かなしみを鳴き切った日に蝉は死ぬ 久留素子
俳句大学。鈴木六林男師に「父としてしきりにかなし春の海」があります。生きることは、しきりになかしいことの連続なのかも知れません。しかし、その「かなしみ」を「鳴き切る」とは、なんときっぱりとしていつくしみのある表現でしょう。仰向けになって動かなくなった蝉をよく見かけますが、その姿はかなしみを鳴き切ったのだと。そんな目で見ると、しきりにかなしいことの連続の中にあっても、励まされるように感じます。私もこのかなしみを鳴き切ってゆけばいいのだと。
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。
0 件のコメント:
コメントを投稿