2026年1月25日日曜日

香天集1月25日 中嶋飛鳥、嶋田静、夏礼子、古澤かおる他

香天集1月25日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
叩かれて泛く血管の年の暮
御降の白を被きて隔ており
幾つものほやよ冬木の曼荼羅に
一月の小石を蹴って言葉待つ

嶋田静(12月)
幼子へ落葉に埋もれ帰りたし
柿たわわ寂しき村の灯となりぬ
冬日受く予土線の揺れやさしかり
極月や器具装着のサイボーグ

夏礼子
放課後の子が山茶花に走り来る
初夢の季語と迷子になっており
おばちゃんになったもんだよ大嚔
人日の右手なにかに噛まれけり

古澤かおる
初日受く背骨の上に頭かな
シェパードの黒黒と行く恵方道
消しやすい四B鉛筆初日記
始まりは二日の夜のカレー饅

加地弘子
茨の実二人同時に摑まりぬ
朝刊をひらりひらりと雪ばんば
吹かれ来て歩く他なき冬の蜂
忘年会一人で来るは最後だね

柏原玄
来し方をうべなっている初日かな
去年今年老いに手向かう正中線
身の丈を二センチ伸ばし初鏡
一病をねぎらっており薺粥

嶋田静(1月)
初泳ぎ水任流の旗を上げ
母のあの味に近づく鰤大根
手にひとつ皸しみる生きている
初稽古パウスカートはピンク色

前藤宏子
蝋梅や雨にその色溶けぬかと
野に立ちて同じ位置から見る冬田
真っ白なご飯ぷっくり寒卵
乾杯に間に合う友や寒造

宮崎義雄
初戎人影絶えし午前四時
道の駅枯草匂うドッグラン
年ごとに願いを減らし初詣
来し方のまどろみの覚め初明り

俎石山
血痕や雪合戦の終わりたる
横顔を盗み見ている雪達磨
三ヶ日電源を切り退職す
味噌汁に切り餅入れて雑煮とす

佐藤浩章
去年今年古参アンプに力あり
狛犬の絞り出したる淑気かな
一月の下駄の柾目の真直ぐなり
福寿草こんぴらさんのお守りの

安田康子
冬眠を忘れた熊に末路あり
色あせた障子明るし実南天
時差のあるビデオの通話年はじめ
缶切りで開けるぜんざい女正月

河野宗子
冬銀河旅行葉書の遅れ着く
寒の鯛飛び散る鱗光りけり
友と食う寒餅にしてよもぎの香
肌燃えるグリルの中の寒鰯

森本知美
くしゃみして再度聴きいる師の話
小春日や廃校撤去する空地
風花や温泉の香に辿りつく
杖つきし八人にして初登り

金重こねみ
正座しておせち味わう日本かな
はや五日夕餉のピザは子の奢り
婆八人率い漢の去年今年
重箱をはみ出している飾海老

松並美根子
野水仙袴の裾の揃いけり
初夢やいつのことかと思いやる
梅一輪風は気のまま吹きぬける
初景色新しきもの見あたらず

田中仁美
着物着てオペラ観るなり冬の星
手のひらで包んでおりぬホットワイン
腕を組み吹雪見ておりブダペスト
低くなるプラハを照らす冬日影

木南明子
よろこびの一つをさがす寒波かな
山茶花の明日散るも今日咲けり
黒豆の出来ばえは良し大晦日
どこまでも空青青と水仙花

目美規子
レッグウォーマー友の毛糸の手編みなり
投函の寒中見舞音かすか
猫遊ぶシャッター通り空っ風
元旦の会話に上り墓仕舞

〈選後随想〉 耕治
叩かれて泛ぶ血管年の暮 中島飛鳥
 一月の大阪句会で話題になった句。様々な鑑賞があり、森谷一成さんが歳も押し詰まるが、寿命も押し詰まるという鑑賞をしたり、木村博昭さんが静脈を探す人の心境を同時に感じられると鑑賞した。多くの共感を呼んだのは、「叩かれて浮かぶ血管」と、自分の思いを抑えて、具体的なことしか書いてないこの書き方だからだろう。非常に冷静に採血される瞬間を捉えている、この飛鳥さんの眼差しの静かさ、それが多くの共感を呼んだ。

極月や器具装着のサイボーグ 嶋田静
 極月は一年の終わり、寒さが極まる時期。静は「サイボーグ」という無機質でひんやりとした質感を取り合わせた。「装着」という言葉選びがいい。冬の厳しい寒さの中で、自身の肉体を維持するために機械の力を借りて生きようとする人間の強さと、同時に厳しさが浮き彫りになる。現代において、ペースメーカー、義肢、あるいは人工透析といった器具を身に纏うことは決して珍しいことではない。この句は、単なるSF的な空想ではなく、生かされていることの違和感や冬の寒さに耐える肉体を詠んだ、きわめて迫力のある一句だ。
*黒漆千枚漬を開きけり 岡田耕治

2026年1月18日日曜日

香天集1月18日 春田真理子、玉記玉、柴田亨、三好広一郎ほか

香天集1月18日 岡田耕治 選

春田真理子
冬籠りだんだん重くなる袋
愛日や細る腓を清拭す
夢はじめいくつ鉄橋渡りけむ
冬落暉浮かぶ立山曼陀羅に 

玉記玉
たっぷりと濡れて現れ焚火跡
正論を互角で交わす身酒かな
春の波甘噛みかとも母語かとも
鮟鱇のもてはやされて無くなりぬ

柴田亨
山茶花の斑に生きる途上にて
春隣たくさんのこと忘れたる
さらさらと降り積もりゆく母のこと  
水墨や雪の人家のほの紅し   

三好広一郎
丸四角どっちの餅に帰ろうか
なりきりの熱唱カタカナの第九
事件あり路地の奥まで初明り
底冷えを羽織って三社巡りかな

谷川すみれ
立冬の泡をさかんに潦
日の影が障子をなでておりにけり
年の瀬の並び変えたる机かな
雪催過ぎゆく時を抱き合い

湯屋ゆうや
紙コップ継ぎ目に残る冬の色
空洞の塩バターパン冬銀河
暖房の端湿らせる刺繍糸
雑煮してあとはせわしき七並べ

木村博昭
艶やかに炭の断面揃いけり
あぶな絵の襖を漏るる私事
午後からはやや右に反る雪だるま
竹馬の見てはいけないものを見る

平木桂
星移る母と歌ひし手毬唄
冬の星己が見えず立ちつくす
卓袱台の父の駄洒落や根深汁
冬薔薇の観念したる蕾かな

上田真美
年用意大和の人に戻りけり
年守る童子の眼定まりぬ
初明かり届けてくれる人のあり
福寿草大地押し上げ空摑む

安部いろん
濁る地球の天辺に寒烏
秒針が寒気を刻む始発駅
氷柱一滴バタフライエフェクトに
何もかも失った部屋除夜の鐘

神谷曜子
寒の水名もない滝といわれ落つ
雲たちが思い思いに三日かな
来し方の曇りのとれぬ初鏡
霜の道踏み出している転校生

秋吉正子
大吉に不安のこもり初みくじ
皆帰り自分のもどる冬の月
初レッスン同じところを間違える
寒梅や幸多かりと別れ際

大里久代
年の暮還暦祝う赤花火
門松や笑えるように竹を伐り
お払いに石段登りお正月
節料理囲みマラソン見ておりぬ

〈選後随想〉 耕治
たっぷりと濡れて現れ焚火跡  玉記玉
 焚き火をするのは、今ならキャンプファイヤーなど、夜に寒さを凌ぐために火を焚いて温まる、あるいは出かける前の高揚した気分の時だろう。それが夜の焚き火であったとすれば、翌朝、「ああ、ここで焚き火をしていたのだな」という思いが巡る。人生に例えるなら、春や夏のところから、冬に入ってきてその過去を見返しているような感じがする。大阪句会で久保さんが「たっぷりと」は良い言葉の選び方だと評したように、その焚き火の跡が現れてきたという情景と、玉さんの人生が感じられて良い書き方だと思う。

愛日や細る腓を清拭す      春田真理子
 「清拭」という言葉は介護に使われる言葉であるため、大阪句会で三好広一郎さんが「親孝行とか一切そんなことは書いてないが、人に尽くしている感じがする」と評価した点に賛成だ。細る腓(こむら)は、看取っている人の腓だろう。細るのは、どちらかというとマイナスイメージだが、それが「愛日」という季語と組み合わされることによって、真理子さんの祈りが加味されているように感じられる。私は「愛日」という季語を使ったことはないが、冬日向や冬日影だけでなく、このような使い方ができるのだと思わせてくれた一句だ。
*句相撲の土俵を今日の雪とする 岡田耕治

2026年1月11日日曜日

香天集1月11日 三好つや子、佐藤諒子、浅海紀代子、佐藤静香ほか

香天集1月11日 岡田耕治 選

三好つや子
冬日向丸い思想の猫を置く
点滴のながい一秒去年今年
輪飾りに万の水の匂いあり
すこし反る母の巻き尺寒昴

佐藤諒子
冬紅葉般若の面の隠れおり
山茶花の空より降れり光りつつ
不具合の一つを増やし年の果
折紙の馬の踏ん張る淑気かな

浅海紀代子
今朝冬の返事大きくして返す
一人となり別の寒さの中に居る
老猫と火鉢のすわる畳かな
風邪心地槌音に身を揺すらるる

佐藤静香
海の傷隠し輪舞の冬鴎
私と雪の反橋渡ろうよ
年の瀬や幸福つかむカードきる
極月や算盤弾く獅子のゐて

垣内孝雄
山毛欅林の枯れを尽くせる日影かな
初山河遠嶺の空に白き雲
好物のごまめを仕込み古女房
年忘れ見知らぬ客と角打ちに

秋吉正子
近道に時間のかかり冬の暮
冬日向閉店の文字見直しぬ
こんな日に車がパンク冬の朝
イカ墨のラーメンを食べ年の市

大里久代
衣装つけ張り切る子らの学芸会
冬に入るお地蔵さまのよだれ掛け
何となく幸福感じ年用意
燗の酒いつも二人でくみ交わす

西前照子
いたどりや楓に負けず色づいて
柿紅葉電動自転車登りゆく
秋晴やグランドゴルフ初優勝
銀杏落葉風にあおられ道染める

〈選後随想〉 耕治
点滴のながい一秒去年今年 三好つや子
 病床にいると、健康な時には意識もしない「一秒」が、非常に重く、長く感じられることがある。つや子さんは、この一秒の先に、年を越すという大きな節目が訪れると詠んだ。本来、一秒の長さは誰にも同じだが、ここではあえて「ながい」と表現している。そこには、次の雫がいつ落ちるかを見つめる張り詰めた意識や、この一滴が自分の命を繋いでいるという切実な実感が読み取れる。去年今年は、大晦日の夜から元旦にかけての、時間が連続していながらも新しく切り替わる瞬間を指す。多くの歳時記に虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」という句が収録されているが、鈴木六林男は「あんなもっちゃりした俳句」と一蹴した。六林男には、「目的をもつ爆彈の去年今年」がある。つや子さんの、点滴という無機質な装置を通して、一つの境界線を越えようとするこの句は、鈴木六林男賞作家に相応しい一句だ。

折紙の馬の踏ん張る淑気かな 佐藤諒子
 「淑気」は、新年を迎えたばかりの、清らかで厳かな空気感を指すが、目に見えないので扱いが難しい。それを諒子さんは、「折紙の馬」という小さな存在を通して描き出している。折紙の馬は、紙を折って作られた脆弱なもの。しかし、机や床に置かれたその四本の脚は、しっかりとそれを捉えて立っている。繊細な紙の造形物でありながら、そこに宿る「踏ん張る」ような力感。この踏ん張るという行為には、単なる正月の風景描写にとどまらず、新しい一年をしっかりと歩んでいこうとする諒子さんの静かな意志が感じられる。
*的中の明らかになる枯野かな 岡田耕治

2026年1月4日日曜日

香天集1月4日 森谷一成、渡邊美保、宮下揺子、浅海紀代子ほか

香天集1月4日 岡田耕治 選

森谷一成
片はしを考えている時雨雲
嚏一つ私かに核をほしがりぬ
日銀の屋根を哀れむ枯木星
生爪のマゾヒズムぞよ煤払

渡邉美保
鉄板に余熱ありけり六林男の忌
銀の楽器集まる聖夜かな
煤逃げの水に映らぬ人ばかり
石段に終りのなくて冬の海

宮下揺子
白馬老い蔦紅葉する神厩舎
裸木やアマゾンの箱飛んでくる
十二月八日青空はどこにある
つつき合うペンギンたちよ冬の空

浅海紀代子
マニキュアの手より受けとり秋茄子
柿熟るる空き家の空となりにけり
一人居の猫にもの言う夜長かな
行く先を杖にあずけて落葉踏む

釜田きよ子
家中をガタピシさせるくしゃみかな
暖房の風音以外静かな昼
身体の悲鳴あちこち師走空
注連飾る今年最後と思いつつ

牧内登志雄
今年また二人見送り日記果つ
群青の風に横たひ初筑波
湯豆腐のぷくりと笑ふ銚釐酒
古書店の扉がたつき夕時雨

楽沙千子
冬の蜂土の日向に飛びもせず
大川へ一筋の日矢冬うらら
雑草を抜きし地ならす冬日向
箒目を残し落葉の堆し

吉丸房江
スープにて味わふ冬至南瓜かな
初詣杉の木立を直にふれ
金粉の跳ねる御神酒や馬の年
同胞の四代揃う雑煮かな

大西孝子
まだかなぁベランダにいる吊し柿
バトンされ母娘でつなぐ遍路かな
冬空を茜に満たし比叡山
黄金のメタセコイヤに光りさす

岡田ヨシ子
マフラーや笑顔を浮かべ五枚編む
ケアハウス届きし毛布あたたかし
眠れない毛布にペンと便箋と
お年玉曾孫の顔を確かめる

川端大誠
初景色海風が押す扉かな

川端勇健
年越の睡魔に勝てず寝落ちする

川端伸路
正月を笑いごまかす大はずれ

〈選後随想〉 耕治
日銀の屋根を哀れむ枯木星 森谷一成
 ニュースなどで日銀の話題が出ると、よくこの屋根を見おろす映像が流れる。通常、日銀のような堂々とした建物を「哀れ」と思うことはない。しかし、厳しい寒さの中、枯れ木の枝越しに孤独に光る星を見上げ、ふと視線を落として日銀の屋根を見たとき、一成さんはそこに逃れようのない哀れさを感じたのではないだろうか。 金利や経済という、人間が作り出した複雑で窮屈な理屈を背負わされた巨大な石の塊が、凍てつく星空の下でじっと耐えている姿。それは、自由な星空から見るとひどく不自由で、痛々しいものに映っているにちがいない。

十二月八日青空はどこにある 宮下揺子
 十二月八日は、太平洋戦争が始まった日。日付をそのまま句に据えることで、一瞬にしてその歴史的瞬間の空気感へと引きずり込まれる。快晴だったと言われる開戦の日だが、その後に続く長く暗い時代は、鈴木六林男師の句集名のように「雨の時代」だった。「青空」は希望や自由の象徴であるが、それが「見えない」のではなく「どこにあるのか」と問うところに、現在を見詰める、揺子さんの深い虚無感と批評精神が読み取れる。揺子さんには、「レノン忌」の秀句もあり、十二月八日は、そのことも合わせて想起できる。
*幸ありやここを群立つ初雀 岡田耕治