〈俳句物語〉 岡田耕治
そして今ひねもす箱庭を弄る 玉記 玉
父の四十九日の法要で持ち帰ったのは、二十枚の色紙が入った桐箱だった。実家を継いだ兄は土地や建物を相続し、私は預金と共にこの桐箱を形見分けとして受け取った。手狭な1LDKのマンションには、この桐箱一つで充分だった。
二十枚の色紙のうち、父の句は三枚だけで、残りは他の俳人からのものだった。季節ごとに父の句を入れ替えているが、夏の句がなかったため、代わりに「馬なればわれ透明の馬ならむ 安正」という句を夏用にした。
秋、冬、春は色紙の額の下に一輪の花を飾ってきた。しかし、夏用の句に合うものを探すうち、「枯山水セット」を見つけた。ミニチュアの枯山水は、この「透明な馬」である「われ」の存在感をより引き立ててくれるように感じられた。
当初は説明書通りに砂に紋様を描き、石を配置するだけで済ませるつもりだったが、砂を弄(いじ)るうちに、中学生の頃の箱庭作りの感触が蘇ってきた。学校を休みがちだった当時、医師の勧めで何度か箱庭を作った経験がある。最初は戸惑ったが、次第にミニチュアの木やベンチ、フィギュアを思い通りに配置できることに集中し、没頭していった。
現在従事しているオペレーターという仕事は、パソコン初心者を相手にすると、「マウス」や「ブラウザ」といった基本的な言葉さえ通じないことがある。目に見えない画面を言葉だけでナビゲートするには「忍耐力」が求められ、さらに電話対応の短縮も要求される。「今すぐ解決しろ」という強いプレッシャーを受け、時には大声で怒鳴られることさえある。
このような厳しい仕事の日の後、自宅に帰って白い砂を弄ると、自然と心が落ち着く。今はセットの波石ではなく、買い集めたカプセルトイ(ガチャガチャ)のフィギュアを配置し、ゆるい表情の動物たちが日常を楽しむ様子を眺めている。そうすることで、この小さな庭の中に、プレッシャーから解放された「透明な私」が遊んでいるような、穏やかなひとときが訪れるのである。
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