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香天
「香天」は、岡田耕治が編集する俳句誌です。
本誌は季刊ですが、香天集、代表作品、俳句鑑賞などを毎週アップします。
2026年6月4日木曜日
香天83号 本文
2026年5月31日日曜日
縄電車しろつめくさを終点に 夏礼子
〈俳句物語〉岡田耕治
縄電車しろつめくさを終点に 夏礼子
この春、八〇を過ぎた母と同居を始めた。そのため、勤めていた都市部の幼稚園を辞め、実家から自転車で通える認定子ども園に移った。前任は市立だったが、ここは市立幼稚園の校舎を利用した学校法人の運営である。
母との同居で一番助かっているのは食事だ。子どもは予測不可能な動きをするため、勤務中はケガや誤飲、アレルギー対応など、一瞬も気が抜けない。以前は一人暮らしで、ついコンビニ弁当や外食に頼りがちだった。それが今、風を切って自転車を漕ぐこと十五分、家に帰れば母の手料理が待っている。これが、新しい職場で毎日をてきぱき過ごせる活力になっている。
前任と同じく、ここでも3歳児から5歳児の担任を受け持った。ただ、この園では3学年を一つのクラスにして教育・保育を行う混合クラスが三つある。最初は戸惑いがあったものの、すぐに3歳から5歳の子どもたちが共に学び、生活することの良さを実感するようになった。
子どもたちは園の隅っこの原っぱが大好きで、何も持たずに一時間でも二時間でも遊びに熱中する。今日、4人ずつのグループを作って、校舎から「縄電車」に乗って、しろつめくさが咲く原っぱへと出発した。
子どもたちは輪になった縄の中に入り、両手でお腹のあたりに縄を持つ。先頭の運転手は5歳児、間に3歳児のお客さん、一番後ろの車掌は4歳児だ。「ガタンゴトン」と口ずさみながら、みんなで息を合わせて歩き、時には走る。運転手役の5歳児が「右に曲がりまーす」と声を上げれば、後ろの子たちも一緒に傾きながら進んでいく。
以前の園は4歳児は4歳児だけのクラスだったので、子どもたちだけで息を合わせるのは難しく、私たちの誘導や声かけが欠かせなかった。ところが、この混合クラスでは、5歳児が自然に下の子たちを気遣い、リードしてくれる。4歳児はその姿をしっかりと見ていて、「来年は自分もあんな運転手になろう」と学んでいるのだ。
5歳児の「終点ですよ、みんな降りてください」という合図で、子どもたちは縄を離れ、しろつめくさで王冠を作ったり、四つ葉のクローバーを探したりと、次の遊びに夢中になっている。
子どもたちの様子を見に来てくれた園長先生に、私は問いかけた。
「3学年一緒の教育って、本当に素敵ですね。なぜ、公立ではこの制度を採り入れないのでしょう?」
園長は微笑んで答える。
「公立には、様々な『しばり』がある。それに、『成功体験』があるからね。人は、成功体験によって失敗する、と言われているわ。」
「それはそうかもしれません。私も以前は『次は、私が5歳児を持つんだ』とばかり思っていましたから。」
「その点、うちは失敗体験を大事にしてるから、子どものためにいいと思ったら何でもできるの。」
香天集5月31日 夏礼子、森谷一成、玉記玉、中嶋飛鳥ほか
2026年5月24日日曜日
風薫る昭和ガラスの我が家かな 嶋田 静
〈俳句物語〉 岡田耕治
風薫る昭和ガラスの我が家かな 嶋田 静
じいちゃんが抗癌剤治療を止めて、自宅に帰ると言い出したのは、三月末のことだった。ケアマネージャーと相談の上、訪問診療に切り換えることになった。父と母、それに僕と弟は、一年間そのままにしていた実家を片付け、なんとかじいちゃんを受け入れるスペースを確保した。
実家は、昭和三十年代の後半に建てられた木造の平屋だ。レンタルした電動ベッドを設置するため和室を片付け、補助金を使ってトイレまでの動線に手摺りを取り付けた。四月になってもまだ肌寒い日があり、外窓だけでなく、廊下と座敷を仕切る木製の引き戸にも隙間があったため、風が吹くたびにガラスがカタカタと鳴る音がした。
病院の空調が効いた分厚い窓から、この隙間だらけの窓に移って、じいちゃんは大丈夫だろうか。しかし、僕たち家族の結論は、とにかく本人の望むとおりにすることだったので、僕も弟も何も口を出さなかった。ガラス戸にはカーテンはなく、光を乱反射させる凹凸模様が刻まれており、外からの視線を遮りつつ、室内に柔らかな光を取り込んでいた。
じいちゃんが実家に帰ったのは、ゴールデンウィーク前だ。昼間は看護師やヘルパーが来てくれるので、僕たち家族四人は、交代で実家に泊まり込むことにした。病院ではあまり食欲がなかったじいちゃんだったが、実家に戻ってからは、食べたいときに食べたいものを食べるという生活になり、少しずつ食欲が出てきたようだ。
僕がはじめて泊まった日、家から持ってきた夕食ではなく、インスタントラーメンが食べたいというので、じいちゃんが好きだというチキンラーメンを作った。三分の一ほどの量だったが、じいちゃんは美味しそうに食べてくれた。
次に泊まった日は、まだ昼の明るさが残る時間帯だった。磨りガラスを通して和室に差し込む光の中を、気持ちの良い風が吹き抜けている。しばらく、ベッドで横になったじいちゃんと話していると、「ワインが飲みたい」という。一瞬迷ったが、家族で決めたとおり、僕はコンビニにワインを買いに走った。そこで見つけたのが、ストローで飲む二百CCの赤ワインだった。
ストローを伸ばしてパックの差込口に固定し、チーズを一口食べるのを見て、じいちゃんにワインを差し出した。
「うまいなあ、一年ぶりや」じいちゃんは、うれしそうに二口飲んだ。
「あとはまた明日、残りは冷蔵庫にいれといて」とじいちゃん。
冷蔵庫を開けると、その光に照らされたのは、「楽園」というワインのラベルだった。
香天集5月24日 谷川すみれ、嶋田静、春田真理子ほか
2026年5月17日日曜日
遠足の傷の手当を正しけり 湯屋ゆうや
〈俳句物語〉 岡田耕治
遠足の傷の手当を正しけり 湯屋ゆうや
空の弁当箱がシンクのボウルに浸けてあるのを見て、今日の遠足は楽しかったんだと思った。塾のある日は別々に食べるが、今夜は幸平と夕食を共にし、話を聞こうと帰りを待った。
午後八時、ドアが開いた。帰宅した幸平の額には、一枚の絆創膏。
「どうしたの」と訊くと、ジェットコースターの一番乗り競争をして、坂道で転んだのだという。
「痛かったでしょう。あ、少し血が滲んでるわね。貼り替えようか」
引率の教員が貼ってくれた絆創膏をゆっくり剥がし、消毒液で優しく拭う。少し小さめの新しい絆創膏を貼り直しながら尋ねた。
「みさき公園は、久しぶりだったわね」
「うん、小三の時にお父さんと行って以来かな」
「閉園になるって聞いたけど、どうだった?」
「アトラクションはそのまま遊べたけど、動物園の方はちょっと寂しかったかな。面白かったのはジェットコースターと、パイレーツ。あと、お弁当も美味しかったよ」
「ありがとう。職場の同僚やPTAでも、みんな高学年になると、すぐシャッターを下ろしてしまうって聞くわ。幸平が何でも話してくれてうれしい」
幸平は照れたように言った。
「いや、お母さんがいっつも楽しそうだから」