2025年9月14日日曜日

香天集9月14日 三好広一郎、渡邉美保、三好つや子、柴田亨、前塚かいち他

香天集9月14日 岡田耕治 選

三好広一郎
両端を見たことのない秋の海
蜻蛉追うかの少年は木に風に
紫陽花の目に角があり紙吹雪
この夜も何もないから秋の道

渡邉美保
球形にこだわっている穴惑
秋日差し退屈さうな空気入
手の届くあたりに伸びて烏瓜
天球の外へ出たがる飛蝗かな

三好つや子
水鉄砲平和な空を知らぬ子ら
八月のどこを撮っても蝉の声
捩花そこは長所でここ短所
水彩の指の涼しさ梨を剥く

柴田亨
三人で四人目のこと月見草
早早とつばくろの消え雲は銀
天を抱く蝉に静かな時のあり
虫集くもう少しだけ永らえん

前塚かいち
難聴の吾には聞こえ秋の声
ふるさとのない放哉に小鳥来る
無花果の一途に祈る命かな
周縁に身を置いておりどくだみ草

春田真理子
丸刈りの頭を曝し行く炎暑
夜店の灯水ヨーヨーにある自由
ゆっくりと噛みしめて啼く八月尽
のみ込みの下手になりけり夕かなかな

平木桂子
ガーベラを好みし人の大往生
絶妙の相槌打たれ日日草
傾いた母の背中や猫じゃらし
秋入日憤死間近な地球にて

宮下揺子
デラシネの五木寛之パリー祭
大西日疑心暗鬼のまま歩く
晩夏光飲み口欠けしマグカップ
冷房やエンドロールに名を捜す

上田真美
夏休み兄の喧嘩を諌める子
地蔵盆褪せし前掛正しけり
門火焚く母の指先ふるえ出し
語り継ぐシベリア抑留夜の秋

松田和子
唐辛子三年前の毒を消し
えのころ草米になればと瞬きぬ
古民家の簾の名残り巻いており
思草タバコの匂い巻き付きぬ

牧内登志雄
寒蝉の小節を回す鳴き納め
初嵐キリンは首を持て余し
回廊や色なき風のひと巡り
首筋に残る冷やかケセラセラ

〈選後随想〉 耕治
両端を見たことのない秋の海 広一郎
 先日の大阪句会の高点句だが、海の端を見たことがないというのは当たり前なのに、なぜ皆さんの選に入ったのか。一成さんが両端というのは、宇宙のことではないかという空間的な捉え方で鑑賞した。私は例えば人生の両端、自分が生まれた瞬間を自分が見るということができなかったし、自分が死ぬという瞬間も見ることができない。そういう意味では、生死の両端も自分では見ることができないと鑑賞した。私は、長く中学校に勤めていたので、「あの子がいない」となったら、だいたい男子は海の方へ探しに行く。女子は、海とは限らなかったが、夏の賑やかさがなくなり、静けさを増した秋の海を見ながら、ちょっといろんなことを考えている、そんな雰囲気が広一郎さんのこの句にはある。空間的把握にせよ、時間的把握にせよ、すべてを把握することはできない、という事実を受け入れいこうとする息づかいが感じられる秀句だ。

ふるさとのない放哉に小鳥来る かいち
 尾崎放哉の、文字通りの意味でのふるさとは「鳥取」だ。しかし、彼は東京、朝鮮、京都、須磨、小豆島など各地を転々と渡り歩き、定住することがなかった。特に晩年は、酒や病気で職も家庭も失い、各地の寺を転々としながら放浪生活を送った。その意味でかいちさんは、「ふるさとのない」と表現したのだろう。放浪の身である放哉にも、鳥は渡ってくる。しかもそれは、小鳥であるというところが、かいちさんの感性が光るところ。小鳥の訪問は、放哉の孤独を根本的に解決するわけではないが、彼の存在を認め、自然との一時のつながりを与えてくれているようだ。
*薄原初めに逃げる位置を決め 岡田耕治

0 件のコメント:

コメントを投稿