〈俳句物語〉 岡田耕治
夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉
彼は大学の非常勤講師を務めている。大学院の博士課程を修了して5年が経つが、18歳人口の減少の波は容赦なく大学業界を浸食していた。あちこちの大学で募集停止や統廃合が囁かれ、かつては学問の象徴であったはずのキャンパスが次々と姿を消していく。それに伴い、助教や専任講師といった正規のポストへの道は、年を追うごとに狭き門となっている。
非常勤講師の生活は、常に綱渡りだ。1コマ単位の契約であり、例えば半期(4月から8月)に1コマ(15回)を担当したとしても、月々の手取りはわずか3万円程度にすぎない。しかも授業が行われない3月と9月は無収入になるため、生活を維持するためには前期・後期ともに最低でも週7コマ以上を死守しなければならない。複数の大学を掛け持ちし、満員電車に揺られながら講義をこなして、ようやく得られる年収は210万円ほど。彼の専門である社会科教育の講義と、得意な英語の講義を合わせて、現在は3つの大学で年間15コマを何とか担当している。
夏の盛り、前期の講義がすべて終わり、山積みの期末レポートを前にすると、決まって胸の奥に冷たい虚しさが広がった。
「自分は、いったい何のためにここで教えているのだろう」
そう自問せずにはいられないほど、提出される学生のレポートには、生成AIによって書かれたと確信できるものが溢れていた。誤字脱字は皆無で、文法も段落構成も完璧。一見するときわめて洗練されていて、読みやすい。しかし、そこに書かれているのは抽象的で総論的な表現ばかりであり、結論は決まって誰からも非難されない「安全策」に落ち着いている。整然と並ぶ、魂の通っていないレポートを一枚一枚めくり、淡々と点数をつけていると、まるで自分の人生そのものをすり減らしていくかのような虚しさに襲われる。
このままでは、教える側も学ぶ側も干からびてしまう。そう感じた彼は、この夏の課題を大きく変更することにした。
「今後自分が授業を作る上で、探求し続けたい『問い』を100字以内で表現し、15回のどの学びに着想を得てその問いに至ったのかという背景を400字以内で記述しなさい」
この試みは、想像以上の変化をもたらした。提出された課題の字数は従来の半分になり、何より一枚一枚のレポートから、学生たちの生の体温が伝わってくるようになった。最初の100字に書かれているのは、インターネットの海に漂う「過去の既製の答え」ではない。回答する学生自身がこれから向き合っていこうとする、切実な「未来の問い」だった。
「過疎地のバスを廃止すれば、そこに住むお年寄りの『移動の自由』はどう保障されるべきか」
「アルバイト先で不当な労働を強いられた時、私たちは法を武器にどう自分を守るべきか」
拙くとも、必死に頭を悩ませて紡ぎ出された言葉たち。それらを読んでいると、彼自身の胸の奥にも、眠っていた熱い火が再び灯るのを感じた。レポートを採点する時間は、いつしか彼にとって、自らの授業をより良くするためのヒントに満ちた対話の時間へと変わっていった。
彼の専門である「公共」という科目は、暗記中心の古い社会科から脱却し、「正解のない社会課題に対して、自分ならどう判断するか」を主体的、対話的に考えるためにある。答えがないからこそ、彼の質素なアパートの本棚には、哲学的思索の本、社会の対立や倫理的葛藤を扱う本、先端科学や社会課題の境界線を扱う本が、ぎっしりと、そして誇らしげに並んでいる。本棚を眺める彼の目には、かつて研究を志した頃の純粋な輝きが戻っていた。学生たちの問いに励まされるようにして、彼は久しぶりに、自分のために買っておいた本を開く時間を作り出すことができた。
そんな8月の半ば、一番多くのコマ数を持っていた大学の人事担当から、一通のメールが届いた。それは、彼を特任助教として、9月から2年間採用するという通知だった。社会科を担当する教授が「サバティカル制度」を利用してアメリカの大学へ長期研修に赴くことになり、その代講として期限付きの教員募集が出ていたのだ。彼は春先に祈るような気持ちでそれに応募した。2年という期限付きではあるものの、ついに「非常勤」のループから一歩踏み出し、自らの足で研究者としてのスタートラインに立つことができるのだ。
8月15日。彼は母校のキャンパスの隣にある、木々の生い茂る公園にいた。涼やかな音を立てて上がる噴水を見つめながら、彼は隣に立つ女性の手を握り、静かな声でこう告げた。
「学生時代から6年間、自分の不確かな未来をずっと支えてくれて、本当にありがとう。秋から大学の助教として働けることになったよ。ここからが研究者としての本当のスタートだし、まだまだ険しい道かもしれない。でも、これからの人生もずっと、あなたと一緒に歩んでいきたい。僕と、結婚してください」
夏惜しむ解のない本立ち並び 玉記玉
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