香天集2月23日 岡田耕治 選
湯屋ゆうや
心音の全幅をゆく石鹸玉
スリッパを脱いで寒夜を帰りけり
手袋をもどかしく脱ぐ自動ドア
平積みの本を伝って春へ行く
木村博昭
父逝きし母ゆきし日も雪ふる日
綱打ちのかけ声の飛び春隣
鬼打豆居座る鬼と暮らすとす
恋の猫原罪を負うこともなく
古澤かおる
厳かに子猫を貰う姉妹かな
日当たりの梅見る椅子の古びたり
寒明の天地返しの土匂う
指先の傷をあらわに草青む
砂山恵子
物の芽が草になりたる高さかな
水色の雨の降りそう土佐水木
梅咲くは野に二等星増えること
ナースステーション水栽培のクロッカス
安部いろん
触れている長き看取りの悴む手
朧月遺品の黒き金時計
スノードロップ恋を教えてあげましょう
牡丹雪ルドンの目玉降ってくる
神谷曜子
一葉忌市民オペラに出演す
枯蔦の壊されてゆく映画館
年賀状終いふわりと届きけり
父の忌の寒夕焼を全身に
俎石山
往年の喧嘩を忘れ山眠る
クリスマス帰る足音疲れおり
一人部屋覗いていたりオリオン座
湯豆腐に品書の文字曇りけり
秋吉正子
小春日や幼稚園児の紺ベレー
月冴ゆる防犯カメラ赤ランプ
講堂のピアノレッスン悴める
恵方巻三つに切って丸かじり
大里久代
下を向く頭に当たり福の豆
選後八十年沖縄の春浅し
春の風懐かしき家解体す
蓮華草首飾りにはまだ足らず
〈選後随想〉 耕治
スリッパを脱いで寒夜を帰りけり 湯屋ゆうや
「スリッパを脱いで」という行為は、出掛けることと結びつくが、この句では帰るとあり、この反転が読む者のイメージを膨らませる。病院のスリッパだろうか、出掛けた先のそれだろうか。一旦靴を脱ぐ必要があったのに、再び「寒夜」を帰らなければならない。ゆうやさんは、家路を急ぐ心情を、この反転を用いて、巧みに表現した。日常的な行為の中に、人間の複雑な感情を詠み込むことのできる好例だろう。
鬼打豆居座る鬼と暮らすとす 木村博昭
「別に鬼がいてもいいんじゃない、鬼のような女房もいていいんじゃない、鬼のような自分であってもいいんじゃない」。この句からは、博昭さんの多様性を認めようとする呟きが聞こえてくる。「暮らすとす」という表現は、ちょっと仕方ないな、まあ認めようかという響きがある。現代社会に言い換えれば、反トランプということになろうか。「鬼打豆」「鬼と暮らす」という二つの鬼の響きが、何とはなしに心地よい。
*岬町小島にて。
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