2025年10月5日日曜日

香天集10月5日 渡邊美保、嶋田静、森谷一成、浅海紀代子ほか

香天集10月5日 岡田耕治 選

渡邉美保
足元の草の匂へる魂迎へ
花野行きのバスに乗り込むフライパン
星飛んでムーミン谷に風の音
色抜けしゑのころ草の鳴きにけり

嶋田静
約束のように風来る敗戦日
仰向けの蟬近寄るや飛び立てり
泰山木陽ざしはすべて葉の裏に
夏の山天涯に花揺らしけり

森谷一成
ふところを秋刀魚にみられ茜雲
吾父はポツダム少尉いぼむしり
爆音の過ぎて泣きやむ猫じゃらし
  伊丹吟行
無患子の揺れて猪名野の昔めく

浅海紀代子
深奥にわが影伸びる九月かな
リハビリの靴の片減り草の花
次男坊ふらりと帰るつくつくし
思い出をたどる桔梗を端緒とし

佐藤静香
ひとつ屋に人の温もり夜の秋
金秋の卵ひとつに足るを知る
故郷は疲れの見えて曼珠沙華
無患子の実や堅き意志内包す

牧内登志雄
望の月賢者の海の賑わえり
雲水の笠に纏わる初紅葉
愚痴もまた肴と酌めり新走
県境わたる鉄路や水の秋

河野宗子
天井の屋久杉回る広重忌
くすぐって色なき風の走る朝
垂直に連なっている蜻蛉かな
期日前投票に来て敬老日

田中仁美
漢江に飛び交いつづけ夏かもめ
朝粥に小さき鮑隠れおり
万博に小さき一歩芝青し
マッコリの白く香れる長き夜

吉丸房江
草の露風の遊びに転げたり
百日紅ほろりと散りて転がりぬ
この暑さ走るタイヤの熱かろう
斜めがけ水筒よ子の足までも

〈選後随想〉 耕治
花野行きのバスに乗り込むフライパン 美保
 フライパンは台所の道具、日常の「食」と「家」を象徴するもの。それが「花野行きのバス」という非日常の場面に登場することで、強烈な違和感というか、面白さを生んでいる。花野で何か調理をするために持っていくのだろうか。しかし、なぜフライパンなのか。引っ越しや遠出の際に、必需品として他の荷物と一緒に乱雑に持っているのだろうか。私がよく見る番組の、登山で山頂に到達し、その場所で「頂きメシ」を楽しむという場面なども想起できる。フライパンという思いも寄らない美保さんの選択が、どんどん想像を広げてくれる。

約束のように風来る敗戦日 静
 敗戦日に、まるで約束されていたかのように一陣の風が訪れた。静かに鎮まっていた空間に、突如として風が吹き抜け、それが過去と現在を結ぶ通路の役割を果たしているようだ。この風は、ただの涼しい風、心地よい風ではない。それは、静かに、しかし有無を言わさぬ力を持って、静さんの胸奥にある記憶の扉を開こうとしている。8月15日の放送の雑音、熱に揺れる陽炎、遠い日の別れなど様々なことが風に乗って、そうした過去の断片が、意識の表面に約束のように浮かび上がってくる感覚が表現されている。
*待っていることが薬にかりんの実 岡田耕治