2021年10月31日日曜日

滝澄みて二人の旅をつなぎけり  耕治

 
十河 智
 たまたま、「俳句界」の滝の句の記事を読んだ後です。記事では、滝そのものを表現しようとする句ばかりでしたので、この句に、ハッとしました。先生の句には人がある、心が繋がる。先生らしさが、すごくわかる句だと。
 この二人、滝の前で、この滝によって、繋がったのだろうなと思います。

大関博美
 秋の紅葉を観つつ滝への道の散策と二人ででかけた。
滝への道は思った以上に険しい所もある。いつも二人並んで歩ける訳ではない。足場を確かめ手を引いて、ようやくたどり着いた滝の水は澄んで白い飛沫が神々しい。二人で手を繋いで気持ちをあわせた時から、二人の長い旅は始まった。

桑本 栄太郎
 滝壺のある場所は大概森深い中であり、滝を見上げていればただ水が怒涛のごとく落ちるばかりです。しかし、普段では見る事が出来ず、非日常の眺めですね?暫く見惚れていれば、二人の心の中に印象深く残り二人にとって旅の良い想い出となりますね!

大津留 直
 「滝澄む」という季語は、無いようです。「滝」は夏の季語ですが、「水澄む」とか「秋澄む」とかの季語に引っ張られて、秋を連想します。もしかしたら、この句を機縁として、「滝澄む」という季語が確立されるのかもしれない。あるいは、「秋の滝」の傍題として。私としては、季語にあまり拘ってはいけないという教訓として受け取りたい。そして、これ以上ないほど、ロマンティックなこの句を味わい、祝いたいと思う。

仲 寒蝉
 どういう人2人がつながったのだろうと想像が膨らみます。湊かなえの小説みたいな長~い背景がありそう。

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