香天集4月20日 岡田耕治 選
湯屋ゆうや
花冷えのコントラバスを抱え来る
朽ちるのは洗濯ばさみ春深し
バランスを取るのに疲れ葱坊主
春の雨先生なんで立ってるの
三好広一郎
人間を着がえる時間青葉風
チューリップくちびるのこる紙コップ
亀鳴くやあたり障りのない質問
虹色の血管光る石鹸玉
宮下揺子
顔ヨガの顔を向け合う木の芽晴
すべりひゆ摘む死ぬまでの借地権
北窓を開け卒婚を言い渡す
春風や針孔ほどの猜疑心
柴田亨
湧水の戯れせんと生まれおり
水鳥のふわりとおおう桜かな
保田與重郎義仲寺に春暗し
金管のタッチのやさし春惜しむ
木村博昭
身の老を忘れていたる桜かな
花の屑玉砕という言の葉よ
野遊びのその先にある地雷かな
糸遊に軌道の曲がり広島市
釜田きよ子
花むしろ互いの弱み広げ合う
葉桜の力を借りて晩年を
ゆっくりと水を楽しむ花筏
息詰めていても落花のしきりなる
古澤かおる
弁当のパンはピンクに花巡り
日永人孔雀に会いにバスに乗る
晒しおく独活に少しのピンクかな
みぞおちに溜まりやすきは春うれい
神谷曜子
ミモザミモザ喋り過ぎてはいけなよ
春の雪しきり脳裏にもしきり
やれるだけやると言う兄蓮華草
リラの花伝言として置かれけり
上田真美
春炬燵甘く匂える老母かな
理不尽を胸いっぱいに亀鳴けり
五分咲の桜最も好きと言う
あの人に手渡したくて桜摘む
平木桂子
口きかぬままに食べ合う桜餅
花吹雪煩悩ひとつ消えまほし
あの人と程よき距離を木瓜の花
来ぬ人をいつまで待つのチューリップ
俎石山
花杏愛でし背丈の時わずか
黄砂あり内地に向かう声のして
蝸牛ベランダに死が縮みたる
双極性障害の行く木の芽時
嶋田静
紫木蓮一途なほどに空仰ぐ
他の鉢にそっと育ちぬ桜草
入学の写真よ少しぽっちゃりと
尾頭の欠けてしまいし目刺かな
楽沙千子
山鳥の水面を急ぎ朝桜
黒ずみて池に迫り出す老桜
友だちと話の弾む蓬餅
目と耳にライブを浴びる薄暑かな
橋本喜美子
雛飾りはじめに愛でる男の子
櫻鯛一本釣りの響めける
鳥の羽春日を抱き動かざる
梅林は蕾だけなり人溢る
半田澄夫
冬籠りシーラカンスに問いかける
老梅や紆余曲折の先に咲く
目を病みし友の返信鳥雲に
何ごとも一語で済まし梅真白
北橋世喜子
西を向き身を寄せ合いぬ寒雀
春雨の電線滴ルミナリエ
種袋採集月日膨れおり
記念日の乾杯をして雛祭
中島孝子
蕗の薹友に香りを瓶詰めす
天満橋映す大川春浅し
古雛父母のこと箱の中
今も切る母の籾床独活の味
上原晃子
一木を選んでゐたり目白五羽
人参のよく育ちいるバーベキュー
一つまみ米粒を入れ大根焚く
仏の座畑の畝をそのままに
石田敦子
寒戻る日本列島荒れはじむ
八朔柑ヘルパーさんが皮を剥き
啓蟄や叔父の訃報の届きたる
銀行の跡地を均し春時雨
東淑子
笹鳴や日射しを受ける膝の上
春霞高梁川をすべりゆく
猫の子の日向の庭となりにけり
心地よい匂いをのせて春の風
〈選後随想〉 耕治
花冷えのコントラバスを抱え来る ゆうや
「花冷え」のとき、明るいけれどもまだ冷えているような、そういう微妙なときにコントラバスを持ってくるという。花盛りのステージにコントラバスを持ち込むのではなく、花冷えの練習場にコントラバスを抱えてくるような感じ。少し孤独にも見えるが、同時にこれから演奏しようという意欲も感じる。コントラバスというのは低音部を受け持つので、高音部の主旋律ではなくて、どちらかというと曲の下敷きになるような、そういう部分を受け持つ。そんな人の優しさとか孤独さとか、そんなことを両方感じさせてくれる一句だ。
チューリップくちびるのこる紙コップ 広一郎
紙コップが目の前にあって、周りにチューリップが咲いてると取るのが一般的だろう。けれど、チューリップを見ていて、紙コップはそこにないけれど、そのチューリップに唇の跡が残っているような紙コップを想起したというふうに読むことも可能だ。どちらにしても、この「くちびるのこる」という表現が、とても優れている。口紅残ると書いたらわかりやすいけど、それだと、紙コップに口紅が残っていて、周りにチューリップが咲いてるという感じしかない。「くちびるのこる」は、直接的な描写ではないので、読者にいろいろな想像を呼び起こし、個人的な記憶や感情と結びつきやすい。紙コップというのが、とてもいい塩梅に置かれている。
北窓を開け卒婚を言い渡す 揺子
思わず「卒婚」を辞書で引いた。手持ちの辞書の中では「大辞林4.0」に、「婚姻を解消せず緩やかな関係を保ちながら、それぞれが独立した生活を送ること」とある。あたたかくなって、北窓を開くと同時に「私たちも、そろそろ卒婚ということにしましょう」と提案したのだ。それぞれが、自分の時間を大切にする暮らしは、「緩やかな関係」の上にこそ築かれてゆくだろう。
*岬町小島にて。
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