2020年5月1日金曜日

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
 コロナ禍のなか、皆さまどのようにお過ごしでしょうか。たいへん厳しい日常を送っておられる方も多いと存じます。
 さて、この句はあまりにも有名な子規の句ですが、初出は『海南新聞』1895年11月8日号。子規の年譜ではこの年、「日清戦争に記者として従軍。5月帰国途上船中で喀血。県立神戸病院に入院,重態。」とあります。
 毎日テレビや新聞に触れながら、私は先送りしてきた問いに、どうしても向き合わないといけなくなっていると感じています。何も気に留めていなかったこの句ですが、ふと今朝方、「生死(しょうじ)」という言葉とともに、この句が浮かびました。調べてみると、案の定子規が自身の「生死」と向き合わざるを得なくなった時期に作られた句なのです。
 「鐘」は、命をつなぐために食する柿につづいて、まず「生」を感受させます。しかし、その音は「死」を想わせるように消えていきます。この私の命も、次に鳴り出す鐘のように、生まれては死に、生まれては死にゆく、そんな輪廻を繰り返すのだろう。目の前には、聖徳太子が建立し、その一族とともに消滅した歴史をもつ法隆寺が見えることよ。
*法隆寺内の句碑。
 

2 件のコメント:

  1. 法隆寺は大好きで、家から近いせいもあって、よく行っていますが知りませんでした。次回は是非、、、

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  2. ありがとうございます。是非!

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