〈俳句物語〉 岡田耕治
美しい気配の一つ枇杷熟れる 古澤かおる
大学3回生の就職活動。二十社ほど受けた面接の帰り道、彼女はいつも、自分という存在が社会に必要とされていないような心細さに包まれていた。「あなたの強みは?」という問いに答えるたび、等身大の自分が見失われていくような気がした。最終面接まで進んでは、あと一歩で届かない。その繰り返しの中で、彼女の心に自己否定の闇が広がっていった。
4回生になり、幼い頃からの夢だった教員への道を選び直した時、キャリア支援の窓口でふと目に留まったのが、ある離島の講師募集チラシだった。「教員免許があれば、まずはオンライン面接から」。その言葉が、強張っていた彼女の心を解いてくれた。今の自分をそのまま受け入れてくれる場所が、海の向こうにあるのかもしれない。そんな予感に背中を押され、彼女は新しい世界へ一歩を踏み出した。
春、大きなキャリーバッグと共に降り立った島は、光に満ちていた。下宿先は、七十代の温和な老夫婦が営む離れ。本島で暮らす子どもたちを思うご夫婦は、彼女を本当の娘のように、「よおきんさったね」と温かいお茶と「かんころ餅」で迎えてくれた。潮騒の音を聞きながら眠りにつくと、かつての焦燥感は、その音に溶けていくようだった。
全校児童二十人の小学校は、家族のような温もりに溢れていた。彼女が受け持ったのは5年生。初めての授業、緊張で震える彼女の手を包み込んだのは、子どもたちの真っ直ぐな瞳と、先輩教員たちの「大丈夫、みんなで見守っているから」という優しい言葉だった。失敗を恐れていたかつての自分はいつの間にか消え、子どもたちの成長を共にする日々に、彼女は自分自身の「強み」を、肩書きではなく心の中に見出し始めていた。
放課後、校舎から見える海はエメラルドグリーンからコバルトブルーへと表情を変え、彼女の心を癒していく。夕暮れ時、空がピンクやオレンジの優しいグラデーションに染まる頃、彼女は自分がこの島の一部になれたような安らぎを感じるようになっていた。
ある日の夕食後、大家さんが玄関に置いてくれた新鮮な野菜を手に外へ出ると、清流のほとりで蛍が舞っていた。静かに、けれど力強く明滅する光に見惚れていると、「先生、これ食べんね!」と明るい声が響いた。
担任しているケンくんが差し出してくれたのは、夕暮の光に温まった、もぎたての枇杷だった。庭先に目をやると、橙色の実は、初夏の光を蓄えてふっくらと輝いていた。
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