大津留 直
子供の頃、かくれんぼした記憶では、ここに隠れたら、誰も見つけてくれず、そのうち皆帰ってしまって、一人取り残されるのではないかという不安があった。だから、わざと、みつかるように隠れるのである。例えば、コスモスの草むらのなかに。障害があるにもかかわらず、このような思い出を持ち得ていることに、両親や先生がたに感謝している。
牧内 登志雄
>こんな小春日和の穏やかな日は/もう少しあなたの/子供でいさせて下さい(山口百恵/コスモス)。
母に叱られてコスモス畑に隠れた日。夕暮れに母が名前を呼びながら「も~いいかい」。私は泣きながら「ま~ぁだだよ」と手をふった。母は優しく頭を撫でて、そして手をつないでくれた。そんな秋の一日があったかも知れないコスモス畑。
大関博美
隠れんぼ、見つけられちゃうドキドキ感ワクワク感が醍醐味。
完璧に隠れるのはつまらない。でも、鬼にもなりたくない。
一番に見つからないように、上手く隠れて、あとは鬼の反応を確かめながら、
見つけてくれるように隠れるのである。
庭や校庭のコスモスの茂みが、隠れて居る子どもの可愛さや明るさを伝えてくれます。
仲 寒蝉
これはいいですね!相手は幼い子供か、或いは恋人同士という設定もありかな。
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