2025年5月18日日曜日

香天集5月18日 木村博昭、谷川すみれ、三好広一郎、柴田亨ほか

香天集5月18日 岡田耕治 選


木村博昭

稀に来る緩いカーブや草若葉

鳥曇やれば尽きない死に支度

天道虫発つ軽さにて家を出る

濡れ縁の遺品となりし箱眼鏡


谷川すみれ

開かない大きな窓の椎若葉

更衣火傷の後に唾をつけ

男来て砥石を濡らす夏夕べ

仏壇の捨てられ守宮動き出す


三好広一郎

空缶を蹴飛ばすまでの花筏

8ミリは人間らしく夏夕べ

昼寝覚妻を跨いで米買いに

杖はいるか友はおるか葱坊主


柴田亨

始まりは新聞受けの風鈴草

友つ人散らかしたまま四月逝く

旅立ちを見送りており春落葉

五月来る緩和病棟桃プリン


神谷曜子

晩陽が菜の花連れてゆく堤

諸葛菜に占領されている私

世界中の桜を散らし大男

『青い壺』第四章の白牡丹


宮下揺子

誤字なるを謝っている春の風

八重桜原爆投下八十年

朽ち果てしツリーハウスや花茨

捩り花ひっくり返る正義論


平木桂子

ニュータウンたった一つの鯉のぼり

太き棘知らぬふりする薔薇かな

おほかたは取り越し苦労藤の花

行く春や兄の終活飄々と


上田真美

この際の歳はさておき緑立つ

花水木風にあなたが似合ってる

ミャクミャクと私と老母若楓

若葉寒車椅子から万博へ


〈選後随想〉 耕治

稀にくる緩いカーブや草若葉 木村博昭

 「緩いカーブ」は、まっすぐで単調な道が続いた後、ふと現れる緩やかな曲がり道を描写していると取れる。しかし、私は野球のカーブをまずイメージした。それも「稀にくる」だから、直球が主体なんだけど、時になかなか到着しないような、大きなカーブが来る。草若葉で止めているので、初夏の自然の中で野球をしている情景が浮かぶ。多分、主体とする直球もそんなに早くない、大人たちの草野球ではなかろうか。ほっこりして、清々しい、博昭さんならではの情景描写だ。

*岬町小島にて。

2025年5月11日日曜日

香天集5月11日 三好つや子、加地弘子、春田真理子ほか

香天集5月11日 岡田耕治 選

三好つや子
疑問符を横に向ければ春の鍵
蚕豆の寝息がのこる莢の中
後戻りできぬ五体よ夕牡丹
旧仮名風を受け取り竹の秋

加地弘子
山桜四人の一人姿消す
大雨の予報を発ちぬ葱坊主
葱坊主針山に糸通しおく
白色でも黄色でもなく初蝶来

春田真理子
黒文字に水昇りたる菓子司
水仙が膨らんでくる希望かな
おとうとにえほんのはなし初節句
三人の白衣の写真燕来る

牧内登志雄
ゴム長の男の呷るラムネ玉
水底に夏の兆しやモネの池
風に木に水の音にも夏来る
海にわく白き雲より卯波立つ

楽沙千子
おかっぱの頃より愛す麦こがし
気掛りのことなく過ぎし新茶かな
食卓が贅沢となりライラック
一陣の雨に向日葵葉をひろぐ

〈選後随想〉 耕治
後戻りできぬ五体や夕牡丹 三好つや子
 「後戻りできぬ五体」は、身体全体、あるいは人生そのものが、もう引き返すことのできない地点に来ている、というつや子さんの実感を表しているようだ。「五体」という言葉が生々しく、加齢による身体の変化、あるいは病など、自身の身体は一刻一刻、人生の終わりに近づいている。牡丹も、夕べの牡丹だから、少しだけ花びらが閉じ気味になり、陰影のある表情を見せている。この夕牡丹の感触、この取り合わせが、人生の黄昏の中で見出す一瞬の輝きや、それを慈しむ心境が表現されている。

白色でも黄色でもなく初蝶来 加地弘子
 春先に見かける蝶としては、紋白蝶や黄蝶などが一般的だ。しかし、弘子さんはあえてその一般的な色を否定している。「白色でも黄色でもない」ということは、予想外の色、あるいはもっと珍しい色、あるいは光の加減や見る角度によって特定の色と言い切れないような、微妙な色の蝶が現れたことへの驚きや新鮮さを表現している。否定形を用いることで、読者は一体どんな色の蝶だったのだろうかと、想像を豊かにし、自分なりの色を作り出すことができる。生きるということは、まさにそのような営みなのかも知れない。
*岬町小島にて。

2025年5月4日日曜日

香天集5月4日 玉記玉、渡邉美保、森谷一成、辻井こうめ他

香天集5月4日 岡田耕治 選

玉記玉
追う蛇と追われる蛇よ同じ縞
中指は天道虫に与えけり
それからは翡翠いろの薬指
梅干して掌に傷ありしこと

渡邉美保
汐まねき母はつの字に腰を曲げ
砂浜の砂の段差や鳥雲に
朧夜を傾眠の母運ばるる
花の夜の口開いてゐる旅鞄

森谷一成
  万博開幕
春疾風巨大リングの宙へぬけ
ふくらみの斜めを歩み春の昼
日は遅し急ぐ旅でもないわいの
緋牡丹の肩甲骨を愛し居り

辻井こうめ
糸桜一貫校の真ん中に
一握の二上山の蕨かな
一合を傾けてゐる春の宵
和やかなテーブルの縁麦酒注ぐ

佐藤静香
傾城の稀有なる縁飛花落花
天道虫飛ぶや地軸の傾きぬ
千本の桜を沈め抱擁す
入学すやましたくんはしゃべらない

谷川すみれ
空井戸の小石の行方花筏
私より先に揺れパンジーの泥
やみくもに広がっている白梅
柳の芽はじめはキャッチボールから

田中仁美
合格の知らせが届き花の冷え
木蓮のつぼみ真っ直ぐ天を向き
寝る前にいつまでも泣き夢見月
春キャベツ口にべったり離乳食

岡田ヨシ子
車二台客三人の花見かな
つつじ咲く道に迷いしことのあり
天草干す古里思うケアハウス
ケアハウス長い廊下に蚊一匹

吉丸房江
孫が子を抱き上げており五月晴
青空の蓮華畑が下車誘う
かぐや姫探しに来たり竹の秋
思い出を呼び集めたりクローバー

川端伸路
こどもの日魚釣れないまま無言
家よりも大きくなって鯉のぼり

川端大誠
じんわりと夕日を浴びる夏の海

川端勇健
着港を迎えて揺れる初夏の海

〈選後随想〉 耕治
中指は天道虫に与えけり  玉
 天道虫が中指に止まって這い出すのは、ありそうな光景。それを「与えけり」と表現したところがいい。与えるというのは、相手のためになることを提供するという意味があるので、天道虫に自分の中指を提供したという感覚、共生の感覚とでも表現できるかも知れない、そんな感覚が残る。天道虫は、ちょこんと指にとまり、やがて飛び立っていく。その短い触れ合いの瞬間が、玉さんの心に温かい記憶として残っているような一句だ。
*和歌山市にて。