2024年9月15日日曜日

香天集9月15日 玉記玉、渡邉美保、三好広一郎、柴田亨ほか

香天集9月15日 岡田耕治 選
玉記玉
肩凝のかたちに花梨熟れてゆく
秋の蝶一瞬金を曳きにけり
蒲の絮刻は内側から熟れ
水音の端に我あり獺祭忌

渡邉美保
家中の蛇口を磨く厄日かな
無気力なメロンパンある秋の昼
スニーカー並べて干せば小鳥くる
跫音のぺたぺたとくる熱帯夜

三好広一郎
草紅葉所どころにマヨネーズ
名月や言われなくとも梯子出す
地球から飛んで柿盗る遊びかな
主題歌はラストだなんて月見草

柴田亨
蜘蛛の巣のわずかな震え九月来る
秋潮の夢を見ている暗渠かな
ガラス光蜘蛛の囲の小銀河
墓碑銘は太陽の塔月は眉

佐藤静香
いくさなき世を八月の赤子かな
空爆のあるとなきとに鰯雲
AIの作りし俳句虫集く
爽やかや駅の広場のブレイキン

宮下揺子
ほつほつと記憶を辿る金魚糖
片減りの母の下駄履き魂迎え
向日葵に埋もれていたり老年期
秋暑し丸木位里・俊「原爆図」

楽沙千子
穂芒やナップザックを軽くする
雑草に足をとられる野分かな
コスモスや声をかけ合うことの増え
燈火親し外の空気をとり入れて

上田真美
空蝉を並べて撫でる小さき指
ホースの水幾筋も虹架けながら
ひぐらしが鳴いて静寂訪れて
秋灯どう生きたかを語る水

岡田ヨシ子
半袖をたたんだままにケアハウス
残る暑さ消えるのを待つカーテンよ
台風の行方毎日手を合わす
孫が来る敬老の日の洋菓子と

秋吉正子
さるすべり一週間が早くなり
晴れマーク並んでいたる葉月かな
アルミ缶ズンズン溜まる夏休み
夏草に埋もれてしまう滑り台

勝瀬啓衛門
弾け飛ぶ壊れた数珠や稲雀
いざよひや仕事の後の待ち合わせ
脚長の歩幅で歩く秋の朝
片目開け猫は動ぜず秋真昼

西前照子
夏の雨一息をつく命かな
青胡瓜雨が欲しいと悲鳴あげ
熱中症と分からぬままに草を引く
焼鳥の串の本数帰省の子

北岡昌子
百日紅傘寿と喜寿の家族旅行
木々の間の茜に染まる夏の朝
夕べからつくつくぼうし始まりぬ
車中から鹿を見つける剣山

〈選後随想〉 耕治
水音の端に我あり獺祭忌  玉記玉
 水音は生命の象徴であり、それ故に死というものを意識させる。その「端」という位置取りによって、生と死の対比がより露わになっている。水音の際にいる「我」は、自然の一部となり、個としての意識を解き放とうとしているかのようだ。正岡子規の没日である獺祭忌(だっさいき)によって、若くして結核を患いながらも、文学活動に情熱を燃やし続けた子規が、自然の中に身を置き、静かに思索を深めている様子が浮かんでくる。子規は晩年、病床で多くの時間を過ごしたが、その姿はまさに「水音の端」にあったのではないか。水音は、生と死、時間と永遠といった対立する概念を繋ぐ象徴として機能しているようだ。玉さんこの位置取りに注目する。
*岬町小島にて。

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