2016年7月20日水曜日

左手を忘れていたり五月憂し  森谷一成

左手を忘れていたり五月憂し  森谷一成
「香天」44号。キリスト教では、右手は祝福の手であり、左手は呪いの手とされています。仏教では逆に、左手は聖なる手と言われています。何れにしても、右手を利き手とする人が多く、左手は忘れられがちです。左手を忘れているということは、利き手を働かすことに腐心していたということであり、そのことに気付かせてくれたのが左手の存在でした。ふと気づかされた自分の姿に、「五月憂し」という感慨を抱いたのです。
※写真は、大教大柏原キャンパスの水辺です。

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