かなかなかなかな詩はふんだんな無駄 玉記玉
「香天」50号香天集選後随想。カナカナと鋭い声が森に響き渡ります。仲寒蝉さんは、この圧倒的な声を高野山で聞いたことが、ご自分の「詩」の原体験になっていると仰っていました。「かなかなかなかな」とカナカナを連続させているところに、高野山ならずとも、森全体からこの身体にまで響き渡る蜩を感じることができます。それは、「詩」に通じ、「詩」は虚業=無駄に通じます。しかし、中途半端な無駄ではなく、「ふんだんな無駄」と言われると、寒蝉さんの原体験に通じるような、肯定感が生まれてきます。この「ふんだんな無駄」の中で生きて行こうとさえ思えるのです。玉さんのこの肯定に感謝。
*8月、大阪教育大学柏原キャンパスから。
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