香天集8月18日 岡田耕治 選
柴田亨
瘦身の観音といて夏闌ける
天皇を語らざる祖父八月来
黒葡萄夢の続きの不穏なる
回廊を散らばってあり蝉の羽根
玉記玉
かなかなの一滴しんと耳の底
翡翠の過ぎりくろがね匂いけり
銀漢や羊水は身を離れざる
虚へ実へ出入りしている白帆かな
湯屋ゆうや
エスカレーターに隠元豆とわたくし
セロテープに残れる指紋秋暑し
七夕や箸一膳を洗ふ水
松虫に一夜の闇をあずけたる
砂山恵子
自動ドア開くとひかり夏休
モナリザの目じりに影の暑さかな
かなかなやいつかひとりにになる家に
午後二時で止まる残暑の置時計
加地弘子
一瞬を止まり躊躇う大花火
夕菅の突き抜けている日の黄色
露草のゴロゴロと土被りけり
蝉の殻色濃く硬き葉を抱き
上田真美
担がれて博多山笠息を吹く
睡蓮の濠を超えずに逝きにけり
白き絽の着物を抜けて風遊ぶ
妻迎え向日葵になる我が息子
安部いろん
大夕焼今日もデブリを残すまま
皿底の海花皮炎暑の脳みそ
炎昼の鉄塔ダリの相称
経験の遺伝子を吐く晩夏光
北岡昌子
雷の中を祝詞の上がりけり
草むらを泳いでゆけり金魚草
蓮の花並べていたる植木鉢
朝一番雲雀の声が耳に入る
〈選後随想〉 耕治
瘦身の観音といて夏闌ける 柴田亨
夏の終わりを感じさせる繊細な描写と、そこに重ねられた心の動きが印象的だ。「痩身の観音」と聞いて、思い浮かべる観音像はそれぞれだろうが、例えば法隆寺の観世音菩薩立像(百済観音)の前に立つひとときをイメージしてみる。柴田さんは生と死、そして時の流れについて思いを馳せているように見えてくる。「夏闌ける」という表現の「闌ける」には、季節が盛りになるという意味と、盛りの状態を過ぎるという両方の意味がある。盛りが極まるから衰えが始まるのである。体温を超える猛暑が極まり、次第に衰えていく今の時期、「痩身の観音」は、読む者に様々なことを考えさせる。大阪句会にこの句が出されたとき、幾人もの選に入ったが、中でも辻井こうめさんが、「これは年とともに痩せていく母の姿だ」と鑑賞した。秀句には、奥深い世界が広がっている。
*岬町小島沖にて。
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