香天集5月26日 岡田耕治 選
中嶋飛鳥
クレーンが虚空を掴み夏に入る
夏嵐「オッペンハイマー」観て帰る
薄暑光痛いですよと前置きす
梅雨鴉じゃんじゃん横丁抜けて行く
湯屋ゆうや
痛点を上にて眠る春の月
田の声の近く聞こゆる薄暑かな
登校の列さかしまに田水張る
水だけが卯月曇に透けてゐる
加地弘子
置物を退けて兜を飾りけり
老鶯やたぷたぷ登る桶の水
春の虹繋がっていく観覧車
手を握り握り返さる聖五月
神谷曜子
春キャベツざっくり希望と現実と
原点に戻れなくなりつくしんぼ
左手を母につかまれ花蘇芳
ふわふわの時間の中に種をまく
大里久代
春会式十一人で読経聞く
胡瓜苗植えて畑の世話をする
春の朝写経のあとの法話かな
雨上がり花びら光る七変化
西前照子
夏来るグランドゴルフバーディ賞
湯上がりや明日も又着る夏衣
今年また迷わず燕羽おろす
菖蒲湯につかり天井見上げおり
〈作品鑑賞〉 耕治
薄暑光痛いですよと前置きす 中嶋飛鳥
「薄暑光」は、夏のはじめ頃の、まだ暑さに慣れていない体に感じる、まぶしいほどの光。「痛いですよ」という呼びかけは、その光がただ暑いだけでなく、実際に肌を刺すほど強いものであることを告げている。しかし、「痛いですよと前置き」したのは、単に光が痛いというだけではないように感じられる。例えば、注射を打たれるとき、「ちょっとチクッとしますよ」などと声を掛けられるような、そんな前置きへと連想がひろがる。歳を重ねるほどに、この身に起こる変化というか、衰えはとりとめが無くなってくる。そんなとき、予めこんなふうに前置きがあれば、ひと筋の道が浮かんでくるようだ。飛鳥さんのこの感性に共感する。
*和歌山市にて。
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