息をせぬ弟を背に立つ八月 宇多喜代子
「俳句あるふぁ」創刊25周年特別号。12月2日、関西現代俳句協会の句集祭が行われ、『日脚』を出版したこともあって、久しぶりに参加した。懇親会で宇多喜代子さんに挨拶した折、「『俳句あるふぁ』の記念号では、弟の句に注目しました」と申し上げると、宇多さんは鞄から一枚の写真を取りだして見せてくれた。「この子のことをなんとか俳句にしようと思って、ずっと持っていた」とおっしゃった。写真は、「焼き場に立つ少年」と題された長崎の写真だった。2008年に、NHKで「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」という優れたドキュメンタリーが放映されたが、カメラマンのジョー・オダネルは、軍の公式カメラマンとして、原爆投下の1ヵ月後の長崎に入った。そこで目にした惨状を、「日本人を撮るな」という軍の命令に背いて、密かに持ち込んだ自分のカメラで30枚の写真に記録していたという。
番組では、録音していたオダネルの声が次のように語る。
〈一人の少年が現れた。背中に幼い弟を背負っているようだった。火葬場にいた2人の男が弟を背中から外し、そっと火の中に置いた。彼は黙って立ち続けていた。まるで敬礼をしているかのように。炎が彼のほおを赤く染めいてた。彼は泣かず、ただ唇をかみしめていた。そして何も言わず、立ち去っていった〉と。
掲出句に戻ると、宇多さんはこの番組もご覧になっていたであろうし、何度もこの写真を見て、この少年の唇をかみしめる思いを一句にしようとされた。決してこの写真を説明しようとされたのではなく、俳句を通してこの写真の世界を創ろうとされた。それが、俳句を書いてきた者の使命であるかのように、一句は美事に立っている。これから以降、私たちは宇多さんの創られた世界を通してこの写真を味わうことになるだろう。こんな俳句の書き方があるのだと、直接教えていただいたことは幸福だった。
この句につづいて、
まなうらの少年に八月あまたたび 喜代子
とある。八月は、何度もこの「まなうらの少年」にやってくる。宇多さん俳句の中の、この無念にやってくるのである。
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