2024年6月30日日曜日

香天集6月30日 谷川すみれ、夏礼子、森谷一成、湯屋ゆうや、辻井こうめ他

香天集6月30日 岡田耕治 選

谷川すみれ
半分は茶色に変る蚯蚓かな
いち早く好みの椅子の緑さす
蚕豆のベッドに僕は眠りたい
欝の字を書いて覚えてところてん

夏 礼子
同性に好かれてばかり花大根
梅雨空を得て考える人になる
傘を借りうれしくなってくる緑雨
交番の下の地下道夏つばめ

森谷一成
戦線に麦の刈りしお来ておりし
出てこいと水を向けられ濃紫陽花
濃紫陽花こんど遭ったら叱るとす
発禁の書をみてねむり鷗外忌

湯屋ゆうや
青嵐かきまぜている納豆飯
夏場所や茶の間にだれもいない夕
揉んで揉んで透明になる胡瓜
水の夜を唱ひとほして蝸牛

辻井こうめ
先生あのねあのねの続くさくらんぼ
青空へ泳いでいたる花柘榴
面目の遠くなりゆく炎暑かな
打水や反故となりたる覚書

佐藤俊
青嵐街を揺らしにやってくる
鏡面の今朝はいささか悪人に
待ち人の来て立ち上がる牛蛙
ほととぎす冥途の門は開いたか

宮下揺子
廃校の音楽室に居る五月
透明な静かな時間青葉木菟
宿木の真ん中にヒナ新樹光
少しずつ心を軽く半夏雨

柏原 玄
今年竹まっすぐ生きるほか知らず
欲得を退けて在します蟇
装いを褒められて振る夏帽子
木下闇鳥語木語を聴いており

前藤宏子
容赦なきまで梔子の香でありぬ
竿竹に並ぶ水滴梅雨晴間
表彰状掲げし部屋の蠅叩き
父の日や当たり損ねのサードゴロ

楽沙千子
眉をはく窓を横切り夏燕
全山の緑に香るカフェオーレ
枕辺のメモ帳の白明易し
龍の絵に見おろされおり五月雨

松田和子
夏木立空気の流れ感じおり
大阪城うらうらと跳ね夏の蝶
水馬密なる波紋ひろげたる
藍色の水に逆さや杜若

宮崎義雄
抽斗の褪せたる父の日のベルト
草刈りの素手より早し錆びし鎌
味噌汁の記憶よ父の具はバナナ
薄暗き御堂へ抜ける四葩かな

河野宗子
入梅や付き人となる娘の治療
手を添えて初プチトマトちぎりけり
鐘をつき終わり緑の林昌寺
花いばら友の命の数をきく

金重こねみ
六甲のガイド一推し濃紫陽花
手に余る枝の払いを子に託す
遅き人待てる人にも新樹光
梅雨籠意外と太き座りだこ

田中仁美
梅雨に入る胎児の脈の届きけり
目にしみる汗流れるに身をまかせ
育てたる胡瓜のトゲを確かめる
激辛の青唐辛子選びけり

松並美根子
十薬の自慢顔して咲きにけり
絵手紙の思い出にある月見草
万緑の万に誘われ北海道
白南風に古仏石見の寺の奥

森本知美
燕の子飛行練習終え戻る
山の上に集い雨乞い踊りかな
アガパンサス喜ぶ母を待つ日かな
ユニフォームの汗よ御飯は三杯目

木南明子
口紅さし六月の旅はじまりぬ
塀越しに青梅の実のたれさがる
奥山の青一色の四葩かな
十薬の暗きをさがし猫往き来

長谷川洋子
五月雨の汚れし目皿洗いけり
励ましに笑顔の返り五月雨
容易くは益ならずして汗光る
懸命は懸命で返す梅雨晴間

丸岡裕子
花がらを摘めばチクリと天道虫
見え隠れ手篭の中の蛍かな
束の間の時を惜しんで飛ぶ蛍
刈りたての芝生燕は低く飛ぶ

目 美規子
体験の筋トレマシン汗にじむ
扇風機声ふるわせて遊ぶ子ら
戦争のニュースの画面梅雨に入る
梅花空木「ため」の枝ぶり魅せられて

西前照子
夏場所のお腹ポンポン国技館
押し寿司は母の味です出前授業
サツマイモ苗を手に持ち畝選ぶ
グラウンドゴルフ大会五月晴

〈選後随想〉 耕治
半分は茶色に変る蚯蚓かな  谷川すみれ
 この俳句は、コンクリートの上を這う蚯蚓(ミミズ)の姿を通して、夏の路上に尽きようとする命のもがきを描いている。蚯蚓の体の色は、土壌の色や光の影響を受けるため、同じ種類でも場所や状況によって異なるが、一般的には 「赤褐色」 と表現される。その体の赤褐色が半分失われて、動きが止まったままで、もう半分はなんとかコンクリートの熱から逃げようとしているのだ。カメラのアングルを引いてゆくと、この地球そのものが半分茶色に変わってしまった状態なのかも知れない。蚯蚓がこのように苦しんでいるのなら、さてわれわれはどうしたらいいのか。そんなことまで考えてしまう、谷川さんならではの思索的な作品だ。
*伊丹市立ミュージーアムにて。

2024年6月23日日曜日

香天集6月23日 中嶋飛鳥、玉記玉、渡邉美保、木村博昭ほか

香天集6月23日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
翡翠と逢う約束の青堤
かたくなな心を見せる夏大根
長虫の胴の膨れをかなしめる
薄暑光かずき麒麟の後ろ首

玉記玉
彼の世とは芭蕉玉解き終える距離
双眼が触覚となる蛇の衣
我儘の凹んでいたる籐寝椅子
戦争を諫めてはいる水羊羹

渡邉美保
編みかけのままにれんげの首飾り
さみどりのポタージュに匙夏に入る
花楝暮色深まる石の椅子
はつなつの水音跳ねるイヤリング

木村博昭
祝杯の先に献盃白牡丹
なんじゃもんじゃ神と仏を習合し
大いなる雲の影ゆく燕子花
父の日の父を知らない子どもたち

釜田きよ子
バーコードの中の迷路や梅雨ひと日
にんまりと生きておりけりかたつむり
乳母車先に来ており木下闇 
噴水の止みて視線の定まらず

砂山恵子
噴水の水がひかりになる高さ
入梅か草の香りが強くなる
泉の音近くに聞こゆ明日は雨
母に似る小指のかたち実梅干す

神谷曜子
紫陽花の昼難解な展覧会
古墳群息づく気配梅雨の雲
青時雨道鏡塚の小さき屋根
きっとうまくいく夏霧の対岸

古澤かおる
河鹿笛いま耳鳴りを忘れおり
洗面の鏡の汚れ梅雨に入る
鳥の声する辺りから梅雨明くる
萍の水位上昇しているか

大里久代
十薬をきつけている指の傷
蜘蛛の糸頭にかかる難儀かな
植木鉢退けるや蟻の巣の露わ
五月雨の髪あっち向きこっち向き

北岡昌子
山門の修復続く若葉かな
病院に迎えられたる花菖蒲
紫陽花や色とりどりの植木鉢
青色の増えゆく畑蝶が舞う

〈選後随想〉 耕治
長虫の胴の膨れをかなしめる  中嶋飛鳥
 長虫は蛇の別名。自分の幅よりも大きな獲物を呑み込んだところだろう。蛙を呑み込んだとすれば、とうぜん蛇の胴の中でそれは暴れ、蛇にとっても、蛙にとっても痛みを伴う悲しさがある。それは、食って食われる生き物としての連鎖の哀しさでもある。その姿を「かなしめる」飛鳥さんの思いの中には、一週間から十日ほどもかけてゆっくりこの獲物を消化していく命への愛おしさが在るにちがいない。鈴木六林男師に「石蕗の花ここにあつまりかなしめる」という俳句があり、この「かなしめる」がいいなと思ってきた。ここにまた一つ、忘れられない俳句が誕生した。
*岬町小島にて。

2024年6月16日日曜日

香天集6月16日 玉記玉、松田敦子、柴田亨、三好広一郎ほか

香天集6月16日 岡田耕治 選

玉記玉
船虫となってしまった導火線
蛇喰らい孔雀千年昔まで
迷いなく象は象舎へ南風吹く
ふところに鳴らすことなき貝の笛

松田敦子
中傷を真に受けている立葵
短夜の何度も0にする秤
額の花空から届く処方薬
敵にされ味方にされて冷し酒

柴田亨
湯に浮かせ裸の母を抱いたこと
沖縄忌水平線の夢の数
足裏の柳生街道風仏
フォトメールイタリアの夏届きけり

三好広一郎
規制線の範囲に届き蝉の声
薫風や鍵を掛けない村抜ける
青空に青紫陽花の情死かな
天の川こんな近くで溺れたの

前塚かいち
挨拶のできる子となるアマリリス
断捨離は不要と決める昼寝かな
悲しみを隠し切れないサングラス
ナイターの中西太でかい尻

上田真美
更衣顔にそぐわぬ服が増え
花菖蒲つわものたちが甦り
梅雨晴間歩けぬ人の空眺め
亡き父と摘む実色づく梅酒かな

秋吉正子
五月雨や飲まぬ薬の溜まりゆく
辛いこと忘れるほどに蛍飛ぶ
四キロの明石大橋風光る
五月照る一日遅れの筋肉痛

川村定子
箸そっと置き老鶯の声を聞く
竹の皮脱ぎゆく音を聞きたしと
横水の打たれ弾かれ滝壺に
大滝をそれし小流れ弾けたる

〈選後随想〉 耕治
中傷を真に受けている立葵  松田敦子
 勤めていた学校の近くに、毎年六月になると十本以上の立葵が姿を見せてくれる。四月に緊張を伴ってスタートした新年度にちょっと疲れが出てくる頃、毎年同じ場所に咲く立葵に励まされた。「中傷を真に受けている」という表現について、最近の大阪句会で話題になった。真に受けるというのは、本気にするというほどの意味で、中傷とくっつくといいイメージにはならない。けれどもこの句には、あえて中傷を正面から受け止めようとする清らかさがある、と。立葵というモノから生の姿を彫り出すといういとなみが感じられる、松田さんの秀句である。
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。

2024年6月9日日曜日

「香天」75号

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「香天」74号

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香天集6月9日 浅海紀代子、三好つや子、松田敦子、春田真理子ほか 

香天集6月9日 岡田耕治 選

浅海紀代子
森を抜け縁の風をまといけり
矢車草隣の猫に好かれおり
卯の花の垣根を掠りランドセル
草むしり草の悲鳴のついてくる

三好つや子
鮎跳ねるスケッチブック一枚目
黒揚羽昼の浮力と重力と
白桃のまといはじめる微熱かな
どこまでが電気どこまでがクラゲ

松田敦子
春愁や溶けた石鹸の沿う穴
駅弁の升目にはまり桜餅
新宿の街は縦長地虫出づ
胴吹きの桜戦火の行方なし

春田真理子
山吹の家よ母の声通る
待ち続け独り蛙の中に居る
総帆のふくらんであり夏の空
連峰へ翔る薫風斜張橋

楽沙千子
青嵐会釈のことばすれ違う
五月雨スマートフォンの会話減り
万緑を突っ切って行くバスの旅
学校閉鎖どくだみの蔓延りぬ

垣内孝雄
本丸へ渡る鞘橋あやめ草
夏立つや韮饅頭を焼く屋台
長袖の白きブラウス聖母月
風なづるポニーテイルよ麦の秋

岡田ヨシ子
梅雨に入る演歌の好きな人のこと
初めての俳句が届き梅雨の墓
職員の検温を待つ梅雨の空
駐車場のすき間を散歩梅雨晴間

牧内登志雄
素麺の氷からんと鳴りにけり
青葉闇セーラー服の大人めく
万緑の四方より迫る千枚田
新緑や磨き上げたる古座敷

川端大誠
窓の外アイスクリームしみわたる

川端勇健
サングラスかけ白球を追いかける

川端伸路
蚊取り線香つけているのによってくる

〈選後随想〉 耕治
草むしり草の悲鳴のついてくる 浅海紀代子
 草木が盛んに生い茂る前、初夏に草取りをしておく。草刈り機で一帯の草を払う光景を見かけるが、「草むしり」だから自宅の庭や周辺の草を手で引いていく光景だ。その草をむしっていると、「草の悲鳴」が聞こえるという。もちろん、実際に聞こえたわけではなく、草の生命を絶つことに対するかなしみを表現していると考えられる。「ついてくる」 という表現から、草の悲鳴が作者の耳元を離れないようにまとわりつくようにも感じられる。浅海さんの描く世界は、ごく日常的なことがらなんだけれども、その底に生きて在ることの儚さがたたえられている。

*岬町小島にて。

2024年6月2日日曜日

香天集6月2日 森谷一成、夏礼子、谷川すみれ、浅海紀代子ほか

香天集6月2日 岡田耕治 選

森谷一成
ぶきっちょの理髪師かまえ夏に入る
飛び飛びの゙葦間となりぬ行行子
難問をいなしていたり行行子
力学を一蹴したる夏燕

夏 礼子
花の昼着てゆく服が決まらない
桜蘂降る効いている痛み止め
折り鶴の匂う八十八夜かな
えんどう剥く行方知れずをそのままに

谷川すみれ
鴨涼し並ぶことの安らかさ
夏草に呼ばれていたるボールかな
見覚えの文字の葉書や立葵
罌粟ひらく薄き呼吸のふところに

浅海紀代子
すみれ野ややがて行くのはどの辺り
雨音に老いの朝寝となりにけり
小雀の一羽来たりてあと無限
椅子ひとつありて安らぐ五月かな

佐藤 俊
日の暮に虹色の猫探し行く
佇んで蟻ふと悩む進化論
片陰やついに火の付く導火線
短夜のひっそり愛でる尾っぽかな

辻井こうめ
風薫る四つ葉探しの感まかせ
池を守る通し鴨なり空の青
術も無く嘴の打擲小蜥蜴よ
夏の眉月コースター蹴り上がり

柏原 玄
眼裏の春の夢なり詠むべかり
山稜のうねりのままに山躑躅
彳亍か憲法記念日の日暮
濁る世に無垢を止めて花卯木

前藤宏子
新緑やこんな時間にワイン飲み
煮て和えて炊き込んでいる筍よ
白鷺の火の鳥となる入日かな
豆御飯柩に入れて別れけり

宮崎義雄
鍋擦る束子あわれや夕薄暑
潮風や宝探しの子供の日
メーデーの本社過ぎ行く御堂筋
早き瀬に流れていたる毛針かな

森本知美
雑木越ゆカラス揚羽のもつれ合い
桜蘂降る生きている寝息にも
落椿寄せて出来たる小さき山
水を撒く子供に停車許可を取り

金重こねみ
赤白黄寒天並ぶ子供の日
薫風や「コラー」と若き母の声
過去を知る栞よ四つ葉クローバー
草抜きの後ろ付き来る鳥のあり

松田和子
「はじめまして」木香薔薇よ吾の庭よ
絵手紙の高くたかくへ端午の日
竹の子の無垢な皮むく雨の中
緑さす多奈川駅へ一直線

河野宗子
五月雨の落語家ギター弾き出せり
カナダより無事に帰国す百日紅
崩れては踏ん張っている薔薇のあり
芍薬の君臨したる美容室

目 美規子
小満や見守り隊の旗なびく
夕刊が二部配られて桐の花
雨戸引く一目散に守宮の子
優しさと恐さうらはら花いばら

田中仁美
ぼんやりとかすむ顔みる母の日よ
知床のお土産香る立夏かな
一本のうなぎを分けん通り雨
夏蝶やホースの水をさけて飛び

松並美根子
子と孫の笑顔集まる子供の日
垂れし尾の少し揺れるよ鯉幟
春光や挨拶かわす一年生
春風の想いをつげる亡き夫に

〈選後随想〉 耕治
えんどう剥く行方知れずをそのままに 夏礼子
 最近はスナップエンドウが主流で、さやごと食べることが多いが、この句は実えんどうとして、剥いてからグリーンピースにして食べるのだろう。ボールへ剥いていく豆が、一つどこかへ飛んでしまった。剝くのは、キッチンではなく、土間や縁側の情景がふさわしい。日常的な情景を軽いユーモアを交えて詠む、礼子さんらしい俳句だ。剥いた豆がどこへ行ってしまったのか分からないという、ちょっとしたハプニングも、読む者に微笑ましい出来事として伝わってくる。もしかすると、行方知れずなのは、飛び出した豆の他にもあるような気がしてくる不思議な句。
*大阪教育大学柏原キャンパスにて。