2026年3月1日日曜日

香天集3月1日 辻井こうめ、渡邉美保、玉記玉、森谷一成ほか

香天集3月1日 岡田耕治 選

辻井こうめ
甘味の厚焼き卵春きざす
ややあつて走る鉛筆受験生
つるり食ふ兜煮の目や山笑ふ
春光の届く極みへ深海魚

渡邉美保
薄氷や踵落としを二十回
流木の乾ききつたる春の雷
生殖の消えゆく島よ石鹸玉
鳥帰る人は地べたに地図拡げ

玉記玉
鶯餅はたき抜け道思いだす
受験子の腸に棲む深海魚
末黒野を踏み言の葉を生殖す
肉筆に飢えお玉杓子を飼うよ

森谷一成
煖房のナイフで頒けし地球かな
埋み火に小屋の鉄瓶ちんと啼く
バレンタイン売場の母の欠伸一つ
水温むおどけ話をして居れば

上田真美
止まらない咳の背中を送りけり
最期待つ父と布団を並べおり
この春を見ずに逝く口ひとしずく
青鬼になってくれたる父の逝く

平木桂
万歳の声が響けりクロッカス
肩落としウエルテルなる雪だるま
琵琶湖へと身投げしていく春スキー
城崎の光を集め猫柳

砂山恵子
オムレツに二黄たまごや春立つ日
けんけんぱ薄氷一つ丸に入れ
蝶を追ふはじめて眼鏡つけたる子
保育所の隣に寺やヒヤシンス

釜田きよ子
落椿多くのことを許されし
字を忘れ人を忘れて春炬燵
来る人に去る人駅の春憂い
落椿五体投地と思いけり

吉丸房江
暑さ寒さどっこい生きて梅の花
記念樹の梅満開の日向かな
子も孫も曾孫も揃い梅薫る
春を待つ靴ランドセルそして吾

〈選後随想〉 耕治
甘味の厚焼き卵春きざす 辻井こうめ
 パートナーと暮らし始めて三年になる。家事は私が料理、パートナーが洗濯と掃除を分担している。最近の私の料理には、母ゆずりの厚焼き卵を「おいしい」と言わせるという一つの目標がある。毎日の弁当に欠かさず入れているが、パートナーは鶏の唐揚げや鮭の塩焼きは褒めても、メインの厚焼き卵については一度も「おいしい」と言ったことがない。
 パートナーは関西、私は関東出身で、関西の方が何かと薄味の傾向がある。母が使っていた濃口醤油ではなく、薄口醤油に変え、砂糖も控えめにして、弁当の主役として真ん中に詰めているのに、なぜ満足してもらえないのだろう。
 先日、パートナーが行き付けの居酒屋で出し巻き玉子を注文した。ふわとろで美味しかったが、私にはどこか物足りない。やはり、玉子焼きは母の味が一番だと内心で思いながら、パートナーがトイレに立った隙に、店長に秘訣を尋ねてみた。「うちは醤油じゃなく、白だしを使ってます。あと、塩を一つまみ」とのこと。もちろん、砂糖は使わないそうだが、私にとって玉子焼きにはやはり砂糖が欠かせない。
 卵三つを割り、白身を切るように混ぜ、砂糖を小さじ二杯、母直伝の牛乳を少し加える。そして、醤油ではなく白だしを使ってみることにした。これまで、大さじ二杯だった砂糖に釣り合うようにと塩も少々入れていたが、今回は一つまみだけにした。焼き色が付かないよう、そして型崩れしないように丁寧に焼き上げた。
 今日の弁当は、それぞれの職場用ではなく、二人で天王寺美術館の作品展を見に行くために作ったものだ。美術館に入る前、芝生の広場でとっておきの弁当を開いたとき、くすっと笑う声がしたような気がした。母の声だった。

*いぬふぐり空より視座の戻りけり 岡田耕治