〈俳句物語〉 岡田耕治
父の書の余白美し夏の蝶 佐藤静香
石段を降りる私の足音に驚いたのか、突然大きな蝶が飛び立った。少し離れた場所に舞い降り、静かに羽を畳んだその瞬間、ふと父のことが蘇った。父は私が生まれた頃から書道塾に通い、晩年には書道展に出展するほど打ち込んでいた。公務員として人事を担当していた父は、家で仕事の話をすることは少なかったが、疲労の色を滲ませて帰宅することが多かった。
小中学生の頃、父に書道を習ったこともあったが、私は絵に惹かれ、高校では美術を選択した。専門学校を経て、現在は病院で看護師として働いている。投薬や観察のミスが患者さんの命に直結する医療現場では、常に「間違えてはいけない」という緊張が続く。針を刺し、点滴を確認し、モニターを見守る日々の中で、心が休まる暇はない。
父が大阪市立美術館へ誘ってくれたのは、私が月一、二回の水彩画教室に通い始めた頃だった。年代も職業も異なるメンバーが思い思いに絵筆を走らせる、その静かな時間を私は大切に思うようになった。
父のことを思い出したので、部屋に飾る書を替えようと桐の箱を開けたとき、一枚の絵はがきが出てきた。父が美術館で熱心に見入っていた作品と同じものだ。はがきには「上村松園《晩秋》」とある。若い女性が縁側の障子を閉めている絵だと思っていたが、よく見ると障子の破れを花形の紙で繕っているところだった。
これまで女性の髪型や青い着物、緑の帯ばかりに目が行っていたが、父が見つめていたのは、女性の背後に広がる真っ白な障子だったのかもしれない。日々の激務をこなす中で、私もまた、その静謐な白い空間に強く惹かれるようになっている。
私が水彩画に惹かれ、父が書道を極めようとしたのも、この「余白」を求めていたからではないか。そう思って改めて父の書を見ると、これまで黒い墨で書かれた文字ばかりを追っていたことに気づかされる。墨を走らせることは、同時に白い余白の形をデザインすることでもある。
この余白にこそ、父の思いが深く刻まれているにちがいない。
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