2024年4月21日日曜日

香天集4月21日 三好広一郎、中嶋飛鳥、木村博昭ほか

香天集4月21日 岡田耕治 選

三好広一郎
ポイントの無くても生きて囀れり
春キャベツ私を抱いてくれないか
春やわわ大草原にマヨネーズ
恐竜の骨琴冴える五月来る

中嶋飛鳥
ゆきずりの肩を並べて遅桜
俯瞰する渦を出られぬ花筏
西東忌リードの長さいっぱいいっぱい
傍らに寡黙でありぬ牡丹の芽

木村博昭
てらてらと信楽たぬき春日享く
各駅に停まる日永の海辺かな
黄砂来る仏舎利塔は闇の中
チューリップ自分で出来るようになり

楽沙千子
靴音のついてくるなり沈丁花
思い込み直さず朧月夜かな
花冷えの綻びてきし三分咲
木瓜の花終の住家としておりぬ

嶋田 静
濡れ行けり降りては止める花の雨
おろうそく幾度も消す花の風
花吹雪両手で受けておりにけり
雑草の名前に春を教わりぬ

勝瀬啓衛門
花明り目と目を合わし居たりけり
散る散らぬ空もだらだら花曇
キーボード探る指先新社員
餅草や忘れた頃の腰の丈

西前照子
観光客見送る姿猫柳
おぼろの夜鍵穴照らすペンライト
軒下に今年も一つつくしんぼ

〈選後随想〉耕治
ポイントの無くても生きて囀れり 三好広一郎
 この句を最初に見たとき、「ポイント」を買い物をしたときにカードに付くポイントを想起してしまい、別にポイントがなくても暮らしていけるという程の意味かなと思った。ところが、句会で辻井こうめさんが、この句のポイントというのは、目立つ場所とか定点という意味だと解釈してくれたので、一気に読みが広がった。春、何もポイントがないような場所で、さまざまな雄鳥が雌への呼びかけを行う様子が浮かんできたのである。ヒトの子育ての中では、心理的安全性が大切で、安心して見てくれている定点があるから、いろんなことにチャレンジしていけると言われている。その説から読んでいくと、「定点なんてなくても生きていけるし、恋もできるんだぜ」、そんな広一郎さんの内なる声が聞こえてくる一句だ。
*岬町小島にて。

2024年4月14日日曜日

香天集4月14日 玉記玉、三好つや子、柴田亨、加地弘子ほか

香天集4月14日 岡田耕治 選

玉記玉
飛石にまれびととなる養花天
糸桜ふわりと裏の見えにけり
複雑を易しく語る諸葛菜
鶏とはち合わせたる労働歌

三好つや子
まれびとをもてなす童鼓草
黄砂降る古代文字めく人の影
山葵沢りんりんりりり水走る
組織には馴じめぬマイマイツブリかな

柴田亨
水琴窟大地の静寂満ちており
雨の世の物の怪集う紫木蓮
彼岸西風何もないこと母のこと
山茶花の散り果て天を広くする

加地弘子
揚げ雲雀策略通り揚がりけり
輪っか振る度に飛び出す石鹸玉
艶っぽく蒸し上がりたる春キャベツ
絨毯になりて安寧花ミモザ

春田真理子
教え子を見届け逝けり涅槃雪
連翹や玄関に鳴る土の鈴
あつまりぬ朧の夜の楽器たち
春の雨支える傘のあゆみかな

古澤かおる
絡みつつ紅を帯びたる茨の芽
肉球の黒い斑点春きざす
高齢は歩け歩けと風光る
クルトンをスープに浮かべ春の旅

岡田ヨシ子
菜の花を三本貰い散歩する
桜狩テレビの中を何処までも
散る桜シルバーカーが巻き込みぬ
鯉のぼりいつまで生きる早さかな

北岡昌子
山間やうぐいすに耳かにむける
静寂の雪降りそそぐ高野山
朽ち果てた木なり桜の花が咲く

大里久代
見守りし子ら卒業のたくましさ
予報士が何回も見る初桜
吹く風に香りを運びフリージア

〈選後随想〉耕治
組織には馴じめぬマイマイツブリかな 三好つや子
 マイマイツブリはかたつむりの別名で、殻を背負って単独で自由に移動しているように見える。一方、組織は、多くの個人が集まって構成されるものであり、自由よりも集団の規範が重視される。マイマイツブリは、漢字で「舞舞螺」と書くが、組織の中できりきり舞いしていたけれども、それを抜け出そうとする気配が感じられる。規範がなければ組織は成り立たないが、個人にとっては組織に所属することがストレスになる。そのストレスから抜け出そうとするマイマイツブリの姿に共感する。つや子さんが捉えたこのマイマイツブリは、果たして上手く組織を抜け出すことができただろうか。
*岬町小島にて。

2024年4月7日日曜日

香天集4月7日 浅海紀代子、辻井こうめ、佐藤俊、砂山恵子ほか

香天集4月7日 岡田耕治 選

浅海紀代子
白蓮の嘘をつけない高さかな
髪切ってうっちゃている春愁
白椿咲きる傷みありにけり
野遊のいつか一人となりにけり

辻井こうめ
静かなる賑はひにあり藪椿
春ともし影絵の語るごんぎつね
まれびとの依代となる朝ざくら
女性デーのよそにゆらゆら花ミモザ

佐藤俊
春色に濃淡あって生きづらし
三鬼忌の生田の森の水みくじ
七彩の嘘に護られしゃぼん玉
三月のかたちとなって猫の昼

砂山恵子
鳩時計の鳩のいねむり聞く日永
蜂の来る対話の欲しき昼下がり
ぶらんこ漕ぐ町を貫く風となり
ビール箱車止めとす花見かな

宮下揺子
使われぬぐい呑み並べ雛納め
花蘇芳心の蓋を外しおり
しゃぼん玉亡母(はは)との記憶包み込む 
天心の六角堂に春怒涛

吉丸房江
ひ孫生れ枝の先まで桃の花
天満宮梅ヶ枝餅の香りけり
ホーホケキョ目覚し時計より先に
今咲いたパンジーのよう黄蝶々

垣内孝雄
極まりの奥千本を花の茶屋
東京に大学多し夢見鳥
磔のイエスの像や風光る
チューリップまだ見つからぬ宝くじ

牧内登志雄
永訣も邂逅もあり桜咲く
桜咲く急行列車停車駅
花明り枕屏風の春画めく
花疲れ盛り蕎麦一枚酒二合

秋吉正子
満開の桜よ母は再入院
犬にある掛り付け医と春に入る
杖二本残し旅立つ春の宵

川村定子
東風吹いて破れ幟をはためかす
大小を問わず新芽は今盛り
ゆくりなく大樹の花の二分咲きに

〈選後随想〉耕治
春ともし影絵の語るごんぎつね  辻井こうめ
 いたずらばかりするごんぎつねは、兵十の母の死をきっかけに、償いの気持ちから兵十の家に毎日食べ物を届ける。ある日、ごんが家の中に入っていくのを見掛け、火縄銃でごんを撃つ。兵十は土間の食べ物を見て、毎日届けてくれていたのがごんだと気付く、そんな物語が「春ともし」の中で繰り広げられた。小学校の子どもたちがはじめて出会う本格的な物語は、今も人々の記憶の中に生きている。絵本を愛するこうめさんならではの一句。
柏原市高井田にて。

2024年3月31日日曜日

香天集3月31日 渡邉美保、中嶋飛鳥、谷川すみれ、浅海紀代子ほか

香天集3月31日 岡田耕治 選

渡邉美保
ポケットから出せばしおれて蕗の薹
紅椿浮かべ暗渠を流れけり
サイネリアリリリリリリと育ちをり
同心円のまんなかにゐる春の鴨

中嶋飛鳥
かなしみを上書きしたり夜の梅
料峭の乗換駅のピンヒール
ふらここのビヨーンとのびる影法師
椿見て眉描きなおす太く濃く

谷川すみれ
棘の血の溢れてきたり木の芽時
春の川苦手な方に踏み出しぬ
見るほどに遠くなりゆく桜かな
枝垂梅まだ見ぬ姉のように立ち

浅海紀代子
冬灯真ん中に老い坐りけり
手を握るだけの見舞や室の花
寒昴子は子の闇を背負いおり
身の内に仏の住す花柊

森谷一成
受験子にありて字引の遠くなり
日本紀に地震の幾たび原発忌
ロケットと飢餓をならべる春炬燵
切株のなまなましきへ椿落ち

夏 礼子
雛段のどこかであくびしておりぬ
二度会えば親しくなりぬ柳の芽
句会へと寒の戻りを愉しみぬ
四月馬鹿本当のこと言うたろか

柏原 玄
蕗の薹闌けて木になるこころざし
犬ふぐり狙い通りに着地せり
つちふるや柱時計の進みぐせ
木蓮の雨後のひかりに整列す

湯屋ゆうや
右手より薄き左手朧の夜
春の海をおもふと判る歩き方
新しき枕カバーを買ひに春
雪の果誰かが押した降車ベル

宮崎義雄
道の駅今年のふきのとう求め
顔を上げ少年工の春帽子
春の昼ボランティアらの顔ゆるみ
春満月祈りのごとく地震の地

前藤宏子
病む友の子供めく眼や春愁
パンジーの鉢植え残し閉校す
復興の合図のごとく桜咲く
株高や桜と地震の国に住み

松並美根子
黄昏て好き嫌いなき白牡丹
山ざくら無縁仏に煙立つ
菜の花に白黄むらさきありにけり
恩師来る小顔いきいき春帽子

松田和子
春来たる近くて遠い友の家
猫の恋少し走りて振り向きぬ
雛流す小舟をかつぎ加太の海
ハーブの香あり寂静の涅槃像

木南明子
この村も隣の村もミモザ咲く
紅梅の盛り目白に知らせねば
ムスカリの青であること愛しめり
辛夷咲く命のバトン繋ぎけり

金重こねみ
探査機より兎が好きと朧月
集団の中の孤独や落椿
あっちこっちそっちを向いて落椿
白梅よ亡き母の顔ご存じか

森本知美
山里を揺らしていたる蝶の群
ビニールハウス行きつ戻りつ苺狩り
藪椿風通りゆく母の墓
クリーン作戦色とりどりの毛糸帽

目美規子
白もくれん一夜の風に散り始む
雛飾り路地吹き抜ける醤油の香
何ごとも簡素にしたりひな祭
久方に会う友二人ミモザ咲く

〈選後随想〉耕治
料峭の乗換駅のピンヒール  中嶋飛鳥
 「料峭」は「春寒」の傍題だが、春の寒さは去ったはずの冬が蘇り、冬の寒さよりもかえって身にこたえる。「料峭」という漢字は、料=おもんばかる、峭=きびしさ、の組み合わせで、冬を再び思い返す寒さというほどの意味。「乗換駅」」は、多くの人が行き交う場所であり、そこでピンヒールを履いている女性には、都会的な印象が漂う。句会でこの句が出されたとき、ピンヒールを履くのだから、網タイツなどを合わせたような、おしゃれな足元との評があった。真っ先に春を感じて、気のきいた薄手の洋服を選んだのに、冬の寒さよりも残酷な春の寒さの中を歩いていくことになった。しかも、ヒールだから背筋を伸ばして…。飛鳥さんの的確な言葉選びが光る一句だ。
*延伸した御堂筋線の「箕面萱野」駅にて。

2024年3月24日日曜日

香天集3月24日 神谷曜子、木村博昭、安部いろん他


香天集3月24日 岡田耕治 選

神谷曜子
蝋梅や誘うばかりで答えない
物価高へと節分の豆を打つ
初蝶の残像として眠りけり
梅一輪また子と暮らすことになる

木村博昭
笑えるはヒトの特権あたたかし
下段ほど表情豊かなる雛
春荒れる円空仏の苦悩貌
かなしみは後れ来るもの鳥雲に

安部いろん
荷を開けるカッターの刃にある余寒
シャボン玉名前ひとつもなく生まれ
自我という境を繋ぐ蝌蚪の紐
春憂い車窓は我の目を映す

楽 沙千子
朧月ナビゲーションの大廻り
梅古木庭師が軽く枝はらい
春雷の雨足強し朝まだき
榾火へと頬ふくらます火吹竹

嶋田 静
鬼たちのダンス始まり節分会
山笑うさぬき七富士小さくも
巣立ち鳥えさをくわえて隠れけり
春の田やうどん屋の旗上がりたる

河野宗子
菜の花を立ち去りがたき散歩かな
木瓜咲くやあたりの花を明るくす
梅の花一輪描いて送りけり
友と手を重ねていたる余寒かな

古澤かおる
春の昼家人微かに立てる音
釣り人が位置を変えたり春の風
永き日の猫の眼に諭される
龍天に登る朝五時二十五分

田中仁美
茶碗蒸し百合根が一つ残りけり
ちらし寿司箱に入ったおひな様
風邪の夫おかゆはドアの前に置く
春日影ひつぎの中にあんぱんを

岡田ヨシ子
春時雨脳体操の目を離し
職員の検温を待つ桜かな
桜餅友が訪ねてくるノック
道の駅シルバーカーの風光る

川端大誠
白球に追いついている春休み

川端勇健
春休み本屋に行くと在庫なし

川端伸路
春休み満車に雨が強くなる

〈選後随想〉耕治
梅一輪また子と暮らすことになる  神谷曜子
 梅の花は、春の訪れを告げる花。それが一輪咲いたことによって、長い冬の終わりが見えてくる。曜子さんは、一輪の梅から、これまでの人生を振り返り、これからまた子と暮らすことになることへの思いを静かに見つめている。うれしいとも、心配だとも、そのようになった紆余曲折などについても、何も書かれていない。ただ子と暮らすようになった事実だけが置かれているので、読む方はさまざまなアプローチで意味を受け取ろうとする。自分のことに置き換える人もいるだろう。手掛かりは、一輪の梅。この一輪が、事態のすべてを受け容れることを肯定してくれているようだ。
*岬町小島にて。

2024年3月17日日曜日

香天集3月17日 玉記玉、三好広一郎、柴田亨、加地弘子ほか

香天集3月17日 岡田耕治 選

玉記玉
蛇穴を出でまん中のうごきけり
上手く描け寂しくなりぬチューリップ
痛点のひとつ増えたるかいやぐら
雄弁な臀のありぬ落椿

三好広一郎
しゃぼん玉ひとつひとつの涅槃かな
どこから来た陽炎に五度の職質
あらすじをすっかり知っている余寒
駅員はみな梟になっている

柴田亨
本名を告げる余寒の罪と罰
春の闇希みはおのがつかむもの
蕗の薹土人形と共にあり
木漏れ日のささやき集め春の人

加地弘子
節分の気配の残る戸口かな
瓶の蓋簡単に空き春動く
出来るだけ小さく濃くなる菫かな
すきなだけ剪って下さい花ミモザ

上田真美
くちばしを何回も突く鳥の恋
競漕や亡き兄の影瀬田川に
春日向孫の好みの文具買う
着流しの力士の香り風光る

春田真理子
雪被る稜線の前投函す
寒月や身罷るために棲家出で
冬囲いほどき一気に広がりぬ
雪吊りを外せる脈の整ひぬ

松田敦子
醜聞の見出しを重ね春一番
鷹鳩と化してお髪の傾ぎをり
薄氷や鼻腔を進む検査棒
蝌蚪の紐今年で終わる子供会

砂山恵子
うららかや大歳時記を枕にし
草餅や昔と同じ話下手
早春や子犬の中の日のにほひ
啓蟄や俺が俺がの多すぎて

川村定子
なすことも無くて折りゆく紙雛
千鳥足背の恵比須の笹ゆらす
幼子の初の役目よ「鬼はとと」
二胡を弾く時刻定まり菜種梅雨

西前照子
白合えに三つ葉を加え祖母の味
蕾になる前に水仙伐られけり
二番まで歌うブーツの舞台かな

大里久代
若木より先に花付け老木よ
三姉妹三人官女飾りけり
春よ来いもうしばらくは土の中

〈選後随想〉耕治
上手く描け寂しくなりぬチューリップ 玉記玉
 チューリップは、比較的描きやすい花だ。幼い子どもでも、何本かのチューリップを書き、それぞれに色づけすると、それなりの作品になる。この句は、そのように上手く描けることが、寂しさにつながっているという。速く、上手く描けることが称賛されるという標準に対峙して、独自の文体を得ようと苦闘する玉さんならではの作品だ。
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。

2024年3月10日日曜日

香天集3月10日 谷川すみれ、三好つや子、加地弘子ほか

香天集3月10日 岡田耕治 選

谷川すみれ
やわらかな母音に満ちて薄紅梅
ひとりだけ天上を向く石鹼玉
しみじみと躑躅を満たす親子かな
ぶつからぬ燕の飛翔友来たる

三好つや子
一筆箋のようなる出会い梅日和
投資家はティーンエイジャー麦青む
うららけし鳥居をぬける鳥の声
春キャベツ皿をはみ出る笑い皺

加地弘子
一点に集中の色龍の玉
春の雪風と遊んで膨らみぬ
吹かれつつ叫んでおりぬ冬の蜂
二日灸九人の子は長命で

釜田きよ子
初蝶を目で追いながら齢を取る
ぺんぺん草生えたき場所の見つからぬ
落花しきり人の匂いのしない午後
どっと桜子供の声が聞こえない

松田敦子
わらわらと寒雀来る令和かな
皸や世に出なかった人の歌
雪催家族がよこす母の今
本人の代わりにキレる寒鴉

小﨑ひろ子
恋猫ののみどをなぜて黙らせる
春の風新しきもの新たにす
書かれたる事件のありて春時雨
佐保川のほとり鬼火の渡りたる

牧内登志雄
鴨帰る筑波嶺越えはるばると
蝶あそぶ風船ガムはピンク色
初虹を越さん少女の逆上り
麗らけし河原の湯屋の手足にて

川端大誠
太陽がゆっくり沈む冬休み

川端勇健
冬の海小さい石がはね続け

川端伸路
初しょうりボードゲームのお正月

〈選後随想〉耕治
ひとりだけ天上を向く石鹼玉  谷川すみれ
 「ひとりだけ」という言葉によって、幾人かの子どもやその親がシャボン玉を楽しんでいる場面が想起できる。みんなは正面にシャボン玉を吹いているのに、ひとりだけ空を向いて吹いている。俳句を作るというのは、まさにこのような姿なのではないかと、思えてくる。何故かというと、私たちの言葉は放っておけば類型的になろうとするので、多くの人とは違う角度を求めていくのが作句だからだ。石鹸玉は、すぐに消えてしまうもの。しかし、その儚い石鹸玉を、一人だけ天に向かって吹き上げているという、すみれさんならではの潔さを感じさせる表現がいい。
*岬町小島にて。