香天集 岡田耕治 選
三好広一郎
凍豆腐戻して星の話など
目標と時計ない部屋冬苺
初蝶の単独ライブ石舞台
筋肉の硬いところや春を待つ
柴田 亨
オルゴール蓋をしたまま春を待つ
薄氷や水底に棲むもののあり
寒雀行く恐竜の裔ならん
寒中に咲く一輪の白さかな
木村博昭
雌狐は罠の抜け道知っており
日陰から日向見ている寒さかな
凍滝と同じ時空に居る不思議
早春のフルーツサンドイッチかな
宮下揺子
夜咄や落しどころを探りたる
字余りの世界に住みし蕗の薹
夕闇の枯葦原に置いてかれ
福寿草さあこれからだ八十歳
嶋田 静
水仙の考えごとをうつむきぬ
四方より蝋梅の風参拝す
目印の寺の紅梅屋根を越す
試着する鏡に向かい春帽子
佐藤浩章
青海苔やいにしへの香をもたらせる
湯船よりガラスウォールの山笑ふ
相輪を廻る黄金のつばくらめ
遮断機をふわつとかわす黄蝶かな
松田和子(2月)
横向いて気取っていたり雪中花
春立つやゆったりとした海と空
梅一輪なつかし人に会えたこと
ポケットの手のひらはグー冴え返る
松田和子(1月)
初詣騒騒と鳴る鎮守の樹
出初式青空高くピーヒョロロ
波の上身じろぎもせず鷗三羽
戎あめ一つ頬張り海ながむ
谷村敏子
中辺路の宿の灯ひとつ山眠る
紅色のかすかに残りシクラメン
福は内思いもよらず大声に
父と子の内緒の話梅ふふむ
〈選後随想〉 耕治
目標と時計ない部屋冬苺 三好広一郎
七〇の坂を越え、友人がガレージでの独り暮らしを選んだのは、盛夏のことだった。Googleマップの案内で辿り着いたそこには、コンクリートの土間に自作の床が敷かれ、友人が「快適なワンルーム」と呼ぶ空間ができていた。炊事はカセットコンロ、入浴は自転車で銭湯へ、そしてトイレは近くの公園だという。都市生活の煩雑さを削ぎ落とした、その簡素な営みが印象的だった。
二度目に訪ねた秋、私は手土産に電池式の壁掛け時計を持参した。時計のないワンルームを見て、喜んでもらえると思ったからだ。しかし友人は、心苦しそうな表情を見せながらも、「せっかく時計のない暮らしを手に入れたのに、掛けるわけにはいかない」ときっぱりと言い切った。その時、彼がなぜこの暮らしを始めたのか、その理由の一端を理解した気がした。彼にとって、時計とは「目標」と同じく、外から与えられる規範そのものだったのだろう。
三度目の冬の訪問。私は昨日山歩きで見つけた冬苺を手土産にした。野生の爽やかな甘酸っぱさが、彼のシンプルな喜びにつながるのではないかと思ったのだ。冬苺を摘まみながら、私は水原秋櫻子の「余生なほなすことあらむ冬苺」という句を持ち出し、この簡素な生活を機に俳句を始めてはどうかと誘った。「目標と時計」のない部屋で食する小さな冬苺のように、彼の中から生まれる句が、近々「香天集」に登場することになるかも知れない。
*合格の文字のたしかさ梅に立つ 岡田耕治