2026年2月1日日曜日

香天集2月1日 渡邉美保、森谷一成、浅海紀代子、辻井こうめ他

香天集2月1日 岡田耕治 選

渡邉美保
犬酸漿の実の黒黒とお元日
冬林檎煮詰めるほどに湧く邪心
凩や火焔土器よりこゑの出て
確かめる手だてのなくて海鼠食ふ

森谷一成
孝行の凭れていたり初湯殿
入墨も鉄漿(かね)もありけり初鏡
頬桁の火照り群がる宵戎
枯かずら垂るる下枝(しづえ)に女の眼

浅海紀代子
新聞に師の俳句読む冬ぬくし
冬の雷黙を怒りとして歩む
再会に老いを確かむ枇杷の花
眉墨に齢を深め水仙花

辻井こうめ
キッチンで姪と交はせり年の酒
正月の凧糸渡る手から手へ
この先に抜け道あると寒波来る
雪だるまただ泣き声を聴いてゐる

砂山恵子
遺伝子は無限に憑依月冴ゆる
冬晴や馬跳びの子の長き腕
鷹の目は小惑星の隙間見ゆ 
よろしくと一筆書きて河豚を食む 

釜田きよ子
冬木の芽言葉熟するまで待ちぬ
実南天この世の赤は美しき
三人目の兄弟となり雪だるま
午後からは少しニヒルな雪達磨

北橋世喜子
石臼のかすかに音す走りそば
夕の膳柿の俳画を添えてあり
大輪の菊の小さくなりにけり
手のひらの柿の落葉の色無限

中島孝子
青首の大根まっすぐ伸びる袋
蜜柑剪る父が残した一つの木
メール来る故郷初の雪景色
荒星の降りくる道をペダル漕ぐ

半田澄夫
熱燗や注ぐ口上の上手い人
今日のおでん屋台の味のしていたる
木枯や過去の彩り無色とす
開戦日危機論争を聞く炬燵

橋本喜美子
黒雲に睨みつけられ冬の暮
花柊頷き合へる人のあり
銀杏の十粒ほどなる土産物
一夜にて薄化粧する吊し柿

川合道子
紅葉や日陰と日向混ざり合い
覚悟決め帰宅しており冬の空
丁寧に剥きし蜜柑の皮匂う
冬晴や雲翳あまた山肌に

上原晃子
ゴツゴツの菊芋を炒る夕餉かな
浮見堂逆さに灯り秋の暮
青を突きメタセコイヤの枯れ光る
銀杏黄葉フェイスペイントする子の笑顔

林おうはく
山里を一筆掃くや冬の朝
来し方に言い訳探す後の月
ポケットの小銭の始末赤い羽根
神無月初めの風が吹きすぎる

石田敦子
石蕗の花瀬音の流れ離れずに
石蕗の花介護認定そのままに
小春空ラリーの続く打球音
大根の長き一本思案せり

市太勝人
銀杏落葉きれいに感じ移動中
仕事中暖房のなか半袖で
あっちこち学級閉鎖咳ひとつ
宅配の歳暮が走るしんどいと

東 淑子
南天や春の彩り鍛えたる
蜜柑山一杯に咲く眺めかな
さつま芋ふかしておればきんとんに
艶やかな蕾から咲く山茶花よ

吉丸房江
すくすくと老いて迎ふる冬の坂
何処よりもこの場所が好き実南天
艶めける諸肌ぬいだ大根かな
柊は年を齢を重ね丸い葉に

〈選後随想〉 耕治
犬酸漿の実の黒黒とお元日 渡邉美保
 元日のことを「お元日」と書いているので、めでたさを感じる。めでたい時は、紅白とか金銀を取り合わせるが、ここは「黒々と」だ。しかも「犬酸漿(いぬほおずき)だから、道端であんまり見向きもされず、その実には毒があると言われているもの。美保さんの、「黒々と」という色、道端で顧みられない「犬酸漿」、そして毒を持つ実の取り合わせは、華やかな「お元日」の裏側にある、世の不穏な空気や、決して晴れやかさばかりではない現実を象徴しているように感じられる。

孝行の凭れていたり初湯殿    森谷一成
 「孝行のもたれていたり」という表現から、親を連れて温泉や銭湯に出掛け、正月の湯殿に一緒に凭れているという情景が浮かぶ。しかし、「孝行」を行為ではなく、その人と取った場合、孝行している人が初湯殿にもたれている姿が浮かぶ。親孝行をした人、人のために尽くした人が、初遊殿でしばらくの間、自分自身の時間を持っているという捉え方ができる。森谷さんが選んだ、この「孝行」というキーワードはとても幅広く、面白い。

冬の雷黙を怒りとして歩む 浅海紀代子
 何かを言いたい、あるいは抗いたいけれど、声に出すことができない。その抑圧された「黙(もだ)」が、自分の中で静かな「怒り」へと変質していく。ただ、この句は立ち止まっていない。激しい冬の雷が鳴り響く中、自分の中の怒りを見つめながら、一歩一歩踏みしめて歩いていく。そこには、困難な現実や自分自身の葛藤から逃げずに生きていくという、紀代子さんの強い意志が感じられる。周囲に対して、あるいは運命に対して声を上げられないもどかしさ。それを怒りというエネルギーに変換し、冬の厳しい雷鳴を背に受けながら進んでいく。孤独だけれど、決して折れない姿が、寒空の情景の中に浮かび上がってくる。
*冬かもめ身をほどきたる岩のあり 岡田耕治

2026年1月25日日曜日

香天集1月25日 中嶋飛鳥、嶋田静、夏礼子、古澤かおる他

香天集1月25日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
叩かれて泛く血管の年の暮
御降の白を被きて隔ており
幾つものほやよ冬木の曼荼羅に
一月の小石を蹴って言葉待つ

嶋田静(12月)
幼子へ落葉に埋もれ帰りたし
柿たわわ寂しき村の灯となりぬ
冬日受く予土線の揺れやさしかり
極月や器具装着のサイボーグ

夏礼子
放課後の子が山茶花に走り来る
初夢の季語と迷子になっており
おばちゃんになったもんだよ大嚔
人日の右手なにかに噛まれけり

古澤かおる
初日受く背骨の上に頭かな
シェパードの黒黒と行く恵方道
消しやすい四B鉛筆初日記
始まりは二日の夜のカレー饅

加地弘子
茨の実二人同時に摑まりぬ
朝刊をひらりひらりと雪ばんば
吹かれ来て歩く他なき冬の蜂
忘年会一人で来るは最後だね

柏原玄
来し方をうべなっている初日かな
去年今年老いに手向かう正中線
身の丈を二センチ伸ばし初鏡
一病をねぎらっており薺粥

嶋田静(1月)
初泳ぎ水任流の旗を上げ
母のあの味に近づく鰤大根
手にひとつ皸しみる生きている
初稽古パウスカートはピンク色

前藤宏子
蝋梅や雨にその色溶けぬかと
野に立ちて同じ位置から見る冬田
真っ白なご飯ぷっくり寒卵
乾杯に間に合う友や寒造

宮崎義雄
初戎人影絶えし午前四時
道の駅枯草匂うドッグラン
年ごとに願いを減らし初詣
来し方のまどろみの覚め初明り

俎石山
血痕や雪合戦の終わりたる
横顔を盗み見ている雪達磨
三ヶ日電源を切り退職す
味噌汁に切り餅入れて雑煮とす

佐藤浩章
去年今年古参アンプに力あり
狛犬の絞り出したる淑気かな
一月の下駄の柾目の真直ぐなり
福寿草こんぴらさんのお守りの

安田康子
冬眠を忘れた熊に末路あり
色あせた障子明るし実南天
時差のあるビデオの通話年はじめ
缶切りで開けるぜんざい女正月

河野宗子
冬銀河旅行葉書の遅れ着く
寒の鯛飛び散る鱗光りけり
友と食う寒餅にしてよもぎの香
肌燃えるグリルの中の寒鰯

森本知美
くしゃみして再度聴きいる師の話
小春日や廃校撤去する空地
風花や温泉の香に辿りつく
杖つきし八人にして初登り

金重こねみ
正座しておせち味わう日本かな
はや五日夕餉のピザは子の奢り
婆八人率い漢の去年今年
重箱をはみ出している飾海老

松並美根子
野水仙袴の裾の揃いけり
初夢やいつのことかと思いやる
梅一輪風は気のまま吹きぬける
初景色新しきもの見あたらず

田中仁美
着物着てオペラ観るなり冬の星
手のひらで包んでおりぬホットワイン
腕を組み吹雪見ておりブタペスト
低くなるプラハを照らす冬日影

木南明子
よろこびの一つをさがす寒波かな
山茶花の明日散るも今日咲けり
黒豆の出来ばえは良し大晦日
どこまでも空青青と水仙花

目美規子
レッグウォーマー友の毛糸の手編みなり
投函の寒中見舞音かすか
猫遊ぶシャッター通り空っ風
元旦の会話に上り墓仕舞

〈選後随想〉 耕治
叩かれて泛ぶ血管年の暮 中島飛鳥
 一月の大阪句会で話題になった句。様々な鑑賞があり、森谷一成さんが歳も押し詰まるが、寿命も押し詰まるという鑑賞をしたり、木村博昭さんが静脈を探す人の心境を同時に感じられると鑑賞した。多くの共感を呼んだのは、「叩かれて浮かぶ血管」と、自分の思いを抑えて、具体的なことしか書いてないこの書き方だからだろう。非常に冷静に採血される瞬間を捉えている、この飛鳥さんの眼差しの静かさ、それが多くの共感を呼んだ。

極月や器具装着のサイボーグ 嶋田静
 極月は一年の終わり、寒さが極まる時期。静は「サイボーグ」という無機質でひんやりとした質感を取り合わせた。「装着」という言葉選びがいい。冬の厳しい寒さの中で、自身の肉体を維持するために機械の力を借りて生きようとする人間の強さと、同時に厳しさが浮き彫りになる。現代において、ペースメーカー、義肢、あるいは人工透析といった器具を身に纏うことは決して珍しいことではない。この句は、単なるSF的な空想ではなく、生かされていることの違和感や冬の寒さに耐える肉体を詠んだ、きわめて迫力のある一句だ。
*黒漆千枚漬を開きけり 岡田耕治

2026年1月18日日曜日

香天集1月18日 春田真理子、玉記玉、柴田亨、三好広一郎ほか

香天集1月18日 岡田耕治 選

春田真理子
冬籠りだんだん重くなる袋
愛日や細る腓を清拭す
夢はじめいくつ鉄橋渡りけむ
冬落暉浮かぶ立山曼陀羅に 

玉記玉
たっぷりと濡れて現れ焚火跡
正論を互角で交わす身酒かな
春の波甘噛みかとも母語かとも
鮟鱇のもてはやされて無くなりぬ

柴田亨
山茶花の斑に生きる途上にて
春隣たくさんのこと忘れたる
さらさらと降り積もりゆく母のこと  
水墨や雪の人家のほの紅し   

三好広一郎
丸四角どっちの餅に帰ろうか
なりきりの熱唱カタカナの第九
事件あり路地の奥まで初明り
底冷えを羽織って三社巡りかな

谷川すみれ
立冬の泡をさかんに潦
日の影が障子をなでておりにけり
年の瀬の並び変えたる机かな
雪催過ぎゆく時を抱き合い

湯屋ゆうや
紙コップ継ぎ目に残る冬の色
空洞の塩バターパン冬銀河
暖房の端湿らせる刺繍糸
雑煮してあとはせわしき七並べ

木村博昭
艶やかに炭の断面揃いけり
あぶな絵の襖を漏るる私事
午後からはやや右に反る雪だるま
竹馬の見てはいけないものを見る

平木桂
星移る母と歌ひし手毬唄
冬の星己が見えず立ちつくす
卓袱台の父の駄洒落や根深汁
冬薔薇の観念したる蕾かな

上田真美
年用意大和の人に戻りけり
年守る童子の眼定まりぬ
初明かり届けてくれる人のあり
福寿草大地押し上げ空摑む

安部いろん
濁る地球の天辺に寒烏
秒針が寒気を刻む始発駅
氷柱一滴バタフライエフェクトに
何もかも失った部屋除夜の鐘

神谷曜子
寒の水名もない滝といわれ落つ
雲たちが思い思いに三日かな
来し方の曇りのとれぬ初鏡
霜の道踏み出している転校生

秋吉正子
大吉に不安のこもり初みくじ
皆帰り自分のもどる冬の月
初レッスン同じところを間違える
寒梅や幸多かりと別れ際

大里久代
年の暮還暦祝う赤花火
門松や笑えるように竹を伐り
お払いに石段登りお正月
節料理囲みマラソン見ておりぬ

〈選後随想〉 耕治
たっぷりと濡れて現れ焚火跡  玉記玉
 焚き火をするのは、今ならキャンプファイヤーなど、夜に寒さを凌ぐために火を焚いて温まる、あるいは出かける前の高揚した気分の時だろう。それが夜の焚き火であったとすれば、翌朝、「ああ、ここで焚き火をしていたのだな」という思いが巡る。人生に例えるなら、春や夏のところから、冬に入ってきてその過去を見返しているような感じがする。大阪句会で久保さんが「たっぷりと」は良い言葉の選び方だと評したように、その焚き火の跡が現れてきたという情景と、玉さんの人生が感じられて良い書き方だと思う。

愛日や細る腓を清拭す      春田真理子
 「清拭」という言葉は介護に使われる言葉であるため、大阪句会で三好広一郎さんが「親孝行とか一切そんなことは書いてないが、人に尽くしている感じがする」と評価した点に賛成だ。細る腓(こむら)は、看取っている人の腓だろう。細るのは、どちらかというとマイナスイメージだが、それが「愛日」という季語と組み合わされることによって、真理子さんの祈りが加味されているように感じられる。私は「愛日」という季語を使ったことはないが、冬日向や冬日影だけでなく、このような使い方ができるのだと思わせてくれた一句だ。
*句相撲の土俵を今日の雪とする 岡田耕治

2026年1月11日日曜日

香天集1月11日 三好つや子、佐藤諒子、浅海紀代子、佐藤静香ほか

香天集1月11日 岡田耕治 選

三好つや子
冬日向丸い思想の猫を置く
点滴のながい一秒去年今年
輪飾りに万の水の匂いあり
すこし反る母の巻き尺寒昴

佐藤諒子
冬紅葉般若の面の隠れおり
山茶花の空より降れり光りつつ
不具合の一つを増やし年の果
折紙の馬の踏ん張る淑気かな

浅海紀代子
今朝冬の返事大きくして返す
一人となり別の寒さの中に居る
老猫と火鉢のすわる畳かな
風邪心地槌音に身を揺すらるる

佐藤静香
海の傷隠し輪舞の冬鴎
私と雪の反橋渡ろうよ
年の瀬や幸福つかむカードきる
極月や算盤弾く獅子のゐて

垣内孝雄
山毛欅林の枯れを尽くせる日影かな
初山河遠嶺の空に白き雲
好物のごまめを仕込み古女房
年忘れ見知らぬ客と角打ちに

秋吉正子
近道に時間のかかり冬の暮
冬日向閉店の文字見直しぬ
こんな日に車がパンク冬の朝
イカ墨のラーメンを食べ年の市

大里久代
衣装つけ張り切る子らの学芸会
冬に入るお地蔵さまのよだれ掛け
何となく幸福感じ年用意
燗の酒いつも二人でくみ交わす

西前照子
いたどりや楓に負けず色づいて
柿紅葉電動自転車登りゆく
秋晴やグランドゴルフ初優勝
銀杏落葉風にあおられ道染める

〈選後随想〉 耕治
点滴のながい一秒去年今年 三好つや子
 病床にいると、健康な時には意識もしない「一秒」が、非常に重く、長く感じられることがある。つや子さんは、この一秒の先に、年を越すという大きな節目が訪れると詠んだ。本来、一秒の長さは誰にも同じだが、ここではあえて「ながい」と表現している。そこには、次の雫がいつ落ちるかを見つめる張り詰めた意識や、この一滴が自分の命を繋いでいるという切実な実感が読み取れる。去年今年は、大晦日の夜から元旦にかけての、時間が連続していながらも新しく切り替わる瞬間を指す。多くの歳時記に虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」という句が収録されているが、鈴木六林男は「あんなもっちゃりした俳句」と一蹴した。六林男には、「目的をもつ爆彈の去年今年」がある。つや子さんの、点滴という無機質な装置を通して、一つの境界線を越えようとするこの句は、鈴木六林男賞作家に相応しい一句だ。

折紙の馬の踏ん張る淑気かな 佐藤諒子
 「淑気」は、新年を迎えたばかりの、清らかで厳かな空気感を指すが、目に見えないので扱いが難しい。それを諒子さんは、「折紙の馬」という小さな存在を通して描き出している。折紙の馬は、紙を折って作られた脆弱なもの。しかし、机や床に置かれたその四本の脚は、しっかりとそれを捉えて立っている。繊細な紙の造形物でありながら、そこに宿る「踏ん張る」ような力感。この踏ん張るという行為には、単なる正月の風景描写にとどまらず、新しい一年をしっかりと歩んでいこうとする諒子さんの静かな意志が感じられる。
*的中の明らかになる枯野かな 岡田耕治

2026年1月4日日曜日

香天集1月4日 森谷一成、渡邊美保、宮下揺子、浅海紀代子ほか

香天集1月4日 岡田耕治 選

森谷一成
片はしを考えている時雨雲
嚏一つ私かに核をほしがりぬ
日銀の屋根を哀れむ枯木星
生爪のマゾヒズムぞよ煤払

渡邉美保
鉄板に余熱ありけり六林男の忌
銀の楽器集まる聖夜かな
煤逃げの水に映らぬ人ばかり
石段に終りのなくて冬の海

宮下揺子
白馬老い蔦紅葉する神厩舎
裸木やアマゾンの箱飛んでくる
十二月八日青空はどこにある
つつき合うペンギンたちよ冬の空

浅海紀代子
マニキュアの手より受けとり秋茄子
柿熟るる空き家の空となりにけり
一人居の猫にもの言う夜長かな
行く先を杖にあずけて落葉踏む

釜田きよ子
家中をガタピシさせるくしゃみかな
暖房の風音以外静かな昼
身体の悲鳴あちこち師走空
注連飾る今年最後と思いつつ

牧内登志雄
今年また二人見送り日記果つ
群青の風に横たひ初筑波
湯豆腐のぷくりと笑ふ銚釐酒
古書店の扉がたつき夕時雨

楽沙千子
冬の蜂土の日向に飛びもせず
大川へ一筋の日矢冬うらら
雑草を抜きし地ならす冬日向
箒目を残し落葉の堆し

吉丸房江
スープにて味わふ冬至南瓜かな
初詣杉の木立を直にふれ
金粉の跳ねる御神酒や馬の年
同胞の四代揃う雑煮かな

大西孝子
まだかなぁベランダにいる吊し柿
バトンされ母娘でつなぐ遍路かな
冬空を茜に満たし比叡山
黄金のメタセコイヤに光りさす

岡田ヨシ子
マフラーや笑顔を浮かべ五枚編む
ケアハウス届きし毛布あたたかし
眠れない毛布にペンと便箋と
お年玉曾孫の顔を確かめる

川端大誠
初景色海風が押す扉かな

川端勇健
年越の睡魔に勝てず寝落ちする

川端伸路
正月を笑いごまかす大はずれ

〈選後随想〉 耕治
日銀の屋根を哀れむ枯木星 森谷一成
 ニュースなどで日銀の話題が出ると、よくこの屋根を見おろす映像が流れる。通常、日銀のような堂々とした建物を「哀れ」と思うことはない。しかし、厳しい寒さの中、枯れ木の枝越しに孤独に光る星を見上げ、ふと視線を落として日銀の屋根を見たとき、一成さんはそこに逃れようのない哀れさを感じたのではないだろうか。 金利や経済という、人間が作り出した複雑で窮屈な理屈を背負わされた巨大な石の塊が、凍てつく星空の下でじっと耐えている姿。それは、自由な星空から見るとひどく不自由で、痛々しいものに映っているにちがいない。

十二月八日青空はどこにある 宮下揺子
 十二月八日は、太平洋戦争が始まった日。日付をそのまま句に据えることで、一瞬にしてその歴史的瞬間の空気感へと引きずり込まれる。快晴だったと言われる開戦の日だが、その後に続く長く暗い時代は、鈴木六林男師の句集名のように「雨の時代」だった。「青空」は希望や自由の象徴であるが、それが「見えない」のではなく「どこにあるのか」と問うところに、現在を見詰める、揺子さんの深い虚無感と批評精神が読み取れる。揺子さんには、「レノン忌」の秀句もあり、十二月八日は、そのことも合わせて想起できる。
*幸ありやここを群立つ初雀 岡田耕治

2025年12月28日日曜日

香天集12月28日 玉記玉、加地弘子、辻井こうめ、砂山恵子ほか

香天集12月28日 岡田耕治 選

玉記玉
連れ歩く旅の途中の朱欒かな
私のぷつりと鳴りぬ氷面鏡
水音を出自としたる石蕗の花
一輪の埋火となる出家かな

加地弘子 
大根煮る幻視の話聴いており
短日や片脚立ちは十五秒
手を繋ぎ散歩にも行く帰り花
もっと早く会いたかったと石蕗の花

辻井こうめ
しづかなる箒の音や龍の玉
木守柿鳥語のリレーヂヂヂヂと
双手にて銀杏落葉を放つなり
家人来る時雨の宿りしておれば

砂山恵子
軽四輪トラック留まり冬田道
冬紅葉今日一日の一万歩
薄情や熊出る村に移り来て
打ち抜きの水音変わらぬ街に冬

神谷曜子
黄コスモス高麗町を埋めつくす
泡立草どっちもどっちと風が言う
沈黙の鎧のいらず薄原
介護さる今日華やかな冬帽子

北橋世喜子
声かけるその度睨む蟷螂よ
瑕の柿初物ですと仏壇に
秋雨や一つ傘より声弾む
種からの発芽群がる水菜かな

中島孝子
鳥たちが塒としたり金木犀
秋時雨母が綴りし日記読む
そぞろ寒時を忘れる古き文
珈琲の最後の雫冬に入る

橋本喜美子
青き空拳骨ほどの吊し柿
赤鬼の角の生えくる唐辛子
どの花も咲く向き同じ野菊かな
大津絵の迎ふる宿や松茸飯

垣内孝雄
去年今年皺多き手をしみじみと
実南天かはたれどきの母の家
レジスター前を色へる篝火花
愛猫の骨壺六つ霜の声

半田澄夫
ちちろ虫深まる闇をえぐり取る
秋霖やくろしお号のつき進む
路地裏の別世界なり酔芙蓉
秋の蚊に繋ぐ命をくれてやる

上原晃子
巻雲を割って白線伸びてゆく
大根蒔き終える寸前降り出しぬ
秋の空ぶらり神戸のゴッホ展
庭園を気球が眺む文化の日

石田敦子
車椅子散りし紅葉の重なりぬ
納戸より電気ストーブ出してもらふ
箪笥より一枚羽織りちちろ虫
放り置く本を繙く夜長かな

河野宗子
シュトーレン食べて今年をふり返る
初めてのカクテルを飲み雪女
渋柿を甘きに変えるワインかな
亡き友のまとわりつきて冬の蝶

はやし おうはく
能登の海夕日に融ける秋の青
斎場の煙のみ込む秋の空
神無月賽銭箱を置いてゆき
墓石に寄り添っている曼珠沙華

川合道子
「また来ますね」看護士が去る秋の昼
靴底をごろごろ鳴らし秋深し
空高し「生樹の御門」潜りけり
立冬の四万十川の石丸く

東 淑子
空晴れて敬老の日の皺数う
七五三春日大社の荒れ出しぬ
母思う金木犀の匂い立ち
鈴なりの柿を見つめて帰りけり

市太勝人
外に出た瞬間秋の更衣
自転車の秋晴にして汗匂う
冬嵐一瞬にして明と暗
温暖化ニュースの中を冬に入る

〈選後随想〉 耕治
連れ歩く旅の途中の朱欒かな 玉記玉
 先日の天王寺句会で久保純夫さんだけが特選に取った句。久保さんは次のように選評した。「この朱欒は途中でもらったのか、思いつきで土産に買ってしまって後悔しているのか、そんな感じがします。朱欒と言う大きな存在は、果物だけではなくて、手に入れたけれど邪魔になってるような自分の奥さんとか(笑)、付き合ってきた友達とか、そういう存在を思い浮かべることができて、とてもいいと思います」。
この選評を聞いていて、ああ「朱欒(ザボン)」という言葉から、いろいろなことを思い浮かべることができるのが、俳句力だなと思った。読むときも、詠むときも同じ。私も含め、この俳句を読んで、なぜ朱欒を連れ歩いているのかわからないとパスする感性の持ち主は、もっと柔軟に言葉に対するスタンスを取らねばと気付かせてくれる、そんな玉さんの一句だ。

もっと早く会いたかったと石蕗の花 加地弘子
 読んだ瞬間に、胸の奥が温かくなるような、それでいて少し切ない感情が伝わってくる。石蕗の花は、私が毎日散歩する海岸沿いに明るい黄色を点してくれる。特に今年は、日当たりの良い道端の花は刈られてしまったので、暗い崖から花を咲かせている。その様子が、弘子さんの「もっと早く会いたかった」という表現により、視覚的に象徴されているようでうれしい。「なんでもっと早くこの存在を知らなかったのだろう」と悔やむような、愛おしさが感じられる。だからこそ、今この瞬間に巡り合えたことへの感謝がにじみ出てくるのである。
*煤逃の真二つに折る将棋盤 岡田耕治

2025年12月21日日曜日

香天集12月21日 夏礼子、柏原玄、三好広一郎、中嶋飛鳥ほか

香天集12月21日 岡田耕治 選

夏 礼子
ポケットのいつ捨てやらん櫟の実
言い分は母にもありぬラ・フランス
谷底を走る鬼女なり冬紅葉
枯芒もう化かされているらしい

柏原 玄
山茶花の白をよろこぶ年となる
無為にして即ち有為や石蕗の花
梟の薄目に姿ととのえん
軽き世を重たく生きて根深汁

三好広一郎
柿を採る梯子勝手に使いけり
合鍵のような姉逝く冬苺
空港の凍星割れぬ窓硝子
遊ぶように空気の回る寒夜かな

中嶋飛鳥
嚔あと一気に弛む骨密度
腸を洗い上げたり冬の水
嬰の声茶の花垣の曲り角
休み休み着膨れて切る足の爪

木村博昭
雄を喰い蟷螂枯れてゆくばかり
スケッチに妻子の遺り開戦日
生きるとは生臭きもの牡蠣を剥く
この土へ吾が骨埋めよ山眠る

湯屋ゆうや
凩の中へ電話に出るために
末端はピンクであるよ冬の子は
丁寧な縫い目がありぬ聖夜劇
相槌をさがす看護師雪催

古澤かおる
何時からの夫の猫背冬コート
富有柿種ありますと売られけり
壺の肩膨らむほどに夜の冴ゆ
息白く深き会釈の姉妹かな

俎 石山
裏庭にいつ頃からか火鉢あり
木槿咲く赤い兵隊踏み荒らし
塩鮭が無敵となりし台所
ブロッコリ頭の女近付きぬ

前藤宏子
寒風や犬の目ふかき毛の中に
冬の月白く乾けるシャッター街
冬牡丹観客席の浅田真央
何もかも捨てて冬木となりにけり

宮下揺子
花野までついていこうと足踏みす
置き炬燵終活ファイル積まれある
学校は遠いところぞ冬の鵙
白馬老い蔦紅葉する神厩舎

安部いろん
鎌鼬巫女辞めた人討ちにくる
薄氷の割れ戦争の予感
着膨れてもう淋しいとは言えない
冬の空影なきものが往来す

安田康子
息白し目印は朱の大鳥居
冬の暮線香の灰立ちしまま
実家には寄らずに帰る年の暮
後の世を覗いてみたし竜の玉

宮崎義雄
年の瀬や客間に厚きカレンダー
味噌醤油付けぬ握りを榾に焼く
納豆売贔屓の家へ声を上げ
鏡餅古き時計を横に置き

松並美根子
産声の八十回目年の暮
秋寒や老いを身に知る報恩講
夕時雨水間鉄道駅古し
天と地をつないでいたる冬満月

木南明子
太陽の味いっぱいの柿を剥く
玄関へ無造作に置くかりんの実
老人の命を守る冬日向
地を歩く冬鳥早く飛びなさい

森本知美
冬紅葉人なき里の風の歌
枯れ尾花生垣を越え陽と遊ぶ
年の暮按摩器を捨て体操に
枯欅イルミネーション咲く通り

金重こねみ
オリオンや友はそちらへ行きました
リハビリは少しずつよと枇杷の花
電灯のチカチカチカと年の暮
大掃除昭和の歌が邪魔をする

目 美規子
点滴で青にえた腕十二月
一枚の枯葉舞い込むエレベーター
血圧に一喜一憂冬黄砂
冬野菜三日続きの夕餉かな

〈選後随想〉 耕治
ポケットのいつ捨てやらん櫟の実 夏 礼子
 コートや上着のポケットに手を入れた時、指先にコロリと触れた固い感触。それが櫟の実、つまりどんぐりであったという瞬間が鮮やかに描かれている。「いつ捨てやらん」という言葉には、「いつ捨てようか、いや、いつまでも持っていたいな」という揺らぎが感じられる。どんぐりの中でも、櫟の実は丸々と大きく、ポケットの中で転がすのにいい加減。その手ざわりが、捨てられずにいる理由を想像させる。捨てようと思えばいつでも捨てられる、けれど手がその感触を離さないという心の機微が、読者の記憶に同じような経験を呼び起こす。

山茶花の白をよろこぶ年となる 柏原 玄
 山茶花には赤やピンクもあるが、あえて白をよろこぶとした点に、作者の現在の心境が表れている。華やかな色彩よりも、混じりけのない、削ぎ落とされた潔さに価値を見出すようになった。その変化を、自分の精神的な変化として肯定的に捉えているようだ。若い頃には気づかなかった、年齢を重ねたからこそ得られた心の豊かさに対する自覚と感謝が読み取れる。もちろん、そういう歳になったという意味だけでなく、「今年一年を、白を喜ぶような心持ちで過ごしていこう」という、人生の次のステージへの宣言のようにも受け取れる。作者の、新しい年を迎えようとする、静かな願いが感じられる。
*生きている友を呼び出す夜の雪 岡田耕治