2025年9月7日日曜日

香天集9月7日 辻井こうめ、佐藤静香、浅海紀代子ほか

香天集9月7日 岡田耕治 選

辻井こうめ
掌に掬ふ八月六日かな
紅蜀葵二階の人の視線から
石蹴りの石の退屈猫じゃらし
手のひらの蜘蛛慎重に外に出でよ

佐藤静香
球場の歓声の消え法師蝉
茶髪の子黒染にして休暇果つ
ハレの日や輪島の椀へ新豆腐
秋の野や国境線はなぜあるの

浅海紀代子
黄泉よりも東京遠し凌霄花
子の肩のとんがった黙秋の蝉
よろず屋の大きそろばん秋の暮
それぞれに遠き日のあり鳳仙花

佐藤諒子
遺せしはたった一葉敗戦日
朝顔の屋根まで登る平和かな
里山の近づいてくるつくつくし
草の露しゃがめば肩のぬれており

吉丸房江
にぎわいに感謝しており百日紅
フーちゃんと呼ばれる舞台秋日和
蜻蛉のあの世この世をすいすいと
嫁姑共に秋暑の汗をかき

〈選後随想〉 耕治
石蹴りの石の退屈猫じゃらし  こうめ
 子どもたちが遊び終え、誰もいなくなった静かさの中で退屈そうにしている石。その横で、軽やかに揺れる猫じゃらし。子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる場所が、今はひっそりと静まり返っている。その静けさが、かえって「石の退屈」を強調し、切ないような、それでいてどこか微笑ましいような情感を生み出している。自由さとあたたかさを同時に感じることのできる、こうめさんならではの一句だ。
*猫じゃらしすぐに信じてしまいけり 耕治