2024年9月1日日曜日

香天集9月1日 谷川すみれ、夏礼子、森谷一成、柏原玄ほか

香天集9月1日 岡田耕治 選

谷川すみれ
くろがねの棒を立てたり芋嵐
女とか男とかではなく桔梗
このところ合わせ鏡の葉鶏頭
死者の家満月だけが燃えている

夏 礼子
昼顔の音なき吐息ありにけり
フォルテにも緩急のあり蝉時雨
立秋の風よ騙されてみようか
ユニフォーム胸の漢字に汗しとど

森谷一成
田に老ゆる未練の汗のひとぬぐい
ものぐさの男ひりつく夏大根
岩鼻の灼かれ碩学やせさらばう
スクワットの股で待ちうけ西日の矢

柏原 玄
ひととせを素直に生きてねじれ花
幸せはローつなる川床料理
戦前に生れて八月十五日
三センチ縮みし身丈男郎花

浅海紀代子
一人居の気ままを許す暑さかな
炎天を切り裂きし音突っ走る
緑蔭に吹かれるままに老いにけり
猫眠る路地のよろず屋夕涼し

前藤宏子
骨を抜く一手間うれし鱧のちり
蚊の鳴いて耳すれすれに通り過ぐ
他国へと出る語部の原爆忌
太陽に焦げて止まりし蚯蚓かな

辻井こうめ
中有の木靴の響き秋茜
亡き人の分まで飲めり百日紅
うつしみの身体何度も汗ばめる
頁繰る音を赤子の良夜かな

宮崎義雄
秋暑し箪笥に埋まる妻の服
オーダーのビールを盆に黒ベスト
丼に混ぜてかき込む冷奴
使われぬダッシュボードのサングラス

木南明子
赤蜻蛉影を率いて低く飛び
ブンブンに選ばれているさるすべり
さるすべり伐られブンブン鳴りはじむ
墓で会うことの久しくさるすべり

小﨑ひろ子
秋の風折畳傘うら返り
野分来て休みの朝のココアかな
歩み遅き野分の間のきりぎりす
烏啼く蝉の殻転がる先に

松田和子
浮雲の流水光り梅鉢藻
空港や管制塔の秋灯
盂蘭盆会うたた寝に聞く父母の声
酔芙蓉夕べの色を残しけり

森本知美
愛の讃歌メールに届き朝曇り
盆潮に乗りて供物の行き戻り
秋に入る政治批判の拡声器
木に登る冬瓜雲に出会うまで

目 美規子
留袖の記憶それぞれ虫干す
言い訳じゃないよと添えて鰻食む
父の顔知らず八十路の終戦日
言葉尻拾いあいたりさるすべり

松並美根子
竹藪の水の中まで秋めきぬ
食欲を捜していたり鰻の香
言えば消え思えば悲しさるすべり
秋の水今のことさえ忘れゆく

丸岡裕子
一葉も揺るがずに蒸す夏の朝
向日葵や迷路の出口きっとある
姿なき夏鶯の声しきり
消えぬ間に虹をお供に帰ります

金重こねみ
酔芙蓉文字に苦楽を看る女
勝ち負けをリアルタイムで見れぬ夏
雲の峰眼のメダルに映る金
峰雲に吸い寄せられし弟よ

河野宗子
またひとり消えてゆくなり心太
夕方に肩をたたかれ鬼やんま
夏枯の花それぞれの留守にあり
病とのたたかいを終え虎が雨

田中仁美
夏の朝生まれくる子のものを干す
熱帯魚腹ふくらませ泳ぎけり
胎動をカウントしたり夏木立
ドンドコと腹を蹴る子や柿若葉

石橋清子
風わたりフラダンスめく青田かな
鬼ごっこ桑の実踏みしスニーカー
ひっそりと香りうれしき百合の花
月下美人眠気まなこに匂い立つ

中原マスヨ
田植えあと卵静かに動き出す
盂蘭盆の家族で囲む煮物かな
初盆や機上の友は鹿児島へ
下駄箱に友の花火の置かれけり

大西孝子
夜空へと微笑み返し盆灯篭
道筋を照らしてくれる盆灯篭
月明かり二人寄り添う静かさよ
乗り越えて新しき道蘭かおる

〈選後随想〉 耕治
女とか男とかではなく桔梗 谷川すみれ
 この句は、個々人の性別や属性を超えて、人はあるがままでいいのだという存在の肯定を、桔梗というモノを通して表現している。秋の澄んだ空気の中で咲く桔梗の姿は、人々の心を惹きつける花であり、自然の一部としての力強さや生命力を感じさせる。「女とか男とかではなく」という表現は、性別の枠にとらわれない、自由な心の象徴と捉えることができる。「自由」というのは、文字どおり「自分が自分である理由」というほどの意味である。言葉の装飾を削ぎ落とし、対象そのものを際立たせる、すみれさんの洗練された表現技法を感じることができる。この句を通して、私たちは自然の美、生命の力、そして言葉の持つ可能性を再確認することができる。
*泉佐野市にて。

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