2016年5月31日火曜日

新緑やサドルをまたぐ尾てい骨 工藤 惠

新緑やサドルをまたぐ尾てい骨 工藤 惠
『雲ぷかり』本阿弥書店。読後感のさわやかな句集です。このさわやかさは、この句のように自分自身を真っ直ぐ見つめようとするまなざしにあるのかも知れません。新緑の明るさの中へ、自転車で漕ぎ出そうとするその瞬間、サドル、尾てい骨、この即物的な取り合わせが、これから始まる小さな旅を祝福しています。

2016年5月30日月曜日

「円陣」12句 岡田耕治

「円陣」  岡田耕治

蝸牛ガラスの空を通りけり
円陣や薬缶の麦茶回し飲む
ガソリンが音立てている夜店の灯
白玉を食べる人見て待っており
夏帽子ゴッホの眼していたる
冷房の図書館にある日向かな
夏灯赤赤として眠りけり
変容のはじめに蜘蛛の糸止まる
登校す躰に汗をなじませて
真ん中を減らしてゆけり氷水
サングラス細かな瑕の走り出す
夏蝶の眠りに落ちる早さかな

2016年5月29日日曜日

香天集5月29日 石井冴、中嶋飛鳥、橋爪隆子ほか

香天集5月29日 岡田耕治 選

石井 冴
春泥のジャングルジムから顔を出す
夏に入る日髙先生の木の机
誘いしか誘われいしか罌粟坊主
夏日影顔を幼くしていたる

中嶋飛鳥
麦秋の聖書の音声ガイダンス
顔伏せたまま緑雨に濡れたまま
山法師向う岸より父の声
切岸の奈落へ急ぎ黒揚羽

橋爪隆子
囀りの中の一羽を大きくす
新涼のリュックをならし電子音
夏帽子考え方を変えてみる
発車ベル鳴りつづけたる薄暑かな

橋本惠美子
春寒や地蔵菩薩の手が荒れて
春寒のブルーシートが包みたる
人間の気配を消して菜種梅雨
黄砂降る地蔵の眼閉じしまま

前塚嘉一
天上の母にカーネーションを描く
父と娘の暮らしの中の君子蘭
朝顔を植えて脳内安定す
電線の適度な間合い夏つばめ

釜田きよ子
濁ること全く知らず花十薬
花水木今日はオムレツ気分にて
恐竜と信じておりぬ蜥蜴の尾
陽炎を抜けて一皮剥けてくる

高橋もこ
どの道を行っても蛇が出て来そう
薄目して蟇が大きくあくびする
鋭角に追えば尺取立ち上がり
黒揚羽来てわがドアをノックする

浅海紀代子
ビルの間に機影を送り春の果
手垢付くドアを開きて夏迎う
頼られることもなくなり立葵
駐在の赤い自転車柿若葉

宮下揺子
豆の花義理人情の渦の中
ペンギンの行列につく子供の日
子供の日佐久間ドロップ缶ならし
憲法記念日摺足で母の来る

中濱信子
父と子の校歌は同じ春の山
文読んで優しくなりぬ花の雨
鯉幟嬰の手何を掴みいる
コンパスが錆びて出てくる昭和の日

坂原 梢
自転車の白髪よぎる五月かな
せせらぎの若葉を囲みフルコース
花は葉に人工関節すっと立ち
春休み尾根たどりゆく深呼吸

大杉 衛
裏返り八十八夜の次の夜へ
更衣見えるものみな水色に
ガラス拭くだんだん夏の見えてくる
晴れわたり矢車草の野となりぬ

木村 朴
鯉幟里に子供のゐずなりぬ
稚鮎跳ぬ大青空に招かれて
羨道を塞いでゐたる蜘蛛の糸
足拍子地より涌き出て夏まつり

藤川美佐子
日めくりや五月の風の吹きぬけて
紙風船吹いて子の息母の息
約束の一転したるカーネーション
待ちきれず悪戯好きの金亀虫

小崎ひろ子
色の濃き紫つゆ草今朝はあり
若者のドラマの暗さ風薫る
紫陽花は不在蕾のない時間
雨音を懐かしくして読書灯

2016年5月28日土曜日

いつかいつかいつかと待ちしきょうの月 田 捨女

いつかいつかいつかと待ちしきょうの月 田 捨女
『捨女句集』和泉書院。360年以上も前に書かれた作品が、一巻の句集として蘇りました。捨女の末裔である、田彰子さんからいただいた一巻は、俳号に反して捨てがたい作品に出会うことができます。5日を三回繰り返すと、なるほど15夜です。15夜に美事な月が出たことを、こんな遊び心をもって迎えられる感性に学びたいと思います。やはり、俳句は書いておくと残るものなんですね。今あなたが、わたしが書いている俳句が、300年後に末裔によって一巻の句集として出現するかも知れない。それだけで、たのしくなってくる句集です。

2016年5月27日金曜日

夕立は貧しき町を洗ひ去る 松瀬青々

夕立は貧しき町を洗ひ去る 松瀬青々
「俳句界」6月号。新しく発表された俳句をたどりながら、行き着いたのが「明治後期」に発表されたこの句です。松瀬青々さんが「貧しき町」と感じたそのまなざしが、現代の貧困をこれほどまでに切実に喚起することになろうとは。しかし、この句には洗い去ったあとの希望があります。今年の夕立のあとにもそれがもたらされますよう。

2016年5月26日木曜日

三日はや猫のハンガーストライキ 岡田由季

三日はや猫のハンガーストライキ 岡田由季
「豆の木」№20。猫と暮らしていますと、時間に正確になります。同じ時刻に餌を与えないと、すぐに食欲が落ちてしまうからでしょうか。餌を食べなくなると、それこそ長い日数に及ぶこともあります。元日、二日と機嫌良く食べていたのに、同じフードをあげたのに、突然食べなくなりました。「三日はや」という季語は、このように使うためにあったのだと感じさせるほど、絶妙です。ハンガーストライキという言葉も、学生運動を間近にしてきた私には、なつかしく、しかもインパクトがあります。

2016年5月24日火曜日

木の実落つ一弾はわが至近距離 行方克巳

木の実落つ一弾はわが至近距離 行方克巳
「俳句四季」6月号。森の奥深く、木の実を採りに来ますと、一時で袋を満たしてくれます。栗の毬を踏んで実を取り出そうとしていますと、一つまた一つと地に落ちてきます。こころ急くように森全体が冬に向かっているなか、間近に大きな毬栗が落ちました。ヒヤリ・ハット(正確には、ハインリッヒ)の法則と呼ばれるものがあります。1件の重大事故の背景には、29件の軽い事故が起きており、事故には至らないけれども「ヒヤリ・ハット」する事例が300件潜んでいるという法則性を示したものです。行方さんの至近距離の一弾は、さらに300の、そして29の、さらに1件の事故や災害につながっているように感じます。

2016年5月23日月曜日

「泡盛」 岡田耕治

「泡盛」 岡田耕治

泡盛の昼の内から匂いけり
実物の方に出会いてビアホール
夏の雨禿頭めがけ落ちてくる
我を見てくれていたのか蝸牛
更衣因幡より人訪ね来て
缶ビール遊ばせておく生簀網
夏空を強く結びし紐のあり
新しきボールをおろし雲の峰
想定をして白靴を洗いけり
花は葉に枕を替えて眠りたる
城に居る時間の中の牡丹かな
牡丹を活けて沈黙はじまりぬ

2016年5月22日日曜日

香天集5月22日 安田中彦、谷川すみれ、加地弘子ほか

香天集5月22日 岡田耕治 選

安田中彦
粽結ふ女三人ゐて静か
幼きをひと跨ぎして菖蒲湯へ
原発の海あをあをと磯なげき
かまびすしきほどに新樹の耀へり

谷川すみれ
扇風機ことに男をなだめたる
蝉時雨騒いでいたる箱の亀
蟻の道見出しの文字の大にして
紙袋ひとつを提げて夏夕

加地弘子
たんぽぽの絮どこまでも明るくて
麦笛を鳴らし別れの合図とす
心うつページの栞夏薊
青蔦の上までいって考える

澤本祐子
遠くなるげんげ飾りのものがたり
包丁にういろう粘る薄暑かな
春愁をしまい込みたり小抽斗
風薫るスニーカまだ箱の中

竹村 都
そろばんを鳴らして帰る朧月
蛸壺に活けられてあり山躑躅
花は葉に捨てると決めしバイク拭く
新緑の続く道来て迷いけり

立花カズ子
年定年に退職をして春田打つ
薯植うる農婦の指の逞しき
春の昼郵便受けにかるき音
春の川幼き日々を運び来る

西嶋豊子
若葉風水に映りてなお青く
メモをしたその紙忘れ雲の峰
紫陽花の日に日に育つ道のあり
新緑や一雨ごとに色冴えて

2016年5月21日土曜日

話すたび気息を漏らし花菜畑 曾根毅

話すたび気息を漏らし花菜畑 曾根 毅
「俳句四季」6月号。「気息」という言葉を生かすように作られた、そんな気がする一句です。大辞林では、①呼吸。いき。②気持ち。とあります。息をもらしたのですが、同時に気持ちをもらすように話したのでしょう。二人でしょうか、三人でしょうか。ゆっくりと語り合う目の前に、見渡すかぎり菜の花が広がっています。「菜の花色の夢が欲し」と言ったのは橋閒石ですが、この「気息」は閒石さんの夢にも通じているように感じました。

2016年5月20日金曜日

なんぼでも鳴き出す河鹿聴きをれば 茨木和生

なんぼでも鳴き出す河鹿聴きをれば 茨木和生
『熊樫』東京四季出版。山中の静けさの中、ヒョロ、ヒョロ、フィフィフィーと河鹿の笛が聞こえました。更に水に近づいていますと、あとからあとから聞こえて来ます。「なんぼでも」という関西弁を使っていることから、笛の音の多さを心からよろこんでいる響きを感じます。山を愛し、山を見つめて来られた茨木さんの肉声に触れることができる秀句です。

2016年5月19日木曜日

われも知らぬわが胸の底春霙 高野ムツオ

われも知らぬわが胸の底春霙 高野ムツオ
「俳句あるふぁ」6-7月号。春の明るさの中に霙(みぞれ)が降ってきました。突然のことで傘ももっていないけれど、コートにつくその結晶をたのしむことにしよう、そんな感じをまず受けました。私自身もまだ知らない私は、よく見ることで見えてくる。しっかり見つめることで見えてくるのかも知れません。そのおそろしさとたのしさが、空中でとけあっているようです。

2016年5月18日水曜日

まなざしの駆けのぼりゆく春の土手 片山由美子

まなざしの駆けのぼりゆく春の土手 片山由美子
「俳句あるふぁ」6-7月号。草に青み、小さな花が咲きはじめた土手に近づきますと、なつかしい土の匂いがします。その中を、一気に走って駆けのぼり、小走りに駆け降りては、また駆けのぼります。実際は駆けのぼらなかったけれども、「まなざし」は少年のように自在に春の土手を堪能したのです。人のまなざしの内にあることが、つかのま目の前の景物の中に、それこそ融けあうように立ち現れることが在り、それをたのしむことができるのだと、片山さんが微笑んでいます。

2016年5月17日火曜日

羽箒もて春愁を払ひけり 金子 敦

羽箒もて春愁を払ひけり 金子 敦
「出航」61号。車を大事にしていたとき、埃やワックスの粉を払うのに羽ぼうきをよく使いました。(今はあまり車に乗りませんので、羽ぼうきもどこかへ飛んでしまいました。)身の回りを綺麗にし、埃を払った状態にしますと、それだけで意欲が湧いてくるような気がします。最近読んだ雑誌「一個人」6月号の中で、東京大学の池谷祐二さんが、「脳の主導権を握っているのは身体なのです」と明言しています。春愁を払うという身体の動きが、脳の春愁を払ってくれたのです。

2016年5月16日月曜日

「声の言葉」 岡田耕治

「声の言葉」 岡田耕治

夏に入る声の言葉を短くし
木苺を食べたる瞳揃えけり
容体の落ち着いている桐の花
どこからも遠くなりゆく夏の山
鱚を釣る舟と舟とを寄せ合いて
できるだけゆっくり一杯目のビール
三味線の弾き手が変わり花うつぎ
酔うて歌う顔の集まる夏灯
初夏の骨を使って歩きけり
それほどは乱れておらず夏蒲団

2016年5月15日日曜日

香天集5月15日 久堀博美、永田文、中辻武男

香天集5月15日 岡田耕治 選

久堀博美
一杯のビールを前に回復す
薫風に誘われてより落ち着かず
はじめから太き支柱をトマト苗
人数より多めに作り柏餅

永田 文
イヤリング揺らし五月の風誘う
薇のほどかれてゆく日差かな
薫風や脱ぎたる上着腰に巻き
春風の中の訛や始発駅

中辻武男
光彩や土手のきりしま真盛り
松の芯老いたれど気を遣うこと
雨上る水すれすれに来る燕
高層のビルを襲いて雲の峰

2016年5月14日土曜日

若狭路のしぐれて晴れてしぐれけり 森岡正作

若狭路のしぐれて晴れてしぐれけり 森岡正作
「出航」61号。鈴木六林男師の俳句に「鰯雲この頃日本海を見ず」があります。それほどに、日本海を見たくなるときがあります。若狭路の観光は、夏が人気でしょうが、冬の気候の変わりやすい日本海を視ることは、精神の栄養になるにちがいありません。しぐれをたのしみ、晴れてきたことを喜び、またしぐれはじめた日本海を眺めて、森岡さんはどんなことをお考えなのでしょう。

2016年5月11日水曜日

花屑の轢かれ鴇色蘇る 花谷 清

花屑の轢かれ鴇色蘇る 花谷 清
「藍」5月号。鴇色(ときいろ)とは、トキの羽のような、わずかに灰色がかった淡紅色。地に降り積もった落花は、しだいに灰色を帯びて色褪せていきます。しかし、車輪に轢かれた花屑は、ふりしぼるように淡い色を蘇らせるのです。命を描くには、満開になった花よりも、花屑を描く方がよりリアルに感じられる時代です。しかもそれは、轢かれて押しつぶされることによって、色を取り戻そうとしているのです。命を描くことの醍醐味が感じられる一句です。

2016年5月10日火曜日

蟇の息づかひ間近にしてゐたり 茨木和生

蟇の息づかひ間近にしてゐたり 茨木和生
「運河」5月号。喉を上下させて、目をみはっている蟇(ひき)の息づかいが目の前に蘇ります。何度かこの光景を目にしているけれども、言葉にならなかったのです。それを茨木さんが美事に定着させてくれました。誰もが見なかった新鮮な景物を書いた俳句も魅力的ですが、多くの人が見ていて俳句にはしていないことをずばっと書いた俳句との出会いに、心が洗われます。作者はことのき、蟇の息づかいから、生きて在ることの尊さを教わっていたのかも知れません。

2016年5月9日月曜日

「立夏」 岡田耕治

「立夏」 岡田耕治

剥くことの合意に達し夏蜜柑
隈無く読む憲法記念日の新聞
矢車や今は男がいいと言う
粽結うなかなか寝つかなかったと
柏餅ゆっくりはがす音のして
光景を早送りして夏に入る
立夏わが陰毛強く湯に浮かぶ
夏の月もう一度湯に戻りけり
真上からシャッターを切り白牡丹
草笛や静かに怒るように吹き
夏草の深きところに倒れおり
思慮深い猫を持ち込む寝茣蓙かな

2016年5月8日日曜日

香天集5月8日 中村静子、今川靜香ほか

香天集5月8日 岡田耕治 選

中村静子
蜷の道雲真っ直ぐに流れゆく
移り香を折りたたみたる春日傘
足裏のほてりを冷ます干潟にて
生きている音の温もり種袋

今川靜香
どの窓も親し春の灯点るとき
春雨に葛城山は雲の中
日脚伸ぶ南改札口を出て
春の鳥水の色して水叩く

岡田ヨシ子
転勤の庭に残りてシクラメン
もの思う窓辺にそっと藤の花
鶯の谷間に強し鴉二羽
紺の帆をかけたる漁船春の雲

2016年5月7日土曜日

癌といふかなしみを飼ふひとに春 衣川次郎

癌といふかなしみを飼ふひとに春 衣川次郎
「港」5月号。「かなしみ」を大辞林で見ますと、かなしむことの次にいとおしむことが続きます。「飼ふ」という動詞は、いとおしむことという意味も誘ってくるように感じられます。春という時間は、あなたにもわたしにも平等に訪れます。あなたは癌というかなしみを、わたしにはこうして生きて在ることのかなしみを、この春がつれてくるようです。ご自分をいとおしむことができる衣川さんだからこそ、このように人をいとおしむことができるのでしょう。

2016年5月6日金曜日

としよりを演じてゐぬか花筵 大牧 広

としよりを演じてゐぬか花筵 大牧 広
「港」5月号。花見をするために敷いた筵に、大勢が集まってきました。中でも高齢の作者は、その人柄もあって大切にされます。「としよりを演じる」、それだけでいいのかも知れません。集まった人に愛想よく、一人ではこころもとないというように過ごす。しかし、そうなることを真っ向から否定する、自戒にも似た響きにハッとします。常に社会に目を向けて作句してきた作者は、収斂し、内に籠もろうとする働きを、俳句の表現の上でも律しておられるのです。

2016年5月5日木曜日

はたとあふ眼のなやみある白日傘 飯田蛇笏

「俳句」5月号。飯田蛇笏についての大きな特集は、読み応えがあります。どうすれば上達するかというハウツウよりも、一人の俳人とじっくり出会うことの方が、上達するかと思える特集です。はたと出会った人の、その眼を見た瞬間に何か重い悩みを抱えていると判ったのです。その人はそれを隠すために白い日傘を選んだのでしょうが、蛇笏さんは一瞬にしてそれを見抜いてしまいました。しかし、「どうかされたのですか?」なんて声をかけることはしなかったでしょう。「その日傘、お似合いですよ」とだけ声をかけたのではないでしょうか。俳人の息遣いが感じられる一句です。

2016年5月4日水曜日

卒業や見とれてしまふほどの雨 櫂未知子

卒業や見とれてしまふほどの雨 櫂未知子
小・中学校に勤めているとき、卒業式や入学式、ことに卒業式は晴れて暖かくなって欲しいと願ってきました。だけどこの日はあいにくの雨で、気温も低いようです。ただ、雨は雨でも「見とれてしまふほどの雨」ですから、未練は残りません。こんなきびしい世の中へ巣立っていく卒業生。式の間、ザーッと音を立てて、しかも真っ直ぐに降り続く雨の中にこそ、希望は在るのかも知れません。定型を愛し、定型に挑み続ける作者ならではの秀句です。

2016年5月3日火曜日

体からこころこぼれて花は葉に 池田澄子

体からこころこぼれて花は葉に 池田澄子
「俳句」5月号。人は頭で感じ考えるだけでなく、体でも感じ考えると言われます。それが一人の人間のうちにあるときはいいけれども、こころがこぼれてしまうことがある、と。歳を重ねていきますと、自分が感じたり考えたりしたことが何ととりとめのないものなのかと思うことがあります。こころはこぼれ出たら最後、もう戻らないというおそれもあります。しかし、澄子さんは「それもいいのよ」と肯定されているようです。「花は葉に」は、花を失った緑ではなく、花の明るさをたたえた緑なのだと気付かせてくれる、さわやかな一句です。

2016年5月2日月曜日

「浅蜊」 岡田耕治

「浅蜊」 岡田耕治

遠足のリュックサックを鳴らしけり
ものを食うときは並びて春の川
お玉杓子記憶の海へ放ちたる
草青む今日会う人の瞳にも
古草や背中に負いて軽くする
質問の角度が変わり松の芯
種袋振って気持を動かしぬ
蓮華草牛の咀嚼に巻き込まる
手を添えて人送り出す朧月
朧夜の骨を休めていたりけり
何時までも眠らずにいる浅蜊かな
夏兆す一枚の皿沈めおき

2016年5月1日日曜日

香天集5月1日 石井冴、安田中彦ほか

香天集5月1日 岡田耕治 選

石井 冴
クレーン車に人が小さく山壊す
プレートはつつじの花に埋もれたる
青蔦の走る校舎を毀ちけり
後ろにも日があり青鷺の直立

安田中彦
大阪や春服の犬ありきをり
牽引の骨が鳴ります春ららら
春落葉ときに家禽の捌かるる
哀しみの人へ新樹を一揃ひ

中嶋飛鳥
靴鳴らす信太の杜の春落葉
日本桜草は答えを知っており
筋肉を痛みの動く花曇り
三十回噛むことを課し春を送る

橋爪隆子
ボールペンに機嫌のありて春の昼
集合の声のかかりし土筆かな
春光と練羊羹を運び行く
行き先はこれから決める花衣

釜田きよ子
ドローンとも仲良くしたいしゃぼん玉
どうしても赤く塗りたしチューリップ
陽炎の入っておいでと声のする
掛け軸の虎の慟哭春の地震

大杉 衛
霾ぐもり返信を待ち老いゆけり
ひとはみな坐り直して端午の日
折り返し地点は渇き麦の秋
麦の秋点線に沿い切り抜いて

橋本惠美子
風光る電動自転車充電中
これからの暮らしを想い雛納め
枝垂梅折れる手前を盛りとす
補聴器のかわりを務め春隣

中濱信子
白壁の閑かさにあり日脚伸ぶ
木蓮の白早天を呼び寄せて
春埃して不動明王緩びたり
ふるさとの櫻の見える失意かな

前塚嘉一
ひとりごはんふたりごはんの浅蜊汁
父と子の二人暮らしや君子蘭
春嵐パキリと折れる傘の骨
春嵐神は沈黙しておりぬ

浅海紀代子
菜の花や記憶の径の繋がりて
衣擦れの路地を行き交う春祭
燕の巣見上げて朝の始まりぬ
たんぽぽの境界線の煙りけり

木村 朴
一樹づつ花の名を誦み通り抜け
陽炎の向かう警察機動隊
蜥蜴出て突掛草履驚きぬ
一角はソロプチミスト牡丹園

藤川美佐子
行く春の真っすぐとある道標
母の忌の声を届けて山桜
考妣とともに愛でおり夕牡丹
牡丹明り淡きは妣の名残とも

森谷一成
ほそみちを縫うて追いけり春の月
秒針の力尽く日の春愁
濡れぬ地のかけらに群れて四月尽
口下手の漢集まり花菖蒲

坂原 梢
ものの芽の上手に作る萌葱色
手帳には約束つまる聖五月
逃げ水や胃によりかかる膵臓癌
途中から無邪気になりし春嵐

浅野千代
吹かれ来て形をなくす花の塵
百千鳥東言葉の女子ら去る
花の寺までの二千歩想いけり
花冷の公園にいるリスに歌う

羽畑貫治
腹一杯麦飯食べて俟っており
ピン球に開花の便り届きけり
いかのぼり気管支炎を落ち着かす
癌探る磁気を通りし青時雨

越智小泉
追い追われつつ初蝶とゆく散歩
遠目には滝かと想う雪柳
対岸のさくら七年独り見る
風車走ることしか児は知らず

古澤かおる
春の月三匹並ぶ招き猫
手を振る父お辞儀する母おぼろ月
ホーホケキョゼロ歳からの英会話
夕桜名前で妻を呼んでいる

立花カズ子
うららかや親子の亀の賑わいて
亀鳴くや妹の唇まじまじと
癒えし身の桜あかりの中に立つ
青天や花の中なる鳥の声

岡田ヨシ子
頭上飛ぶ魚を見つめ春の海
ゆっくりと歩む曾孫を舞う桜
淡路島描きたくなる春日影
鶯や畝を作りし鍬休め