2025年7月6日日曜日

香天集7月6日 中嶋飛鳥、渡邊美保、森谷一成、佐藤静香ほか

香天集7月6日 岡田耕治 選

中嶋飛鳥
狛犬の樅の木落葉まみれなる
糸底のざらついている麦の秋
ラタトゥイユ寸胴鍋の夏たのもし
書を曝す風の畳を広くして

渡邉美保
梅雨旱山羊が囲いを頭突きする
せめぎ合ふテトラポッドや日雷
尻軽のハグロトンボについてゆく
竹皮を脱ぐ新しき老いわたくしに

森谷一成
列島をゆする若葉の大爆発
凌霄の花に囲まれ空家かな
冷房や誰が匿しおく公文書
体幹をねじり直さん六月尽

佐藤静香
スプーンに映る我が顔半夏雨
尻高く超える跳び箱梅雨明ける
絶筆となりし師の書や青嵐
水中の蛇の速さの孤独かな

浅海紀代子
落ちてから慕われている椿かな
つばめ舞う窓からの日日病衣着て
尾を立てて迎えて呉れる猫の子よ
春の闇紛れ込みたい時のあり

平木桂子
死ぬ時も道化てみたし桜桃忌
梅雨闇やバケットリスト書いてみる
梅雨晴や洗濯ばさみあとひとつ
六月のビシソワーズに朝来たる

高野義大
雷のごとく枝張る冬虚空
昼の雲光抱擁し対峙する
松の内手さぐりで来て力尽き
しんしんと雪降る夜の未練かな

長谷川洋子
「あ・り・が・と・う」病の床の汗みずく
白き布掛けられし胸夏の菊
短夜の写真に話しかけており
ガラス器に河原撫子供えけり

橋本喜美子
しまなみの橋渡る風夏来る
春蝉の声揃ひたる千光寺
名物のレモンソーダの列に入る
白藤の香の誘ひくる房のあり

半田澄夫
わが思い湯煙に乗り春の空
春風を受けアパートの大漁旗
大欠伸桜吹雪を飲み込みぬ
花びらを受けたこ焼きを待つ背中

吉丸房江
米粒に父母ありて先祖あり
水田や九十年を変わりなく
夏の妊婦多くの人に期待され
荷を作る畑の温もり確かめて

上原晃子
ふぞろいのバケツを満たす穀雨かな
新緑や子どもが好きな槇尾山
雨のあと新緑を行く今朝の道
熊蜂の多く飛び合う祭かな

北橋世喜子
バラの葉を巻いて憩えり青毛虫
加茂川を走る二人の額に汗
刻刻と湧き出してくるおおてまり
呼ぶ声に目覚めていたり春の夢

中島孝子
筍ごはん湯気と香りを混ぜ合わせ
朴散華一枚拾い母偲ぶ
蓬摘む籠の重さよ畦日向
故郷の言葉静かに干蕨

石田敦子
触れてみる花やわらかく白牡丹
ネモフィラの側で見ている瑠璃色よ
葉桜や風吹き荒ぶ日となりし
独りには五個の草餅多すぎる

東淑子
花菖蒲我から先に見に行かん
蜆汁青を浮かべて一息に
猫の妻特に今夜は狂おしく
群れをなすおたまじゃくしの夜となる

〈選後随想〉 耕治
書を曝す風の畳を広くして 中嶋飛鳥
 この句は、先日の句会に出されたとき、「書を曝す仏間所を狭くして」という形だった。入選にいただいたので、沢山の本の存在を感じると選評した記憶がある。香天集の投句でこの形になっているのを見て、飛鳥さんが自分の俳句を何度も推敲している努力が感じられた。「風の畳を広くして」という表現は、原句をとどめないほどこの句の情景を際立たせている。事実としての「仏間」ではなく、「風の畳」とすることで、書物を広げて風に当てるために、畳の上に多くの書物が並べられている様子が目に浮かぶ。風が書物をめくり、その周りを吹き抜けることで、畳の間がより広く感じられる視覚効果があり。風がその場に生命を与え、空間を「広く」感じさせている。書物が並べられた畳の上は、知識や歴史、物語が詰まった空間だ。それらが風に当たることで、まるで書物から知識が放出され、精神的な広がりを感じさせるようでもある。書物と向き合うことで、飛鳥さんの心もまた、広がりと落ち着きを得ているにちがいない。

梅雨旱山羊が囲いを頭突きする 渡邊美保
 この句は、句会で木村博昭さんが、「この山羊の気持ちがわかります」とおっしゃったとき、会場に共感の笑いが起こった。現在の私たちは、何かわからないものに囲まれていて、そして頭突きでもしたくなるような、鬱陶しい情況に置かれている。あちらこちらで戦争が始まって、こんな世の中に一気になるものかと思うことが度々ある。そんなこの世で、山羊が囲いを頭突きするというのは、まさに自分が何がこの世の中に対するNoをぶつけているような感じだ。旱梅雨の、蒸し暑いし乾燥している、そういう鬱陶しさ、そういう時代への苛立ちを感じさせてくれる美保さんの書き方がいい。
*大阪教育大学天王寺キャンパスにて。