2026年5月3日日曜日

饒舌の海峡に転け潮招  森谷一成

 〈俳句物語〉 岡田耕治

饒舌の海峡に転(こ)け潮招 森谷一成

 私は潮招(シオマネキ)のメスです。私たちの暮らしをご存じでない方もいらっしゃるでしょうから、少しお話します。私たちはカニの一種で、オスの片方のハサミがとても大きく成長します。それが潮を招いているかのように見えるので、シオマネキと呼ばれています。

 河口近くの、引き潮で泥が露出する干潟が、私たちにとって一番居心地のいい場所です。泥に深い縦穴を掘って暮らしており、この穴は外敵から身を守るだけでなく、満潮時に水没する間、静かに過ごすための私だけの個室でもあります。

 オスは巨大なハサミを上下に振り、私たちメスに向かって猛烈にアピールしてきます。私はオスたちのダンスを比べ、ハサミの大きさと、その振りの速さから彼を選びました。彼の巣穴へと入り、お腹とお腹を合わせたのです。その後、彼は気前が良く、自分の巣穴を私に譲ってくれたので、卵を抱いて大切に育てることにしました。

 彼は外に出て、新しい穴を掘るのかなと見ていたら、なんと彼はまたあの大きなハサミを振り始めたではありませんか。私たちは、基本的に夫婦で一緒に暮らすことはありません。それでも、せめてこの卵たちを海に放つまで、この巣穴を外敵からガードするものとばかり思っていました。

 私の個室から見える海峡は、いつも激しい潮の流れが押し寄せていますが、このところ、波がぶつかり合い、渦を巻き、轟々と音を立てています。どうも潮の流れだけではない、不穏な音が混じっているようです。この「饒舌な海峡」の騒めきは、命の危険を知らせているのかもしれません。それなのに、彼はその警告に耳を傾けることなく、ひたすら自己顕示のためにハサミを振り続けています。

 そう考えているうち、巣穴も掘らず、私や卵を守ることもせず、激しくハサミを振りまくっていた彼は、ついに勢いよく寄せてきた潮に押され、あっけなく転(こ)けてしまいました。あれほど自信たっぷりだった大きなハサミは、彼を守ってはくれませんでした。大きくて速いハサミこそが良い、この干潟の価値観は、いま、見直す時が来ているのかもしれません。



香天集5月3日 森谷一成、渡邉美保、浅海紀代子、辻井こうめ他

香天集5月3日 岡田耕治 選

森谷一成
暗殺を憂え種芋植えにけり
空中の涙あらそう穀雨かな
 「断腸亭日乗」昭和一六年六月一五日 
のたまくは暴支膺懲荷風の忌
饒舌の海峡に転け潮招

渡邉美保
新玉葱晒せば白くにごる水
脱藩の昔もかくや谷若葉
春の潮たぷんとぷんと日の暮れる
波音を真下にきいてゐる朝寝

浅海紀代子
友に見え我には見えぬわらびかな
大皿に春をいっぱい盛りにけり
懐かしき癖字の届き春の宵
わすれな草紫深き別れにて

辻井こうめ
マネージャーの作るお守り柿若葉
うつうつと海境を行く春の昼
小綬鶏や不快電話に動揺す
幸ひを叶ふ法なれ新樹光

中嶋飛鳥
料峭のふたことみこと耳の端に
絵とまがう墨の文字より春の声
声さかのぼる空井戸の春の闇
アルバムの笑みに躓き春送る

神谷曜子
菜種梅雨大雑把なる担当医
花の雨子育はもう済みました
散り際の桜と距離を置きにけり
たんぽぽの絮解体の隣家より

中島孝子
ジンジンと凍てる子の指包む指
夕映える船底型の春の月
光帯びせせらぎ包む猫柳
遅れ咲く紅梅窓の雨流れ

橋本喜美子
新若布皿をはみ出し盛られけり
漱石の小さき文机梅の花
子らの声空に吸はれし沈丁花
目を凝らしそつと手を置く犬ふぐり

半田澄夫
春きざす赤きワインを人肌に
春眠の覚めゆく床にヒール音
どこに来たジャングルジムに春が来た
すべり台ママに手を振る春に振る

北橋世喜子
冬五輪体内時計踊りだし
「みーつけた」指差す先の福寿草
屈むほど青き星屑畦青む
キーキーと鳴き声尖る春の鳥

林おうはく
冬の朝帰り忘れし白い月
水仙や荒波向かう加賀の浜
杉花粉和泉の山の薄化粧
氷溶け淀みに魚の影一つ

石田敦子
バレンタイン不意に渡さるチョコレート
桜餅語らひ食べる和菓子店
若草の萌へて香れる鄙の径
診察を変更すると雛祭り

上原晃子
水槽の小さき群れ浮く四温かな
球根の伸び出してくる若芽かな
碧空をソフトに光る花ミモザ
啓蟄の日差背に受け畑仕事

吉丸房江
四代で桜を見上げ笑い合う
春の山もっこりもっこり命吹く
青空は白木蓮の舞台にて
坐り込み次の声待つ春告鳥

川合道子
札にらみ手と手弾けるかるた取り
信太山山の谷より初音かな
ミモザ咲くリボンをつけた犬を撮り
町おこし家家に雛飾りおり

市太勝人
春の雪投票をせぬつまんなさ
如月のG2レース逃げねばり
冬五輪閉幕後には戦なり
天覧の地上波はなし花曇

秋吉正子
春を待ち面会時間三十分
隙間テープ破れる頃に春になる
ソナチネは小さなソナタすみれ草
造成地ただ一本の土筆かな

北岡昌子
淀川を下り菜の花咲き乱る
花びらであかるくなりし沢の水
本殿に供え小さな竹の子よ
土の上玉ねぎすこし顔を出す

大里久代
どこからか桜のほてり風に乗る
春夕べ推しの力士の白星よ
春場所のバシッとひびく朝稽古
春の朝具だくさんのちゃんこ鍋


〈俳句物語〉 岡田耕治
饒舌の海峡に転(こ)け潮招 森谷一成
 私は潮招(シオマネキ)のメスです。私たちの暮らしをご存じでない方もいらっしゃるでしょうから、少しお話します。私たちはカニの一種で、オスの片方のハサミがとても大きく成長します。それが潮を招いているかのように見えるので、シオマネキと呼ばれています。
 河口近くの、引き潮で泥が露出する干潟が、私たちにとって一番居心地のいい場所です。泥に深い縦穴を掘って暮らしており、この穴は外敵から身を守るだけでなく、満潮時に水没する間、静かに過ごすための私だけの個室でもあります。
 オスは巨大なハサミを上下に振り、私たちメスに向かって猛烈にアピールしてきます。私はオスたちのダンスを比べ、ハサミの大きさと、その振りの速さから彼を選びました。彼の巣穴へと入り、お腹とお腹を合わせたのです。その後、彼は気前が良く、自分の巣穴を私に譲ってくれたので、卵を抱いて大切に育てることにしました。
 彼は外に出て、新しい穴を掘るのかなと見ていたら、なんと彼はまたあの大きなハサミを振り始めたではありませんか。私たちは、基本的に夫婦で一緒に暮らすことはありません。それでも、せめてこの卵たちを海に放つまで、この巣穴を外敵からガードするものとばかり思っていました。
 私の個室から見える海峡は、いつも激しい潮の流れが押し寄せていますが、このところ、波がぶつかり合い、渦を巻き、轟々と音を立てています。どうも潮の流れだけではない、不穏な音が混じっているようです。この「饒舌な海峡」の騒めきは、命の危険を知らせているのかもしれません。それなのに、彼はその警告に耳を傾けることなく、ひたすら自己顕示のためにハサミを振り続けています。
 そう考えているうち、巣穴も掘らず、私や卵を守ることもせず、激しくハサミを振りまくっていた彼は、ついに勢いよく寄せてきた潮に押され、あっけなく転(こ)けてしまいました。あれほど自信たっぷりだった大きなハサミは、彼を守ってはくれませんでした。大きくて速いハサミこそが良い、この干潟の価値観は、いま、見直す時が来ているのかもしれません。

*一片が後を追いたる薔薇の門 岡田耕治

2026年4月26日日曜日

すかんぽや学年皆んな一クラス 加地弘子

〈俳句物語〉 岡田耕治

すかんぽや学年皆んな一クラス 加地弘子

 地域の高齢者を招くイベントを前に、班長は頭を悩ませていた。当初、自分たちが育てた野菜を販売する計画だったが、実家のばあばから「野菜を家まで持って帰るパワーがない」という声を聞いたからだ。班長は、野菜の販売を取りやめ、高齢者が喜ぶ「桜湯」を提供する喫茶コーナーへの変更を意を決して提案した。全学年が一クラスという小規模校では、進行中の取り組みに異を唱えるには勇気がいる。しかし、この対案はあっさり受け入れられた。

 担任によると、クラス替えがなく、入学から卒業までずっと同じ顔ぶれなので、できるだけ地域の人や学校外の人との交流が大事だという。班長は、まだその意味を実感できないが、この学校を卒業したときに、こんなイベントが思い出になるだろうと感じている。

 桜湯を提案した恵子によると、咲きかけた八重桜を摘み取って塩漬けにしておき、当日はそれに湯を注げばいいという。校舎の運動場沿いに植わっている八重桜を取ってもいいという校長の許可が出たので、人数分を摘み取り、準備をしていった。

 イベント当日、桜湯をきっかけに、班のテーブルでは、同級生の優希のおばあさんと親しく話すことができた。山菜採りの思い出話で盛り上がる中、おばあさんが学校への道にすかんぽがあったと教えてくれた。おばあさんに案内してもらい、教わった通りにすかんぽの茎をポキンと折り、表面の皮をスルスルと剥くと、緑色の芯が現れた。それを口に含んで噛むと、じゅわっと酸っぱい汁が広がった。「レモンよりもワイルドや」という声が上がった。

 この酸っぱさに後押しされたのか、日頃あまり発言しない秀才の博が、「食糧難の時代が来るから、今のうちに山菜の採り方と食べ方を調べて行こう」と言い出した。

 班長は、いよいよわらび採り名人だった実家のばあばの出番が来ると思った。

香天集4月26日 加地弘子、夏礼子、春田真理子、柏原玄ほか

香天集4月26日 岡田耕治 選

加地弘子
すかんぽや学年皆んな一クラス
子供らにチョッカイかける春鴉
走る父見え隠れする野焼かな
黙々と水を濁して芹洗う

夏礼子
追伸のその2終えたりフリージア
いぬふぐり空へ力を抜きにけり
飛花落花ワルツの後のノクターン
音読が黙読になり藤の波

春田真理子
スロープを上り下りのチューリップ
うつし世のとこ世とまがう花朧
通夜菓子を食む三日月は朧なり
アスパラガス足してポテトをかき混ぜる

柏原玄
授りを待つことにする桃の花
復縁をたくらんでいる桜餅
春光や男冥利の髭を剃る
晩節の荒びためらう葱坊主

宮崎義雄
蒲公英や四人バンドの音合わせ
噛み跡を残し逃げたる飯蛸よ
恋の猫カーテン越しに目が合いぬ
メリージェーン歌えないまま春愁

古澤かおる
風呂の蓋裏表干すみどりの日
みどりの日餃子にひだを四つづつ
腹筋を正す口笛緑立つ
四葉から目に飛び込みぬクローバー

砂山恵子
思い切り泣きたる後のすみれかな
亀鳴くやあんなをとこは振つちまへ
珍しき妻の沈黙シクラメン
春愁やグレタ・ガルボの細き眉

安部いろん
胸騒ぎめきし海嘯春の昼
難癖を聞く職辞して四月馬鹿
逃げ水に走者 少年の視界持ち
夢の木馬は初虹の麓から

前藤宏子
しなやかに強く生きたし糸桜
惜しみなく太陽に向くチューリップ
風光るクイズ一問解けぬまま
河に沿う桜並木をスキップす

松並美根子
しきりに降る桜の舞を見ておりぬ
花水木微笑んでいる寺の前
豊満を色にしずめし牡丹かな
百千鳥スタート点を決めかねる

木南明子
面白き蝋梅の実のくびれかな
大手毬朝の気温の定まらず
泉州の新玉ねぎのサラダ香る
春惜しむ耳掻きのまだ見つからず

嶋田静
桐剪定窓いっぱいの青い空
窓ごしの池に写りぬ松の芯
寝たろうの私を起こす百千鳥
七回は菜の花畑甲子園

金重こねみ
独り居の何事もなき四月馬鹿
剪定す隣のカポックままならず
花と鼻五ミリ離して見ておりぬ
眼裏に一輪残る桜かな

森本知美
春凪の航跡二本和歌の浦
鋏手にてこずっている夏蜜柑
万葉の磯を見下ろす郁子の花
毛虫取る昨日の百を更新す

安田康子
砂時計ひっくり返し桜待つ
見とどけし秀枝のいのち初桜
花衣花びら色に染まりけり
さくらさくら傍らに老い置いておく

目美規子
モッコウバラロードミラーに垣間見ゆ
生垣の香りを潜る春の闇
顔なでる猫の右手や春の暮
春雷やにわかに父の遠き声

岡田ヨシ子
大好きな美という文字を書く色紙
舟を漕ぐ歌声ひびき春の川
春光に七福神を塗る絵の具
夏隣寿命の伸びる早さにて

川端伸路
散ってゆく桜と逆に増すエラー 

〈俳句物語〉 岡田耕治
すかんぽや学年皆んな一クラス 加地弘子
 地域の高齢者を招くイベントを前に、班長は頭を悩ませていた。当初、自分たちが育てた野菜を販売する計画だったが、実家のばあばから「野菜を家まで持って帰るパワーがない」という声を聞いたからだ。班長は、野菜の販売を取りやめ、高齢者が喜ぶ「桜湯」を提供する喫茶コーナーへの変更を意を決して提案した。全学年が一クラスという小規模校では、進行中の取り組みに異を唱えるには勇気がいる。しかし、この対案はあっさり受け入れられた。
 担任によると、クラス替えがなく、入学から卒業までずっと同じ顔ぶれなので、できるだけ地域の人や学校外の人との交流が大事だという。班長は、まだその意味を実感できないが、この学校を卒業したときに、こんなイベントが思い出になるだろうと感じている。
 桜湯を提案した恵子によると、咲きかけた八重桜を摘み取って塩漬けにしておき、当日はそれに湯を注げばいいという。校舎の運動場沿いに植わっている八重桜を取ってもいいという校長の許可が出たので、人数分を摘み取り、準備をしていった。
 イベント当日、桜湯をきっかけに、班のテーブルでは、同級生の優希のおばあさんと親しく話すことができた。山菜採りの思い出話で盛り上がる中、おばあさんが学校への道にすかんぽがあったと教えてくれた。おばあさんに案内してもらい、教わった通りにすかんぽの茎をポキンと折り、表面の皮をスルスルと剥くと、緑色の芯が現れた。それを口に含んで噛むと、じゅわっと酸っぱい汁が広がった。「レモンよりもワイルドや」という声が上がった。
 この酸っぱさに後押しされたのか、日頃あまり発言しない秀才の博が、「食糧難の時代が来るから、今のうちに山菜の採り方と食べ方を調べて行こう」と言い出した。
 班長は、いよいよわらび採り名人だった実家のばあばの出番が来ると思った。

*ぶらんこに戻って来たるリズムかな 岡田耕治

2026年4月19日日曜日

燃え尽きし星もあるべし春の空 茨木和生

【俳句物語】岡田耕治

燃え尽きし星もあるべし春の空 茨木和生  句集『さやか』より

七十五歳のおじいちゃんは、元高校の物理の教員だった。六年前におばあちゃんを亡くしてから一人暮らしをしている。さやかは小学五年生で、春休みや夏休みなどに、兄と一緒におじいちゃんの家で二、三泊して過ごすのが何よりの楽しみだ。

おじいちゃんの書斎は、さやかのお気に入りの場所だ。端の玉をぶつけると反対側の玉がカチーンと飛び出す振り子。光を当てるだけでガラス瓶の中の風車がクルクルと回り出す不思議な道具。そんな「なぜ?」を掻き立てるものがあふれている。

今晩、おじいちゃんは、窓際にあるどっしりとした望遠鏡にさやかを招いた。
「これは遠くを見る道具であると同時に、『過去を見るタイムマシン』でもあるんだよ」。

おじいちゃんは、春の夜空の「北斗七星」から「しし座」にかけてのエリアが「宇宙ののぞき窓」と呼ばれていることを教えてくれた。

「今日この窓からは、いま自分たちがいる銀河ではなく、ずっと遠くの『別の銀河』が見えるんだ。
「今日はなぜ、遠くの星が見えるの?」。

「天の川の方向、つまり夏や冬の夜空を見ると、銀河の星やガスが多すぎて、遠くが見通せない。でも、春の夜に北斗七星やしし座がある方向は、天の川銀河の真上にあたる『薄い部分』なんだ。だから、邪魔されずに、はるか遠い別の銀河がよく見えるんだよ」。

さやかは、おじいちゃんがセットしてくれた望遠鏡を覗き込んだ。
「おじいちゃん、写真で見るような渦巻きなんて見えないよ。なんだか、小さくて淡い、光のシミみたい」。

「そのぼんやりした光のシミの中に、太陽のような星が何千億個も詰まっているんだ。その光は、数千万年という長い旅をして、今、さやかの目に届いたんだよ。さやか見ている光の中には、実はその星自体がすでに消滅してしまっている光もあるんだ」。

さやかは不思議そうな顔で尋ねた。「星は消えてしまうとどうなるの?」

「星が一生を終えて燃え尽きると、そのかけらが宇宙に散らばる。その星のくずが集まって、新しい太陽ができ、地球ができ、そして長い時間をかけて私たちの体が作られるんだ」。

「じゃあ、燃え尽きても死ぬことはないのね」。



香天集4月19日 三好広一郎、柴田亨、湯屋ゆうや、谷川すみれ他

香天集4月18日 岡田耕治 選

三好広一郎
春めくや錆びたペンチの開脚す
砂ゴムや汚染拡がる春の湾
トアロード出合い頭に昼の桃
蛇穴を出づ眼力を回復す

柴田亨
藤の根の力強さよ祖母の息
落花ひとつ無常の闇に咲いており
穏やかに白へと還る紫木蓮
精霊の寂しき集い花筏

湯屋ゆうや
夕桜切干大根炊き始む
綿飴を顔前に立て花明り
フルートの人と憶ゆる花楓
子が描けば美しくなるクロッカス

谷川すみれ
光悦寺四百年を芽吹きけり
一病を守る湯気甘し桜餅
春陰をおよぐ首相の首飾り
春分や行くよりほかになき鞄

木村博昭
春泥を浴びてゴールを守り抜き
あたたかし駅のピアノに鳴る拍手
春分の地球儀あくびしていたる
率直に幸せというチューリップ

佐藤諒子
揚雲雀黒土動く気配のす
春日影バイオリニストのうす目にて
子の瞳何かささやく春の風
菜の花やふるさとの山見失う

上田真美
シャボン玉身体くの字にして吹く子
花の宴酒の肴にされている
暮れなずむ恋になりそうならなそう
花曇り窓の外はと尋ねられ

平木桂
花吹雪若さにしがみつくなんて
吾子の掌に花びらとして舞ひ降りぬ
見飽きたる仏頂顔と浅蜊汁
百舌鳥古墳バルーンのゆく養花天

橋本喜美子
寒鯉のはじめに胃腑の抜かれけり
降る雪に青空来よと祈りおり
年の豆大国さまにあげ申す
何にでも入れる打豆鬼やらひ

宮下揺子
父母に抗う少年の四月
夏衣ライブカメラにⅤサイン
うっかりが続く日の中こぶし咲く
自己主張強い二人と春の旅

半田澄夫
迷い込む哲学の森寒の夜
一人となり冬の峠をバスで越す
手間暇を残さず食べんおでんだし
早く咲く梅は主を選ばない

北橋世喜子
一番と空を指差す花アロエ
煮凝りの醤油の甘さ義母の味
大の字に吹かれ干されしねんねこよ
味噌仕込む四時間を豆踊りけり

中島孝子
ガラス器を飾り遅れし雪中花
寒さなし生地をこねゆくパン作り
声響く氷柱の長さ競う子ら
冴え返るペダルの重し投票日

楽沙千子
春きざす傘寿祝いの花束に
海苔香る紀州茶粥の朝餉かな
趣味の友招いていたりわらび餅
特急を見上げていたり花筏

上原晃子
たむろするふくら雀の精米所
俯きの蝋梅透かす日差かな
雪あかりママレード煮る艶と香よ
白梅の徒長枝競い天を突く

川合道子
筆に墨白を生かして冬を描く
新聞の冷たさを取り朝始まる
冬空にひっそりとある朝の月
真っ白な地面を進む息白し

石田敦子
小豆粥インスタントで事の足る
ことごとく切先の向く氷柱かな
存分に雪舞う街を見に行かむ
豆まきのスターの揃ふ福は内

林おうはく
雪しまきライトに映る能登の道
風花や何処の旅の寄り道か
冬日受く鰡待ち櫓光る波
十二月仏も神もCMに

市太勝人
天覧の初場所にして総くずれ
風花やあの日のことを忘れずに
大棋士の旅立ってゆく寒の内
初春や紙の朝刊保存する

東 淑子
高高と咳の体を寄せており
寒風のキンキンと窓鳴らしけり
紅白の人を寄せいる梅の花
水仙やすんなりとした黄色をし


〈俳句物語〉岡田耕治
燃え尽きし星もあるべし春の空 茨木和生  句集『さやか』より

 七十五歳のおじいちゃんは、元高校の物理の教員だった。六年前におばあちゃんを亡くしてから一人暮らしをしている。さやかは小学五年生で、春休みや夏休みなどに、兄と一緒におじいちゃんの家で二、三泊して過ごすのが何よりの楽しみだ。
 おじいちゃんの書斎は、さやかのお気に入りの場所だ。端の玉をぶつけると反対側の玉がカチーンと飛び出す振り子。光を当てるだけでガラス瓶の中の風車がクルクルと回り出す不思議な道具。そんな「なぜ?」を掻き立てるものがあふれている。
 今晩、おじいちゃんは、窓際にあるどっしりとした望遠鏡にさやかを招いた。
「これは遠くを見る道具であると同時に、『過去を見るタイムマシン』でもあるんだよ」。
おじいちゃんは、春の夜空の「北斗七星」から「しし座」にかけてのエリアが「宇宙ののぞき窓」と呼ばれていることを教えてくれた。
「今日この窓からは、いま自分たちがいる銀河ではなく、ずっと遠くの『別の銀河』が見えるんだ。
「今日はなぜ、遠くの星が見えるの?」。
「天の川の方向、つまり夏や冬の夜空を見ると、銀河の星やガスが多すぎて、遠くが見通せない。でも、春の夜に北斗七星やしし座がある方向は、天の川銀河の真上にあたる『薄い部分』なんだ。だから、邪魔されずに、はるか遠い別の銀河がよく見えるんだよ」。
 さやかは、おじいちゃんがセットしてくれた望遠鏡を覗き込んだ。
「おじいちゃん、写真で見るような渦巻きなんて見えないよ。なんだか、小さくて淡い、光のシミみたい」。
「そのぼんやりした光のシミの中に、太陽のような星が何千億個も詰まっているんだ。その光は、数千万年という長い旅をして、今、さやかの目に届いたんだよ。さやか見ている光の中には、実はその星自体がすでに消滅してしまっている光もあるんだ」。
 さやかは不思議そうな顔で尋ねた。「星は消えてしまうとどうなるの?」
「星が一生を終えて燃え尽きると、そのかけらが宇宙に散らばる。その星のくずが集まって、新しい太陽ができ、地球ができ、そして長い時間をかけて私たちの体が作られるんだ」。
「じゃあ、燃え尽きても死ぬことはないのね」。


*夕空をやわらかくして燕来る 岡田耕治

2026年4月12日日曜日

春夕べひっかき傷を猫にもらう 浅海紀代子

〈俳句物語〉岡田耕治

春夕べひっかき傷を猫にもらう 浅海紀代子

 わらわは猫、名前はココ。あるじの肉付きのいい手のひらは、わらわの腰から背中へ、さらに耳の後ろへとゆっくりとした愛撫をくれる。そうこうしているうちに、いつしかあるじのお腹を枕に眠りについてしまうのが常である。
 だが、今日は違った。窓の外を向かいのレオがのそりと歩いている。わらわはハッと目覚め、起き上がった拍子に、あるじの手首をひっかいてしまったのである。「痛っ」と声を上げ、あるじが洗面所に立った隙に、わらわはレオを追って外へ飛び出した。レオはわらわの姿が見えているはずなのに、そのまま家の中に入ってしまった。
 レオは去年の夏に去勢手術を受け、二つのタマタマを失ってしまった。それ以来、わらわを見ても近寄ってくることが少なくなった。以前の引き締まったスタイルも崩れ、急に太ってしまったせいか、家にいる時間が増えている。わらわとは、もはや恋のリズムが合わなくなったのだろうか。
 夕刻、あるじのパートナーが帰宅し、二人の会話が始まった。
「今日はココにひっかかれてしまったの」
「え、珍しいね。大丈夫?」
「うん。猫の恋なのかしら、このところピリピリしてる感じなの」
「そろそろ避妊手術した方がいいかも」
「手術となると、三万円以上かかるでしょ」
「いや、補助金が出るから半額くらいでできるんじゃない。でも、先着順だから早く申し込まないと」
この会話を眠ったふりをして聞きながら、わらわはふと思った。
これで、レオとものんびり仲良くできるかも。