〈俳句物語〉岡田耕治
月明の母より長く踊るなり 曾根毅 句集『十翼』より
盆踊りの喧騒の中、母が踊りの輪へと僕の手を引いた。母の浴衣は涼しげな藍色に白の小紋柄。帯は赤く、白の髪飾りがアクセントになっている。台所で使い古したベージュのエプロンをつけ、髪を適当に束ねては洗剤やだしの匂いを漂わせている、そんな日常の母とは違う、少しよそゆきの姿だ。
気乗りはしなかったが、母の浴衣姿とふわりと鼻をかすめた化粧品の匂いに促され、ぎこちなく踊りの輪へ加わる。母の背中を追い、「右足、左足、下がる、進む」という声に合わせ、僕の体も次第にリズムを刻み始めた。
「母さんは、ちょっと休憩」
母と叔母が輪を離れ、櫓の下のパイプ椅子へと引き上げていく。二人が抜けたスペースに、ふと一人の若い女性が滑り込んできた。
落ち着いた深い紺地の浴衣に、大輪の花があしらわれている。提灯の明かりを吸い込んで金色に光る帯が、彼女の佇まいを引き締めていた。まとめられた髪から揺れる紫の髪飾りが、夜風に揺れるたび、周囲の空気がさっと清められるようだった。彼女の軽やかな足さばきと、指先まで意志の宿るような所作。僕は無意識のうちに、彼女の背中をなぞるように踊り続けていた。
「母さんは先に帰るよ」
肩を叩かれて振り返ると、母の後ろに大きな月がかかっていた。一際明るいのは、この月のせいかもしれない。母の柔らかな表情を見ながら、「ああ、もう少し踊ってから帰る」と僕は答えた。
再び前へ向き直ると、櫓から響く太鼓の音に合わせ、彼女がしなやかに指先を天へ突き上げた。白く細い腕が夜空を切り取る。楽しげに、けれどどこか哀しみを湛えたその横顔は、雑踏の中にありながら、彼女の周りだけが別のカプセルのように静まり返っていた。
夜の十時を過ぎ、輪は小さくなった。それでも熱気は冷めやらない。僕の体はいつしか意識を超え、太鼓のリズムそのものになっていた。彼女もまた、休むことなく踊り続けている。初めに見たときよりも、少しだけ浴衣の襟元がゆるんでいるように見えた。
翌朝、青年団の手伝いで提灯を畳んだが、そこにはもう彼女の姿はなかった。小さな町のこと、いつかまたどこかで会えるだろう。そう思いながら、九月になっても、僕は時折あの月夜の踊りを思い出している。