2024年5月26日日曜日

香天集5月26日 中嶋飛鳥、湯屋ゆうや、加地弘子ほか

香天集5月26日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
クレーンが虚空を掴み夏に入る
夏嵐「オッペンハイマー」観て帰る
薄暑光痛いですよと前置きす
梅雨鴉じゃんじゃん横丁抜けて行く

湯屋ゆうや
痛点を上にて眠る春の月
田の声の近く聞こゆる薄暑かな
登校の列さかしまに田水張る
水だけが卯月曇に透けてゐる

加地弘子
置物を退けて兜を飾りけり
老鶯やたぷたぷ登る桶の水
春の虹繋がっていく観覧車
手を握り握り返さる聖五月

神谷曜子
春キャベツざっくり希望と現実と
原点に戻れなくなりつくしんぼ
左手を母につかまれ花蘇芳
ふわふわの時間の中に種をまく

大里久代
春会式十一人で読経聞く
胡瓜苗植えて畑の世話をする
春の朝写経のあとの法話かな
雨上がり花びら光る七変化

西前照子
夏来るグランドゴルフバーディ賞
湯上がりや明日も又着る夏衣
今年また迷わず燕羽おろす
菖蒲湯につかり天井見上げおり

〈作品鑑賞〉 耕治
薄暑光痛いですよと前置きす 中嶋飛鳥
「薄暑光」は、夏のはじめ頃の、まだ暑さに慣れていない体に感じる、まぶしいほどの光。「痛いですよ」という呼びかけは、その光がただ暑いだけでなく、実際に肌を刺すほど強いものであることを告げている。しかし、「痛いですよと前置き」したのは、単に光が痛いというだけではないように感じられる。例えば、注射を打たれるとき、「ちょっとチクッとしますよ」などと声を掛けられるような、そんな前置きへと連想がひろがる。歳を重ねるほどに、この身に起こる変化というか、衰えはとりとめが無くなってくる。そんなとき、予めこんなふうに前置きがあれば、ひと筋の道が浮かんでくるようだ。飛鳥さんのこの感性に共感する。
*和歌山市にて。

2024年5月19日日曜日

香天集5月19日 三好広一郎、柴田亨、辻井こうめ、木村博昭ほか

香天集5月19日 岡田耕治 選

三好広一郎
近道は蛇衣を脱ぐ濡れた道
薫風や藍一色に妄想す
純粋の天然水やなめくじり
痛くない歯科の看板大西日

柴田亨
五月来る作業着にある油染み
石楠花の枝ごとにある不幸せ
ダンゴ虫幼き瞳透き通り
花水木更地は風のよりどころ

辻井こうめ
入学すピンク縁取るランドセル
春眠の胛に羽着けてをり
「通ります」ペダル過ぎゆく花堤
廃校の話たんぽぽ絮毛とぶ

木村博昭
キュッ・プリとピエロの手なるゴム風船
蒲公英やじゃんけんぽんで敵となり
こどもの日子供のころの写真帖
青畳奔る子どもの素足かな

松田敦子
ファジーには生きられなくて蕗の皮
一分で忘れる話ソーダ水
白服や母とは常に揺るるもの
立ち退きの跡地今年の百合開く

上田真美
君が好き朧月夜のせいにする
道端の光を保つなずなかな
やわらかき風に呼ばれて花水木
湯の中にほどけてゆける桜かな

楽沙千子
大川を渡れば市街花銀杏
十分なちゃぶ台でありライラック
菜種梅雨足止めに合うヘルメット
花柄をとり初夏をむかえけり

嶋田静
雨音のはげし杏の花白し
うぐいすのしきり不器男の生れし町
やまぶさや二両電車に河童居て
春がすみ汽笛聞こえる町に住み

秋吉正子
初孫や餅を踏ませる初節句
黄金週団地に臨時駐車場
満開になる前に終えつつじ祭
燕来てシルバー体操中断す

川村定子
幕の内花一輪を添えくれし
大輪の牡丹に雨の容赦なく
賜りしジャスミンの香よ余すなく
ドア閉き競うて風と花秉車

〈作品鑑賞〉 耕治
五月来る作業着にある油染み  柴田亨
 五月は、若葉に包まれた生命感にあふれる月。そんな明るい季節の訪れが、作業着に付いた油染みを浮き立たせている。油染みは、取ろうとしても取れないことが多く、どちらかと言えばマイナスの感情を呼ぶ。しかし、この句の「作業着にある油染み」には、マイナスよりもそれを愛おしむような響きがある。この油染みによって、生業を立てている、そんな矜恃すら感じさせる。亨さんの正確で具体的な描写は、私たちの想像力を刺激し、仕事というものへの向き合い方を考えさせてくれる一句である。
*和歌山市加太にて。


2024年5月12日日曜日

香天集5月12日 三好つや子、古澤かおる、春田真理子ほか

香天集5月12日 岡田耕治 選

三好つや子
椅子になりたい男の話春の蝉
若葉雨一通だけの嘆願書
振り出しに戻っておりぬ天道虫
燕来る絵本のなかの交番所

古澤かおる
白靴の踵初めに踏まれけり
青空はあくまで遠く夏立てり
大好きな「つづく」のページ柏餅
撫で肩の後ろ姿の青鷺よ

春田真理子
たまゆらの考妣と語り花朧
生き急ぎ風受けている木瓜の花
触れられぬ潔白のあり山芍薬
猫通る春満月のうすくなり

宮下揺子
満開の桜平和を噛みしめる
歳重ね似てくる夫婦いたち草
妖精の生まれるところ三椏咲く
朧の夜裏打ちの文字透けて見え

砂山恵子
ハーバーの小屋に救命器具薄暑
風吹けば潮のかをりの立夏かな
朝市のひよこが走る庭薄暑
早緑の輪切りのキウイ夏はじめ

牧内登志雄
故郷の駅舎の日射し栗の花
海鳥の一羽遅れて夕薄暑
妹の肩の眩しき春野かな
尖つて風に逆らふ麦の秋

〈選後随想〉耕治
白靴の踵初めに踏まれけり  古澤かおる
 中学生のころ、新調した白い運動靴を履いたときの気分がまず蘇る。新しい靴には、うれしさと同時に、しばらくは足に馴染みにくい煩わしさもあった。だからだろうか、それとも、ちょっと反抗してみたくなったからだろうか、新調の靴の踵を踏んで履くことにした。親からも、教師からも、「ちゃんと靴を履きなさい」と言われるに決まっているが、それまではこの靴とのゆるい付き合いを愉しむことにしよう、そんなかおるさんのつぶやきが聞こえてくる。踏まれたのは、他の人に踏まれたとも読めるが、そんな初日の悲しさよりも、自分で踏んだと読みたくなる一句だ。
*みさき公園にて。


2024年5月5日日曜日

香天集5月5日 佐藤俊、釜田きよ子、安部いろん他

香天集5月5日 岡田耕治 選

佐藤俊
透明の闇の桜に会いに行く
つばくらめ空の切れ目をさがし飛ぶ
暮の春弥生の土器の稲の痕
筍(たかんな)の節々の風吹き通す

釜田きよ子
敵味方どちらも大事山笑う
山桜父が後ろに来ておりぬ
ブレーキの効かなくなりし花筏
シャボン玉笑い転げるように飛ぶ

安部いろん
雷に照らされ壊れゆけるとき
生贄となるらむ真日の暑さかな
現実に戻る階段こどもの日
四方の夕やがて八方の春の夜

河野宗子
挿木した花の名前を忘れけり
「生きてるか」ひと声届く春の風
傘寿超えピアノレッスンリラの花
春雨の降っては止んで落ち着かぬ

田中仁美
返事待つ絵手紙送り花水木
塀ごしに筍と糠いただきぬ
真っ直ぐにつぼみを立てて春のバラ
左官屋が壁を塗る音鉄線花

垣内孝雄
口下手が父の取柄ぞ笹粽
刻々と羆の檻の暑さかな
ひと夜さの小雨のあとの花牡丹
キリン見て背伸びせる子や夏帽子

吉丸房江
欲しいものが逆上がりして春一番
肩の荷を二つおろして桜狩
ひこばえの枝は自分の道を行く
うす紅の九十回目の桜かな

岡田ヨシ子
コロナ再び友の姿の消えし春
鯉のぼり二人で立てし太き竹
海の色山へと変わり夏来たる
さくらんぼ種まきし木が大木に

勝瀬啓衛門
鯉幟世代の変わる町おこし
武者人形仁王立ちする中座敷
ベランダの日干しになりぬ鯉幟
春の蚊や直ぐに叩かれ染みとなる

川端大誠
鯉のぼり風にまかせて遊んでる

川端勇健
青海の大波に乗るサーファーよ

川端伸路
海へ行く新しい道夏が来た

〈選後随想〉耕治
透明の闇の桜に会いに行く  佐藤俊
 「透明の闇」 という表現にまず注目する。透明は水やガラスのように向こうがよく見えることで、闇は光がなくて見えないことだから、矛盾をはらんだ表現だ。では、よく見えるようで実は見えない桜とは、何を表しているのだろうか。開花予想、花見、桜狩と世間は騒いでいるけれども、本来の桜を見ている人はどれくらいいるのだろうか。もしそんな桜があるのなら、これから出掛けていって会いたいものだ、そんな俊さんのつぶやきが聞こえて来る。まだ薄暗く、しかし徐々に夜が深まっていく春の夜、表現者としての探究には持って来いのひとときであろう。
*和歌山市加太にて。

2024年4月28日日曜日

香天集4月28日 渡邉美保、谷川すみれ、森谷一成、湯屋ゆうや他

香天集4月28日 岡田耕治 選

渡邉美保
花ミモザ玉子サンドの黄ぎっしり
櫻蘂降りつむ錆びたパイプ椅子
恋敵となんぢやもんぢやの花の下
花は葉に今日は補助輪はづさうか

谷川すみれ
心中の地に伸び烏柄杓かな
これからのおとぎ話を蓮見舟
老年の大きな声の椎若葉
炎昼の目の玉だけが動きけり

森谷一成
大和三山霞に沈む戀らしき
統合の廃校に坐(ま)す桜かな
はすかいに土手の照準つばくらめ
  十一代豊竹若太夫襲名
春荒れにぶつけ太夫の聲さびる

湯屋ゆうや
春の宵猿の匂ひのするといふ
春疾風に背を任せて帰りけり
春の蚊とぼくだけ降りる車庫の前
段ボールの縁のぎざぎざ春日さす

夏 礼子
友と聴く中島みゆき春の昼
竹の秋ここからひとり通りゃんせ
うしろから呼ばれていたり春落葉
さくらさくら非力のひとりここにいる

柏原 玄
褒められてその気になりし葱坊主
喜びは机上に置けりチューリップ
藤の花ひかり忙しくうすみどり
菜の花やくたびれている吾といて

神谷曜子
買い物の袋の中の春鳴らす
つくづくと兄の半生花蘇芳
連翹につながる記憶ひとしきり
ひらがなのような音立て種袋

宮崎義雄
石鹼の香るチーズや昭和の日
白酒を飲みながら打つ碁石かな
鳥咥え猫もどりくる春田かな
遠足の帰りを急ぐ空水筒

松田和子
参道の茶屋から匂う浅蜊汁
一里塚一番に吹く沈丁花
春昼の旧家をめぐるラリーかな
二階から目線を合わす紫木蓮

松並美根子
菜種梅雨傘を持つかを思案する
八十路過ぐ免許更新万緑へ
春深しひとりの空を見ておりぬ
ありのまま今ここにいて桜舞う

前藤宏子
復興の兆しのごとく茎立てり
コロッケを食べ合う会話花見茶屋
白蝶の視界の中に入る私
炊事好きほ句も散歩も長閑なり

森本知美
フェニックス春の星降る外湯かな
新玉葱舌ひりひりと独りかな
春の浜自転車に来る影法師
菜の花に雨粒光る重さかな

木南明子
若き父桜の下で児をあやす
さくらさくら牡丹桜という桜
蒲公英の何処に飛ぶか考える
音もなく降る一瞬の花吹雪

金重こねみ
ムクムクと声は出さずに山笑う
十一の飛行機雲や春夕焼
しなやかにたくましきかな山桜
そこここに息吹き返す竹の秋

丸岡裕子
花筵昔を姉とあれやこれ
どっさりの買い物の上桜餅
鶯と指さす友は鳥博士
小さくも私の宇宙春の庭

目 美規子
紛争と地震のニュース四月尽
とめどなく四方山話山笑う
養花天覆面パトのけたたまし
ついて出る言葉飲み込む春大根

〈選後随想〉 耕治
これからのおとぎ話を蓮見舟  谷川すみれ
 蓮の花が咲く池の上を進む舟に乗りこみ、これからどんな景色をたのしむことができるのかという期待がまず伝わってくる。「これからの」という句の始まりが、そのことを暗示している。ところが、それは「おとぎ話」なのだというとことが、この句の味わいを深くしている。「おとぎ話」とは、「子どもに聞かせて楽しませるための、空想をまじえた話」〈三省堂国語辞典第八版〉とある。蓮見舟には、子どもが乗っていて、これからはじまる空想の世界を共に楽しもうというところか。これからの物語は、子どもに語るようにしてはじめて成り立つのではないか、そんなすみれさんの思考が背景にある一句。

以上、香天集への投句、ありがとうございました。
*みさき公園にて。

2024年4月21日日曜日

香天集4月21日 三好広一郎、中嶋飛鳥、木村博昭ほか

香天集4月21日 岡田耕治 選

三好広一郎
ポイントの無くても生きて囀れり
春キャベツ私を抱いてくれないか
春やわわ大草原にマヨネーズ
恐竜の骨琴冴える五月来る

中嶋飛鳥
ゆきずりの肩を並べて遅桜
俯瞰する渦を出られぬ花筏
西東忌リードの長さいっぱいいっぱい
傍らに寡黙でありぬ牡丹の芽

木村博昭
てらてらと信楽たぬき春日享く
各駅に停まる日永の海辺かな
黄砂来る仏舎利塔は闇の中
チューリップ自分で出来るようになり

楽沙千子
靴音のついてくるなり沈丁花
思い込み直さず朧月夜かな
花冷えの綻びてきし三分咲
木瓜の花終の住家としておりぬ

嶋田 静
濡れ行けり降りては止める花の雨
おろうそく幾度も消す花の風
花吹雪両手で受けておりにけり
雑草の名前に春を教わりぬ

勝瀬啓衛門
花明り目と目を合わし居たりけり
散る散らぬ空もだらだら花曇
キーボード探る指先新社員
餅草や忘れた頃の腰の丈

西前照子
観光客見送る姿猫柳
おぼろの夜鍵穴照らすペンライト
軒下に今年も一つつくしんぼ

〈選後随想〉耕治
ポイントの無くても生きて囀れり 三好広一郎
 この句を最初に見たとき、「ポイント」を買い物をしたときにカードに付くポイントを想起してしまい、別にポイントがなくても暮らしていけるという程の意味かなと思った。ところが、句会で辻井こうめさんが、この句のポイントというのは、目立つ場所とか定点という意味だと解釈してくれたので、一気に読みが広がった。春、何もポイントがないような場所で、さまざまな雄鳥が雌への呼びかけを行う様子が浮かんできたのである。ヒトの子育ての中では、心理的安全性が大切で、安心して見てくれている定点があるから、いろんなことにチャレンジしていけると言われている。その説から読んでいくと、「定点なんてなくても生きていけるし、恋もできるんだぜ」、そんな広一郎さんの内なる声が聞こえてくる一句だ。
*岬町小島にて。

2024年4月14日日曜日

香天集4月14日 玉記玉、三好つや子、柴田亨、加地弘子ほか

香天集4月14日 岡田耕治 選

玉記玉
飛石にまれびととなる養花天
糸桜ふわりと裏の見えにけり
複雑を易しく語る諸葛菜
鶏とはち合わせたる労働歌

三好つや子
まれびとをもてなす童鼓草
黄砂降る古代文字めく人の影
山葵沢りんりんりりり水走る
組織には馴じめぬマイマイツブリかな

柴田亨
水琴窟大地の静寂満ちており
雨の世の物の怪集う紫木蓮
彼岸西風何もないこと母のこと
山茶花の散り果て天を広くする

加地弘子
揚げ雲雀策略通り揚がりけり
輪っか振る度に飛び出す石鹸玉
艶っぽく蒸し上がりたる春キャベツ
絨毯になりて安寧花ミモザ

春田真理子
教え子を見届け逝けり涅槃雪
連翹や玄関に鳴る土の鈴
あつまりぬ朧の夜の楽器たち
春の雨支える傘のあゆみかな

古澤かおる
絡みつつ紅を帯びたる茨の芽
肉球の黒い斑点春きざす
高齢は歩け歩けと風光る
クルトンをスープに浮かべ春の旅

上田真美
めばる目で往生させてと我に請う
菜の花を感じていたりオムライス
ゼラニウム囲む雑草それも好き
春霖や次第に草の濃く香り

岡田ヨシ子
菜の花を三本貰い散歩する
桜狩テレビの中を何処までも
散る桜シルバーカーが巻き込みぬ
鯉のぼりいつまで生きる早さかな

北岡昌子
山間やうぐいすに耳かたむける
静寂の雪降りそそぐ高野山
朽ち果てた木なり桜の花が咲く

大里久代
見守りし子ら卒業のたくましさ
予報士が何回も見る初桜
吹く風に香りを運びフリージア

〈選後随想〉耕治
組織には馴じめぬマイマイツブリかな 三好つや子
 マイマイツブリはかたつむりの別名で、殻を背負って単独で自由に移動しているように見える。一方、組織は、多くの個人が集まって構成されるものであり、自由よりも集団の規範が重視される。マイマイツブリは、漢字で「舞舞螺」と書くが、組織の中できりきり舞いしていたけれども、それを抜け出そうとする気配が感じられる。規範がなければ組織は成り立たないが、個人にとっては組織に所属することがストレスになる。そのストレスから抜け出そうとするマイマイツブリの姿に共感する。つや子さんが捉えたこのマイマイツブリは、果たして上手く組織を抜け出すことができただろうか。
*岬町小島にて。