒蝉
 単語カードが膨らんでいくのは知識が増えて行くのを見るようでうれしいものです。燕が来るのを見たときの喜びに通じるかもしれません。

野島 正則
 丸いリングを付けた単語カード。懐かしいです、現代では、アナログな単語カードはどうなっているのでしょうね。

日光の記憶をゆらす若布かな 耕治

 
仲 寒蝉
 若布のきらめきを「日光の記憶」とは・・・脱帽です。

十河 智
 若布には気をつけろと海育ちでも、泳ぎの得意でない私はよく言われました。比較的浅い日の入る場所に林があるのです。この句の表現がぴったりです。光が届くか届かない、微妙な深さに若布は揺れているのです。ここで、「日光の記憶」とあるのは、海藻の中では緑の濃い若布の色を見るにつけ、「もっと光を、が若布の望みなんだろうなあ。」と思われたのでしょうか。

大津留 直
 この句には、乾燥した若布を湯の中で戻したときの鮮やかな緑に対する驚きが満ちている。その湯の中での揺らぎを、かつて海水の中で浴びた日光の記憶が揺らいでいると見ているのだろう。

立ち止まるため北窓を開きけり 耕治

大関博美
 立ち止まるために北窓を開く。
北窓を開けると春の日差しが眩しく部屋に入ってくる。
作者は、北窓を開くために立ち止まったのではなくて、立ち止まるために北窓を開ける。ここに大きな意図、動機があるのだ。立ち止まること、考えるために、北窓から入ってくる光が必要だったのかも知れない。
若い頃、ある人から言われました。何かわからない悩みが出来たら、その時は立ち止まって良く考えてと。
私などは、わからないことだらけで立ち止まりっぱなしかもしれず。

十河 智
 「ため」がすごく気になります。意味を込めて俳句に入れるのですから、と考えるのですが、わかったとは言えないのです。「北窓を開ける」という行為にある開放感と,「立ち止まる」がうまく符合しませんでした。
 いま年度末で学校関係のお仕事は慌ただしく煩雑。忙しさの中に空気を入れ替えたい気持ちが出た、そのことが「立ち止まるため」とされた理由かと思い至りました。開けることが第一歩なのですね。そこまで考えた時、この句を読むだけで、気持ち良い新鮮な空気の流れを感じました。新たな息吹、春が来ていると、胸が一杯になりました。

2022年2月27日日曜日

今週の2句 囀をたどり行きたる光かな など

 
大関博美
 久しぶりに散策に出た。囀りをたどってゆくと、木の葉の切れ目に光がこぼれてくるところに出た。キラキラとした春の光に包まれた。

大津留 直
 ドイツには、アムゼルというツグミに似た鳥がいます。春になると、佳い声でさえずります。人懐っこい鳥で、散歩に出ると、それを導くように、屋根から屋根へ移って、さえずります。御句によって、それを思い出しました。

仲 寒蝉
 この時期の外は本当に光に溢れていて「風光る」と言う季語を実感できますね。囀りをたどって散歩、なんて最高じゃないですか。百舌鳥古墳群のあたり、また散策したいです。

牧内 登志雄
 木立の中を歩いていると、あちこちで鳥の囀り。地鳴きとは違う求愛の鳴き声。春は鳥にも木にも、そして人にもやってきた。木立を抜ければ春の明るい日射しが眩しい。

野島 正則
 たどり着く、ではなくて、たどり行く。自分の意思のような物を感じました。

桑本 栄太郎
 春寒料峭とも云われ、暦の上では春と云っても未だ寒い日が続いて居りますね。しかし、日中の日差しも長くなり気分的には春物を装いたくなり、首周りには分厚いウール物ではなくシルク・ウールの薄手のスカーフを捩じって結びます。如何にも春兆す心情ですね!

十河 智
 春色、スカーフだけでも、という気持ちの表れでしょうか。春だぞという気持ち俳句をしている私達にはよくわかります。捩じり結びで春を大きく見せるのでしょう。

2022年2月20日日曜日

今週の3句 当人を呼び出す、パンの耳、パンチ効いてくる

 

当人を呼び出している風車  耕治
桑本 栄太郎
 一瞬にして、嘗て遠くの出先に於いて見かけた幼稚園のフェンスのぐるりに風車が立てかけてあり、一斉に回って居た光景を想い出しました。風車は春風を具現しているものであり、「家の中に居るより戸外は暖かくて心地良いですよ!」と呼びかけています。

仲 寒蝉
 「当人」が誰か、子供なのでしょうか。風車を持っているのは当人の方か、呼び出した方か。色々な場合が考えられると思います。例えば何かいたずらをやらかした「当人」を親か先生が呼び出したらその子が神妙に、しかし手には風車を持って出頭してきた、という場面など。


寒明ける厚く切りゆくパンの耳  耕治
大関博美
 焼き立ての食パンは、パン屋さんに「焼き立てですから」と切って貰えないことがあります。買ってきた一斤の食パンを少し緊張しながら今慎重にナイフを入れたところである。真っ直ぐに切れるようにと思いながら。「寒明け」は、立春のことですが、寒明けの嬉しさと「節」で分けられる冬と春に喜びを感じるように、食パンを切り分けてゆく。

十河 智
 「寒開ける」にあるぱっと明るい気分、それを以て朝食のパンを切る。一本買いの食パンの初めに入れる包丁が沈み込む様子が見えてきます。


如月のパンチ遅れて効いてくる 耕治
柳堀 悦子
 如月のパンチ🤛🤛
今年の寒さで去年痛めた肩の痺れがぶり返してきています。私にとっての如月のパンチは古傷の痛みです❤️ 暖かくなればと思うといきなりの寒波!パンチ効き過ぎです。

大津留 直
 「如月のパンチ」は寒さだという解釈とは別の可能性を試みます。もしかしたら、これは、先生が二月に選をなさった俳句のパンチなのではないかと思います。その俳句から受けた衝撃が、時が経つにつれて、大きくなることは、しばしばあることですから。もしかしたら、その俳句で使われていた季語がまさに「如月」であったのかもしれません。ともかく、俳句というこの短詩型の魅力の一つは、何といっても、その衝撃力・パンチ力にあることは間違いありません。それに対して、短歌の魅力は、その格調にあると私は思います。

大泉 志保
 非常におもしろいです。パンチはストレートではなくジャブのように思えます。如月にはなたれたジャブは桜の季節になってじわじわと効いてくるぞ!という戒めの句のようか気がして、年度末気を引き締めていきたいと思いました。

2022年2月17日木曜日

巣ごもりに屋外カメラ作動中  耕治

 
仲 寒蝉
 屋外カメラは休まない。人間は家の中なのに・・・ご苦労様と言いたいですね。

桑本 栄太郎
 きょうびのコロナ禍への対策の一つとして、不要不急の外出を控える「巣ごもり」は日常定番の言葉となりましたね。外出は控えて居ても、届け物、訪問者、天候など戸外の様子は必見であり、いちいち立ち上がらなくても良いように、屋外カメラを設置の上作動中です。
 現代ならではの世相が、無季俳句のように詠われ、「巣ごもり」の憂さが見えるようです。

大津留 直
 このカメラは、防犯カメラではなく、屋外カメラと呼ばれていることに注意したい。もしかしたら、このカメラは移動可能で、早春の景観を送ってくれるのかもしれない。句の印象から言って、巣ごもりをむしろ楽しんでいる風が窺える。

十河 智
 先生の俳句に籠る様様なおもいを感じています。
 屋外カメラがあるので、安全に巣ごもり状態になっていられる。大事な眼として捉えると道具です。が、社会の至るところに取り付けられた屋外カメラが、目的外の個人も映し出してしまい、後後の追跡に使われたりするのを見ると、休みなく「作動中」に対する一種の構えのようなものも感じました。隣組とかの人の組織は作られなくとも、基本人と人の間に疑心暗鬼が生じ、屋外カメラによる監視し合う関係は、戦時中とそう変わらないようにも思えました。勘繰り過ぎかなとも思いますが、俳句は言葉、意味を考えさせてもらって行き着いたところです。

大関博美
 屋外カメラ
 難しい。でも今日はハーフパイプやカーリングを観ている. この世界を映すこの道具も屋外カメラとも言える。引きこもり、コロナこもり、雪こもり
 だが、座ったままにいろいろなことがわかる。

野島 正則
 巣ごもり、現代では、何やら身近に感じてしまいますね。

2022年2月6日日曜日

自らの重みを落ちる海鼠かな  耕治

 
岡田 登貴
 すばらしいです!
 なまこのぽてっとした感じがありありと。冷たい手触りも伝わってきます。拾って洗って酢の物に。いっぱいやりたいですね!

大津留 直
 加齢のため、これまでは思ってもみなかった転び方や落ち方をしてショックを受けることがあるものだ。それもこれも、重力のせいだなどと言うのは、笑い話にもならないのだが、そんな面目ない転び方をすると、ふと、ああ、海鼠のようだなどと思ってしまう・・・という非常に個人的な読み方をしてしまいました。

仲 寒蝉
 海鼠は水を含むせいかけっこう重いです。いつもは水の底にいますが、船から投げられればこういう感じで沈んでいきますね。


大関博美
素敵な句ですね。うっとり〜
冬の夕焼けを背景にして、思いの人の写真をとる。
すてきなシルエット写真が撮れました。
私は富士山のシルエット写真を撮ってます。

野島 正則
 写真のテクニックを思いました。逆光とは、被写体の真後ろからの光源のこと。逆光撮影とは、太陽に背を向けた状態で被写体を前から撮影することを指します。逆光で撮影をすると、光と影がきれいに出てやわらかく自然な雰囲気の写真を撮ることが可能です。人物撮影の場合、顔に直接光を当てないため髪が光りツヤができ、シワや顔の中の立体感も目立ちにくい。など、利点を生かした、素敵な君の写真が撮れたと思います。


牧内 登志雄
 ラジオドラマの波の音が聞こえてきます。ラジオや芝居の波の効果音は小豆などを使っていましたね。小さな小豆、大きな大豆など豆の大きさで波音も違いました。掲句では大きなフライパンを使っているのでしょうか。どうせ豆を煎るなら波の音を、という遊び心。煎り上がる豆の香りとともに、きっと福の豆になることでしょう。


十河 智
 大昔はかわらけと言って、お皿の大きいような土器で煎ってました。米屋で雑穀も置いていたので、いつも家で煎って、豆まきをしていました。フライパンになって後も、和紙を敷いて煎っていたように思います。波のような音は、どんな煎り方にも、あるように思いました。この句から、私にも蘇ってくる波音がありました。

桑本 栄太郎
 豆撒き用の福豆ですね? 牧内さんの解説がぴったりのようです。昔は田舎でも大豆まめを炒り、その後石臼にて黄粉を作っていました。大豆まめを上手に炒る事は根気が入り結構難しいですね。今ではフライパンを傾けながら、少しづつ丁寧に炒って行きます。

2022年1月30日日曜日

鉛筆が色付けてゆく冬の蝶  耕治

 
川崎 果連
 いただきます。ナイスです。
大津留 直
 今日の御句は格別です。読者の手が一緒に動いて、冬の蝶の絵を完成させるような趣きが感じられる。なんだか手がむずむずしてきました。不思議なことです。そして、絵が出来上がると、冬の蝶が春の蝶に生まれ変わっていたような・・・
桑本 栄太郎
 色鉛筆にて冬の蝶を描かれて居られるのですね。鉛筆デッサンの後、色鉛筆にて色付けを行えば画板よりふわりと舞い飛ぶようです。待春の心情が溢れていますね!
大関博美
 冬の蝶、モンシロチョウなどはあたたかいキャベツ畑に飛び始めて、子どもたちのスケッチの時間なのか、趣味のスケッチか、色をさす毎に冬の蝶へ息が吹き込まれてゆく。
十河 智
 仕事の合間に窓の外にみつけた冬の蝶、ちょっとそのへんに形だけスケッチ。後でゆっくり色鉛筆で色を付けてゆく。完成させる過程が嬉しいものです。思い出して二度楽しい。
仲 寒蝉
 冬の蝶はモノクロのイメージですね。これいい句だなあ。
野島 正則
 余命の少ない冬の蝶、死に化粧のようにも感じました。

2022年1月23日日曜日

夜の色を宿していたる山茶花よ  耕治

 
桑本 栄太郎
 山茶花の花の色は紅が多いものの、中には白もあり或は紅に白が混じる斑入りもありますね。この寒さ厳しい時季には、夜の寒灯しとも思う作者です。

大津留 直
「夜の色」が読者に様々な想像を駆り立てます。われわれの世代だと、藤圭子の『夢は夜開く』という歌を思い出すかもしれません。確か、ノヴァーリスにも『夜の讃歌』という詩集がありました・・・

牧内 登志雄
「夜の色」とはどんな色だろうか。その色はきっと花弁を広げた山茶花の花の色を映すのだろう。白なら、紅ならば、あるいは紅と白ならば。「夜の色」五音にどのような色をつけるかを読む者に問うている。仄かに灯る山茶花の花が夜を照らす。読む者によって漆黒の闇ともなれば、月影の濃い夜、星月夜の色にもなるのだ。

野島 正則
 我が家の山茶花は白。10月頃から咲いていたように思いますが、今でも毎日少し、花を付けます。その花の枯れたものが、風に吹かれて玄関に落ちているのですが、これがなんとも茶色の汚い姿に見えます。白い花の綺麗な一面と、枯れた花の姿。こんな対比の一面を感じます。

十河 智
 山茶花は夜に見たとき、よく似合う花だと発見があったのですね。昼に同じ花を見て、思わなかった「夜の色」を、山茶花の中に見つけたのですね。この次見るとき、私は山茶花の中に夜の色を見つけるだろうか。

仲 寒蝉
 言われてみればあの赤は手放しの明るい赤とは違いますね。椿ほど艶っぽくもないですが「夜の色」と言われるとそうかも。

2022年1月15日土曜日

共に見しことを忘れて初山河  耕治

 

桑本 栄太郎

 元旦の朝初めて見る近くの野山の景色が「初山河」ですね? 夫婦二人でいつも眺めている景色でも、元旦の朝の眺めは特別なようです。年々歳々生きて居る限り、元旦は特別な思いを持ってながめます。


仲 寒蝉

 「共に」はもちろん夫婦で、でしょう。、昔のことはよく思い出せないけれどもこの1年の初めに「初めて」見たかのように新たな気持ちで同じ景色を見よう、ということでしょうか。


大関博美

 いつも一緒に見てきた景色だけど

淑気満つ山川草木皆、洗われたように美しく、厳かにみえる。

これからも、よろしくと心で思うのである。


十河 智

 今も一緒に並んでみているのかもしれません。今までもあったことでしょう。そういうことすべてが、忘れ去られ、元旦の淑気に満ちた空気の中で、我一人の内に充実した力が湧き、全てが集中されるのです。この山河の中心にいて、歳の初めを祝うのです。


野島 正則

 老父の新たな決意にも感じられます。


2022年1月9日日曜日

革ジャンパー海の匂いを連れてくる  耕治

 
西尾 征樹
 革ジャンを着てバイクに乗って走っていた季節をその染みついた海の匂いから、連想しました。

十河 智
 海辺で育ったので、朝日も夕陽も海へ見にゆきます。一番の朝日は、桂浜の元旦の日の出。四国中から車もバイクも来ていました。大阪あたりだと、日の出は和歌山か淡路島まで、バイクで一走りでしょうか。そこから帰ってきた大学生、革ジャンには、匂いがよく染み込みます。

野島 正則
 皆様の鑑賞のように、バイクに革ジャンが似合いますね。海は、関東ならば湘南海岸を想像します。

桑本 栄太郎
 革ジャンパーを着込み、海岸を散策でしょうか?小生も「平凡パンチ」世代であり、若い頃欲しくて堪らなかった革ジャンです。しかし、高価なため中々買う事が出来ませんでした。百貨店の紳士服飾販売も担当しましたので、湿気と塩気は皮革製品の大敵です。ファッションとしてであれば兎も角、海べりでは避けたいものですね!

大津留 直
 このようなファッショナブルな、元気の良い句を一度作ってみたかった、という作者の声が聞こえてきます。

柳堀 悦子
 浜っ子 長年住んでいた横浜の街思い出します。

仲 寒蝉
 海風を切ってバイクでやってきた男、という感じですか。

2022年1月2日日曜日

燈明へこの山の松飾りけり  耕治

 
桑本 栄太郎
 明けましておめでとうございます! 本年も宜しくお願い申し上げます。
 正月の松飾りは未だ生長していない松の若木を伐り出し、門松飾りとして使用していますね。おめでたい正月灯かりの松飾りは、地元の山より採取を行って来たものであります。その昔、鳥取の田舎では父親と共に山に入り、松の若木、裏白、などを採取し、その時一緒に栗の若枝を切り取り、削って正月用の「祝い箸」としたことが懐かしく想われます。

大津留 直
 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
あらたまの年の初日の大阿蘇に差しはじめたる淑気これこそ

金子 敦
 明けましておめでとうごさいます。
「この山の」という措辞に、これから始まる一年の希望と期待の気持ちが感じられます。本年もどうぞよろしくお願いいたします(^^)

仲 寒蝉
 この山は故山ですね。今年もよろしくお願いします(^^)/

野島 正則
 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
お正月らしさを演出しているのですね。

2021年12月26日日曜日

どうしても一つ横向く柚子湯かな  耕治

 
桑本 栄太郎
 昨日の冬至の湯には、湯舟に沢山柚子を浮かべて入られたようですね? 湯舟にじっくり浸かり、ぷかぷか浮かぶ柚子の様子を見て居れば、歪なものもありどうしても横向きになるものもあるようですね! しかし、見かけはどのようでも爽やかな香りに変わりは無いようです。

柳堀 悦子
 確かに、くるりんと直ぐにむきを変えてしまう柚子ありますよね^_^
柚子湯にゆっくりと入って芯までぽかぽかになられているご様子 頂きます

大津留 直
 純粋な写生句でありながら、先生の人生経験から来る人生観が滲み出ているところが素晴らしいと思います。

大関博美
 たくさんの柚子がぷかぷか 指でつつくと みんなおヘソが上に向くのに
 この子だけ、そっぽを向いて 浮いてくる 何処かのだれかにちと似てる

仲 寒蝉
 ありますね、こういうやつ。柚子に意思があるようで面白いですね。

2021年12月19日日曜日

話すほどまとまってくる冬日向  耕治

 
桑本 栄太郎
 本日の朝早くから昼前の天候のようですね?早朝は吹雪が激しく、昼前の今ではまだ相当寒いものの燦々と冬の日差しが差して居ります。今朝からの先生ご夫婦の会話のようですね?「今日は特に冷え込みが厳しいね!」などの会話が聞こえて来そうです。

仲 寒蝉
 最初は寒くてぽつりぽつりと言う話し方、それが日向にいると口も回って話もだんだんまとまって来るということでしょうか。私なんか後先考えずに話し始めて、話しながら考えますのでこんな感じです。

大津留 直
 言われてみれば、まったくその通りです。このご時世だからこそ、人と語り合うことの重要性をもう一度思い出したいものです。

十河 智
 ちょうどいい日向があって、話が弾むのでしょうね。職場の仲間となんとなく始めた話も、自分の中でまとまってくる。話しながら、これは行けるぞと発展させている。

大関博美
日当たりの良いラウンジで、クリスマスの出し物の相談かな
スタンツのストーリーから、配役、衣装はカラーのポリ袋で
なんて

2021年12月12日日曜日

重く掃きすくうに軽き落葉かな  耕治

 
野島 正則
 落葉、近くの公園から迷い込みます。一枚一枚は軽いけど、厚く重なると重さがある。なめらかな表現、勉強になります。

桑本 栄太郎
 近在の団地では毎日落葉掃きの「掃除のおばちゃん」を見かけます。掃いても掃いても散る落葉に、「お早う御座います! お疲れ様です!」といつも声を掛けて居ります。落葉を掃き寄せ集め、ごみ袋に掬いながら入れて行きます。落葉の風情も、仕事であれば大変かな~?とも思います。

大津留 直
 この素晴らしい身体表現は、やはり、自分で体験してみないと出てくるものではないと、しみじみ味わっております。本当に、落葉というものは、掃いてみると意外に重く、掬ってみると意外に軽いものです。その意外さが良く表現できているのは、やはり、日頃の修練の賜物なのだと思います。

大関博美
落葉はき
軽く掬えるのは、紅葉や広葉樹の落葉だろうか?
銀杏では、こうはいかない。
重く履き軽く掬う
発見がにじみ出ていると思いました。

2021年12月4日土曜日

美しく仏飯を盛る寒さかな  耕治

 
十河 智
 昔を思い出します。うちでも、どちらの祖父母の家に行っても、その家の主婦が芸術的にもった「ご飯さん」を仏壇に持って行き供えるのが、私の仕事でした。釜で炊いた、ツヤツヤのご飯の最初の一掬い、母も祖母たちやお嫁さん方、みんな手慣れていて、上手でした。

桑本 栄太郎
 日毎に寒さが募る今の時季の朝の光景ですね?。朝炊きたての湯気の出ているままに、小さな器に盛り仏様のお供えとします。その後家族の朝食が始まりますね?子供の頃の朝は何時もこの様な光景でした。

岡田 登貴
 お仏飯をよく「ご先祖さまに上げる」とおっしゃる方がいますが、我が宗派浄土真宗では、あくまで阿弥陀様へのお供えです。そしてそのお供えは仏様に「上げる」ものではありません。
 仏様は円満充足しておられますから、なにも必要ないのです。お供えするお仏飯は仏様からのいただきもの。それを日々感謝するためのお供えと教えられています。
 また浄土真宗ではご先祖を「拝む」ことはいたしません。お仏壇にあるお位牌(うちでは作りませんが)や法名軸、過去帖は拝む対象ではなく、私たちより先に阿弥陀様に出合い、阿弥陀様に導かれたご先祖という御同朋の生きられた証です。
 ですので、感謝の印のお仏飯を美しく盛ることは、自分への励ましになると思っています。ふんわりと盛られたお仏飯、美しいですね。今日一日を頂いた感謝の心が現れています。

2021年11月28日日曜日

大学を好きになりたる落葉かな  耕治

 
野島 正則
 我が家が好きな落葉、近くの公園から沢山きます。大学の中には沢山の樹木があるから、さぞかし落葉も集まるのでしょうね。、午後には風が出て急激に冷えて来る変わりやすい天候です。

桑本栄太郎
 大学の構内は広々として居り、何処も銀杏、プラタナスなどの樹木が植えられ、整備されていますね?そこに落葉が積もれば、如何にもアカデミックな雰囲気があります。行き交う学生や教授なども如何にも高尚な人間に想われ、この雰囲気は小生も好きですね!

目黒 航
 味わい深い句ですね。
 桜の季節もいいですが、年の瀬の大学もいいですよね。特にコロナ禍で大学生はキャンパスに行くことが少なくなっています。大学が再び、若者達が夢を語り合い、笑い合うような場になって欲しいと先生の句を詠んで心より感じました。

大津留 直
 関西の大学は、東京近辺の大学よりもゆったり建てられていて、木々も多いように感じました。私が非常勤講師として哲学を教えていた関西学院大学でも、楓や樟が多く植えられていて、紅葉が美しく、幸せな気分でした。もちろん、若い学生さんと交流できたことが何よりも嬉しいことでした。

十河 智
 大学の構内の並木道、それは季節ごとに味わいがあります。落ち葉の季節は学年半ばで落ち着いた時期でもあり、我が大学と言う意識に浸る頃かと。この句は、「好きになりたる」で一旦切れを感じます。落ち葉を踏み、しみじみと校舎を眺める。いい学校だと思うのです。

大関博美
 大学って、憧れてましたが私はいけませんでした。娘が通った大学で、初めて大学と言うところに足を踏み入れました。池袋駅から徒歩一分。桜の木に囲まれたキャンパス。
乃木会館、血洗池、学食、喫茶店、
文化祭の頃には、桜紅葉の頃、
かさかさ踏んで、香り立つ桜の香り。

仲 寒蝉
 北海道大学のキャンパスを思い浮かべました。

島 善信
 国定公園の中にある大学は大教大だけです。

岡田 登貴
 今日は放送大学大阪学習センターにTAのお仕事で行っていました。耕治さんと同じ落ち葉を見ていたかもしれませんね!黄葉の季節、どこの大学も明るく美しくなりますね!
Biyou Utashiro
 大きなゆったりとした景色が浮かびますね

西尾 征樹
 コロナウィルスにより、ほとんど大学へ行けない状況での学校への想いを感じました。岡田先生、いつも有難うございます。感謝申し上げます。

2021年11月21日日曜日

潤目鰯午後から風の出てきたる  耕治

 
桑本栄太郎
 日本列島を急激に大陸の寒気団が被い、不安定な冬独特の天候ですね?。午前中は日が差し暖かくても、午後には風が出て急激に冷えて来る変わりやすい天候です。
 御句に、未だ目が濡れているような目刺しが一瞬に想われ、今夜は熱燗で一杯遣りたい心地です。

大関博美
今日は、魚屋さんで「潤目鰯はどう、」なんて声を掛けられて
晩酌のあてに買って来た。七輪なんか出して、支度をしてると
風が出てきてしまった。
「レンチンにするか?」思案
しかし、ね〰。「潤目は、火で炙らなきゃ」って、独り言。
風向きも煙の量も気にはなるが
ごめんなさいと呟くのである。

十河 智
 鰯の漁に出て、朝の内に帰港。午後からの風。漁はもう終わって、安心して風の強さを感じている。智

大津留 直
 この句を拝読すると、風があの干物にした鰯の独特のにおいを運んでくるように感じられるのが不思議です。すると、今日の晩酌の肴は、鰯にしようと思えてくる、これも不思議なことです。

仲 寒蝉
 二物衝撃というか二句一章ですね。潤目鰯と午後からの風と、絶妙のバランスです。この風は海から山の方へ吹くのでしょう。

2021年11月14日日曜日

まちぶせの靴の先から冬に入る  耕治

 
西尾 征樹
 足の先から、冬を感じることは、季節に敏感であることを感じました。私は匂いで季節を感じることがございます。いまは、金木犀の香りがあちこちに致します。

十河 智
 まちぶせ? 謎めいたこの言葉。まさか冬を待っているわけではない。ほのかな期待にときめきつつ、恋の相手を待つのだろうか。それとも、害を成すための悪意の待ち伏せ。相手が来る前に、冬の寒さが襲って来る。足先からじわりじわりと一句の展開がドラマチックでスリリングである。

桑本 栄太郎
 この状況を色々考えてみました。昨日まで暖かい日が続いたものの、暦の上では立冬を迎え急に天候も悪くなり、今朝は一気に冬めいて感じます。その朝の出掛けの時の光景であり、冬のまちぶせに「先ず踏み出した足より冬となった」との俳人独特の比喩のようですね!

大津留 直
 小学校三・四年生くらいの子どもが、仲の良い友達をびっくりさせようと、物陰に待ち伏せしている様子が浮かんで来ます。長い間じっとしていると、足の先の方から冷えて来るのです。それを、「靴の先から冬に入る」と表現しているのだと思います。

野島 正則
 可愛い、小さな靴を想像しますね。

仲 寒蝉
 あ!石川ひとみだ!ユーミンだ!!ちょっとストーカーっぽいのか、それとも刑事の張り込み?

大関博美
 仲 寒蝉さん あたしもチラッと思いました。

2021年11月7日日曜日

ここからの眺めを選ぶ小鳥かな  耕治

 
桑本 栄太郎
 美しい色と美しい鳴き声の秋の小鳥達です。人間ばかりではなく、眺めの良い場所を選ぶ小鳥達の心情の視点に立った自然を愛でる優しい一句ですね!
大津留 直
 高千穂に国見峠という高台があり、遠く阿蘇連山を眺めることができる。私が訪れたのは、春であったが、たくさんの鶯が見事に鳴き交わしていた。この御句から私が思い描いたのは、まさに、その国見峠であった。人間も小鳥たちに誘われて、そんな場所へゆくのだろう。今頃はさぞ紅葉が美しいだろうと想像する。
大関博美
 「ここからの眺めを選ぶ」
天気の良いある日、双眼鏡を持って、バードウオッチングに出かけられたのでしょうか、眺望の良いテラスで、双眼鏡を覗き込む。秋の残りの木の実などを啄む小鳥たちの仕草に、しばし癒やされる日である。
牧内 登志雄
 鳥にも自分の気に入りがありますね。餌場であったり、敵から身を守るための定点観測地であったり。「眺めを選ぶ」のですから、きっと心が安らぐ場所なのでしょう。そんな表情でちょこんと枝を揺らす、可愛い表情が見えてきます。今の季節なら白いエナガが表れるかも。
野島 正則
 ここ、この場所は、作者も好きな眺めの良い場所なのでしょうね。
仲 寒蝉
 小鳥としてもいい眺めのところに来たい・・・のでしょうね。
十河 智
 小鳥が飛ぶ山野、峠にそんな小鳥の姿を見るスポットがあったりする。そこは眺めも良くて、それが見たくて何度も行ってみるのだ。