2025年12月28日日曜日

香天集12月28日 玉記玉、加地弘子、辻井こうめ、砂山恵子ほか

香天集12月28日 岡田耕治 選

玉記玉
連れ歩く旅の途中の朱欒かな
私のぷつりと鳴りぬ氷面鏡
水音を出自としたる石蕗の花
一輪の埋火となる出家かな

加地弘子 
大根煮る幻視の話聴いており
短日や片脚立ちは十五秒
手を繋ぎ散歩にも行く帰り花
もっと早く会いたかったと石蕗の花

辻井こうめ
しづかなる箒の音や龍の玉
木守柿鳥語のリレーヂヂヂヂと
双手にて銀杏落葉を放つなり
家人来る時雨の宿りしておれば

砂山恵子
軽四輪トラック留まり冬田道
冬紅葉今日一日の一万歩
薄情や熊出る村に移り来て
打ち抜きの水音変わらぬ街に冬

神谷曜子
黄コスモス高麗町を埋めつくす
泡立草どっちもどっちと風が言う
沈黙の鎧のいらず薄原
介護さる今日華やかな冬帽子

北橋世喜子
声かけるその度睨む蟷螂よ
瑕の柿初物ですと仏壇に
秋雨や一つ傘より声弾む
種からの発芽群がる水菜かな

中島孝子
鳥たちが塒としたり金木犀
秋時雨母が綴りし日記読む
そぞろ寒時を忘れる古き文
珈琲の最後の雫冬に入る

橋本喜美子
青き空拳骨ほどの吊し柿
赤鬼の角の生えくる唐辛子
どの花も咲く向き同じ野菊かな
大津絵の迎ふる宿や松茸飯

垣内孝雄
去年今年皺多き手をしみじみと
実南天かはたれどきの母の家
レジスター前を色へる篝火花
愛猫の骨壺六つ霜の声

半田澄夫
ちちろ虫深まる闇をえぐり取る
秋霖やくろしお号のつき進む
路地裏の別世界なり酔芙蓉
秋の蚊に繋ぐ命をくれてやる

上原晃子
巻雲を割って白線伸びてゆく
大根蒔き終える寸前降り出しぬ
秋の空ぶらり神戸のゴッホ展
庭園を気球が眺む文化の日

石田敦子
車椅子散りし紅葉の重なりぬ
納戸より電気ストーブ出してもらふ
箪笥より一枚羽織りちちろ虫
放り置く本を繙く夜長かな

河野宗子
シュトーレン食べて今年をふり返る
初めてのカクテルを飲み雪女
渋柿を甘きに変えるワインかな
亡き友のまとわりつきて冬の蝶

はやし おうはく
能登の海夕日に融ける秋の青
斎場の煙のみ込む秋の空
神無月賽銭箱を置いてゆき
墓石に寄り添っている曼珠沙華

川合道子
「また来ますね」看護士が去る秋の昼
靴底をごろごろ鳴らし秋深し
空高し「生樹の御門」潜りけり
立冬の四万十川の石丸く

東 淑子
空晴れて敬老の日の皺数う
七五三春日大社の荒れ出しぬ
母思う金木犀の匂い立ち
鈴なりの柿を見つめて帰りけり

市太勝人
外に出た瞬間秋の更衣
自転車の秋晴にして汗匂う
冬嵐一瞬にして明と暗
温暖化ニュースの中を冬に入る

〈選後随想〉 耕治
連れ歩く旅の途中の朱欒かな 玉記玉
 先日の天王寺句会で久保純夫さんだけが特選に取った句。久保さんは次のように選評した。「この朱欒は途中でもらったのか、思いつきで土産に買ってしまって後悔しているのか、そんな感じがします。朱欒と言う大きな存在は、果物だけではなくて、手に入れたけれど邪魔になってるような自分の奥さんとか(笑)、付き合ってきた友達とか、そういう存在を思い浮かべることができて、とてもいいと思います」。
この選評を聞いていて、ああ「朱欒(ザボン)」という言葉から、いろいろなことを思い浮かべることができるのが、俳句力だなと思った。読むときも、詠むときも同じ。私も含め、この俳句を読んで、なぜ朱欒を連れ歩いているのかわからないとパスする感性の持ち主は、もっと柔軟に言葉に対するスタンスを取らねばと気付かせてくれる、そんな玉さんの一句だ。

もっと早く会いたかったと石蕗の花 加地弘子
 読んだ瞬間に、胸の奥が温かくなるような、それでいて少し切ない感情が伝わってくる。石蕗の花は、私が毎日散歩する海岸沿いに明るい黄色を点してくれる。特に今年は、日当たりの良い道端の花は刈られてしまったので、暗い崖から花を咲かせている。その様子が、弘子さんの「もっと早く会いたかった」という表現により、視覚的に象徴されているようでうれしい。「なんでもっと早くこの存在を知らなかったのだろう」と悔やむような、愛おしさが感じられる。だからこそ、今この瞬間に巡り合えたことへの感謝がにじみ出てくるのである。
*煤逃の真二つに折る将棋盤 岡田耕治

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