つわぶきの盛り全身もみほぐす 坪内稔典
「船団」116号。毎日、鷲田清一さんの「折々のことば」(朝日新聞朝刊)を読んでいますが、今年の正月三日のことばは特に印象に残りました。〈自分の人生を決めた年齢と同じ年齢に届く言葉をもちえなかったら、何の書き手か。坪内稔典〉坪内さんは、俳句も文章も、情感を抑えて書いておられますので、出版された文章にはこんな過激なことばは見当たりません。鷲田さんは、「ある集いで口にした重い言葉」として紹介しています。それを聞き取り、メモした鷲田さんに感謝したいほど、この言葉は坪内さんの全仕事を象徴するような重みがあります。「つわぶき」は、俳人なら「石蕗の花」と安易に書いてしまうでしょう。なぜなら、歳時記にそうあるから。でも、主な辞書には「つわぶき」とあります。年若い読者にもアクセスしやすい言葉が選ばれています。私のつわぶきの体験は、冬枯れの色を失った海岸線に、突然黄色い花が一斉に開くというものです。海岸線が一気にもみほぐされたように、明るくなります。この体も、そういえば硬くなっているな。この海岸線のように、もみほぐさなくては、、、。鷲田さんは、この言葉に触発されて、次のように書いています。「私の場合は、日々わめき、さまよう中、鬱憤ばかりをつのらせていた高校生の頃、理解できないまま胸にぐさっと突き刺さる言葉に出会った。そのさまよう魂たちの間に私も言葉で立ちたい」と。これもまた、鷲田清一さんの「折々のことば」という仕事を象徴するような言葉です。坪内さんのこの一句の温もりは、多くの俳句に関心をもつ若者に届くにちがいありません。
*岬町小島にて。
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