〈俳句物語〉 岡田耕治
風薫る昭和ガラスの我が家かな 嶋田 静
じいちゃんが抗癌剤治療を止めて、自宅に帰ると言い出したのは、三月末のことだった。ケアマネージャーと相談の上、訪問診療に切り換えることになった。父と母、それに僕と弟は、一年間そのままにしていた実家を片付け、なんとかじいちゃんを受け入れるスペースを確保した。
実家は、昭和三十年代の後半に建てられた木造の平屋だ。レンタルした電動ベッドを設置するため和室を片付け、補助金を使ってトイレまでの動線に手摺りを取り付けた。四月になってもまだ肌寒い日があり、外窓だけでなく、廊下と座敷を仕切る木製の引き戸にも隙間があったため、風が吹くたびにガラスがカタカタと鳴る音がした。
病院の空調が効いた分厚い窓から、この隙間だらけの窓に移って、じいちゃんは大丈夫だろうか。しかし、僕たち家族の結論は、とにかく本人の望むとおりにすることだったので、僕も弟も何も口を出さなかった。ガラス戸にはカーテンはなく、光を乱反射させる凹凸模様が刻まれており、外からの視線を遮りつつ、室内に柔らかな光を取り込んでいた。
じいちゃんが実家に帰ったのは、ゴールデンウィーク前だ。昼間は看護師やヘルパーが来てくれるので、僕たち家族四人は、交代で実家に泊まり込むことにした。病院ではあまり食欲がなかったじいちゃんだったが、実家に戻ってからは、食べたいときに食べたいものを食べるという生活になり、少しずつ食欲が出てきたようだ。
僕がはじめて泊まった日、家から持ってきた夕食ではなく、インスタントラーメンが食べたいというので、じいちゃんが好きだというチキンラーメンを作った。三分の一ほどの量だったが、じいちゃんは美味しそうに食べてくれた。
次に泊まった日は、まだ昼の明るさが残る時間帯だった。磨りガラスを通して和室に差し込む光の中を、気持ちの良い風が吹き抜けている。しばらく、ベッドで横になったじいちゃんと話していると、「ワインが飲みたい」という。一瞬迷ったが、家族で決めたとおり、僕はコンビニにワインを買いに走った。そこで見つけたのが、ストローで飲む二百CCの赤ワインだった。
ストローを伸ばしてパックの差込口に固定し、チーズを一口食べるのを見て、じいちゃんにワインを差し出した。
「うまいなあ、一年ぶりや」じいちゃんは、うれしそうに二口飲んだ。
「あとはまた明日、残りは冷蔵庫にいれといて」とじいちゃん。
冷蔵庫を開けると、その光に照らされたのは、「楽園」というワインのラベルだった。