2025年6月1日日曜日

香天集6月1日 玉記玉、森谷一成、夏礼子、柏原玄ほか

香天集6月1日 岡田耕治 選

玉記玉
夕焼や鉄棒の身を二つに折り
緑蔭や園児の帽を読み直し
兵ー人蛍袋に入り込む
くすぐったくてペチュニアになりそう

森谷一成
藤波のらせんの空へ鈴鹿越
土手青む遠近法をはたらかせ
ペンキ屋の一大事なる天道虫
筍や隣の土を潜り出で

夏礼子
著莪の花秘すと決めたることのあり
濃ゆくなる揺れのめまいよ藤の花
母の日のかあちゃんとふとひとりごと
ふるさとへとんで行きたりはじき豆

柏原玄
船旅の装いを決めヒヤシンス
愛用の肩掛け鞄鳥雲に
春の航水平線の円のなか
冷素麺深呼吸する島とあり

辻井こうめ
スマイルのシール貼り付け鯉のぼり
ゆつくりと底板沈め菖蒲の湯
白靴のエイッと跳びぬ水たまり
待ち渡る青水無月の無人駅

中嶋飛鳥
かげろうの糸口つかむ無人駅
パリー祭片目のままにダルマ古り
竹落葉ふわりと包む靴の音
頭韻のみなもととして日雷

前塚かいち
アンテナに絡むを任せ時計草
やがて来る姿を待てりカサブランカ
北前船着きし港よ小判草
放哉の句碑の手触り青葉風

前藤宏子
若き考アルバムにある夏衣
葉裏から毛虫が話しかけてくる
夏帽子友は五つも若返り
更衣頭も整理しておりぬ

森本知美
薫風や歯を磨きつつ庭歩む
筍と米糠呉れる友若し
仮の世の出会いのひとつミニトマト
捨て藪の竹皮を脱ぐところかな

松並美根子
校門の朝の挨拶風光る
浜からの声高くして立夏かな
パンジーの微笑満つる集いかな
菖蒲湯に満ちたる香り風に添う

安部いろん
半仙戯戻れないこと識るための
蝶眠るフィトンチッドを浴びながら
滝の音鯨の声に変わりゆく
浄玻璃の鏡降り立つ夏野原

安田泰子
道草の途中喜寿なり緑さす
子供の日震災に遭うすべり台
子供の日座敷を広くしていたり
美容院の帰りは雨や紫蘭咲く

長谷川洋子
夢叶う最期に観たき大花火
大花火一夜の音をヒュルヒュルと
琵琶湖から上がる花火の余命かな
笹の葛感謝の心届きけり

松田和子
若草やおむすびころりべそをかく
終活と決めては戻す更衣
風物詩の舞台は川へ鯉のぼり
産土の和歌の心や白牡丹

金重こねみ
夏みかん友の顔へと届けおり
自転車の子どもの席に筍よ
チョコレートぐにゃりと割れて夏きざす
親も子も精根の尽き子供の日

田中仁美
台湾の夜市を巡り夏きざす
掛け声でランタン飛ばす夏の朝
マンゴーのてんこ盛りなりかき氷
夏帽子なくして風の行方かな

目 美規子
大手鞠古刹の鐘の響きあり
山藤や峠を下り大和路へ
長谷寺の茶屋に誘われ桐の花
著莪の花女人高野は雨の中

木南明子
ひるがおの海への道はさびしかり
雑草のひとつとなりて月見草
夏帽を取らずに言葉交わしけり
羽根飛ばす鴉の喧嘩青嵐

牧内登志雄
捨苗の一尺ほどに立ちにけり
開け放つ窓に大きく雲の峰
独り寝の朝に姦し不如帰
見てくれと言はんばかりに咲くダリア

河野宗子
枇杷の実や袋の中でもがきたる
ペダル踏む素足の少女風を切る
夏物を出しては戻す今朝の雨
焦げついた鍋をこすれり五月雨

吉丸房江
大らかに生きてきたりし豆の花
カーネーションや母よりも長く生き
アスファルト割ってたんぽぽ一年生
お日様の匂いのシャツよ退院す

大西孝子
朝露に輝いている芝生かな
すず風にうとうと心温める
子どもらとかけっこをしてありがとう


〈選後随想〉 耕治
緑蔭や園児の帽を読み直し 玉記玉
 幼稚園児はどこへ行くかわかりませんから、緑蔭に入って、子どもの数を確認しているところでしょう。句会で見たときは、「数」となっていましたが、推敲の上「帽」となっているのも即物的で更によくなりました。校外学習に連れて行って帰ろうとするとき、何回数えても数える度に人数が違うことがありました。子どもたちも疲れているし、こちらも疲れているので、なかなかピタッとこないのです。最後は「隣の子はいる?」と呼びかけて、「いる」と返ってきたら出発しました。そんなハラハラする緑蔭もあるというか、どこか不気味な緑蔭の暗さと、子どもたちの赤か白の帽子の明るさのコントラストが印象的です。
*大阪市大正区にて。

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