香天集9月22日 岡田耕治 選
湯屋ゆうや
ひとりづつ顔を見ながら梨を剥く
友の句をくりかへしつつ髪洗ふ
音止んで稲刈の人休まれし
水彩の緑を迷ふ蝉時雨
木村博昭
誤字脱字千年を経てきらら虫
数式のとおりに熟れる葡萄棚
長文の判決理由天高し
新米の銘柄もまた新しき
砂山恵子
笑ひ出し止まらぬ風よ新走り
栗拾ひつかずはなれず兄を追ひ
林檎剥く心を我に戻すため
父と子の何も言わない夜食かな
神谷曜子
花火師のどっしりはずむ笑顔かな
初秋の水に近寄り水を見る
近くても行けない名の木散りにけり
八当たりかわさんとする椿の実
秋吉正子
コロナより便りの届く日々草
秋めくや少し厚めの本を借り
残り湯のぬくさ嬉しい秋の朝
行く秋の言葉懐かしういろうよ
川村定子
台風の巨岩飲み込む波頭
天高し空一点の辱もなし
物干に握るとこなし炎天下
盛り上がる新樹輝く千寿の根
西前照子
山里の名物として柿のれん
夜近しそれぞれ競う虫の声
秋彼岸約束まもる墓参り
除草剤枯れていたのにまた新芽
大里久代
戦没者追悼式の体育館
朝からつくつくぼうし出番くる
六十五年過ぎて残暑の同窓会
クーラーを切る間もなくて秋暑し
〈選後随想〉 耕治
友の句をくりかへしつつ髪洗ふ 湯屋ゆうや
髪を丁寧に洗っていると、友人が詠んだ句が何度も浮かんでくる。ゆうやさんは、友人の句に共感し、その句に自分自身を重ねていく。一句には、髪を洗うという日常的な行為と、友人の句を反芻するという精神的な行為が取り合わされている。髪を洗うことで心身ともに清められ、新たな自分へと生まれ変わるような、そんな再生への手掛かりが、友人の句にあったのかも知れない。私たちは「香天」というコミュニティで俳句を読み合っているが、ここはこの句のように、お互いの人と句が響き合い、交信し合っている磁場なのだと感じさせてくれる。
*「花曜」終刊号。六林男師の似顔絵は、小笠原健介さん。
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